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まるで、硝子のような
「鼻水まで凍りそう」

女らしさの欠片もない台詞を吐いてみたら、横でメロが呆れたようなため息をついた。

「他にもっと言うことないのかよ」

私はしばし考える。
他にもっと言うこと。


何もかもが嫌になった、とか?

消えてしまいたい、とか。

努力は報われるとは限らない、とか


そもそも


あれは努力だったのだろうか

馬鹿馬鹿しくなって

何もしたくなくなって

全てを放棄したくなる衝動

どうしようもないことだらけ。


もういや。


もう嫌。


もう、嫌。


「ないね」
「あっそ」

視界は端から端まで、ざざんと音を立てて波をこちらに寄越す海を見据えている。
水平線の上、遥か向こうからこちらの頭上まで、私の胸中よりは少し明るいくらいの灰色がかった雲がところどころ、所在なさげに浮いている。隙間から見える空だって雲と大差ない形容しがたい暗い色をしていた。
気持ちが明るくなるとは到底思えないロケーションに何故佇んでいるかというと、私の顔を見るなり不機嫌になったメロにここまで有無を言わさず連れてこられたから。

正しくは連れてきてくれた、かな。

「寒くないの」
「さほど」
「鼻水は?」
「俺はそんなもの出ない」

アイドルか、とツッコミを入れたところでつい笑ってしまった。鼻水って何ですか?好きな食べ物はチョコレートです…やっぱりアイドルだ。ああ面白い。くだらなくて、バカバカしくて、面白い。そして他愛なくて、意味もなくて、どうしようもなくつまらないじゃないか。

「くるま戻る」
「行くか」

砂浜を踏みしめる感覚が懐かしい。ず、ず、と一歩踏み出すごとに片足が沈んで、まるで心の中と同じみたい。このまま足が沈み続けたら、一体どこまでいってしまうのだろう。
晴れ間も見せない暗い海辺、タイミングがいいとは言えない日。


"メロはよく来るの?"

何度となく浮かんだ言葉を飲み込んだ。

雄大な自然は実用的な言葉など何もかけてはくれない。
センチメンタルに波打ち際に佇んだとして、それが何の役に立つのか。
こんなところで満たされない思いが、焦燥が、懐疑的になった自己像への問いかけが、満たされ答えを得ることなどない。
そんな暇があるなら、やれることを見つけ出して行動に移すのがメロだ。
何もかも嫌になって消えてしまいたくなる私とは、決定的に違う。

そんなメロが、私の赤くなった目を見るなりここに連れてきてくれた。
何故そう思いついたんだろう。

エンジンだけつけた車内で窓枠に頬杖をつき、一面に広がる藍と浮かんでは消える白泡を遠目に見つめる。
メロが選んだロケーション。天気がいまいちな、冬の海。さっきより何だか悪くないな。温かいな。…車内だからか。

「何で、うみ」

ピントの定まらない目の下の下、唇から疑問の声が洩れ落ちた。視線だけを動かしメロを見ると、いつものように「あ?」と雑に聞き返しはせず、少し眉を上げただけだった。普段より柔らかい表情がやはり温かい。

と思うのもつかの間すぐにいつもの無関心顔に戻ったメロは、薄い唇を開けて即答する。

「目障りだから」

…私が泣いていると?

「優しいと思ったけど覆された」

そう返して窓に頭を寄せる。コツンと小さな音がして、髪の隙間から窓ガラスに触れた額がヒヤリとする。
知るか、と呟いてメロは車を発進させた。

景色が流れ出す。
日常から隔離された時間。人のいない街。

closeの看板を入り口のドアに下げたカフェが目に入る。あの涼しげに見えるガラス張りの店内も、営業中はきっと柔らかな温もりに満ちるのだろう。
今度は天気のいい日に改めて来たいな、と思う。快晴の下きらめく水面を見ながら二人でコーヒーフロートを飲むのはどうだろう、きっと楽しい。

大切なのは絶望しないことではなくて、絶望に留まらないこと。
にわかに軽くなった胸が、最後のため息を送り出す。
それは気持ちを変える、決心のため息。

メロが前を見つめたまま面倒そうにひとつ付け加えた。

「気が散るんだよ」

…私が、泣いていると?

そう思ったけれど、言わないことにする。
代わりに楽しい話をしよう。

「…また来たいな」

また来ようよ。今度は今日よりずっと楽しい。

「そうだな」

答えて、メロは運転を続ける。


先ほど冷感を主張した窓ガラスは、額の熱でじわり温かくなっていた。

メロ。優しい人。ありがとう。

冷たく見えて温かい。
苦悩の熱に浮かされた、透明で繊細で気高い人。

そんなこと言ったら今度は「耳障り」とか言われそうだから、気持ちの落ち着いてきた私は黙ってその横顔を見つめるだけにした。


まるで、硝子のような
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