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1月25日12:32
雑踏に紛れて歩みを進めていると、右足に振動が走った。

メロだろう、あいつしかこの番号を知らない。

「ちょっと!どこほっつき歩いてるのよ!」

だから携帯のボタンを押し応じた耳に響いた声が、メロのものとは違い思ったより高かったことに一瞬言葉を失った。

「あー…どちらさま?」

分かってるけど問い掛ける。どんな相手であろうと向こうが名乗る前に、こちらが推測した名で訊ねてはいけない。

「…うそ。何、仕事関係だったの?

…ナナです」

声で分かるはずなのに会話を始めようとしない俺の様子に、ナナは狼狽えた。
同じ訓練を受けたナナは俺がわざわざ名を問うことの意味を知っている。訝しがることなくすぐに自分の名を述べた。

電話口の向こうで戸惑いの気配が広がるのも無理はない。数日の用事と告げたから嘘はついていないが気ままなお遊びに出掛けるかのような紛らわしい言い方をしたのは事実。
それで構わない。大体お遊びみたいなもんだし。明日には決着がついてこんな国とは即刻おさらばだ。

「外?」
「そ」
「ねえ、もしかして日本じゃないよね?」
「あー」
「あー、じゃ分からない」
「…」

怒られるし、心配をかけることになるから言うつもりはない。
答えの代わりに話題を逸らした。

「何でこの番号を?」
「…メロが昨日電話くれて。それで粘って聞き出した」
「あっそう」

メロめ、余計なことを。

「私にはちょっと出掛けるって言ったのに。隠し事」
「わりぃわりぃ」
「嘘つき」
「逆に俺が嘘ついてないとこ見たことあるか?」
「…そう言われるとないな!」
「だろ?」

口先だけの誤魔化しも、場を和ませるなら役目は充分。顔を綻ばせるナナの様子が聞き取れて、少し安心する。

「メロと一緒にいるの?」
「いないよ」

今はね。

「…本当?嘘つきじゃない方のマット君希望です」
「残念、在庫切れです」
「何それ」
「先に客やり出したのナナだろ」
「あははは…」

些細な会話に癒される。電話の声は隣にいる時より近く耳に響くけど、早く直接会いたいと願う。

視線を上げた先に見えた時計台の時刻は12時半。ランチタイムに行き交う人々で街はせわしない。ハウスは3時半くらいか。

「遅い時間に珍しいな」
「メロに番号聞いてから…」

少しの間があった。
少しというには長かったかもしれない。それくらいの沈黙の後、ナナは絞り出すように言った。

「勇気がなくてかけられなかったの。マットの嘘は優しいから聞きたくなかった」
「…ナナ」
「でもマット君は日本にいないしメロとも一緒じゃないんでしょ!分かった分かった!分かりました」

近くでブランドものを身につけた女達がきゃはきゃはと五月蝿く黄色い笑い声をあげている。大画面のモニターからは流行りのJ-POPが流れ、選挙カーが演説を垂れ流して自分の後ろを通り過ぎた。

深夜静まった部屋、ともすると寝具の中で聞けば、ここがどこであるかなど疑う余地もないだろう。

どれだけ透けて見えようと、この事件に関わった俺との接点は限りなく0であるべき。
言及しない姿勢を貫いて、ナナのことだけを想う。

「ナナ何か嫌なことでもあった?」
「え、」
「声が元気ない」

ガサゴソと衣摺れの音が聞こえる。既にベッドの中にいるらしい。

「ロジャーの機嫌が悪くて」
「あー…じーさんか」
「シッター達もゴタゴタしてるのよ」
「ほう」
「…相談相手が必要」
「はい。よしよし」
「ハウスは特殊な場所じゃない?」
「うん」
「マットが側にいてくれるから頑張れるんだよ」
「ナナ」

今すぐ飛んで帰って抱きしめたい。
ナナの愚痴なんて散々聞かされてきたが、支えてやれる距離にいないことがこんなに苦しいとは思いもしなかった。いつもと違う声色に胸が締め付けられる。

「大丈夫だって!ちょっとネガティヴになってるんだろ」
「なってない」
「ほら、夜中は思考がおかしくなるから」
「うん」
「安心して、寝ろって」
「…」
「寝るまで切らないから」

安心させるつもりだったのに。
それとは程遠い返答が返ってきて心臓を掴まれたように感じた。

「マット…

帰ってくるよね?」

勇気を振り絞って発せられた震える声を聞き届けて、吸いかけの煙草を消した。不味い。

「あたりまえ」

いつも以上に柔らかくなるよう、細心の注意を払って声を出す。

「…良かった。私、マットがいないと心細いよ。早く会いたい」

おいおい、随分スイートに言ってくれるな。
…あっちは深夜だからか。
夜中のテンション。苦笑いが浮かぶ。

「大丈夫だって」

視線を上げれば電話しながら歩くサラリーマン、昼間から闊歩する制服のガキ、店頭のテレビに映ったニュース番組がキラ事件について報道している。

返事がないな、と思えばすうすうと寝息らしい呼吸音が聞こえてきた。落ち着いたら寝るのは早いのな。
いや、あっちはもうすぐ4時。限界まで粘って力尽きたというべきか。
規則正しく響く穏やかな息遣いに安心する。
それでいい。ナナはそこで、安全に。

「寝た?」
「…」

「おーい」
「…」

「マット君電話切っちゃうぞー」
「…」

寝てるのは判ってるのに。

切りたくないのは、俺の方。

「甘えたさーん」
「…」

「つまんねーなぁ」
「…」

「おいナナ」
「…」



「…好きだよ」

ずっと言えなかった言葉、聞いてないだろうことが分かってても鼓動が高まった。
ナナめ、とんだ反則電話だ。耳から入った言葉の刺激を夢に見たらいい。

次は、ちゃんと目を見て。
名残惜しい気持ちを振り切るように、そしてナナの頭を撫でてやるような気持ちで、俺は静かに電話を切った。


1月25日12:32
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