淪落の恋 2


作り笑いは崩さない。笑顔は好印象を与える。いくら支援するのがこちらと言え、今日からこの屋敷で世話になるのは自分だ。
部屋の前につくと、案内していた今日初めて会った婚約者、エミリーが振り向いた。

「ここよ。屋敷は広いから大変だろうけど覚えてね」
「ああ。ありがとうエミリー」
「どういたしまして。じゃあお休みなさい、アーサー」
「おやすみ」

エミリーが廊下を歩き出すのを確認してから扉を開ける。広い部屋だ。前の屋敷のアーサーの部屋より広い。

荷物は運ばれているらしく、小さなスーツケースが飴色に光を反射する机の側に置かれていた。ソファーはいい革でタンスはアンティークものだろう。アーサーの趣味に合わせている。

ありがたいことだと思いながらアーサーはベッドに座った。柔らかなスプリングが心地いい。

(今日からここで暮らすのか…)

大財閥であるカークランド家の四男のアーサーがジョーンズ家の当主が経営する会社に入社する代わりにカークランド家が社に資金提供する。それが今回の政略結婚の目的だった。

最近経営不振気味のジョーンズ家からの誘いだ。四男のアーサーがカークランド家の跡取りになる可能性は極めて低かったのでこの結婚は許された。

アーサーはこれからジョーンズ家の人間になる。カークランドを誇りに思うアーサーには苦渋の決断だが、この話がきた瞬間からアーサーに選択権はなかった。

『もの』として扱われるのには慣れている。生まれたときから愛されることなど知らない。父は息子たちに興味がなく兄たちはアーサーを疎んでいる。23年も同じ家に住めたことが奇跡なのだ。いつ体よく追い出されるのかと思っていたが、まさか名前までとは。

エミリーを思い出す。美しく気の強そうな娘だった。けれど、愛より同情と親近感の方が強い。瞳は多大な迷いが浮かんでいた。彼女も親の駒にされている。

コンコン。

響いた音に目を丸くする。誰だろうと思いながらベッドから立ち上がり「どうぞ」と促した。入ってきた人間を見て目を丸くする。義弟だった。

先ほどを思い出す。食い入るように見る不躾な視線には辟易したが、長男だから甘やかされてきたのだろう。何故か不機嫌そうに見えたのは思春期だからだろうか。六つも年下の高校生だ。

初めてきちんと顔を見る。何だかんだで緊張していたから自己紹介の時はろくに見れなかった。エミリーに似てきれいな顔をしている。整った目鼻立ちは顔に精悍な印象を与えた。

中に入ってきた青年――残念ながら名前は思い出せない――は立ったままアーサーをじっと見るばかりだ。何かを話す素振りも見せず、無遠慮な視線を投げ掛ける。程なくして耐えきれなくなったのはアーサーの方だった。

「どうかしたのかな?」

丁寧な言葉遣いをしたのは優しい印象を与えるため。あまり家族仲が良くなかった所為か荒れたこともあるアーサーの素の口調とは違う。
青年が口を開いた。

「きみってセックス上手いの?」

理解できなかったアーサーは目を瞬かせ、すぐに少し眉を寄せた。初対面の男に尋ねるには少し礼儀を欠きすぎている。

「…何が言いたいんだい?」

アーサーの低くなった声に、けれど気づかないらしく入ってきた時から少しも表情筋を動かさない青年が言う。

「つまり姉さんはどんな風に乱れたかってことさ。可愛かった?ああ、ちょっと太かっただろ。ぽっちゃりって言い張るけどね」

頭が痛くなる。最近のティーンはこんなに無作法で非常識なんだろうか。

「…まだしてない」
「何でしてないの?きみ病気?」

何が言いたいのだろう。兄ができるから浮かれているのだろうか。悪意しか感じない質問も照れの裏返し?それには悪趣味すぎた。

アーサーはそれでもそんな身の内は毛ほども見せず、優雅に笑ってみせた。

「不躾な質問はしない方がいい。君の品性が疑われてしまうよ」

自分の作り笑いは完璧だとアーサーは自負している。目の前の青年はその時初めて無表情から表情を出した。

一言で言えば、嘲笑。

「義兄さんって、つまんないね」

心底バカにしきった声で薄く笑った青年がアーサーを見下す。そのまま振り返りもせず扉から出ていった。
あまりの事態に呆気に取られる。そうして次に沸き出したものは。

「…うっぜぇ…」

何だあれは。きれいな顔でも性格が破綻していてはたまらない。何よりアーサーの気は長くない。
ただ、何故こんなに嫌われているのかは分からなかった。少しでも好意を寄せる人にはしないはずだ。

またベッドに座って、次は寝転がる。もし仲良くなるような事態になったら嫌いな人間でも失礼な態度は取らないよう言ってやろうと思った。










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