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※梵天軸


『今から行くわ』

トークアプリがメッセージをピロンと呑気に知らせれば、それは彼からだった。彼の"今から"は三十分後かも知れないし、二時間後かも知れないし、はたまた日付が変わってからかも知れない。

私は簡潔に『待ってるね』と文字をスワイプし、軽くよれた化粧を整える。前に一目惚れして買ったお気に入りのミルキーホワイトのドレッサーの前に立ち、買ったばかりのリップを唇へ引けば、それはほんのりと唇を赤く染め上げた。

春千夜君、可愛いって思ってくれるかな。
こんな事を考えていれば気分はもう恋人ごっこだ。私と彼は言ってしまえばセックスフレンドで、その証拠に彼はセックス中以外で甘い言葉を発してくれる訳でも無ければ、セックス後のピロートークの欠片も無い。彼から連絡が来て、セックスして、疲れて寝てしまえば朝にはもう彼が居ない事は珍しくも無かった。あと、この行為中の甘い言葉だって鵜呑みにしてはならない。彼にとってはただのリップサービスに過ぎないのだから。私は彼にとって数ある女の内の一人である。


彼から着いたと連絡が来たのはそれから一時間後の事だった。今日は早く会えるという現実に玄関までの足取りは軽く弾んでしまうのを隠せない。それなのにドアを開けるときは毎度緊張してしまって、ドアノブを持つ手が微かに震えてしまうのだ。それでも早く会いたいからとドアを開ければ、いつもの逢瀬時と変わらない彼がそこには立っている。

「よォ」
「久しぶりだね」

そう言葉を交わすと同時に、彼は私の腰を抱き唇を奪った。彼の香水が間近に香れば胸が昂り、お腹が熱くなっていくのを感じる。塗ったリップは直ぐに彼の唇へと色を移し、深く熱を帯びた彼の舌に私の舌は奪われて私の脳内は直ぐに蕩けていく。
唇を離せばどちらのものとは言えない透明な液が私の口から顎へと垂れて濡らしていった。

「会って早々やらしーなァなまえ」


私の火照った顔付きに、にまぁと笑った彼は口に付いたリップを親指で拭いソレを舐めとった。その仕草と表情が随分と官能的で私をまた虜にさせる。
会って早々って最初にキスしてきたのはそっちですが?って言ってやりたかったけれど、彼にとってはそんなのどうでもいい事で。私は彼の思うままに寝室へと連れて行かれた。





やっと腰を離してくれたのはもう真夜中のベッドの中だった。彼はいつも強引で、荒々しいのに私に触れる長い指は優しくて甘い。私の体の全てを私よりも知っている。
中々終わらせて貰えなかった行為にやっと満足したのか、彼は私の隣ですぅすぅと寝息を立てていた。

カーテンから漏れる月明かりに照らされた羨ましいぐらいに長い睫毛へ私はそっとキスを落とす。まるで女性のような顔付きなのに、声も身長も体格も言動もやっぱりそれは当たり前だけど男の人で、綺麗な顔を見ているのは飽きなかった。このまま彼を見つめながら眠りたいところだけれど汗を流したくて、私はベッドから重たい腰を上げてシャワーへと向かう。
鏡に映る自分の体を見れば赤い痕が至る箇所に付けられていて、指でソレをなぞれば先程の情事を自然と思い出しては熱くなるのを感じた。





シャワーを浴び終わり、冷蔵庫から水を取り出そうとすれば背後から抱き着かれた。

「ひゃっ」
「おめぇ、何勝手に風呂入ってんだよ」

その正体は勿論春千夜君で、私は驚いて持っていた水をつい落としそうになってしまった。

「ごめん、起こしちゃった?」
「…れねぇ」
「ん?」
「だぁからお前が横に居ねぇと寝れねぇんだよ。勝手に居なくなんなボケ」

私が横に居なかった事により機嫌を悪くしたのかムスッとした彼は、私の手を引きベッドへと連れ戻す。それが嬉しくて、可愛くて、罪深くて頬が緩めば「笑うなキモい」と言われてしまった。そんな事を言う割には、抱き枕のように私を腕でガッチリと固定し抱き着いてくるのだ。身動きが取りにくくてちょっと苦しい。

「ん、春千夜君苦しいよ」
「あ"?こんくらいしねぇとお前すぐどっか行くだろ」
「…ここ私の家だし」

すぐ何処かへ行ってしまうのは君ではないか。彼から愛の告白も無ければ体の繋がりしかない。会うのだって彼の気まぐれで、デートなんてものには行った事もない。
たまに彼のスーツから香る彼のものとは違う香水の匂いがした事だってあった。彼が行くと告げてから待ち侘びていたのに、次の日の朝になって用事が出来たと連絡が来て泣いたこともあった。それでも何故私が離れないのかなんて友達は疑問視するけれど、理由は単純明解。彼が好きだから。

ほんの少しでも彼の拠り所でいれるようにと思ってしまうのだから本当、損な女だ。
友達の結婚式へ行く度に羨ましくもなった。周りは段々と結婚し、家庭に入り子供が産まれたと聞けば幸せな報告の筈なのに辛くなってしまった時もあったっけ。
ああ、結婚なんて一生の贅沢言わないから貴方の特別になれたら良いのに。

私を抱き抱えて目を瞑る彼に、私はもぞもぞと体を動かし彼と向き合う。自由が効く手で綺麗な艶がかかったピンクの髪をサラりと撫でれば、彼は私を抱く腕に微かに力が入った。

本当は聞きたいことが沢山ある。でもそれも彼にとっては聞くだけ無駄であり、面倒臭い事に過ぎないだろう。だったらせめてこれくらい、これぐらいなら、許されるかな。面と向かって伝えられない分、寝ている彼へ小さな声で私はポソっと呟いた。

「好きだよ、はるちよ君」

私の思いを初めて彼に伝えた瞬間、寝ている筈の彼がピクリと動いて抱いていた腕を離したと思ったら一瞬。彼は私を見下ろすように私の上に覆いかぶさった。

「ハッ、やっべぇなぁオイ。いつからそんな可愛くなっちまったの?」
「え!あ、いや、えっと、え!?」

確かに彼は寝息を立てていた、と思う。まさか彼に聞かれていた何て想像だにしなかった私は頭が真っ白になる。

「あ、えっと、違う!その、違くてングっ」
「ん〜?」

彼の腕の中で慌てふためく私に彼は「真っ赤じゃね?」と意地悪く私の頬をむぎゅっと大きな手で掴むから、変な顔になってしまう。

「俺も好きだワ。ばぁか」
「ん"んっ」

そのまま彼は私にキスを落とす。ちゅうっと私の突き出た唇を優しく吸って離れた彼はまた笑っていて。その顔は私の間違いで無ければ何処か嬉しそうで。
彼は体制を変え、私の横で肘をベッドへ着いて自分の頭に手をやる。私はと言うと彼の言った言葉が夢なのか、夢じゃないのか頭で整理がつかない程に錯乱状態を起こしていて、彼を見るのが精一杯だった。
しかし、彼は私に不意打ちを仕掛ける。空いているもう片方の手で私の左手を取り、薬指を噛んだのだ。

「いっ」

甘噛みとは言えど、鈍い痛みが指から脳内へと伝わって私は軽く顔を歪めた。口を離せば小さな赤い噛み跡が付いていて、彼はそれを見て満足そうに微笑む。

「結婚しちまうかぁ?」
「…はい?」

嘘でしょと言わんばかりの私の表情を読み取り、彼は「嘘でこんなん流石に言わねぇワ」と口を繋ぐ。

「口パクパクすんな。魚みてェ」
「だってっ、だって」

この状況下で上手く言葉に出来っこない私に、春千夜君は私の頭を撫でる。普段はあんまりこういう事しない癖に、本当狡い人だ。

「私達、付き合ってなかったよね?」
「あー、でもまぁ似たようなモンだったろ」

ちがう、全然違うよ春千夜君。私と彼の解釈違いは今に始まった事では無いけれど、度々晒される彼のクレイジーな思考回路は私を戸惑わせる事が大の得意だ。

「…前に他の女の人の匂いした」
「あ"?んな訳ねぇだろ。お前で手一杯だわ」

眉を下げつつ、ちょっと不機嫌になる彼はまだ私の頭を優しく撫でる。初めて聞く彼の本音に私は唾をゴクリと飲み込んだ。

「ソレ、多分仕事の付き合いでキャバかなんかだろ。そもそも他の女相手した後、別の女に手ェ出し行く程若くねぇ」

馬鹿かてめぇと私の頭を撫でていた手を止め、彼の指がコツンとおでこを小突いた。いたい。
地味に痛がる私に眼をくれず、春千夜君は私の服の中に手を伸ばし胸を揉み出した。
若くないってらしくない春千夜君の言葉と小さな快感に、私は声が笑っているのか嬌声か分からない声を漏らす。

「ンッ、でも…前みたいに約束してから一日中待たされるのは…イヤ」
「それは……ワリィ」

彼は心做しか少しだけ気まずそうに私に謝るとまた一つキスを落とす。こんな素直な彼を見るのは勿論初めてで、こんなの許すしかないじゃんかと私から今度は彼の唇にキスをする。単純な私は彼にいとも簡単に落とされてしまうのだから、恋とは本当に厄介な物だ。

「私、三途の苗字になっちゃうの?」
「ぁん?嫌ならもう一生言わねぇ」

私に拒否権が無いのを知っている癖に、私が断らない事を知っている癖に。彼はプロポーズという人生最大のイベントに対して緊張さえ見当たらず、私の服を慣れた手つきで脱がし始める。
私の首筋に舌を這わせながら吸い付く彼が堪らなく愛おしく感じ、思わずその頭を抱き締めてしまった。

「春千夜君のお嫁さんになりたい…です」
「…じゃあ明日はとびきりオメーに似合う指輪買ってやるよ」

初めてのデートが結婚指輪を買いに行くだなんて相当ぶっ飛んでるけど、それもまた春千夜君らしくて笑えてしまう。

「浮気、しないでね?」
「ハン、上等だワ。オメェこそ他の野郎に目移りでもしたら男共々ぶっ殺すかんな」

彼はどうやら本当に私をお嫁サンにしてくれるみたいです。
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