「サブウェイマスター降ろされちゃうかもしれないんだってさ」


そんな噂が耳に届くのはこれが初めてではない。ここのところ頻繁にその話を聞く。何を根拠にそんなことを言っているんだか。前々から職業柄ポケモンバトルに勝ち続けなければいけないって相当大変なんだろうなと他人事のように思っていたけれど、最近はなんだか話を聞く度に苛立っていた。彼はもう他人ではなく、私の一上司になっていたから。
もちろんこれは根も葉もない噂であってクダリさんがサブウェイマスターから降ろされるとかいう話は全くない。周りが勝手に騒いでいるだけだ。自分の憧れが調子を崩していく様を見て楽しんでいるだけ。それがデスクに座って事務仕事をしている時にも聞こえてくるものだから腹が立つ。なによ。調子悪いって言ってもここ1週間の話じゃない。それは私だって心配だけど、ありもしない噂に尊敬する上司をけなされては黙って座ってなんかいられない。だいたいちょっと前まではそんな態度とってなかったくせに。
こんなことを考えれば考えるたびに耳は悪い噂が入ってくるようで、ついに大げさに音を立てて席を立った。これでは仕事にならない。


「おう、なまえ」


私が立ち上がったのと同時にクラウドさんが駅員室に入ってきた。


「なんですかクラウドさん?」

(なんで苛立っとるんやろ)

「用件をどうぞ」

「あ、ああ…あんなさっきクダリボスが呼んどったで。執務室に来るようにやて」

「え?なんで急にまた」

「そこまでは知らんわ。俺はただ呼んできてほしいって頼まれただけやし」

「私なんかミスとかしましたっけ…」

「さあな。とにかく早く行ってきた方がええんちゃう?なんや急いでたみたいやったで」

「…わかりました。じゃあ行ってきます」

「おう、いってらっしゃい」


ボスに呼び出されるなんてめったにないから(私のような平駅員が呼び出されるとすれば書類のミスや記入漏れ、若しくはクビの時だけ)一気に不安が襲いかかってきたけど、こんなところで仕事していても気が進まないしちょうどいいと思って私は早々に駅員室から出る。すぐ後ろでクラウドさんが話ばかりしていた同僚たちに喝を入れているのが聞こえた。ああよかったと思って、この時期ひんやりと冷える廊下を歩きだした。しかしサブウェイマスターの執務室は駅員室のすぐ隣だ。だけどこんな短い距離で私の心臓がばくばくうるさくなる。大きく息を吸ってから、きっちり2回ノックした。


「失礼します、なまえですが…」

「なまえ?入って入って!」

「は、はい」


予想に反して機嫌が良さそうな声に安心した。だけど実際私はクダリさんとそんなに話したこともないし、この執務室にも入社した時くらいしか入ったことがなかったので無駄に緊張して、目の前のデスクに座っているクダリさんとろくに目を合わせられずにきょろきょろと周りを見回してしまった。駅員室とはまた少し違って、二人用の部屋だから面積的にも少し狭いし、だけど簡易キッチンはここにもついてるんだなとか、どうでもいいことを。
書類のミスがあったんだったら早く怒られて帰りたいな。ああ、でもやっぱり帰りたくない。私のデスクのある部屋は最高に居心地が悪いんだから。だけどさっきクラウドさんが叱ってくれたみたいだから少しは静かになったかもしれない。みんな元はいい人たちばかりだし。
「なまえ」
「はい!」
急に名前を呼ばれてびっくりして反射的に大きな声が出た。


「ふふっ、なまえってば部屋に入るなりきょろきょろしてたし、もしかして緊張してた?」

「っや、別に…それほどでも」

「そんな風に思わなくてもいいのに!」

「は、はい、すみません」

「?なんで謝るの?」


クダリさんがデスクから立ち上がって、ついに叱られるんだと目をぎゅっとつぶって覚悟した。ミスしたのが重要な書類だったらどうしよう。私は扉から一歩入ったところで棒立ちになっていて、一気に彼との距離がぐっと近くなった。呼び出された人が人であって私の中の事の重大さをより一層荒立てる。
すると、私の頭の上に手が乗っているような気がした。そっと目を開けてみるとクダリさんがいい笑顔で私を見ていた。なんか今撫でられてないだろうか、私。今の状況がよく分からなくなってきた。


「あ、あの!」

「なあに?」

「私、書類の不備があって呼び出されたかと思うんですが?」

「不備?」

「はい」

「そんなのないよ?」

「え?」

「なまえの出してくれたものにミスなんてないと思うけど…ノボリに回った分は知らないけどね」


じゃあ、なんで私はここにいるんでしょうか。適切かつこの場の状況を表すのにもっともな言葉は口をつぐんで胸の奥にしまっておく。ひょっとしたらクラウドさんの伝達ミス?別の人だったとかだろうか。もしそうだったらクラウドさんに文句を言いたい衝動に駆られる。心の中でクラウドさんに馬鹿馬鹿!と繰り返す。別にクダリさんとお話に来たわけでもないんだから、早く隣に戻って仕事を終わらせて今日も定時に上がりたい。


「あっ、そうだったんですか?クラウドさんが私が呼ばれてる言ってたものですから、てっきりそうだったと思ったんですが違ったんですね?すみません、では私はこれで、」

「うん、なまえの言ってたこととは違ったけど、でもね。たしかに僕はなまえのこと呼んだよ」


再び私に冷や汗が垂れる。


「僕、なまえに伝えたいことあるの」

「…………」

「なまえの働く場所のことなんだけど…今日からここになるから」

そういってクダリさんは床を指さした。ごくりと喉を鳴らしてから私もその先を見つめるがどう見ても床は床でそれ以外の何ものでもない。それには別の意味を含んでいるのかもしれないが、今の私には考える余裕なんてなかった。

「えっと…ここって、ギアステーション、ですよね?それなら私、もう働いているような気がする、んですが」

「ちがう!なまえは今日から僕の隣で働くの」

「隣、ですか?それは部屋的な意味で…」

「もう!」

クダリさんが私の両手をとって痛いくらいに握って、私の目を見つめる。その気迫に押されてしまって少しうろたえながらもそらさずに彼と目を合わせた。まるでなにか言いたげな、そんな感じがする。少し潤んでいた。それにどんな気持ちが含まれているんだか分からなかった。だから鈍感なんて言われるんだ私は。でも、なにか言いたいんだろうなってことは私でも分かる。

「僕につきっきりで働いてほしいってこと!」

「え、えっと、あのそれは…」

「おまちくださいまし!」

「ボス?」

ばんっと勢いよく扉が開かれてノボリさんが息を切らして入ってきた。クダリさんも私も驚いて彼を見る。
そのままノボリさんはずかずかと中に入って私の手を握っていたクダリさんの手を強引に解いた。終始私はもう何がなんだかわからない。

「なまえさまはクダリの言ったことは気にせずに通常業務でお願いします」

「ちょっとノボリ!」

「私の言いたいことは分かりますね?クダリ」

「わかる、けど!」

「さあ、なまえさまはお戻りくださいまし。無駄な時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」

「なまえ!まって!」



いばら 01
私だけ一人、取り残されている気がした。


まえ つぎ

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