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降伏宣言
「Lは毛糸製品は身につけませんよね?」

昼食時、捜査本部室が空になり二人だけになったタイミング。
キッチンでドリンクの支度をしながら、何の気なしといった様子でナナが問いかけてきたのが始まりだった。

話す時は主導権を握り意図しない流れにならぬよう注意しているが、彼女が日々繰り返す他愛ない質問には半ば飽きており、適当に返したのが良くなかった。

「そうですね、身につけません。」

答えると、ナナは「ですよねぇ」と一言漏らし、いつの間にか顔を覗かせていたキッチン横、その場で身体を後ろに傾け壁に寄りかかった。
口を閉じ含んだ笑顔を見せた後、少し得意げに自分の上司について語り出す。

「チクチクするのが嫌いとか言いそうですし。」

「その通りです。」

「靴下もお嫌いですもんね、暖かいのは苦手ですか?」

「推理力が20%減します。」

数字は適当だが推理するのに邪魔なのは本当だ。あまり暖かいと意識がぼやける気がするので好まない。加えて肌触りが気になり出すと、捗らなくなるのだ。

ただそう答えただけなのに、ナナはクスクスと笑いだす。何が可笑しいのかは理解し難いが、機嫌が良くて作業が滞ることはないので放っておく。

「苦手なのを表すのに、推理力が何パーセント減って…変わってるというか、Lらしいというか…!」

なおも笑い続ける彼女に、

「…今日は随分上機嫌ですね。」

ちくり、指摘する。

「あぁ…いえ、Lが毛糸苦手だって当てられて嬉しかったんです。私もちょっと成長しました!」

目尻の下がったにやけ顔で、ナナが言う。
嫌味を言われていることに気が付かないこの鈍感さ。

妙にハイになっている彼女を訝しんで振り向く。
自分の仕事をするよう指摘しようと思ったが、浮かれた表情をしながらも沸かしている湯をさりげなく確認しているのが目に入り、喉まで出かかった言葉は飲み込むことにした。

僅かに鼻をかすめるのは、コーヒー豆を挽いた香り。コロンビアとブラジル産のブレンド。
口内はコーヒーより紅茶を求めているが、まぁ…今日は特にこだわらない。この際どちらでもいい。


「実は、ワタリに編み物を教えてもらったんです。簡単に編み進めるだけのマフラーなんですけど、せっかく出来上がったから誰かにもらって欲しいなと思いまして。」

ナナは後ろ手に持っていたマフラーを壁際からするり登場させると、両手の上で丁寧に持ち百貨店の店員のように披露して見せた。
オフホワイトの毛糸でふんわりと編み込まれたマフラーは、初心者が作ったにしては上等の仕上がりと言える。

「本当はお世話になっているLに…と思ったのですが、多分好まないかなぁと思いまして。やっぱりそうだったかぁ、と…。」

さっきまで機嫌よく笑っているように思えたナナの表情は、どちらかといえば残念さを隠す苦笑いであったことに気がつく。

「…これは、Lの次にお世話になっている夜神局長にプレゼントすることにします。」

諦め、踏ん切りをつけるように小さく頷くナナ。

「夜神さん…家庭のある男に手編みのマフラーを渡すのは賢明とは思えませんが。」

妙な気になって即座に告げる。
この微妙な不快感は何だ。

「あ!確かに!」

「ナナさん、誤解を招くような行動は控えてください。」

自分の身内として配慮に欠ける行動をされては困る、という類の危惧か。

「はい…。気をつけます!

じゃあ…松田さん…は独身だし、確か彼女もいなかったし、」

「却下。」

「へ?」

ナナが挙げた第三候補の名に、意識するより先に口から否定の言葉が飛び出していた。
よりによって松田に渡す等、考えられない。松田に渡したら更に大きな誤解を呼ぶことが予測できないのだろうか?
…まさか松田に無意識的な好感を感じている訳ではあるまい。いや、まさか。

「さすがに松田さんにあげたら何か面倒なことになりそうだし、渡しませんよ…!」

慌てて付け足すナナが妙に疑わしい。真意を図るべくじっと観察する。目を見つめると、彼女はいつもなかなか面白い反応をする。

「な、何ですか…その目。」

ほら。一歩下がるようにたじろいだナナがうっすらと桃色を頬に乗せ、気丈に言い返してくる。

「ナナさん"手編みのマフラー"が持つ心理的な意味合いが分かっていないようですね。普通、そんな感情のこもってそうな品を気軽に渡したりしませんよ。」

ずばり言ってやると、

「今さらLに普通の感覚について言われるなんて…!」

目を見開き口をぽかんと開けたナナが、ショックを受けた!と言わんばかりに大袈裟にアピールする。
こちらに来た当初の緊張した面持ちは一体どこへ行ったのか。

「Lが受け取ってくれないんだから、しょうがないじゃないですか。」

「どうしてもというなら、インテリアとして

「嫌です。使ってもらえないとせっかく作ったのにもったいない!…あ、」

何かを閃いたナナが一瞬動きを止め、瞬きを一回。

「そうだ!自分で使うことにします!」


…自分で使うのでも良いのなら何故それを最初に思いつかないのか。
抜けているのか、それとも愛嬌という名の…誰にでも気のいい例の悪い癖がそうさせるのか。

次はもう少し分かりやすい嫌味で返してやろうかと思っていると、ナナはおもむろにオフホワイトを首にぐるぐると巻き始めた。顔の半分程が毛糸で覆われ、目元だけが強調される。
こんな顔つきだったかと改めて観察していると、ナナは猫のように丸めた両手でマフラーを抑え目を瞑り、「うん、いい感じ!」と気持ち良さそうに頬擦りをはじめた。
さも幸福げに、堪能するように、繰り返し毛糸に柔らかな頬を寄せている。

それを見て唐突に気が変わった。

…手に入れたい。

猫じゃらしに魅せられた猫のように、あのふわりとしたマフラーに触れたいと思う。欲しくて堪らなくなる。どうせ触ってもさほど心地よくもない…糸を編んだだけの代物だが、不思議なことに突然魅力的に思えてきた。

早速作戦を変更する。


「しかし自分で自分の手編みマフラーを使っている女性というのも寂しいものですね。」

自尊心をくすぐってみれば、

「偏見です!」

ここは持ちこたえる。
憤慨しながら目の奥が狼狽えている姿は、生ける矛盾といったところか。

「インテリアではなくこのソファのカバーとしてなら私でも使用可能ですが

「いやいや、そこまでしなくていいですよ…。

ん…?

もしかしてL、マフラーが気になってきました?」

哀れみは結構!と言いたげにひそめられた眉が、伸びて元の形になり、やがて静かに持ち上げられる。

これはまた大胆な物言いをする。ひと編みし終えた達成感から気が大きくなっているのか。
実際気になってはいるが、決して悟られたくない。こちらも意地だ。

「あなたが残念な女性になりそうなので配慮してあげただけです。」

左親指を口元に運ぶ。先ほどから無意識に齧っていたことを物語っている、ややふやけた爪の先。

少し黙ってこちらを見ていたナナは小さくため息をつくと、はにかんだ様子で

「じゃあ…ひざ掛けにしてもらえませんか?肌には直接触れませんし、ちょっとだけでもL自身に触れているなら私も納得ですから。」

と呟いた。

「…譲歩しましょう。」

ひざ掛けとして使う気など毛頭ないが、"あれ"が手に入るならここは譲ったふりで充分だ。

「!
Lでも譲歩する時があるんですね!
えへへ…では、どうぞ。初作品、大切にしてくださいね!」

嬉しそうにマフラーを広げ、四角くなるよう折りたたむと、ナナはぱたぱた小さく足音を立てながらこちらに近付いてくる。
横まで来たところで持っていたマフラーを、立てている私の膝の上…ではなく真横にそっと置いた。

「…ソファカバーとしての需要を受け入れましたか。」

問えば、

「受け入れ難いですけど、本当はひざ掛けとして使う気なんてないんでしょう?わがままなボスがご所望なので、まぁ…譲歩します!」

随分と生意気な態度を取るようになったナナがまるで分かったような表情を見せるので、内心可笑しく感じる。

些細なやりとりでも様々に表情を変えるナナといると、つい遊んでみたくなる。
それはまるで、触れたことのない新しいツールを試すような。奥深くまで知りたいと探求心がくすぐられる魅惑、感じたことのない高揚がふいに身体を走り抜ける感覚との戯れ。癖になる。

要するにナナとの日常の出来事は刺激的で面白い。…質問に半ば飽きていた、というのは撤回する必要がありそうだ。

「あ、何かちょっと今笑いました!?」

「…この顔が笑ってるように見えますか。ソファカバーだとしても暑苦しいなと思っている顔です。」

「見えたんです!いちいち嫌味を言わないでくださいっ」

またしても思惑通りに、浮いたり沈んだりリアクションするナナは、キー!と馬鹿馬鹿しい声を出しこちらを睨むと、お湯の沸いた音がするキッチンへ消えていく。

普段真面目に作業している彼女がこんな姿をさらけ出していることに、嬉しいような気さえするのだから本当に可笑しい。自分が今までとは違う何かに変わっていく感覚。
あの表情を見て、今私は"可愛い"と思っているのではないか。

「大体、L、マフラーが気になったんですから…それってあれですよ。Lは手編みのマフラーが持つ心理的な意味合いをご存知なんでしょう?それが欲しいってことは…ふふふふ…。」

カチャカチャと器の支度をしながらナナが含んだ物言いをするので、反撃に出る。
こちらはいつでも言い負かすことができるというのに。

「そうですね…手編みのマフラーを真っ先に私に渡そうとしたナナさんは私のことを愛して止まない、と。」

「ぇっ!あっ!いや、あれ?そういうことになっちゃいますね、あれ?」

すっかりうまいことを言ったつもりでいたナナの慌てぶりは、ここ最近の中でも秀逸な反応だ。

「あぁ。ほんとに口が達者ですよね!」

「私、世界一と言われる探偵ですよ?」

「はいはい、そーですね!」

小慣れた態度で運んできたカップを置くと、ナナは悔しそうにそそくさとキッチンに下がってしまう。

本当にからかい甲斐のある…

内心で呟きながらカップに目を落とし、手が止まった。
そこで2つ、驚くことになる。

1つは、見たことのない自分の顔がカップ内の水面に映り揺れていたこと。

そしてもう1つ、その水面を彩っていたのが黒色ではなく透明感のある紅だったこと。これは、紅茶だ。

後方で今広がっている芳香こそコーヒーのそれだ。自分用に用意していたものだったのか。

そして狼狽する。小さな驚きがもたらした、胸に広がる妙な高鳴りに。
安心感、信頼感。それだけではない、何か特別な―――


他の男にマフラーを渡すと聞かされた時の不快感の理由を、改めて正しく認識する。顔が微かに熱くなった気がして心許ない。

今ナナはこちらに来る気配はないが、表情を隠したくなればこのマフラーがちょうどいい。

ふと視線を落としたソファで、煌々と存在感を放っている毛糸のかたまりを手に取る。
持ち上げて頬に当ててみれば、やはりチクチクと不快な感覚が走った。
しかし近くで見るこの編み目1つ1つが、ナナの指先に触れていたと思うと愛しく、マフラーを握るこの手は離し難い。

微かな残り香に無意識で唇を寄せたことに気が付き、

(これは認める他ないかもしれない)

自分に芽生えるとは思えなかった感情の発露を。

彼女が使えと言わんばかりに置いたこの白を、旗のように掲げる日も近い。
静かで…それでいて確かな予感を胸に、(そしてナナが来ないことをよく確認して。)私は思い切り息を吸い込んだ。

降伏宣言
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