到着
「…ふぅ」まだ片付いていない部屋、箱に詰められた荷物、昨夜使ったままどこに置くかも定まらないタオルと歯ブラシを前にため息をついた。窓からは明るい陽が気持ちよく射し込んでいる。
「片付けますか…!」
目の前の箱へ手を伸ばすと、気持ちがシャンとして新生活への意気込みが増すように感じた。
*
メロとマットは今、買い出しに出かけている。
この地域の土地柄も見たいし一緒に行くと申し出たけれど、荷物が多い上まだ慣れない土地、のこのこ出かけるのは危険だとのメロの発言で私は留守番係になった。
「慣れないおうちに一人でいるのも心細いんですけどー…」
独り言で文句を言いながら、荷を解いていく。
到着したてだった昨夜私は疲れてすぐに寝てしまったけれど、メロとマットは簡単な片付けだけ先に終わらせたみたいだ。
荷物を掘り返してもさほど面白くない、マグカップやカトラリー、筆記用具、リネン類。
こんなものしか出てこなかった。
「あ、写真立てもあるの」
見慣れない小物に、また一つ独り言が漏れた。
写真立て。名前も、存在すら限りなく明かされていない私たちにとって、不必要で馴染みのないもの。
「景色とか?」
飾ればいいのか?
誰もいない心細さからついつい一人で喋ってしまう。
ほどなくして玄関の向こうからガチャガチャ言う音が聞こえてきた。
「…これじゃ潜伏どころかもろバレね」
重ねた独り言と共に立ち上がる。
玄関を開けるとボーダーの服を着た腕が見えた。
「大量!!」
声と服でマットだと判別ができたものの、顔が見えないくらいの荷物を抱えている。
水、シリアル等の食品から、電化製品のいくつか、部屋を改造する為の特殊な工具や材料…
買ってきた量に圧倒され眺めていると、メロが後ろから顔を覗かせた。
「ナナ、今俺達だってこと分かってて開けたか?」
確認されてハッとする。
「あ…ごめん。音が聞こえたから覗き窓見ないで開けちゃった」
「油断するなよ」
メロは短く言うとマットの横をすり抜け中に入る。よりよく前が見えるよう模索しながら、マットも続けた。
「ナナを安全に帰さないとハウスに残ってる奴らに何言われるかーーーっとっとっとっ…うああ!!!」
ガラガラガシャン…言っていることとは裏腹に"潜伏"を否定するような見事な音を立ててマットの手から荷物が崩れ落ちた。
メロはそれを横目で確認したのに、部屋の奥へ進んでしまう。
―――少し、イライラしている様子。
敏感になっているメロを感じながら、私はマットと共にひっくり返った荷物を抱え室内へ運んだ。
「すぐに始めるぞ」
荷物を運び終わるとすぐ、メロが空気を刺すように言った。
「分かってるって」
マットも返事をする。面倒そうな口ぶりの割に無駄なく手際のいい動きが、これからする作業の重要さを物語っている。
二人の様子に話しかけない方がいいと判断し、先ほど開けた荷物を片付けながら私は大人しく様子を見守ることにした。
*
「ナナ、くれぐれも気をつけて」
そう言って渋々挨拶したLとニアの顔が頭をよぎる。
ハウスで調べていた事件を詳しく探る為メロとマットがしばらく潜伏捜査をすることになった。現場へ出向くとなれば、当然身の回りを整え手助けする人手も必要になる。
現状、ハウスでその役を担っているのはワタリとロジャー、それからおまけのような仕事を私も少しだけ。
潜伏中の手助け役には”別の者を配置する案”もあったけれど、秘密を知る者が増えれば増えるほどリスクは高まる。そこで尾行監視が主の作業であり危険性もさほど高くないことから、支え役としては一番非力な私がここに派遣されることになったのだ。
同行するにあたり、ニアが厳しく条件を出しLも精査して安全地帯を探してくれた。
こうなればお手の物で、数日のうちにワタリが潜伏に最適な秘密の隠れ家を手配し終わり、あれよあれよと言う間…気がつけばこの場所にたどり着いていた。
勿論覚悟を持ってついてきた訳だけど、でも実のところ少し心細い。
ハウスが恋しい。こことは時差がどれほどあるのか。あちらの空は今頃何色なのかな、なんて。
*
「ナナ終わったぞ…おい、大丈夫か?」
後方から突然メロに声をかけられ、私は慌てて振り向いた。
「えっ、うん!大丈夫!メロは?何かあった…?」
「?」
「少し緊張して見えた」
正直に打ち明けると、メロもまた正直に答えてくれた。
「直接的に対象と接触することはないし…ここもLとワタリの管理下で用意した場所だから心配はほとんどない。
だがあくまで被害者の出てる事件を追うんだ。
ナナもこういうのは慣れてるとはいえ、対策を立てる必要がある」
「うん」
真剣なメロの話を、私は真剣に聞く。
「この建物全体に外部からの侵入を防止する為のセンサーを張った。異変を察知して作動する」
そこまで言うと、マットが「そこらへんは俺がやった!」と口をはさんだ。
私はマットにも信頼の笑みを向ける。
「一緒に外出して土地勘を掴むまでは勝手に出歩くな。特に夜間は必ず俺かマットのどちらかと出ること。
出歩かないのが一番だが、そうもいかないだろう」
「はい」
せっかく異国に来たのにちょっとつまんないな、と思いつつ、メロの言葉は聞いておいた方がいい。
「とりあえず…そんなところか」
メロは半分ため息のような呼吸をして、何か言い忘れはないか思案しているようだった。
「分かりました!約束は守る。ねぇ、片付け大体終わったから、一旦お昼にしよう?」
勇気を出して少し強引に誘うと、メロの固かった表情も少し柔らかくなる。
「やった!腹減ったー」
さりげなくこちらに耳を傾けていたマットが、タイミングのいいところでキッチンにやってきた。
「見よ、荷物にこんなもん入ってた」
マットがテーブルの上に何の気なく置いたのは、一面水色の写真。
「空、だね」
「空だな」
「空だよね」
私たちは同じようなことをそれぞれ呟いた。
余計な言葉をわざわざ口に出すのは、三人共少し、この状況に高揚と焦りがあるからだろう。
二人も同じような感覚なのだな、と思うと私はひとり、安心すら覚える。
一面水色の写真は、端っこに小さく電灯の柱が映っていた。
口には出さないけれど、私たちは多分同じ光景を思い浮かべている。
ハウスの庭にごろんと寝っ転がってそこから眺める素晴らしく清々しい空。と、その姿勢になると必ず視界に入る電灯。
今となっては懐かしい景色を想いながら、私はいいことを考えついた。
「ねえ見てこれ!写真立ても荷物に入ってたの。この写真、ここに入れて飾ろう。
いい?」
もう心は決まっているのに、形だけ二人に訊ねる。
「好きにしろ」
「いいねー」
短く素っ気ない返事を聞き終わるや否や、すぐに一面水色の写真を手に取った。
大切な私たちのルーツを四角い枠の中に収めて、玄関に飾る。
名前も存在も定かではない私たちがここに身を寄せている証。
他人には何の変哲もない空に見える写真が結ぶ、ハウスとの接点を。
ここでの生活が安全で落ち着いたものになりますように、と願いを込めて。
到着。