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悪者
まぶたを開けると夜明けを迎える白んだ空が目に入った。

…ような気がしたけれど、すぐにそれが間違いだと気がつく。どうやらもう外はくっきりと晴れ始めていて、私が見たのはカーテンの隙間から射し込む陽のひかりのようだった。

気だるい体にほんの少し力を入れそっと身体を傾けたら、横にはすうすうと狸寝入りする恋人の姿。黒い髪を梳くように触るとパチリ、目をひらく。おはよう、今日も素敵な人。今日も大好きな人。

「おはようございます」
「とっくに起きてたくせに」

試すように放ったら、それはどうでしょうとLの目が語った。語らなくても分かってる。私だってそれくらい見通せる。

ごそごそと布団に沈んで触れた肌の温度は多分三十六度。最も心地よく適温に保たれた私たちの肌は、触れ合ったままどこからが自分でどこからが相手か分からなくなる。人間の身体ってすごい。

熱などない三十六度の私の頭は今朝、正確に言えば昨夜あたりから生意気に妙なことばかり気がかりで、それがうまく頭から消えてくれない病に冒されている。
例えばこの幸せが消えてしまったらどうしようとか、これが幻だったらどうしようとか。決して惚けている訳ではなく、虫歯みたいに小さな黒い穴が心に開いて、存在の割に大きく主張してくるのだ。

Lは今日も世界を動かす。世界は不条理に満ちていて、私が幸せだと思うこの瞬間はいつだって誰かの不幸と共にある。
私の恋人は沢山の人を救うけれど、悩める全ての人を救う訳ではない。

それに

私の恋人は沢山の人を救うけれど、救うことが本来の目的では決してないのだ。

名探偵がこの世の悪者に打ち勝つ姿を沢山見てきたけれど、彼を動かしているのは正義心ではないと、私は知っている。
天才と安易に呼んでもしまうのも恐れ多いような私の恋人は、ただ刺激的なパズルを好んでいるだけ。

「そう考えるとお前も悪者だ、L」

がぶり、と腕の付け根を噛む。
といきたいところだけど、痛いからかぷり、くらいにしてあげる。

「言葉にしていないところから会話を始めないでください」

世界中の悪者をやっつけるけど決していい奴ではない私の恋人は、関節の目立つ人差し指を噛み付いた口の隙間に侵入させ、私の口撃を柔らかく阻止する。
そうやって強引なのに物腰が柔らかなのもいけない。誤解してしまうから。

本当は、優しい人なんじゃないかと。

本当なんて怖い。ひっくり返った後にこれが本当ですと言われたら、それが本当なんだもの。なんて恐ろしい。

「Lなら会話なんてなくても、いくらでも読み取れちゃうでしょ」

悪態をつけるだけついて、再び同じ場所に噛み付いてしまえ。私はあなたが恐ろしい。大好きなのに、こんなに側にいるのに、実感がないなんて。噛み付いて跡をつけてしまおう。目を瞑ってまた開けて、そこにまだ私の跡が残っていたら、これを愛と呼ぶことにするのはどうかな。

「時々誤解されますが」

頭の上でLの透き通るブルーの声が、「私はエスパーではありません」と呟きの雨を降らせる。あまり濡れない爽やかな雨はやっぱり優しいから、私にはどうしたって誤解するしか道は残されない。


切り札を沢山持つ名探偵は、今度は潰すように強く私を包み込む。甘噛み続ける口元の上で、少しだけ鼻も塞がって苦しい。

「ふふひい」
「愛くるしい」
「ちがう…くるしい」

力をこめて離れたLの三十六度の肌には、赤く半円を描く私の跡。


噛んだって全然甘くなかった。始終食べているくせに。

噛んだって全然甘くない。ただ苦しいだけ。

「苦しかったよ」
「しっかり実感してもらおうと思ったまでです」
「何を。Lがイヤな奴だってこと?」

挑発なんかしたって仕方がないのに、口が滑る。言葉が漏れていく。

「そうです、私はイヤな奴です」
「本当はこわいと思うよ」
「なかなかいい線をいっています」
「正義の味方ではないみたいだし」
「それらしいことはしてますけどね、一応」

頭を抑えられたまま、叩いているつもりになって腕を空回ししているみたいだ。何もLに届かないし、何もLに響かない。彼のことを、隣にいてもなお掴むことなんてできない。

物理的にぎゅっと掴んだって、目を瞑ればただの生温かいかたまり。ぬくもりに抱きつきたいだけなら代替えはどこにでもある。

でも私はLがいい。そう思っているのに。

何だか無性に悲しくて、大声で泣きたくなってしまう。

抱きしめた肌が融け合ったって募るのが不安ばかりでは仕方がない。Lを見上げる私の瞳に揺れるのは懐疑の色そのものだ。

「それから他にも実感してもらいたいことがあります」

少し乾いた唇が丁寧に動かされるのを見て、私は自分のした行為が「甘え」だったのだと気がつく。


「私はここにいます」


結局言葉を待っている。

いつだって、あなたの。


「見れば分かる」
「なら見てください」

Lの匂いがより近付いて、私は何度でも彼に飲み込まれる。視界が潰されて何も見ることができない。

「私がナナの側にいるのは真実です」

「真実…本当?」
「ええ」

大きく息を吸いこんで強く目を瞑る。まぶたの裏の暗闇の中で星が散らばって、まるで夢みたい。だけど夢じゃない、これはLがくれた現実。Lの熱。

「ごめんなさい。もう分かった。くるしい」
「私を疑った時はまた同じことをします」

「…何回もこうなるかも」
「では何度でもこうするまでです」

少し離れて上目に覗くとLは不敵で、こわくて悪趣味で、でもやっぱり優しいと思った。誤解ではなく、騙されるのでもなく。信じたくなる。甘い"本当"。

静かに触れるだけのキスを受けて、素直になるのを恐れていた自分を見つける。こんな風に正面からLと対峙するのは、危険だ。止められなくなってしまう。熱が離れたそばから唇がちりちりする。もっと欲しい。もっともっと触れていたい。

「私も同じ気持ちですが、今夜の楽しみにとっておきます」

おでこにもうひとつキスを落として起き上がったLがそんなことを言うので、私はやっぱりこの人ったらエスパーなんじゃないかと憤慨しそうになった。


でも"本当"を信じるなら、L=エスパーではなく。

彼は間違いなく世界一の探偵さん。

読み取られているのだ、不安も疑心も、どうしようもない愛情も。


悪者
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