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「すごく…びっくりした」ビル内、こちらはLのプライベートルーム。
沸かしたお湯でコーヒーを淹れながら私は漏れるように溢れた本音をこぼす。
ポタポタと淹れたてのコーヒーがデカンタに落ちていくのを見ながら、まるで自分も暗黒に堕ちゆくような錯覚があった。
月くんにうっすらとでも勘付かれた。
「怖い」
正直な気持ちが唇をすり抜ける。言葉は透明のガラスとなって私から飛び出し、床に触れると弾けるように粉々になった。
Lは角砂糖を積み上げながら、いつもと変わらない表情でいる。
手元に集中しながら口を開くと、角砂糖をぽとりと一粒口内に落とし、食べきってから話し出した。
「多かれ少なかれ、こういうことは起こると想定してました」
コーヒーと茶菓子をいくつか、トレーに乗せてLの元へ行く。スリッパがパタパタと響かせるこもった音はこんな時でも心地好い。
「ナナは今日の感じで問題ない。しばらく泳がせて、しつこいようなら他に好きな人がいるとかなんとか言ってごまかしましょう」
「そんな簡単に行くかな…」
「納得はしないかもしれませんが…少なくとも記憶を失っている"今の"夜神月ならそれで巻けるでしょう。
あなたのフルネームも現段階では誰も手に入れられないはずです」
「うん」
不安だけど、それでも私はLを信じる。
この人が間違えることはないもの。
「その為に少し…あなたに素っ気なくすることがあるかもしれません」
ケーキを頬張りながら、Lはこちらに視線を落とした。
「うん、いいよ、大丈夫。絶対に隠し通したいもん」
自分もケーキを小さく一切れ、口に運びながら答える。
フルーツの酸味が思ったより強く、口内がイヤな感覚に染まった。
Lの言葉に数時間前の「恋人同士ではありません」が蘇り、胸に重石を乗せられたような苦しさが広がった。
「でも実際はちょっとだけ切なかった。なんて。ふふ」
冗談めかして気持ちを吐き出すとLはおもむろに立ち上がり、ひょこっとこちらのソファー、私の後ろに飛び乗った。
後ろからぎゅううと強く抱きしめられ、持っている皿を落としそうになってしまう。
「そうだろうと思いました。胸が痛みます」
こんなに強く抱きしめられたのは初めてで、戸惑う。
「L、お皿が落ちそう…!」
「落としてください」
「そんな訳には、いかないで、しょうっ」
振り向きたくとも動けないでいると、Lは片腕で抱きしめ続けながら、もう片方の手で私から皿を奪い取りテーブルに投げた。
近くのテーブルの上に、割れそうな音を立てながら無事着地する皿。
と、そこからこぼれ落ちて床でカラカラ音を鳴らすフォーク。
「Lの胸が痛むなんて嘘でしょ?」
少し面白くてぎゅうぎゅうの腕を解き強引に振り向く。
開かれたLの両腕の間にすっぽり収まって、胸に手を這わせて聞く。
Lの胸が痛むところなんて想像ができない。
「大人しく胸を痛めてくれている、と受け取っておけば良いものを」
いなすように発されたLの言葉。それでもなお勘繰るような視線を送ると、呆れたため息と共に声色が響いた。
「そういうところがナナのいいところだと思います」
降参宣言をしたLが額にキスを落としてくれる。
「突然冷たくしたら余計に怪しいので、著しくよそよそしくする訳ではありません」
安心させようと話してくれているのが伝わって、心が軽くなるのを感じた。
「ここにいたら少し安心してきた」
顔を埋めるようにしてLの温もりに包まれる。大きな胸。穏やかな心音。
「しかし…あれは本音です」
「?
"恋人をこんな危険な場所に連れてくる程間抜けではありません"?」
「夜神月と接触させる前にナナを遠ざけておくべきでした」
「仕方ないよ。私はワタリの手伝いで来たんだし、あの時点では…」
あの時点では、私達がこうなるなんて自分たちでも予測できなかったんだから。
「恋人をこんな危険な場所に連れてくる訳がない…」
Lの抱きしめてくれる腕に力が入る。
「しかし危険な場所に恋人がいるなら、ナナ、あなたは私が必ず守ります」
それが本音です、とすっぽりと包み込まれた頭の上の方からほんのり聞こえる。
数分前の恐怖はどこへやら。今は愛しい人の言葉に、胸がいっぱい。
「分かってるってば」
私も聞こえるか聞こえないかの声で、LのTシャツにそう呟いた。
*to be continued*