淪落の恋 10


それから、引きずり込まれるようになった。

カツカツと革靴が廊下の大理石を擦る音が響く。喉がひどく渇いて、小さく細く息を吐いた。耳をそばたててもアーサーの動く音しか聞こえない。ジョーンズ家は本当に大きい。人の存在をせわしなく感じる場所もあれば、こんなにも静かな場所もある。

カツ、カツ、と音がする。心臓は耳に移動したようにうるさい。ゆっくり歩きながら後ろを向いた。人影はない。
アーサーは気付かれないよう、ことさらゆっくりその部屋の前を通った。

そうして突然開いた扉から伸びてきた手は、強引にアーサーを中に引っ張り込んだ。

指の痕が付くんじゃないか不安になるくらい強く掴まれ、流されるように抱きしめられる。抜け出せない。羽交い締めにされて、耳元でアルフレッドの息づかいが聞こえる。

「やめ、ろ…っ」

形だけだ。確実に期待して来てることくらい自分でも嫌というほど分かってる。変わってしまった。アルフレッドを望む気持ちが生まれてしまった。
ぎゅうと抱き締められたままスリスリと頭を寄せられる。愛しい。たまらなくて抱き返しそうになる。

「君の足音、分かるよ」

アルフレッドの声。低くひそめられた、甘く掠れた心地いい声。いつもの明るい声じゃない、アーサーの為だけに用意された声。

「俺の部屋の前だけ足音消そうとする。…無駄なのにね」

ぐるりと回転させられて荒々しく口付けられる。苦しくて、それも心地いい。理性がぐずぐずに溶けていってこの非日常に興奮すら見出だし始めている。
思う存分舐め尽くされたあとちゅ、ちゅと頬に口にとキスされる。それは徐々に南下していった。

「こら、脱がすな…っ」

ちらりと窺うようにこちらを見たアルフレッドはにやりと笑ってアーサーのスーツの首元に顔を埋めた。きつく吸われて甘く噛まれる。

「っ、つけんなよ…っ!」

きっと鮮やかな鬱血痕が付いてることだろう。思わずジト目で睨むが、キスマークをつけた張本人は知らん顔だ。

「おっまえなぁ!」
「いいじゃないか、誰にも見えないよ。それに」

トンと胸の中心を人差し指で押される。

「これで君が誰のものか分かるんじゃない?」

カッと頬を赤らめたアーサーを見てアルフレッドはひどく嬉しそうな幼い顔で笑った。







そこまで思い出したアーサーは会社の鏡の前で悶絶した。甘酸っぱくて、まさかこんな関係になるとは思っていなかったから恥ずかしい。独占欲を感じてくれるアルフレッドが、愛しい。

肌を撫でる。小さく赤紫に変色した、アルフレッドの唇が触れた場所。信じられなかった。胸の奥から湧き出るのは優しい感情。あの会食から一週間。罪悪感よりアルフレッドに会いたい気持ちが勝ってしまう。

アルフレッドとずっと一緒にいれたら、なんて。

「何だい、お熱いなぁ」
「!!」

けれどその聞き覚えのある声が聞こえたとき、アーサーは急激に体が冷たくなったのを感じた。鏡に映るのはニヤニヤ笑っている義父だ。
頭が痛む。ドクンドクンとうるさい。

何をやってるんだ。
何を、何をやってるんだアーサー!

「いや、悪いことじゃない。結婚前に身ごもるのは勘弁してもらわなければいけないがね!」
「は、はは…」

胸が苦しい。何故だ。アルフレッドとの関係にはストッパーを敷いていた筈なのに、いつの間にか取り払ってしまっていた。いけない。また敷かねば。今度こそ厳重に、厳重に。

もうアルフレッドの部屋の前は通らない―――通れない。

「どうかしたのかな?顔色が悪いけど」
「…いえ、大丈夫です」

言い聞かせるように呟いた。










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