淪落の恋 3


日の光がテラスに明るく降り注ぐ。買い物に付き合った後オープンカフェで一息吐いていると、目の前でブラックを飲んでいたエミリーがにこりと笑った。

「ジョーンズ家で暮らし始めて一週間経ったけど、感想は?」
「ああ…」

紅茶を飲む手を止めて目を細める。
メイドの躾はよく、義父も義母も親切で、婚約者とは取り敢えず表面上は上手くいっている。障害もなく予想していたよりはずっといい生活だ。ただ一人を除いては。

「…君の弟が曲者かな」

語尾がため息混じりになったのは仕方ないことだ。あの最初の晩以来ことあるごとに突っかかってくる。その所為か、アルフレッドという名前は割りと早めに知れた。
卑猥な単語ばかり聞いてくることはもう諦めが入っている。

「君には悪いけど躾がなってないな。スマートじゃない」

エミリーはアーサーの呆れ混じりの言葉に不思議そうに首をかしげた。

「あら、そんな子じゃないのに」

そんな子だよ―――言おうとした言葉は突然机の真ん中にドンと置かれたスポーツバッグに遮られる。やはりオープンテラスなんかで飲まなければ良かった。アーサーは酷く気分を害した。

「何のんきにお茶してんの」

嫌いなら関わってこなければいい。正直もう勘弁してほしい。
今日も今日とてアルフレッドは強引に隣の机から椅子を取ってきてどっかり座った。エミリーがたしなめる。

「何お行儀悪いことしてるの、アル」
「ごめんごめん、コーラ頼んでいい?」
「メタボ」
「自虐ネタかい?」

頬を思いっきりつねられてアルフレッドがいひゃいと悲鳴をあげる。いい気味だ。というか、まさか3人でお茶なんてことになるのか。

「あ、いけない。時間だから行くわ」

しかし事態はもっとまずい方向に向かっていった。ウェイトレスにコーラを注文してからエミリーがそう言って立ち上がる。アルフレッドと二人きりなんてたくさんだとアーサーも立ち上がろうとすると「義兄さん」と声がかかった。嫌な予感がする。

「コーラがまだ来てないんだぞ」

つまり、コーラを飲み終わるまでここにいろということか。どうしたものかと考えていると極めつけに言われる。

「相手してやってくれない?アーサー」

婚約者にそう言われて理由もないのに断るわけにはいかない。アーサーは渋々席に着いた。

エミリーが去ると予想通り口数は少なくなる。アルフレッドを観察することにした。
コーラと一緒に軽食まで注文した彼は部活帰りだろう。額にはうっすら汗が滲んでいる。帰ったら一流のシェフが作るランチが待っているのにこんなところで。というか、何でアーサーといる時間が増えるようなことをするのだろう。謎だ。

「何だい、じっと見て」
「いや、何でも」

軽食が運ばれてくる。コーラを飲み干さんばかりの勢いで飲むアルフレッドの喉仏を見ながらアーサーはぽつりと呟いた。

「君が俺に突っかかってくるのは、エミリーを妻にするから?」
「は?」
「エミリーに懐いてるんだろう」

だってそうとしか思えない。生理的に嫌いなら避ければいいがそうじゃないなら、アーサーがアルフレッドに嫌われるのはエミリーくらいしか共通点はなかった。
それなりに自信を持って言うと、けれどアルフレッドはまるでダメだと言うように肩を竦めた。

「義兄さんってバカなんだね」

その声にぎゅうと拳を握りしめる。もう耐えられない。我慢の限界だ。
すうと息を吸って、深く吐き出した。

「―――お前、いくらなんでもその態度はねぇよ。俺は他人だ、お前の優しいママじゃない。口を慎めクソガキ」

背凭れにもたれて剣呑に光らせた目で睨むと、アルフレッドはサンドイッチを食べる手は止めないままちらりとこちらを窺った。

「それが素かい?」

腕を組んだまま動きを止める。アルフレッドはもぐもぐ口を動かしながら目を合わさず言った。

「君の気持ち悪い作り笑いが嫌いだ。あと、いやに丁寧な言葉づかいも」

鬱陶しいんだ、最初から。
まだまだ失礼ではあるがアルフレッドの心がはじめて読めて何故だかほっとした。どんなに憎たらしくても義弟になるのだ。
今怒っても仕方ない。大人の自分が折れなければ。

「…気を付ける」
「ぜひそうしてくれよ」
「お前も直せ」
「やだよ」

高速でサンドイッチの最後のひとかけを口に押し込んだアルフレッドが立ち上がる。もう家に帰るのだろう。食後に紅茶やコーヒーを楽しむ気はないようだ。

「これから君はどうするの」

その言葉につい丁寧に返しそうになって慌てて口をつぐむ。言葉は慎重に選んだ。

「社に行って少し仕事を片付けようかと思ってる。来るか?」

自然に誘ってこちらが固まる。来たところで何をするわけでもないのに。アルフレッドは即答した。

「やなこった」
「…ああ、わかった」

そうだろうよ。何となく仲良くなれそうな気がして変なことを言ってしまった。ため息をついて会計に向かう。ふと後ろを向いて、小首を傾げた。

「どうかしたん…のか?」
「え?」
「何か嬉しそうだけど」

そう言うと、薄く微笑んでいたアルフレッドがキッと厳しい顔をした。

「何でもないぞ。見ないで」

低い声に肩を竦めて今度こそ会計に向かう。アルフレッドがその背を見て困ったようにため息をついたことを、アーサーは気付かなかった。










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