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「秘密…電話相談室?」

帰り道、地面に落ちていた灰色のメモ紙を拾った。

"いつでもどうぞ"

怪しい謳い文句だ。怪しくて、強烈な吸引力。
なんでもこの番号にかけると繋がる不思議な電話の相手に、相談や質問をするとお返事がもらえるらしい。
そんなの怪しい。そんなの。


*


受話器を握りしめてごくりと喉を鳴らす午前10時。汗。蝉の声。

決して悪いことや禁止されていることをする訳じゃない。だけどお母さんにも、家族中の誰にも見つかっちゃいけない気がした。

私は怪しいメモ紙の吸引力に勝てなかった。

家に誰もいない絶好のタイミング、迷っている暇はない。
ばくばくと音を立てる心臓を無視して書いてある番号に電話をかける。

「…」

呼び出し音なんて鳴らなかった。気がついた時には、電話はどこかに繋がっていた。だって、空気の音。

「あの…」
「質問は」
「これは秘密電話相談の電話ですか?」
「それが一つ目の質問ですか?」

相談数に決まった数があるとは書いてない。けれどそんな口調だ。
かけてから気がつく。お金、かからないよね?
焦りながら無意識で三つに絞ったのはきっと、よく知るランプの魔人のせい。

「違います!」
「では質問は」
「…あの。えっと…将来向いている職業についてなんですけど、診断するものによって結果が全然違うんです。何で同じ私なのに結果が変わってしまうんですか」

電話相談室はどんな質問にも答えてくれると書いてある。適職診断、心理テストだと「芸術家」、学校のペーパーテストでは「事務員」と出た。
芸術家と事務員は、全然違う。

「それはあなたが刻一刻と変化しているからです」

電話相談の人は少しだけ間をおいてから息を吸う。

「大体、診断は他人が作ったものです。結果がどうでもいいなら判断は他人に委ねればいい。相談するほど重要だと思っているならば自分で判断したらいかがですか」
「で…でも自分の好きなようにした結果適してない職業についちゃって続かなかったらいけないと思って」
「それはあなた自身の考えですか」

ハッとする。耳がじんと痛い。頭に浮かんでいたのは教壇に立つ先生と、お母さん。

「先ほど言った通りです。例え啓示と思えるような出来事があったとしても、重要なことは自分で一考してから判断すべきです」
「あ…」

ありがとうと言う間もなく、ため息のような息遣いを残して電話の相手がその場から去るのを感じた。

「ちょ、ちょっと…」
「はいはーい」

追いかけるように声を出すと、今度は明るい声の人が受話器の向こうに現れた。最初の無愛想な人とは違って優しそうな声が耳元に届きいい印象を持つ。

「あ、あの!さっきの人と交代ですか?」
「それ、二つ目の質問?」
「や、違います!あ…あの、恋ってどんな感じですか?」
「えーそれ、俺に聞く?」

電話口の先でもったいぶって話す若そうなお兄さんの声。

最近友達が好きな人の話をするようになった。けれど私にはその感覚がよく分からない。置いてけぼりをくらった気持ちになるからどんなものか教えてもらおうと思ったのに、この人はなんだか頼りないな。

「だって…電話相談なら何でも答えてくれるって…」
「残念ながら俺もはっきりとは答えられないなー」

この人はハズレだ。何でもお答えしますと書いてある紙に視線を落とす。

「…だけどもし」

がっかりしていると続きが聞こえてきた。念のため耳を傾ける。

「もし?」
「君がいつか、この会話を思い出して甘酸っぱい気持ちになったら」
「なったら」
「それは恋だね」
「うそー」
「ホントホント」
「信じられません」
「信じなくてもいいよ」
「いいんですか?」
「信じられないスピードで胸に入り込んでくるのが恋なんだよ。気がついた時には堕ちてる」

頼りないと思った声がなんだかそれらしいことを言うので思わず息を飲んでしまった。

「はい…」
「お、素直になったな?」
「あなたとの会話は思い出さないと思うけど」
「はは、あっという間に堕ちれる恋に出会えるといーね」

最初と同じ適当な調子のコメントを残して、また受話器の向こうの空気が動いた。

「何だ?」
「また交代?」
「ああ」
「えーっと、では」

こほん、と咳払いする。これは、最大にして最悪のあの事態について。

「何で宿題なんてしなくちゃいけないんですか?」

小さくチッと舌打ちの音が聞こえた。
電話の相手は怒ってしまったようだ。

「お前みたいに、何をすべきかも分からない奴が多いからだろ」
「へ?」
「自分の向かいたい道、自分に必要なことを自ら編み出していると言えるのか」
「え…」
「明確に答えられないなら四の五の言わずに与えられた課題をこなせ」
「…」
「不貞腐れている暇があるなら」

恐くて嫌味なこの人には私がムッとしていることもお見通しらしい。

「言い返せるだけの度量を身につけることだな」
「……は…い」

ぴしゃりとやられて自分がとても生意気なことを言ってしまったような気分になった。いや、生意気なことを言ってしまったんだ。
全然楽しくないなぁ、早く次の人に変わらないかな。そう思っていると、恐い人はそっと一言付け加える。

「こういう言い方しかできなくて悪いが…健闘を祈っている」
「…あ」

ありがとうございます、と今度はちゃんとお礼が言えた。パキリ、と何かが小気味好く割れるような音が聞こえた。指か、首の骨でも鳴らしたのかな。

注意深く聞いているとごとりと音がして、受話器はそのままどこかに置かれたようだった。

「もしもし?」
「…」

通話は繋がっているのに誰も受話器の先に現れない。聞きたいことを聞いたらこちらから勝手に切るのかな、散々質問させてもらってこんな切り方でいいのだろうか。

戸惑って空気の流れる音を耳にしていると、ごそり、誰かが受話器を持つ音がした。

「…切らないんですか?」
「あの!この電話って何なんですか?あなた達は誰?」
「まだ質問がありますか」

そう言われ、どきりとした。欲張りすぎて切られてしまうかな。

「四つ目の質問ですか?」

電話の相手は再度訊く。問い詰めるような言い方に落ち着きかけていた心拍が再び上がる。

だけどよく考えて。誰も三つしかダメだなんて言ってない。何個目の質問かと聞かれているだけ。暗黙の啓示だと勝手に受け取ることはない、私は私で一考するんだ。

それに話をした人達のことを何も知らないままこの電話を切ってしまったら、きっと後悔する。親切なのか不親切なのか分からないこの人達のことをもっともっと知りたい。あっという間に、差し込むように、信じられないスピードで胸の中に彼らの存在が根を張り出している。

だから私はこの質問をしなくてはならない。これは私が私自身で編み出した、やるべきこと。今ならそう明確に断言できる。

「はい、四つ目の質問です!三つまでとは、言われてないもの!」

鼻息荒く言い切ってみたら、受話器の向こうの声が少しだけ柔らかくなった。

「その通りです。大抵の子どもは威圧に負けて諦めますが。質問に答えましょう」
「はい」
「偏屈者が集まる場所が存在します。そこから退屈凌ぎにこうした電話を少々」
「…はぁ」
「納得できましたか?」
「いまいち…あなた達に会うことはできるの?」
「貪欲ですね」
「どんよく?」
「将来有望ということです」
「そうかな」
「ええ」
「それで…」
「質問に戻りましょう。い…」


タイミングがすごく悪かった。


買い物から帰ってきたお母さんが玄関のドアに鍵を差し込む音がして、意識が耳から離れた、ほんの一瞬だった。

呼び出し音は全く鳴らなかったのに。
少しだけ冷静になった今、耳に当てたほの暖かい受話器から聞こえるのはツーツーと通話の途切れた音だけ。

待って。

今なんて言った?

質問の答えは、多分こうだったと思うくらいぼんやりとしか聞き取れなかった。


"いつでも、あなたのそばに"


多分、こうだったはず。

廊下を進んでくるお母さんの足音を聞き、慌てて受話器を元に戻した。


*


あの日以来私はずっと探している。決して会えない気がする彼らと、どこかで交わることができるかもしれない接点を。

いつの間に落としてしまったのか、番号の書かれた紙は電話後手の中からなくなっていた。足元までくまなく探したけれど見つけることができなかった。
単純で簡単だったはずの電話番号を、どうしても思い出すことができなくて。

でも何だか不思議に心強い気持ちなんだ。

だっていつでもそばにいるって言っていた。

いつでもそばにって、心の中にいてくれるみたい。いつでも応援してくれて、いつでも甘えられる、まるで拠り所。味方してくれる"ホーム"のような。

誰がなんと言っても、私は最後にあの人が言った言葉を信じる。


いってきますで飛び出して、ただいまで帰る場所。


会いたくなったら会える場所。


そんな距離にきっと、彼らはいるに違いない。


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