珈琲
「お疲れ様でーす!」「竜崎、私も失礼します。」
捜査本部内ビル。各自が仮眠を取りに、用意された部屋に下がる深夜。
「松田さん、夜神局長、お疲れ様です!少しでも…ゆっくり休んでくださいね」
皆さんキラ事件の為に日夜動き回られていて頭が下がる。
「ナナさんも、竜崎の行動に気を配るのは大変だろう。お疲れ様」
夜神局長は本当に素敵な方だ。
秘書や執事、というより家政婦に近い存在の私にも、こんな親切な言葉をかけてくれる。
「前から思ってたんだけど、ナナちゃんって、何でこんな仕事してるの?大変そう…」
首をすくめるような動作をして松田さんが質問する。そこは松田さんが思っている以上にナイーブな部分だ。
私が返答に困るより早く、夜神局長が「踏み込んだことを軽々しく聞くものではない」と制してくれ事なきを得た。
さすがだなぁ。頼り甲斐のある背中に、惚れ惚れとする。
曖昧な笑顔を投げかけて、私は仕事を終えた二人を見送った。
「捜査員全員仮眠に戻られました」
「そうですか」
念のため報告すると、Lはモニターを見たまま返事をする。
手元が癖でコーヒーカップの中をかき混ぜているが、中身がかなり減っている。
「あっ、今コーヒー用意しますね!」
私は急いで備え付けのキッチンに向かい、コーヒーの支度を始めた。作業を切り上げた捜査員を見送る事に手一杯で、すっかり配慮が抜け落ちていた。一杯分のコーヒーすら残っていない。
淹れたてののコーヒーを想定して腕を組む。香りは最高潮、でもすぐ出したら熱いよね。
Lを火傷させちゃまずい…。空のデカンタに映る自分の顔が困惑に歪んでいる。
ちょうどいい温度のものを用意しとくんだった…
私なりの考えをぐるぐる巡らせているうちにお湯が沸き、急ぎつつも丁寧にコーヒーを淹れる。ええい、仕方がない!
*
「お待たせしました!熱いので、お気をつけて」
茶色に染まり、溶けてざらざらになった角砂糖の入ったカップに、少しずつコーヒーを注ぎ入れる。
「…」
Lはモニターを見たまま何も反応を示さない。
普段なら一言お礼くらいは言ってくれるのに。
(…う、察しが悪くて怒ってるかなぁ…)
ドギマギしながらそっと下がり、キッチンに戻ろうと歩き始めた時、後方から声をかけられた。
「ナナさん。この仕事、大変ですか。何でやってるんですか」
「えっ!」
怒られるかと思った。いや、これから怒られるのか?
「…さっきの松田さんの話、ですか?」
焦る。質問には早く答えるべし。お相手は世界一多忙な名探偵。最後の切り札。手を煩わせてはいけない。
しかしなんと答えていいのやら、このボスが満足する返答って何、試されてるの?!
私がその場で固まっていると、Lが追い討ちをかける。
「ナナさんの返答が聞こえなかったので。興味が湧きました」
困った。
まさか最も突かれたくない人に核心を突かれてしまうとは。
「この仕事は大変ですか?何故やっている?」
Lに正面から見据えられ、考えるほどにうまい言い方が頭から逃げていく。
どうせこの人に嘘偽りを言ったって読み取られてしまう。それならもう。
私は浮かんだ言葉通りに答えた。
「大変です。Lの足手まといにならないよう気を遣いますし、私がご迷惑をおかけしてしまったらいけないですし。いつも緊張してます」
一息に言い切ると、Lの目はほんの少し輝きを持ち興味深くこちらを覗き込んだ、ような気がした。
「で、そんな仕事を何故やっているんですか?」
「それは…内緒です!」
Lの質問に「ナイショ」って。
私は何をやっているんだと後悔しつつも、何故ここにいるかまでは打ち明けたくなかった。
言ってしまったら、
もしLに見限られるようなことがあった時きっと立ち直れないと思うから。
「教えてくれないんですか」
Lは指をかじり、つまらなそうな顔をする。もう片方の手が角砂糖を掴み、ぽとぽととコーヒーに落としていく。ああ、熱さなんて関係なかったな、とその時になって気がつく。
質問する気のなさそうな動き。あまり深く突っ込む気はないようなので、私はホッとして聞こえないよう小さく息を吐いた。
Lはちょうどいい温度になったコーヒーを一口すすり、安心して気の緩んだ私に向かって再び声をかけた。
「ナナさん。あなたの動き、悪くないです」
「ひぇ…っ?」
ああもう、さっきの「ナイショ」といい、気が乱れて妙な返答ばかりしてしまう。L相手に油断していた自分が憎い。
悪くないって…嬉しいけれど、そんな自信も実力もない。情けないけど、自覚がある。
「で、でも私、タイミング悪かったり、たまにソーサー忘れちゃったりしますし…」
ひとまず謙遜する。恐れ多いもの。
「ソーサーなんてあってもなくても構いません。それより私相手に角砂糖を忘れた時は衝撃的でした」
うっ、結局Lに痛いところを突かれてしまう。というかこれ、褒められてる訳ではなさそう。
またバカにされてる…。
一瞬でも真に受けて、嬉しそうな反応を見せてしまったことが恥ずかしい。
しかしLはおかまいなしに続ける。
「緊張して、焦ってミスをすることが多いようです」
「う…」
誰でも見りゃ分かる、気にしていたことを、名探偵にずばり指摘され言葉も出ない。
「もっとリラックスしていいです。
私、結構ナナさんの判断力を信じてます」
突然、Lがいつもの無表情でいつもとは違う類いの言葉を発した。
「えっ」
私はまさに豆鉄砲をくらった鳩のような表情をしているだろう。どんな風に返事をすればいいのか…嬉しい気もするけど、気持ちがこもっていないようにも聞こえるLの言葉。
「ナナさんの焦っている様子を見るのが楽しみになりつつありましたが、あまりの負担にあなたが逃げ出したら困るので」
「L…」
焦ってるのを楽しんでたんかい!とツッコミたいのもやまやまだけど、思った以上に私を見ていたことも分かり、何とも気恥ずかしい。
まだ状況を理解できずにいると、Lは背中を丸くしたまま立ち上がった。
「さて、今日はナナさんにもコーヒーを一杯サービスしましょう」
そう言って、多忙の名探偵はこちらに近付いてくる。
一歩ずつ迫ってくるというのに、今Lが言った言葉、少し優しく感じる雰囲気に、私は胸も頭もいっぱいで身動きが取れない。
すぐ目の前まで来たLが、俯きかけた私を覗きこむようにしてまた同じ質問をする。
「ところでナナさん、何故この仕事を?」
本当は胸に秘めていたい。
でももうこの吸引力には抗えない。
「…私がLのお役に立てるなんて光栄だから、です」
絞り出すように本音を漏らしてしまえば、
「よく言えました」
ニッと口角を上げたLが満足そうに私の頭をポンポンと撫でた。
「ナナさんにも火傷しそうなコーヒーを出してあげます」
私を通り過ぎたLがキッチンでそう発したところで、本当は私がここにいる理由なんてとっくにお見通しで、言わせようとしただけなのでは、とようやく気が付いた。
それなのに甘い言葉にまんまと乗せられて、大切な胸の内をさらけ出してしまうなんて。不覚!
私は睨むようにキッチンを振り向く。
「もしかしてまた私のことからかいました!?」
Lは一瞬動きを止めると、わざとらしくゆびを一本立てて答えた。
「内緒、です」
「!」
悔しいけれど、言い返せない。
やはりこの人には敵わないな。
ため息をつきながら何だかうっかり口元が緩んでしまって、私はこの部屋に来て初めて"本当に"笑った気がした。
珈琲
「お待たせしました。熱いのでお気をつけて」
「ありがとうございます!いただきます」
「嘘も方便なので元気出して頑張ってください」
「はい!頑張りますっ!ん…?」
嘘も方便…?
あ、判断力を信じてるのくだりか…!(ショック)
*end*