淪落の恋 9


その日の夕食の時間が近づくにつれ逃げたい気持ちは募っていった。けれどそれは許されない。
今日は久しぶりに義父も時間に間に合うから家族全員で卓を囲もうと言われたからには、アルフレッドに会いたくないなんて理由で参加したくないなど言えるはずもない。

バラ園で会ってから4時間、信じられないほど早い4時間だった。背徳感と熱に苦しめられていたらあっと言う間に過ぎてしまった。
仕方なくノロノロと動き出す。最低に最悪な気分だ。襟を直しながら唇を噛むのは我慢するときの癖だった。


扉を出ると廊下で丁度やってきたエミリーと会う。彼女もそれなりの格好をしている。今日はどこだかのレストランに行くらしい。
ドレスは似合っているが、エミリーはあまり嬉しそうな顔をしていなかった。

「顔色悪いわよ、アーサー」
「君こそ何か不服そうだけど」
「え?ああ、私堅苦しいドレスはどうも嫌いなのよね。実用的じゃないし」

肩を竦めたエミリーに苦笑して隣同士に歩きだす。玄関に出ると既に義父は車に乗りこもうとしていた。そして、アルフレッドも。
不自然にならないよう目を逸らす。

「何だ、一緒に来たのかい」
「あ、はい。ちょうど一緒になって」
「お腹空いたわ。早く行きましょ」

エミリーがリムジンに乗り込み、義父も笑いながらその後を追った。そしてアルフレッドも追うのかと思えばただアーサーをじっと見るだけだ。
何を言いたいか何となく分かってしまって、振り切るように乗り込む。結局アルフレッドはその後乗り込んできた。

リムジンは広い。義父とエミリーは既に何か話している。そうして座り込んでぎょっとする。何故かアルフレッドは向かいの席じゃなくアーサーの隣に座った。

「おや、どうしたんだアル」
「理由はないよ。座りたかっただけ」

アルフレッドはそう言ったきり黙り、エミリーと義父は会話に戻る。アーサーはよく分からないままアルフレッドの隣に座った。
そして次の瞬間、体を固くした。見えないところでアーサーの右手を握ったアルフレッドがそ知らぬ顔で振る舞う。

頬が熱くなる。なのに、振り払えない。エミリー達は気付かない。
握るだけだった手はゆっくり指と指を絡め始める。拒めない。体を固くしてぐっと耐えた。耐えている、振りをした。






小さなテーブルは4人で座るには少し小さい。フランス料理は眼前で美しく皿に盛られていた。

「今日のメインって何なの?」
「牛肉らしい」

食前酒を飲みながら前菜を食べる。フランス料理は確かに美味しいと思う。ただ先ほどアルフレッドに握られた手だけがやけに熱い。
ふと義父がニコニコ笑いながらこちらを見た。

「どうだい?アーサー君」
「あ、とても美味しいで…」

言葉は止まり、ビクリと肩が揺れる。アーサーのズボンをゆっくり靴の先でなぞる、きっとアルフレッドの足。不躾ないやらしい動き。
カチャ、とナイフが皿に擦れる嫌な音が小さく聞こえた。体が熱くなる。撫でる足に、ぎゅっと目をつむる。

「エミリーとは仲良くいってるかい?」
「…は、い…」

向かいのアルフレッドの視線が痛い。手が震える。ダメだ。ダメなのに。
このままでは正気を保てない。

「ちょっ…と、気分が、悪いので…っ」

耐えられなくて席を立つ。手のひらで口を抑えながらトイレに向かって小走りに歩いていった。
とてもじゃないがいられない。手を握る熱さ。脚を撫でる靴先の固さ。アルフレッドの、目の強さ。
纏わりついて離さない。あんなものは、いらないのに。拒めないのに。



やっと着いた。匂いひとつない清潔なトイレで落ち着くまでいようとして、強い力で手を握られる。

「アーサー」

後ろにぐっと引き寄せられたかと思えば耳元で囁かれて、泣きたくなった。

「アーサー」
「黙れ」
「アーサー」
「昼間は間違えた。だから、お願いだから、」
「アーサー、好きだよ」
「っ!」

息を飲んだアーサーを認めて、薄く笑みを湛えながらアルフレッドが続ける。

「好き、君が好きだ、愛してる。ふれたい。舐めて、キスして、抱きたい。抱き潰したい。…浚ってやりたい」

抱き締められる。トイレの中なんて誰が見るか分からないのに、こんな所見られたらスキャンダルもいいとこなのに。ジョーンズ家の次期当主とその姉の婚約者が高級フレンチレストランのトイレで逢い引きなんてジョークにもならない。

けれどアーサーは冷静に考える自分をひどく遠く感じた。ぐるぐる回るのは、愛しさなんて。
それでも許されない。

「…だめだ」
「アーサー」
「だめだだめだだめだ」
「アーサー」
「だめなんだっ…!」

頭を振るアーサーを見て悲しそうにしたアルフレッドは抱き締める力を緩めて腕の中の体を回転させ、向かい合わせになる。拒まなければならない。頭では分かってるのに、体はキスされるのかと喜んでいる。

(ふれたい)

徐々に近づいてくる顔に歓喜する。本当はふれたい。アルフレッドでなく、自分が、触れたいのだ。

それを邪魔するこの地位がひどく煩わしくて、けれどそう思う自分を戒めるようにアーサーはきゅっと唇を噛んだ。









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