愛くるしい夢の底で


 ”幼い頃の夢を見る。藤黄の虹彩。黒い外貌の神父は眼窩の双眸に月を飼う。二頭の月桂には悪魔の蠱惑な面が住まうざま。月面の瞳孔が宇宙を見せる。神父とは悪魔のようだと。うつくしいなどと思ったことはない、しかし私は特に目を掛けられていた。

 『“星が智慧に恤む”』
 魔羅の神父とはカルトの一派である。祭司の風骨が下肢を杖突く悪趣の酔歩者。神父は世間に断絶された。

「神は宇宙(カダス)により存在している」

 いずれ、そう綴ってやると私に言って、神父は去った。”



 ――古反故の赤い封蝋が斜の筆致をきりもみに捻転する杜撰な様子。煤の赤銅が白に褪せる黴たにおいが、朦々とする怪異を繁々にさも懐わせるような。脳漿が角を立つかの漣の荒い音色が頭蓋の膜に跳ねている。咽頭を固唾が下る蠕動の犇めきさえも顕著に謦咳なようで聞いている。カダスの岩壁を夢に与えられた。星の智慧に恤まれたが運の尽き。私は、あまつさえ悪魔の招待状までもを受け取ってしまった。



 “浅ましいやら、遮蔽する目蓋の陰翳がおおよそ70の階へ、誘うかの面で冒涜的にも手を招く。招聘に頭を傅く異形なる神官の手付きにより、甚だしくある脇目の造形をよくよく賞翫することのものの悪意を憚るばかり。鄭重な頭顱。頸部のしだれる神官の婆娑羅の如き華美の仕立てが、いっそ無礼に囃すかの指の教唆。指嗾に示す、焔の神殿を抜ける先、更なる700もの階梯が延々との間隔を茫漠に畳んでいるのだ。至極順当な足並みを要求される稀有な有り様であったこと。底の冷える僅かの正気をつぶさに摘まむ脳の虫を飼いながら、私は自身が人間であることを虫食いに思い出すのだ。そうして、深き門が開かれる。

「瑞々しくも甘苦たる芳しい血肉のにおいだ」

 樫の四肢が執拗な蔓草のように縺れる混じり気の暗晦。燐光の菌類が巨木の樹皮を浮き彫りにする胞子の酸素が疎ましく、樹海の森を後にする一切の足取りはスカイ河の導きによるものとされた。人烟の住みかであるウルタールの街並み。玉石の街道を行きずりに追随する足元の最中に、あぐねる猫の玉塊が歯並を目立たせては発したのだ。

「へぇ、人間。それもまた年若い生娘とはね。珍しいこともあるもんだ。ますます、腹の色が見たくなる。それこそ、あんたは特別うまそうに思えるよ」

 胡座の人体とは人間の声をしていた。男の白い腹が慰撫のために猫の雁首を這い回る。花を赤くもぐような剪刀の手付き。私は途端、 縊死の麻縄に首を掻かれるいやな物音を錯覚に見た気がした。

「なるほどね。お嬢さん、その軽々しい身形でよくもまぁあの森を抜け出てこれましたねぇ?」
「……森?」
「ここへ来る前に森を抜けてきたでしょ、魔法の森を。減軽の夢見る者でさえも洗礼と称して骨の髄まで食されるというのに、あんたときたら運が良い」
「ここは、夢の中なんですよね」
「夢? いいや、ここはドリームランドだよ。あくまでも夢の国だと名乗っているだけ。事実、死んだ人間は数多くいる、発狂した人間も。あんたみたいに、運がなかったんだろうな。かわいそうに、それも運命だろうよ。それでも、夢と呼べるくらいには十分にメルヘンでしょ」
「私は、頭がおかしくなったのでしょうか」
「カダスを望んでいるな」
「カダス」
「カダスとは、この外なる神の保護によりドリームランドを支配下におく大いなるものの居城。狂気の山脈。荒涼たる灰色のレン高原の彼方により、冒涜的のまでに聳えている」
「呼びましたか、私を」
「俺じゃない、けど、そういうやつを一人知ってる」
「誰ですか」
「弁えろ、人間。その口調はいただけない」
「信仰が足りていない」
「猜疑心か。正直だね、おまえ」
「どなたです」
「『口にするのもはばかられる大司祭』と、呼んでいる」



「あなたが、私を呼んだんですか」

 “石造りの修道院には、黄色い絹の仮面で顔を覆った大神官が独りでに住んでいる。”

「そうじゃない、君が自ら望んでのこのことやってきたんだよ」

 黒々とする悪魔の出で立ちが陽気な調子で弾んでいた。

「お嬢さん、君は神を信じている?」
「神とは、存在を認知できないものである」
「それは違う。神とは、存在を認知できないのではなく、存在を認知できない場所にいる」
「神は宇宙に存在している?」
「そうだ。君は正に神を目前としてる」
「神父様、私は以前からあなたという存在を知っているように思える」
「そりゃあまた偶然だ、僕もまた君を知っている」

 蚕糸に編んだ司祭の仮面を剥いで落ちた。藤黄の虹彩。月の侍る丸い眼球。金色の洞穴がやはり宇宙を見せている。深淵の宇宙である。いや、凍てつく荒野の山頂、縞瑪瑙の城が見えている。

「ナマエちゃん。大いなる夢の国へ、幻夢境へ、ドリームランドへ、ようこそ」
「君は智慧の成功者だ。夢に生き、夢に食べ、夢に眠る。君はもう戻れないよ。なんせ、僕がそう仕組んだ。君という人間は僕と永遠に、一緒だ。大丈夫だよ、君が発狂しても愛してあげるから。心配なんてしなくていい、ここは宇宙なんだよ。神様が住んでるんだ」

 まさしく、悪魔のようだったと。神父の名前とは、十四松である。