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鹿


※梵天軸




街を歩いていたら知らない男にナンパされ、中々しつこかった男にどうしようかと思っていたとき、助けてくれたのが竜胆さんだった。ベタ中のベタだと思うけれど、私は助けてくれた竜胆さんに一目惚れをしてしまった。お礼をしたいと告げたら「うるせぇ奴が目の前にいただけ」だと彼は言ったけれど、この機会を逃したらもう会えなくなると思った私は、去っていく彼にもう一度だけ言ったのだ。

「一目惚れしちゃいました」と。

そんな私に初めは少し驚いたような様子だったけど、その告白のお陰か連絡先をゲットすることが出来た。浮かれた私は早速その日にお礼とお食事の誘いをメッセージで送ったのだけれど、中々スマホは通知を知らせない。このままスルーされてしまうかもというような不安がどんどん募っていき、何度も画面を確認している内にスマホを持ったまま私は眠ってしまった。

『予定空いたら連絡する』

真夜中に届いていた彼の返信に、起きたてのぽやぽやした頭が一瞬で覚めて、もう何度そのメッセージを見返したか分からない。待ってます!と元気良く返信したけれど、待てど待てどその言葉を信じて二週間が経った。流石にもう連絡はくれないかと思った矢先、彼から連絡が来た。"明日の18時に時間空くから住所送って"というような内容。もうこのときの私のテンションは生まれ落ちてから一番マックスだったと言えるであろう。急いでクローゼットから服を引きずり出して、彼の隣を歩いても恥ずかしくないような格好を選んでいると、気付けばとっくに三十分は経過していた。






次の日、彼は約束通りの時間になると黒塗りの車に乗ってやって来た。緊張してしまって隣に座るのは心臓が持たないと後部座席のドアを開けたら、

「は?普通前に乗んじゃねぇの?」

と言われてしまった。ルームライトに照らされた竜胆さんのお顔が少し笑っていた気がして、私の顔はカァッと熱くなる。多分、彼に私の顔が赤いのはバレていたと思う。

車をパーキングへ停め、連れて来られたのは隠れ家的な料亭だった。一見さんお断りのような如何にもなお店。キョロキョロしている私に、予約をしてくれていたのか竜胆さんは何ともないかのように部屋の個室へと進むから、私も後をついて行った。

「お前酒は?」
「えっと先月二十歳になったばかりでまだ飲んだこと無くて」
「マジで?じゃあ飲んでみる?」
「あっ!はい」

一口二口ならお父さんのビールを飲んでみた事があるけれど、ちゃんと口にするのは今日が初めてだった。注いでくれたビールを一口飲めば炭酸と特有の苦味が口に広がってつい顔が歪んでしまった。

「に、苦いです」
「お前マジで飲んだことねぇの?良い子だったんだな」

ちょびちょびとビールを口にする私に、「無理なら水飲め」なんて言ってくれたけど、私は大丈夫ですと答える。
竜胆さんは頬杖を付きながら煙草をふかしていて、それがまた色っぽく見えてつい魅入ってしまう。ちらちら見ていた事に気付いたのか竜胆さんは私を見るもニヤリと口元を上げた。

「んだよ、物欲しそうに見んな」
「あ!?いや!?ちがっそんな訳じゃなくて!」
「ハッ、顔赤くしてっからンなこと言われんだよ」
「だって…う…ハイ…」

そんなつもりで見ていた訳では無いけれど、楽しげに笑う竜胆さんを見ているとそれ以上の否定の言葉が出て来なくなってしまった。からかわれた事に恥ずかしくなって、私はグラスを持ちグイッと勢いよくビールを飲む。やっぱり苦いし美味しくない。

「お前さぁ、名前…あー、何だっけ。なまえだっけか?」
「そうです。私は竜胆さんて名前速攻覚えましたよ」
「教えてなくね?」
「連絡先交換したときに名前載ってました!」

私は彼の名前をすぐに覚えたけれど、彼はハテナ付きだったのはちょっと寂しい。 でも今私と会ってくれているのだからと開き直り、竜胆さんの話題へと変える。

「竜胆さんやっぱり格好いいですね、スーツもお洒落だし」
「褒めても何にもでねぇよ。なんか欲しいもんでもあるワケ?」
「そっそんなんじゃないですよ!!決して違う!」
「決してって、お前ウケる」

言われ慣れているのか竜胆さんは私の言葉を軽々と受け流す。本当にそう思っているのだけれど、きっとそれも口にしたところであしらわれてしまう気がして、その言葉を飲み込んだ。

そうこうしている内にお料理が届いて、運ばれてくるものはどれも美味しく、頬が落ちそうってこういう事を言うんだと驚いた。いつもはコンビニとか友達とたまにランチに行くぐらいなものだから、このお店の雰囲気もあるのかもしれないけれど本当に美味しかったのだ。

「おいしいっ!竜胆さんこれ凄く美味しいです!」
「お前ウマそうに食うよなぁ、俺のもやるよ」
「えっ、あ、ありがとうございます」

竜胆さんはお料理を少々つまむ程度で、「食え食え」と言って自分の分を私のお皿に移す。食べているところ見られるのってぶっちゃけかなり恥ずかしいんだけど、竜胆さんが笑ってくれるから口を動かすことに集中するしかなかった。目の前の彼が気になって集中出来なかったけれど。

「竜胆さんて普段いつもこんな素敵なお店に来るんですか?」
「んーいつもって訳じゃねぇけど、仕事の付き合いとかでたまに」
「へぇ、凄いです!私しがない会社員なのでこういう場所自体初めてです!」
「そりゃ良かったな。そろそろ行くか」

こんなお店に来るぐらいの付き合いがある仕事って竜胆さんは何をしている人なんだろうと疑問が浮かんだけれど、聞く前に彼は会計の札を持って席を立ってしまった。慌ててバッグから財布を取り出して「私が払います」と言えば、彼は札を私の頭にポン、と置くと優しい口調で口を開く。

「俺、女に払わせるような奴に見える?」
「そんなことは…でも、お礼をしたくて私」
「いーから、素直に奢られとけって」
「あ、ありがとうございます」
「ん」

私の言葉にほんの少し口元を上げる竜胆さんはやっぱり格好良かった。会計に行ってしまったその後ろ姿を見ていると大人だなぁと思う気持ちと、やっぱり好きだなぁって思う気持ちが入り交える。もっと彼のことを知りたいと思うけど、会計を終えた竜胆さんはそのまま私を車に乗せて私の自宅へと車を走らせた。

「ホレ、着いた」
「ありがとうございます。あの、それでその…また会ってくれますか?」
「んーどうすっかなぁ」

ハンドルに両手を置き顎を乗せた彼は少し考える素振りを見せたかと思うと、私の方へと顔を向き直しニコリと微笑む。その表情に私の心臓は分かりやすく跳ねた。

「別にいーよ。また連絡するわ」
「あ、ありがとうございます!待ってますから!」
「ふはっ、必死過ぎ。んじゃおやすみ」

必死過ぎと言われてしまったが実際本当に私は必死だったと思う。結局彼のことは何一つ知れていないし、ただ好きという気持ちが大きくなっただけだったけれど、それでも今日はとても楽しかった。夢のような現実に、私は今日も眠れない。竜胆さんの笑った顔を思い出す度に胸はきゅうっと高鳴り締め付けられる。
次はいつ会ってくれるのかなぁ、なんて会ったばかりだというのに、もう次を待ち焦がれていた。





一週間経つとまた竜胆さんは連絡をくれた。この一週間毎日いつ連絡が来るかと思春期の中学生並にソワソワしていた私は、メッセージの通知が届く度にスマホを覗く毎日だった。メッセージがスタンプの為だけに追加した何処かの会社からだったりすると、分かりやすいぐらいに落ち込むものだから、会社の上司が彼氏と喧嘩でもしたのかと在らぬ心配をされてしまった。ごめんなさい、違うんです、彼氏では無く好きな人なんです。

竜胆さんは今日私と会ってくれるらしい。会えるのが楽しみで嬉しくて、午後の仕事は中々手付かず状態になってしまったら上司に今度は怒られてしまった。ごめんなさい。

定時で即帰宅して、約束の時間には余裕があったから身なりを整える。竜胆さんが来てくれるまで何度も鏡の前で確認して、自分が一番輝いて見えるように念入りにメイクも直す。少しでも好きな人に可愛いと思われたいのは二十歳になり大人になっても変わらない。

「お、今日はちゃんと前乗んじゃん」
「今日は二回目なので」
「飯食うまでなまえガチガチだったもんな」
「それはそうですけどっ、言わないで下さいっ」

この間と同じ黒塗りの車に、今度は先週と違って初めから助手席のドアを開けると、竜胆さんは初っ端私をからかう。初めて名前をちゃんと呼んでくれたことに今が夜で車内が暗くて良かったと心底思った。顔が緩んでいる私を見れば、また更に竜胆さんに笑われてしまうに違いないから。

「どっか行きてぇとこある?」
「竜胆さんとなら何処でも良いです」
「あー、お前俺に一目惚れしたとか言ってたけどあれマジなの?」
「ま、マジです。出来れば彼女になりたいです」
「出来ればでいいんかよ。お前ほんと変なヤツな」
「いやっ!出来ればじゃなくてなりたいです!」

好きとバレてしまっている以上、この暗さを良いことに私は彼に本音を告げる。それでも竜胆さんは笑うだけで、その先の返事をしてくれることは無かった。少し心に靄がかかるけれど、私も私でそれ以上の言葉は言うのをはばかられてしまって、言ってはいけないような雰囲気に口を閉ざした。





「私バーって初めてです」
「そりゃこの間酒飲んだのが初めてならそうじゃなきゃおかしいだろ」

竜胆さんは甘い奴なら飲めんじゃね?と言ってバーに連れてきてくれた。この間連れてきてもらったお店とはまた違う薄暗く落ち着いた店内は、お洒落という言葉がとても似合うようなお店だった。カウンター席に座ると、目の前にはキラキラとしたグラスと見たこともないお酒が沢山並んでいて、竜胆さんは手馴れたようにバーテンダーに酒を注文する。他の女の子にもこういう事しているのかなぁなんて思うと胸がチクリと刺されたように痛んだ。

「これならお前でも飲めんじゃない?」
「あ、ありがとうございます」

差し出された如何にも可愛いカクテルに口をつければ、甘くて本当にジュースのようだった。私の表情を見ると竜胆さんは満足したように煙草に火をつける。その横顔がとても綺麗で、紫色した独特な髪色はとても良く彼に似合っている。そんな彼を見ていると、やっぱり手が届かない距離にいる気がしてしまう。なんか一線を置かれているような感じ。それは私がまだ二十歳になったばかりの子供だからなのか、それとも単純に竜胆さんは私なんかを彼女にする気は無いからなのかは分からない。両方かもしれない。

「りんどーさん、りんどーさん」
「あ?」

美味しくて飲みやすいカクテルを何杯か飲むと、私はいつの間にか酔ってしまったみたいで頭がぽぉっとしていた。聞く予定では無かったのに、普通に今日を過ごして、また次の約束をして貰えればそれで良かったのに、頭の中での私はそうでなかったみたい。
トントンと人差し指で彼の腕をつつけば、竜胆さんは私に目線を合わせる。私と違って彼もお酒を飲んでいるはずなのに、顔の赤み一つもない。

「どうしたら竜胆さんの彼女にしてくれますか?」
「あー、お前まだ二十歳じゃん。俺もうすぐ三十な?十も違ぇ」
「えー、年の差なんて関係無くないですか?」

私的には本当に関係無いと思っていた。今どき年の差で付き合うとか結婚だとか、芸能人のニュースだって珍しくは無い。いじけるように口を尖らした私の頭に竜胆さんは手を置くと髪を描き撫でる。

「うぇぇ、頭が回りますよぉ」
「俺が好きって言うけどさ、お互い何も知んねぇのにそんなんじゃ親に叱られっぞ?ちゃんと相手見なさいってな」
「親関係無いです〜。私が竜胆さんを好きになっちゃったんですもん」

ゆらゆら揺れた頭から竜胆さんは手を離す。こんな近くにいるのに遠い距離にいる彼に今度は目が潤んできた。私は酒を飲まない方が良いらしい。離れて行く手が名残惜しく感じ、私は目を潤ませているのを彼に見られぬよう、くしゃくしゃになった髪を両手で軽く整えるように顔を隠す。

「私、竜胆さんの事もっと知りたいです」
「知った所で変わんねぇよ」
「決めつけ良く無いですぅ」

やっぱり酒はダメだ。酒は飲んでも飲まれるなという言葉をふと思い出す。潔く諦めなければいけないのに、ついには目に溜まった涙が頬から流れ落ちてしまった。我儘言って諦めが悪くて涙まで流すなんて本当に最悪だ。自分に対しても竜胆さんに対しても思考が上手く働いていない状況で涙を流す私に、竜胆さんは怒るわけでも五月蝿がる訳でも無かった。

「そんなに泣くほど俺が好きなワケ?」
「好きですっ、ヒック、すみませっ泣きたくないのに」
「あー、別に。どんくらい俺のこと好き?」
「え?えと、もう本当に、…大好きです」
「そかそか。分かった」

分かったって何が分かったんだろう?
その理由を彼は教えてはくれず、何食わぬ顔で支払いを済ます。スーツのジャケットを羽織り、私の腕を掴み立ち上がらせ車に乗り込んだ。

車内の中は重たい空気を纏っていて、竜胆さんは口を開かない。口にはしないけれど、フラれてしまったんだと思った。竜胆さんはしないとは思うけれど、あのまま置き去りにされなかっただけ良かったと思う。多分、彼なりの優しさなのか分からないけれど、泣いて好きだと言われれば竜胆さんも困った筈だ。自分がされたらちょっと引くもん。まだアルコールは抜けてはいないが、それでもさっきよりほんの少し冷静になった頭でそう思えば、車を止めたのは私の自宅では無いマンションだった。

「降りて。あとスグそこ段差あるからコケんなよ」
「え?あ、はっはい」

やっと口を開いた竜胆さんに私は慌てて車から降りる。マンションへ行く際、二段ほどの段差を言われた通りヒールを履いていた私はコケないように上がる。エレベーターに乗っていたときも竜胆さんは始終無言で、私の心臓はバクンバクンと音を鳴らし続けていた。竜胆さんはある部屋の前に着くとカードキーで部屋の扉を開け、私を招き入れる。そおっと足を踏み入れると、玄関のドアが閉まると同時に彼は私の腰を強く引いた。

「あっ…ンンっ!」

照明がついていない玄関で、竜胆さんは私に唇を重ねた。竜胆さんの口から差し込む舌先に突然のことに息が出来ない私は彼の胸を叩くが、私の腰を抱く手に力が強まるだけだった。
竜胆さんの香水がすぐ側で香り、苦しさに息が荒くなると彼はやっと唇を離して玄関の照明をつける。

「顔真っ赤じゃん。可愛いな、お前」
「えっあっ」

私と違って息も上がっていない竜胆さんはにっこりと微笑みを浮かべると、靴を荒く脱ぎ私を寝室らしき部屋へと連れて行く。今の状況が信じ難く、ベッドの備え付けであろう照明を付けた竜胆さんは、私を少々荒くベッドに組み敷いた。

「りっ、竜胆さん?」
「俺、軽い女って好きじゃねぇんだよな。あと猫かぶるような女」
「私そんなつもりじゃっ」
「分かってるよ。だから家にお前を連れて来たんじゃん」

私を見下ろす彼の目はギラギラとしているように見える。竜胆さんのウルフの髪の毛が私の頬に掛かり、それを彼は優しく払い除ける。

「俺さ、女には俺以外の奴しか見て欲しくねぇし、マテが出来るほどの頭も持ってねぇんだワ。んでも我慢してやってたんだけどさ」

耳元に顔を近づけ囁くようにキスを落とされると、私の体はピクリと跳ねる。その反応に彼はふっと鼻で笑ったような気がして一気に恥ずかしさで体が熱くなっていく。

「俺の事知りたいって言ったじゃん?教えてやってもいいけどさ、聞いた後に後悔したって逃がしてやれねぇけど…そんでもいーワケ?」
「……それでも良いです。竜胆さんの一番になりたいです」

私の返答を聞くと、竜胆さんは満足気に笑みを浮かべる。
しゅるりと片手でネクタイを緩めて、私の着ていた洋服に大きな手が忍び込む。「こういう服俺好みだわ。かわいー」と口にする竜胆さんに、恥ずかしさと褒めて貰えた事の嬉しさで頭がいっぱいになっていく。ドキドキして、甘くて、艶やかで。ペロリと自分の唇を舌で舐める彼の目付きは、私を情欲へとかき立てさせた。







「あー…ほんっと…せっかく逃がしてやろうと思ったのに馬鹿なヤツ」

ガブリと鎖骨を噛み付かれると、痛みを踏まえた恥ずかしい声が室内に響き渡る。竜胆さんが私に与える快感が大きくて、彼が何と言っていたか私には分からなかった。

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