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「俺も。」1
気晴らしに窓の外を見ようとしたのだけど。カーテンの刺激を受けた結露が涙みたいに垂れ落ちていくのを見て、心細さが増してしまった。

堪えていた手が携帯を取り衝動的に電話をかける。

そして、すぐ切る。

メロもマットも電話に出られない危険な行動中は電源を落としているけれど。
それでも念の為、私からの電話はコール音が鳴らない程度にしかかけない。

ごく短い私からの着信。
気がついた時あちらからかけ直す、そんな風にしている。

でも気がつかなかったら?

いつまでも、折り返しがなかったら?

待っている時は、いつも不安な寂しい気持ちになる。

乾いた部屋の中で一人、私はどこまでも無力だ。
二人を支える為にここに存在している私は、彼らが出払ってしまうと役割を失う。

帰還を祈り待つ作業は時に、こうやって得体の知れない恐怖で私を苛む。


普段はもう少し落ち着いていられるのに、曇った空のせいで光の入らない無言の部屋、冷えて乾いた空気、うまく温まらない足先に、ホットティーだけでは心が落ち着かなくなってしまった。

このまま二人からずっと連絡がなかったらどうしよう。
一度膨らみ始めた不安は止まることなく私を支配していく。

時計の秒針だけが無機質に響く四角く閉ざされた空間に、ひとり。

ため息が落ちたその刹那、手に振動が走った。

電子画面に表示されたのは、

"マシューくん"

偽名にした方がいいと、マットが勝手に打った名前。
そもそもが偽名のくせに、マットは悪戯して私の携帯の登録名を勝手に変えてしまう。この間のマリオくん、結構気に入ってたのに。

少し口元を緩ませ通話ボタンを押すと、聞き慣れた声が右耳に飛び込んできた。

「どうしたー?」

生きてた。

その事実にまず安堵する。

「…今何してるの?」

突然の質問に、ぇ?と電波の先で漏らされた声が伝わる。

「ぼーっとしてるよ。」

ぼーっとしてるわけない。ガサゴソと服がこすれるような雑音と大きさにムラのある声、外にいることが明白な空気の音。
肩で携帯を挟んで何か作業しているのが分かる。でも教えてはくれない。

教えてもらえないのは私の安全の為。そう分かっていても、こんな風に心細い日はそれがどうしようもなく切ない。

「…きらい。」

「おお。珍しいね。」

普段だったら仰け反ってオーバーに反応するマットが静かに返事をするから、ますます、きらい。

それからこんな私自身も。

「ああ。こんな風に、気を引かせる言葉は言わないって決めてたのになぁ。」

「はは…やってしまいましたね…ぇ。」

時々僅かなノイズが入るのは、きっとマットのやっている作業に関係があるんだろう。大丈夫だよね?心配だよ。

「メロは?」

「メロも出ちゃって、数日戻れないって。」

「そっか。じゃ一人?」

「私が誰かをここに連れ込んだりしてなければね。」

「ナナはそんなことしないだろ。」

勿論そんなことしませんとも。
だから無音の部屋に取り残されて、二人のことがとてもとても心配なんだよ。

あまり用事もないのに雑談をしては悪い。声が聞ければ十分と言い聞かせ、切り上げなければ、そう思った時。

「ナナ…戻ろうか?」

マットが短く確認した。

「え、ううん。大丈夫。作業中なんでしょ?気をつけてね。」

「こんなんいつでもできるから。戻るよ。」

もう既に行動の方向性を定めた調子で返ってくる言葉。
マットの声は時々、優しいのかそれとも無感情なのか分からなくなる。
邪魔に、足手まといにはなりたくないのに、何でこんな馬鹿な電話をしてしまったんだろう。

「ごめんごめん、本当に私のことは気にしないで。変な電話してごめん。」

「いや、帰るよ。ナナちゃんに嫌われたら俺、ショック!」

…マットが三枚目モードになってしまった。そうさせたのは私。胸がずんと重くなる。ネガティヴだ、こんな暗い空の日は。

「ナナ、もしかして俺のこと心配してくれてる?」

「してるよ勿論。だから電話しちゃったの。」

情けなくなって小さな声で答える。

「俺もナナが心配なんだよ。大丈夫、帰るから待ってて。」

chu!と送話口にキスした音が耳に届いて、返事を紡ごうとした時には通話が終了していた。

どこにいて、何をしているのか教えてくれない彼が、いつ頃戻るのかも分からない。

それなのに、私の心はもう落ち着きを取り戻しはじめ、部屋の中が少し暖かくなったように感じる。

最後のは多分、三枚目モードではない一言だった。

せめて温かい食事を用意して待っていよう。
どうか無事に、安全に、そしてどかどかとブーツを鳴らしながら、三枚目の顔をしてマットが帰ってきますように。

窓の外を再び見つめる。垂れ落ちる結露の水滴なんて、拭いてしまえばいい。
雨が降らないといいなぁ。濃度の高い雲を見てそう思う。

でも、もし雨が降ってしまってもきっと大丈夫。
晴れた空を抱えない雨雲なんてないから。

そう思わせてくれたマットに感謝して、私はカーテンを閉めた。

「俺も。」
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