help!
ああ…あんなに頼りにしていたワタリのことが、苦手になってしまった。help!
竜崎は、Lは。
自分がどれだけ魅力的か分かっていない。
それどころか捜査本部にいるメンバーすら、誰一人として分かっていない。
月くんが魅力的なのは周知の事実なのに?
「ナナさん、お疲れ様。疲れた顔してるけど、大丈夫?」
確かに。
この麗しい王子様のような風貌、澄んだ瞳、すらっとした長身が近付いて私を覗き込もうものなら、どきりとするし緊張もする。
「あっ疲れた顔してました!?私ったら…すみません、大丈夫です」
少し顔が熱くなったかもしれない。月くんに話しかけられる、見つめられるというのはそういうこと。
「ちょっとぉ!ナナさん、ミサのライトにデレデレしないでください!!」
「えっ、いや、デレデレなんて…」
「ミサ、ナナさんは緊迫した捜査本部で仕事をしてるんだ、そんな風に言うのは失礼だよ」
これから仕事で最愛の人と離れなければならないミサさんはやや神経を尖らせていた。月くんはこんな時も正しく真っ直ぐな言葉で制し、スマートだ。
「ライト、ミサと離れても浮気しない?」
「この状況でそんなことできっこないだろ?」
月くんの嘆くような表情を見て、ミサさんはそれもそうだね!とあっさり機嫌を直した。
「くう〜!あんな一途で可愛い彼女いたらなぁ〜!」
二人の様子を見た松田さんが悲鳴のような声をあげる。その様子を呆れたように見やりながらも、皆同じことを考えているようだった。
容姿端麗、頭脳明晰、その上性格も良く立ち振る舞いもスマートときたら、彼は本物の王子様だ。お父様があの夜神さんなら、なおさら。
一方、"竜崎"が口を開いた時のみんなの顔といえばぽかんとしたもの。
あのLが、私の目の前で実際に動いているというのに。
私の運んだスイーツを頬張る口元、長い指の先でフォークをつまむように持つ様、鋭い眼光。
どこを取ってもあんなに素敵な人はいない。
月王子にうつつを抜かす暇などない程に、Lの側でどんな時でもお役に立てるよう私はいつも緊張の連続。
ワタリから事前に聞いていた通り、Lは興味のあること以外には無頓着だし無配慮な人だった。
こちらに来てしばらく経ったけれど、雑談の一つも交わしたことがない。
私はただ、Lがスムーズに捜査に集中できるよう待機するだけの日々を送っている。
見つめ続ける日々の中で、気がつけば彼の放つ圧倒的な存在感、魅力に、どうしようもなく心奪われていた。
実際に眼の前で繰り広げられる衝撃的かつ鮮やかな手腕。
瞬時に人柄や状況を飲み込み決断する判断力、あらゆる可能性を考慮し同時に方向性を導き出す視野と頭脳。考えていることのうちどれだけの量が言葉となって表に出ているのか。
ただ"L"という存在にぼんやりと憧れていた今までとは違う。
奇跡のように時を共にしている世界一の名探偵は、描いていたイメージ像の遥か上をいっていたのだ。
あの黒い瞳が上や下に動く度、私の胸は締め付けられるようになった。
そんなこと、誰にも言えない!
*
今日は金曜日。
ウエディとアイバーも到着し、ヨツバを探る準備をしている。
いつにも増して緊迫感のある捜査本部…L以外は。
チョコレートケーキとミルクティーを届けると、Lは何も言わずに受け取る。最初は冷たい人なのかと戸惑いもした。
ところがたまに食べ終わった食器を横にずらしたり、もっともっとたまに直接渡してくれたりもする姿に、気まぐれではなく、彼は自分の考え事に集中してそうなっているだけだと分かった。そのことに気がついてからはより尊敬の念が湧き、慕い想う気持ちが増した。
つまむように持ったフォークで器用に数口食べ進めるLの幸運を祈る。
みんなそれぞれパソコンモニターとにらめっこしているので、私はすぐに下がった。
*
これからの計画を説明する為、Lが皆を集めた。
夜神さん、模木さん、月くん、ウエディにアイバー。松田さんは…ミサさんのマネージャーとして今は出ている。
真剣に作戦を話すL。こちらを振り向くような角度で話しているのに、作戦を聞くメンバーの隙間から見えるLと目が合う気配は全くない。
多分、Lの中に私という存在はほとんどないに等しいのだろう。
私はワタリと同化した存在。
ワタリが手に負えなくなった細々とした雑用をこなす係。
Lがワタリを必要とするうち、優先度の低い部分を受け持っているだけの私。
彼の目に止まることがなくても、お役に立てているならそれだけでいい。
Lに食され溶かされていくケーキに嫉妬したりしない。
だってあれは、私が用意したものだから。
*
どよめきが起こった。松田さんが単独行動をしてヨツバ社内で見つかってしまったらしい。
不機嫌なLが電話をかける。砂糖が大量に必要になる。コーヒーも準備しておこう。
何だかバタつきそうな予感。ドキドキする…。
Lと相談した月くんがミサさんと電話で話している。
これから松田さんを助けにヨツバ本社に向かわせるようだ。
月くんが通話している間にLがぺたぺたとこちらに近付いてきた。
期待に添えるよう、迷惑をかけないよう、緊張する瞬間。
「ナナさん、今から松田さん救出の為にいくつかやってもらいたいことがあります」
「はい」
「弥の部屋を片付け、接待用に準備してください。ヨツバの社員をここに呼びます」
「…分かりました」
そしてLはのろり手を持ち上げた。指先でぶら下げるように何かを摘んでいる。
「これは弥と、その下の部屋のキーです。念の為ベッドマットが取り外せるか確認しておいてください。なければ用意を」
Lから手渡されるカードキー。一瞬だけ、キーを媒介して繋がるLと私。
「はい…キーは私が持っていていいのですか?」
「私はマスターキーを持っていますから」
「あっ、はい…」
余計なことを言ってしまった。しかし確認は重要だから怯えずにすべし、これはワタリからのアドバイス。
「夜神さんが救急車…フェイクで使うので、用意してくれます。着替えは…」
「一階の端にある個室が並んだ場所を利用されては…?」
「…そうですね。面倒ごとが増えました」
頭をぼりぼりと掻き、ため息を吐きながら行ってしまう後ろ姿。自分の提案に賛同してもらえたと惚れ惚れしている暇はない。動かなければ。
急に場が慌ただしくなった。夜神さんは救急車の手配要請をしている。
残りの皆が話し合っている場を後にし、私は廊下に出た。
*
誰もいないけれどノックをして、ミサさんの部屋に入った。仕事とはいえ少し気が引ける。でもそんなことを言っている暇はない。
さすが人気モデル。ティーンの流行を集める雑誌が何冊も置いてある。香水の匂いが広がる甘い部屋は、意外と片付いていた。
これなら準備するのにさほど時間はかからない。
念の為、監視カメラが目立つ場所にないかチェックしつつ、外部の人間に見られても良いよう整えた。
手元のアラームが鳴る。頼んでおいた食事が届く頃だ。慌てて部屋を出てビルの外に向かう。
*
無事に接待用に部屋が整い静かにドアを閉めた。ひと息つく間もなくすぐに下の階へ向かう。
部屋の前には既に夜神さんと模木さんが待機していた。
「すみません!お待たせしましたか?」
息を切らしながら確認すると、模木さんが答えてくれた。
「いえ、ナナさんが準備し終わるのは20分後だから、この時間にここに着くようにと竜崎から」
「まさしくぴったりだ。さすが竜崎と言うべきか、さすがナナさんと言うべきか」
夜神さんはこんな時でも人を労わることを忘れない。やっぱり素敵な人だ。それに、初めて人から聞くLの言葉。Lの放つ、私に関する言葉。
「食事の調達もしたんですよね?」
普段無口な模木さんが珍しく、褒めるような口ぶりで聞いてくれる。
「えぇ、まぁ。」
つい笑顔がこぼれた。でも談笑している場合ではない。作業スピードは落とさず、三人で部屋に入る。
しん…とした暗い部屋。カーテンの張られた窓、空調の整えられた室内。部屋の中央にはきちんとベッドが配置されていた。
すかさず夜神さんと模木さんがベッドマットを持ち上げベランダへ運ぶ。
窓際に回って鍵を開けると、「ありがとう」と力んだ声の二人が同時にお礼の言葉を口にした。
こうして、ベッドマットは無事外に持ち出すことができた。
「…これで準備は問題ないな」
夜神さんの声に、私と模木さんは頷いた。
*
Lの元に戻ると、アイバーが私を見つけ興奮して肩を掴んだ。
「ナナ!探したよ。Mr.松井役用にちょうどいいスーツが見当たらない」
「あ!それならこちらです!」
急いでアイバーを案内する。
ワタリが日本警察の捜査員用に手配したものを集めた部屋がある。
「アイバーには少しきつい?」
「一瞬だからいいさ…Lはこういうものの場所も把握してると思っていたよ」
「されてるとは思いますが…?」
「ナナさんに任せてる、すぐ戻るでしょうから聞いてくださいの一言で取り合ってくれないから焦ったよ」
「きっと松田さんのことでイライラされてるんですよ…」
苦笑しながら返す。
そんな風に言うL、直接見たかった。
「Lがイライラして動じると思うかい?君は信用されているんだよ、きっとね」
アイバーがウインクして、呑気に笑っていた私は急にドキリとする。
天才詐欺師のセクシーなウインクか、それともLからの信用か…自分自身で何にときめいているのかすら分からない。
Lからの信用だって、目の前の詐欺師が適当に紡ぎだした程の良い戯れ言かもしれないのに。いやそれとも、もし本当なら。…いやいや。
「見ていてもいいけれど、刺激が強いと思うよ?」
シャツのボタンを外していくアイバーに言われハッと我に帰る。
「出ます!すみません!」
「そういう可愛いところ、ここにいる人達は気がついてなさそうだね。もったいないなぁ」
「こ、これ以上話すと私もアイバーの話術に引っかかりそうなので…!」
お辞儀をして逃げるように部屋を出ると、後ろでクスクスと笑う声が聞こえた。
待機してしばらくすると救急車の音が聞こえてきた。これだけけたたましいサイレンが自作自演なのだと思うと、さっきまで興奮状態だった頭が急に冷静になり大都会の中で起こっている不自然な出来事、夜の一幕が恐ろしくも感じられた。
無事スムーズに事が運んだようで、程なくして救急車は撤退した。夜神さん模木さんの待機していた部屋の確認に向かうと、松田さんが加わりちょうど三人で部屋を出てくるところだった。
「ナナちゃん、迷惑かけちゃって…スミマセン」
「松田さんご無事で良かったです!部屋は私が片付けるので皆さんはどうぞ竜崎のところへ」
少し早口にそう告げると、夜神さんがきりりと頷いた。
「そうさせてもらおう。ナナさん、ありがとう」
*
松田さん救出に使用した部屋は手間なく片付き、私も追うようにして本部に戻った。
皆が揃うのに備え口直しのドリンクを用意していると、続々と関係者が本部に集まってきた。日本の捜査員の方達は意外にも炭酸を選んで口に運んだ。焦りと安堵の高低差によるストレスは喉の刺激で消し去ってしまいたいらしい。
うまく事を進めたもの同士、場は不思議な一体感に包まれていた。
「いやぁ〜、ご迷惑おかけしました…」
平謝りする松田さんの声を背にアイバーから松井さん役に使ったスーツ、ウエディからコート類を受け取っているところでLと月くんが戻ってきた。
忙しそうなので会釈だけして衣類を運ぶ。おかえりなさいと言いたいところだけど、思考中であろうLの邪魔をしない方がいい。
「どぉー?ミサの演技力でうまくいったでしょ!」
続けるようにミサさんが機嫌よく入ってきた。
「さすがミサミサ!ありがとう、助かったよ!」
「大丈夫だったか?」
「ライト〜心配してくれるの?」
「素晴らしい演技でした。どこかの馬鹿より役に立ちますね」
「L…でも、貴重な情報も手に入れたことですし!!」
皆が慌ただしく会話を交わす中、「うー!疲れた!」とミサさんが伸びをしているのでローズヒップティーを勧めてみる。
「ナナさん!何でコレ分かったの?ありがとー♪」
華奢な腕がこちらに向かって伸び、無邪気な笑顔を浮かべられると女同士でもどきっとしてしまう。
その後ろで捜査員を集め話をしているLが目に入る。近くに角砂糖だけでも置いておいた方が良さそうだ。
急ぎシュガーポットを届けると、「今日は一旦ここで切り上げましょう」のLの声に皆が解散するところだった。…一足遅れてしまった。
*
ぞろぞろと自室へ下がる捜査員たちを見送ると、本部の中は残って作戦を練るLと月くん、キッチンを片付ける私だけになった。
夕方からここまで怒涛の展開だった…拭いた食器を戻しながら一日の疲れを感じていると、足音が近づいてくるのが聞こえた。
振り向くと月くんがキッチンを覗くように顔を出し「水、もらってもいいかな?」と入ってきた。
「勿論!すぐ用意しますね。竜崎もお飲みになりますか?」
「はい、いただきます」
後ろに見えたLにも確認すると、水で許容したらしい返事。珍しい。疲れたのかな。あ、砂糖水のパターンか。
二人がグラスを傾けるのを眺めていると、姿勢はまるで違うのに似たような動作をするので何だかおかしくなってしまった。
空いたグラスを受け取り、声をかける。
「竜崎、月くん、お疲れ様でした」
「どうも」
「ナナさんもお疲れ様」
「ところで夜神くん、今日撮影した映像で確認してもらいたいものがあるんです」
「…何か手がかりになりそうなものが映っていたのか?」
挨拶もそこそこに二人はすぐさま真剣な会話に戻り、モニターの方へ向かってしまった。
忙しないな、そう思いながらグラスを洗おうと水を出した時、ジャラリと手錠の音がすると共に「竜崎でも忘れ物なんてするのか」と感心したような月くんの声が聞こえた。
Lが忘れ物?珍しいな、私も同じ感想を持つ。
「夜神くんは先に映像を確認していてください」
返事に放たれたLの声が意外に近い位置から聞こえたな、と驚く間はほとんどなかった。あまりの声の近さに振り向くと、そこにLが立っていた。
「竜ざ…」
名前を呼び切る前にLが人差し指を口に当て、静かにするようサインしたので慌てて口を抑えた。
黒くて丸い瞳は宙を眺め、左手でごそごそとジーンズのポケットを探っている。Lは何のことはない表情でポケットから手を抜くと、握った何かを私に向かって差し出した。夕方にカードキーを受け取った時を思い出し、また重要なものを渡されるのかもしれないと気を引き締める。
「?」
緊張しながら両手を器にして前に出すと、Lが手を開きぱらぱらと何かを落とした。
手のひらの上に収まったのは数粒の…
キャンディ。
…?
これは何かに使うものなのかな?
どこに保存しておけばいいか考えていると、いつもと同じか、もしかすると少しだけ柔らかいかもしれない声色が静かに耳に響いた。
「疲れには糖分が一番です」
「ぇ?」
両手を差し出したまま間抜けに固まって動けないでいると、Lの声が再度鼓膜を揺らした。
「今日はお疲れ様でした。また明日も、よろしくお願いします」
憧れた黒い瞳。モニター、捜査員、些細な変化から今後の見通し、それから世界を見つめるあの瞳が、一瞬、私だけを捉えてくれた。
…ように、思えた。
初めて、作業依頼以外のことを言われた。
返事する間もなくLはモニターの方へ戻ってしまう。
私はなす術なくただその場に立ち尽くす他なかった。だって動いたら足から力が抜けてしまいそうで。
手のひらに視線を落とすと、くしゃりと潰れた包みのキャンディが無造作に転がっていて、握りしめたいようなこのままずっと眺めていたいような幸せな葛藤が胸を高鳴らせる。
これは私が貰ったもの、ってこと?
食べてもいいってこと…だよね。
そう頭で考えるものの、こんな貴重なものをどうして食べられようか、いやいや味わって食べるのが一番か、仕事モードを吹き飛ばした脳内が、私的な感情でいっぱいになって埋め尽くされる。
何だか気持ちがふわふわして、今グラスを洗ったりしたらうっかり割ってしまいそう。
向こうからLと月くんが真剣にやり取りする声が聞こえてきて、はっと我に返った。
いけないいけない、仕事をちゃんと終わらせなければ!近くにあった布巾でごまかすようにシンクを撫でると、キッチンに置かれたモニターから通信音が響いた。画面には「W」の文字が不自然に揺れている。ワタリだ。応答ボタンを押すと音声が届いた。
「…そちらは落ち着きましたか?」
「はい、何とか無事に落ち着きました」
「それは良かった。…おや」
その時私は自分の失敗に気がついた。画面には表示されなくとも、こちらの映像はワタリの元へ行っている。大切なキャンディ、素早くポケットに入れれば良かったのに嬉しくて握ったままにしていたものだから。
何かを見つけたような一声にいやな予感がし、まさにそれは的中した。
「何かいいことがあったようですね」
「い、いいえ何も!」
慌てて否定する。だって、私の立場。
この気持ちを認める訳にはいかない。
破裂しそうな心臓を抑えるよう無意識に持ち上げた手の中でくしゃりと包み紙の音がして、ああばかばか!冷や汗が背中を伝う。
魅力の知られていない名探偵が放つ、恐ろしいほどの吸引力に逃れられず惹かれているのは私だけ。
そのことに気がついているのも私自身だけ。
そう、思っていたのに。
「…私はいいと思いますよ」
呟いて通信を切った老紳士の柔らかな一言が耳に残った。
その意味を、今夜は寝ずに考える必要がありそうで。
つまりそれは、バレてるってことなのでしょうか。
こんなこと、許してもらえるのでしょうか。
明日も、明後日も、幾度となくワタリとは連絡を取ることになる。
この先どんな顔をしてその瞬間を迎えればいい?
ぐちゃぐちゃになった心の中で、とりあえずのところ確信したことが一つだけあった。
"ああ…あんなに頼りにしていたワタリのことが、苦手になってしまった!"
help!