淪落の恋 11


「最近どうしたの。暗いけど」
「え、いや」

反射的に否定はしたものの、エミリーの言葉にアーサーは飲んでいた紅茶の水面に目を落とす。

「…俺、そんなに暗いか?」
「見ていて気が滅入るくらいにはね」
「………」

目の前でアフタヌーンティーを楽しんでいたエミリーが呆れたように、自覚なかったの、と呟いた。

「ずっと思い詰めた顔してるわよ。どうしたの?アルと何かあった?最近あんまり話してないみたいだけど」
「…別に、何も」

あの日からアルフレッドの部屋の前を通っていない。けれど、アルフレッドがアーサーの部屋で待ち伏せするようになったのだから何の意味もなかった。

いつも何とかして拒もうとするけど最後の最後までは突き詰められない。最後の一歩がどうしても出なかった。求められる喜びはアーサーの理性を凌駕し、結局受け入れてしまう。そして自己嫌悪がアーサーを苛む。
幸せだけど全然幸せじゃなかった。中途半端な今が、一番苦しい。

アーサーの薬指に噛みつくのが今のアルフレッドの趣味らしい。恭しく手を取って、何度も何度も甘く噛む。歯跡の残った薬指の付け根を愛しそうに見つめて、上から消えない跡を残すように何度も何度も噛みつく。

『君は俺のだよ』

まるで催眠みたいに耳朶を食みながらずっと繰り返された。帰ると、いつもその歯跡を消さないように自分の歯で噛む。そうすると心が緩む気がした。

けれどここまでくるとさすがに自分でも痛感する。アルフレッドに会って二月、好きにされるようになって一月。自分の許容量は完全に超えていた。これ以上は保てない。
許容量を超えるといつか溢れてしまう。もう抑えなければ溢れたミルクは元に戻らない。



「―――エミリー、さ来月結婚しよう」

目を見て真剣に言った言葉に、エミリーはゆるりと目を細めた。

「父さんに何か言われた?」
「そんなことで決めたりしない」
「でも突然じゃない」
「違う。ずっと言おうと思ってた」

胸から出した箱には婚約指輪が入っている。開いて渡すとエミリーは受け取ってためつすがめつ眺めた。

「綺麗ね」
「よかった。…嵌めてくれないか」

言うとエミリーは意味深に笑い、左手ではなく自分の右手薬指に嵌めた。

「おい」
「あら、右手薬指には『結婚はしていないが相手はいる』って意味があるのよ?私たちの関係にぴったりじゃない」
「…ならそれでいいから、俺の指に嵌めてくれ」

スーツの胸ポケットから裸の指輪を取り出して、左手を差し出す。エミリーが呆れたように笑った。

「ムキになってるみたい」
「左手薬指に」
「はいはい」

銀色のシンプルな指輪が左手薬指に収まる。その冷たさはアーサーの理性を冷たく冷たく心に跡が残るほど押し付けているみたいで、言いようもなく安心した。

「呼び出した用ってこれね?それなら私は部屋に戻るわ。素敵なお茶会にお招き頂きありがたく思います」
「こちらこそ、ありがとう」

庭の白い机に飲んだ紅茶を置いて立ち上がったエミリーはにっこり笑ってその場を後にした。残されたアーサーは茶菓子をひとつ摘まんで背凭れに体を預ける。腹の前で組んだ手には冷たい枷が嵌まっている。

そうしてエミリーが去って数分もしないうちに、どすんと誰かが向かいの椅子に座った。

「アーサー、その指輪は?」

見られている気はしていた。だからアーサーはエミリーに嵌めてもらった。胡乱気に目を開くと、アルフレッドが不機嫌そうに顔をしかめてこちらを見ている。

「…どうした」
「父さんに言われたのかい」
「ハッ、エミリーと同じこと言ってるぜ」

アルフレッドは不快そうな表情を隠しもしなかった。けれど一つ大きな溜め息を吐いて指輪を除けようと手を伸ばしてきたから、努めて冷静にその手を払う。アルフレッドが信じられないとでも言いたげに目を見開いた。

「もう触るな」

冷たく言い切ったアーサーは俯いて、助けを求めるように指輪を撫でた。

「俺はエミリーを抱くし、子も作る。お前とはどうしたって幸せになれない」
「…何を」
「本当のことだ。変えられない」
「ッ、でも君が婚約破棄すれば」
「そうすればジョーンズの家名に傷がつくだろう。エミリーの貰い手はなくなるしジョーンズ家は間違いなく破綻する」
「そんなの!」
「見たくないんだ、お前が――惚れた相手が、苦労する姿なんか!」

ぎゅっと潰すように指輪に触れた。後少しだ、あと少しで。

「…アルフレッド、お前は俺のたった一人の義弟だ。俺にもお前にもそれ以上を望む資格はない」
「ッ、アーサ」
「名前はやめろ。俺は、お前の義兄だ」

アルフレッドを見る。深い絶望に染まった顔に泣きたくなった。けれど、もう、これ以上は不可能だ。
アーサーが席を立ってもアルフレッドは動かなかった。泣かない。泣く資格なんてない。一度は受け入れた相手をこんな風に傷つけた自分に泣く資格なんて。


それから、アルフレッドは家に寄り付かなくなった。









100507
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