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World's End
言葉にするなら"しとしと"がぴったりな雨降る夜。フルーツケーキって普通は白いよなぁ…そう思いながらもチョコレートケーキにするのを止められなかった私は、少し奇妙な色合いのケーキをトレーに載せてニアの部屋のドアを開けた。

常に一定の温度に保たれた暑くも寒くもない無機質な空間へと足を踏み入れる。

毎年と変わらぬ流れで窓際のテーブルにケーキと食器を置き、それから雨の具合はいかがなものかと外へ向かって視線を投げた。
厚く張ったガラスに当たった雫が丸い形を崩してするすると下へ垂れていくのが目に止まる。眼下に浮かぶネオンの色が水滴の動きに合わせて滲み、キラキラと綺麗。
さながら、イルミネーションの輝き。

儚さと煌めきが相まった窓辺の美しさに、これは空から落とされた祝福の雨、なんてとってつけたような言葉が頭に浮かんだ。

本日の主役はといえば、あちらでシャープな身体を丸め熱心に作業している。もうあの頃と同じ姿勢を取っても丸くはないニアの後ろ姿は、多分サイコロタワーを生成中。一週間かけて壮大な作品を作っていたのに、昨日突然の眠気に負けて自分の頭で破壊してしまっていた。

せっかくの誕生日なんだからもっと機嫌良くしたらいいのに。
そんなこといってもニアは誕生日だからと感情が動くような人ではないけれど。
いつもフラットなニアが今日に限って少し不機嫌なのは、昨日の出来事の所為だと思い返さずにはいられなかった。

*

バラバラと崩れ落ちるサイコロの中、身動きを取らずに埋もれゆくニア。すぐ側で音に気がつき振り向いた私の目に飛び込んできたのは、リセットされる瞬間を無心で受け止めているような姿だった。
手を伸ばそうと慌てたら、まだ残っていたタワーの下の方を私が蹴って崩してしまった。直後の何ともいたたまれない空気ったら。

*

あの時ニアが普段よりオーバーに浮かべた不機嫌そうな表情、思い出す度に笑いと苦笑いの中間みたいな笑みが浮かんでしまう。一人で昨夜の思い出を噛み締めているとニアの立ち上がる様子が見え、私は緩みかけた口元を隠すよう慌てて頬をさすりごまかした。

でもこれは、幸福な焦り。

今まで呼ばなければ腰を上げなかったニアが、今年はとうとう、自分からこの窓際へ来てくれそうだから。


6年、月日が経った。


「25歳おめでとう、ニア!」

髪を弄りながらのろのろと近付いてくる主役の到着を待てず、フライング気味のお祝いが口から飛び出した。

ニアはケーキに視線を注いだまま「ありがとうございます」と答え、ゆるりソファに腰を落とす。それから軽く曲げた膝に肘をつき、指先で髪を一捻り。

「独特な色合いですね」

そう言って、重ねて置いておいた皿を並べてくれる。私用と、自分用に、あのニアが。素直に嬉しい。

「苺とさくらんぼは欠かしたくなかったの。でもチョコも使いたくて…そうこうしていたらこんな統一感のない仕上がりに…」

「…」

チョイスの意味を感じ取ったであろうニアは、ケーキの上のフルーツから目を離さない。艶やかな二つの赤がチョコレートの色と少し重なって、本当に独特な色合いのケーキ。さくらんぼの丸いフォルムをじっと見ていたら、林檎を思い出してしまってずんと心が重くなった。


本当に死神は林檎しか食べなかったのかな。


今さらすぎる疑問がふいに脳裏をよぎった。
なるべくなら触れずに生きていたい、あの時のこと。

「…ナナ?」

探るような聞き方をするのに射抜くようにこちらを見るニアの目は、少しだけ苦手。終わった悪夢にまだ引き摺られていることを見抜かれてしまうようで。

「あ、ごめん!本当に変な色合いだなーと思って!あはは…」

我ながらうまいとは思えない笑い声を作り、ニアの隣に並んで腰掛ける。詰まった距離は曲がりなりにも6年を共に過ごした証。

「変とは言っていません」

私の乾いた笑いに、ニアは不満げな表情を浮かべ視線を逸らした。指先でしきりに弄っているのは、一つだけ持ってきたサイコロ。

…気遣ってくれたのに受け流すような態度をとってごめんなさい。


あれからの月日の間を、私達は生きてきた。

それなりに信頼しあって、それなりに寄り添って、私達は生きていると思う。

それでも時々、直視するのは怖い時があるの。

「ねえニア、お誕生日のプレゼントは何が…」
「いつまで」

そんな私をまるで捕らえるように。

ニアは核心に触れることを恐れずに訊いた。

「いつまで続ける気ですか」

ぴしゃりと冷水を浴びせられたような鋭い一言に、喉元から上がる声が震えた。

「え…?いつまでって…?」

恐る恐るニアを見た。目の前の通称・Lは憂いるように顔を傾ける。癖のある前髪が頬にかかって、意志ある瞳に影を落とす。
その横顔を近くで支えられたなら。懸命に生き続ける、生き続けなければならないあなたの、側にいることができたなら。
共に生きることができるなら、ずっと…。いつもそう願ってきたよ。

いつまでって、いつまでだってずっと。

私は、そういうつもりだったんだけどな。

「ナナがこの場所に留まる必然性は…ないと思います」

言葉に詰まりながら話すニアを見て、この人でも言うのに気まずい台詞があるのかと知る。胸が痛いな、とても。

「必然性…は、うん…。ない、ね」

何と答えたらいいのか分からず頭の中は真っ白な癖に、吐き出す呼吸に音を乗せて曖昧に同調してしまった。


必然性はないけれど。

それでもここに留まる理由。


大した頭脳も持ち合わせていない私の頭の中が自分なりの答えを探し慌ててパズルを組み立て出す。


例えばそれはあなたが気になるとか。

あなたの側にいたいとか。

もっと単純に言えば、大げさに捉えれば、正直、正確に言えば、


あなたが好き、とか。


私の中でとっくに明確になっていた答えが、今導き出されたみたいに言葉になって正しく認識される。


そう、私はニアが好き。


だけど今までずっと、口にできなかった。

憧れや敬愛、焦燥、自信、沢山の信ずるべき未来を、愛すべき世界を失ったあの時。一応の決着を見せた後だって、狂った歯車は決して元に戻ることはなかった。
多くの犠牲の元再び平和を名乗る世界の中で、昔には戻れない自分を見て見ぬ振りして生きてきた。

カチカチと秒針の音はするのに、一向に進まない時計みたい。
同じ場所で毎日をぐるぐる忙しなく生きているのに、嘘みたいに時が経つのが遅い。

ニア、私はあなたが好きだけど、一歩を踏み出すことができなかった。
拒絶を恐れ、喪失を恐れ、大切な人としてあなたを認識する勇気が持てなかった。

こんなに近くで互いを見てきたのに。大切に特別に想う気持ちは導く前から溢れ出ていたのに。
悪夢に終止符を打った強いあなたのその胸に、私の存在を認識してもらえるか確かめる勇気がなかった。

そして臆病だった私は今、とうとうニアから引導を渡されたのだ。


「ここにいちゃ、ダメ…だった…?」

やっとの思いで口にした言葉は結局いつもと同じ、自分の感情を乗せずに探るだけのつまらない一言。

うろたえて動かす瞳に押し出されるようにして、瞬いてもいないのに涙が一粒こぼれ落ちてしまった。

瞬間。

隣に座っていたニアの肩が目の前にやってきて、呼吸と共に鼻の辺りが暖かくなった。
驚いて動かした手がニアの背中に沿う形で当たり、抱きしめられていることを認識する。視界の端で襟に押されてゆるくカーブを描いている、透けるようなシルバーの髪。

「今のは忘れてください」

すみません、と付け加えながらニアは腕に力を込め、より強く私を抱きしめる。

「試していました。私は愛情を示されるのに慣れていません」

肌越しに聞こえてくる声が必死に弁解していて、胸元から聞こえる鼓動はどちらのものかも分からない。

「試すって…?」

「あなたがどういうつもりでここに留まっているのか…」

側にいるのは同情心からか

傷の舐め合いか

他に行く当てがないからか

それとも果たして


自分のことを特別に想ってくれているのか


ニアが私の行動への推測をつらつらと語り、全身が熱を帯びるように熱くなる。

「…私の思い上がりだと思いました」

ニアの思考回路を私がこんなにも惑わせていたという事実に驚愕する。恋は盲目なのだ。世界を相手にする冷静沈着な名探偵にとっても。

「ニア…」
「試しておきながら…ナナのいない世界では味気がないことに気付きました。留まる必然性はないかもしれませんが必要性ならあります。さっきの発言は忘れてください」

弱まることのない腕の中で聞く、いつもより早口なニアの声。

もしかして、焦ってる…?

「ニア」

顔を見たいのに、確かめたいのに、ニアはしっかりと抱きとめるように私の身体を押さえつけ目を合わせることを許してくれない。

「ナナが利害を考えてここにいる訳がないと…分かっていながら卑怯な真似をしました」
「ニア謝らないで」

私も腕に力を込めた。ニアが抱きしめてくれる以上の気持ちを返したくて。

泣きそうになりながら、私達は互いに互いを抱きしめる。もっとずっと早くに、こうできたなら良かった。


窓の外遥か下にキラキラと夜の景色が広がっているのが見える。
素っ気ない捜査用の部屋の中、モニターの青白い光と微かに響く機械音。
仮眠用のベッドと無造作におかれたブランケット。作りかけのサイコロタワー。

夢みたいな景色と押し寄せるように濃厚な現実が合わさって何だか頭が混乱してしまう。

視界に入り込んだニアの腕。
ガラスに反射する、私を抱きしめる背中。

実感と共に急激に心音が高鳴って、堪えきれず離れてしまった。

ニアの顔が見たかった。

瞼に残った薄い水分が一滴の雫になって下まつげを濡らすのを感じながら、逸らさずに愛しい人を見つめる。

「…すみません」

ニアは曲げた人差し指の背でそっと涙を拭ってくれる。真剣な瞳と、正解を探るようにおずおずと差し出された指先がアンバランス。

「びっくりしただけ…大丈夫」

笑ってみせると、今度は手を取られた。強く握られ、感じたことのないニアの体温に何度でも胸が高鳴る。

「…今日はずっとこうしています」
「え…あの…」

みるみる熱くなる手のひらに視線を落として声も出せない。必然的に交差する二人の手首。

「あなたを不安にさせたので」

反対の手で髪を忙しなく弄り目を合わせてくれないニアに、"ケーキはどうするのよ"と照れ隠しに思いながら、ひしひしと伝わる熱に身を任せることにする。


二人で並び肩を寄せ合って見る外の世界は、まるで絵空事のように美しかった。大袈裟かもしれないけれど私はこの世界がどんな風に動かされたのか、ほんの少しだけ知っている。ニアは実際にその瞬間に立ち会った、その瞬間を自らの手で刻んだ一人。

多くのものを失って、何を信ずるべきかだって揺らいで、喪失の穴を胸に抱えながら、それでも生きる時間を重ねていく。

事件解決の名の下、戸惑う自身を許容できず彷徨っている自覚を持たないまま、私達は地の果てまで来てしまった。


何が自分にとって正しいかは、自分で決める。

私は、この手だけは離せない。


*


「来年も、お祝いしていい?」

今年は、今までよりずっと自信を持って聞けた。

「その前に」
「…?」
「ナナの誕生日を祝います」

見たことも聞いたこともないおとぎ話のような都市伝説のような一言がニアから飛び出して、思い切り目をぱちくりさせてしまった。

「えっええ!?ほんと!?本当に??いいのっ?」

嬉しさのあまり覗き込むように詰め寄ってしまう。だってそんなこと、ニアからそんなこと、あり得る?

「…あまり言うとしませんよ」

視線を逸らしたニアに、私は慌てて口を閉じる。

静かになったでしょう?
いい子にするから!お願い、お願い。
必死になって覗き込むと、いつもの気だるくて冷たくて物憂げで、甘く据えた目のニアがやれやれといった様子で私を捉えてくれた。

やっと真正面から、やっと通じ合えた。
そんな気がする夜。

「これからは交互に祝いましょう」
「ずっと?」
「…ずっと、と言った方がロマンチックですか?」
「うん!」
「ではずっと」

調子に乗って「"では"が、ロマンチックじゃないな!」
と言ったら、「そういうのは苦手なんです」とこぼしたニアにそっぽを向かれてしまった。

だけど私はもう、顔を背けるニアに不安を感じたりしない。恐れたりなんてしない。

通じ合えた嬉しさを胸いっぱいに吸い込んで、逸らしたニアの耳元に顔を突っ込む。

「ごめんなさい、試してしまいました。今のは忘れて。


…私は、"できる限り"って慎重に伝えてくれるニアが好きだよ」

さっきのニアみたいに言ってみる。
耳から少しだけ離れて、胸が破裂しそうな程ドキドキするのに耐える。ああ、顔が熱い。

私が初めて気持ちを伝えたこと、ちゃんと気がついてくれたかな。


その疑問の答えはすぐに分かった。

確認するようにこちらを振り向いたニアのいつもの表情に浮かぶ、いつもとは違うごくごく薄い赤。

それからかけてくれた言葉で。


「ではできる限りずっと…よろしくお願いします」


慎重に、正確に発言するニアの、今日は25歳のお誕生日。


「はいできる限りずっと、よろしくお願いします」


地の果てまで来た私達が"できる限り"という名の永遠を歩み出した日。

嬉しさと恥ずかしさを隠せないまま、同じ言葉で。

ニアの手をぎゅっと握り返して、この夜に誓うよ。


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