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それぞれの桜人
時々、どうしてここにいるのか、解らなくなる時がある。

ジェバンニの運転が上手なのか、それともこの車が高級車だからなのか。
道路を進みゆく車内は揺れも少なく、とても静かで、仕事中なのにうっかりと眠気が襲いそうになった。

少しして一際ゆっくりになった運転に前方を覗けば、並木道には人がたくさんいた。視界に入るのはたったの数人。けれどどこを見てもちらほらと人がいるから、結局この辺りにはたくさんいるのだ。

窓の外を見上げて、なるほどどうして人々がこの場に留まるのかがよく分かった。桜だ。

日本人は桜が好きだと聞いたことがある。

日本に来るまで、桜を見たことがなかったから知らなかった。
過去に得た知識が染み込むように理解されていく。
ホワイトに近いうっすらとした花びらが、まとまるとこんなにも美しいピンクになるなんて。

花弁が集合するから、枝に泡を載せたようだ。
そこからひらひらと、時折舞い落ちる花びらの儚く美しい様子よ。

百聞は一見にしかず、も日本のことわざ。

私は日本人が桜を好むのではなく、この景色を見る者は誰しもそうなるのであろうと納得した。

そんな風に日本と日本人について考えてまた、一体どうしてこんな故郷から遠く離れた異国の地に、よく知りもしない人々と一緒にいるのだろうと、先ほどまでと同じ疑問が胸をかすめる。

自分で望み選んだ道だ。
後悔はないし、するにしても早すぎる。

しかしたまに襲う強烈な違和感が、胸中でじわじわとその比重を増していくのを無視できない。

慣れていないから単純にそう思うのか、それとも自分はこの環境に馴染めない存在なのか、それが解らない。

ひとつ確かに言えることは、謎の虚無感に今、襲われているということだけだ。

「この景色は素晴らしいですね」

「はい。桜、初めて観ました」

ジェバンニのなんてことはない言葉に、相槌を打つ。だけどどうして、出身国も本名も知らないような人たちと、実のない会話を。

そんなことを考える頭の中は、突然上司の一言で現実に引き戻された。

「ナナさん、睡眠は取れていますか」
「え?」

ニアの質問に一瞬戸惑った。
春眠暁を覚えず、は日本ではなくて中国の言い回しだったかな。

「ああ…少し、このところ忙しくてやや減少傾向ですが、眠れてはいます」

後部座席に共に座っていた上司、ニアへ返事をすると、隣の彼は珍しくしっかりと私の顔を見ていた。透き通った瞳の色に、滑らかな肌に、この上司が少年であることを改めて実感する。

「疲れているように見受けられます。少し休息の時間を増やしてください。ジェバンニ、レスターへ連絡できますか」
「はい」

改造したカーステレオを操作すると、あっという間に通話が繋がる。車内にレスター指揮官の応答が響く。

「いえっあの…」

小さな弁解の声などあってないようなもの。
口を挟む間もないまま、ニアは私の仕事量を調整し、今夜には空いた時間を確保してしまった。

負担の皺寄せがレスター指揮官やリドナー、ジェバンニへ向かうことに対する遠慮に加え、役に立たないと宣告されたようで鼓動が速まるのを感じる。

「あ……ニア、私、大丈夫です」
「そうですか。では休めばもっと大丈夫になる、そうですね?」

ぴしゃりと返された言葉に、うまく返せず口ごもってしまった。

ニアは特に人心掌握に長けると聞いている。
私のどんな性質を見抜かれたのか、恐ろしいような気持ちになって、焦りが生じた気がして。
ちらりと動かした視線の先、ミラー越しにジェバンニと目が合ってしまった。

「考え事をしているように見えました。初めての桜、ご感想は?」

少し眉を下げたジェバンニが、気遣いのある優しい声で言う。
ああ、私の憂いはどうやら顔に思い切り出てしまっていたらしい。

情けなくて、恥ずかしくて、本当は平気なふりをしたかった。けれどここで強がっても、この後私が行動を共にするのはこの人たちであり続ける。いずれ綻びが見えてしまう。自分が何者であるか、能力を正しく把握できなければ、戦力となり得ることすらできはしない。

「浮き足立っているような感覚になって……なんでここにいるんだろう、とか。そんなことを考えていました」

愚痴でも弱音でもない、言葉にできるぎりぎりの範囲で、本心に近い気持ちを打ち明けた。
しかし誰も、ジェバンニもニアも相槌のひとつすら打ってくれなかったので、私は慌てて言葉を付け足す。

「そ、そういう風になることってたまにありませんか?」

「ありません」

今度のニアは返事が異様に早く、これはこれで切り捨てられたようなずきりとした痛みが走った。
ジェバンニが苦笑いしたように感じられたけれど、ミラーを見ても今度は目が合うことはなかった。

それからはまた、車内は無言に戻った。
ジェバンニが運転しながら、時折「本当に気持ちのいい日だ」と口走るのを、後ろで静かに聞いていた。


本部へ到着した際、ニアがジェバンニに用件を申し付け、ビル内の廊下はニアと二人で進むことになった。

二人分の足音が静かに重なる。途中、突然口を開いた我が上司は、ひっかけ問題の答えを言うかのように呟いた。

「正確には常に、なので」
「え……?」
「何故この場所でこんなことをしているのか、そう考えることについてです」

ああ…と思わず口にしてしまった。
ニアは、幼少から孤児院で特殊教育を受けて育ったという。もしかしたら、居どころの曖昧さ、浮いた存在であるかのような違和感とは、私などよりきっと、ずっと長い付き合いなのかもしれない。

「そう、なんですね」

明らかに気遣うような視線を送ってしまい、失礼であったかと焦りを覚える。
しかしニアはそんな私の様子など意に介す様子もなく、静かに続けた。

「急に、思うようにはなれません」

言葉だけではその意味が注意なのか指摘なのか、それとも失望なのか、測りかねた。

しかし、人には言葉だけでなく、表情がある、動きがある。

私はニアの柄にない言葉と大きな責任を担う小さな佇まいに、何故だか慰められたような、励まされたような気がして、泣いてしまいたい気分になった。

先に一歩を踏み出したニアは、私に顔を見せずに続ける。

「ナナには期待しています。しかし我々は命懸けで事件を追っている。後悔のない道は、自身で判断し選び取ってください」

「……はい」

今までずっと従うべき責任者として見ていたニアが、初めて頼れる上司であると思い知らされる。

「しっかり休みます」

進む小さな背中へ宣言する。

「では明日にはもっと大丈夫になってますね」

振り返らずに言われた一言の温かさを受け取って、私は悩みを振り切ることにする。
迷うことはまだまだあれど、視界が開けてくるのを待つ勇気をもらって顔を上げた。

ニアがどんな風に「大人」になったのか、その背中を見つめながら、決意を新たにする。

今日の桜を、私はきっと忘れない。


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