アナザー夢 | ナノ

別れたいです切実に

※女好きな彼氏の太宰と別れたくて仕方がなくなる話



あ、此奴と別れよう。

其れは突然やってきた。大好きな苺の乗ったケーキを一口頬張ったとき。女心を擽る可愛らしい形をした甘い甘いケーキに頬を緩ませながら本当に突然、いきなり急にふとそう思ったのだ。

喫茶店で女給を口説いていたのが3回、綺麗で可愛い女性に声を掛けていたのが2回、わたしと話しているのに他の女に目移りすることエトセトラ…。これは今月(本日末)に入ってからのことなので、過去を遡ればまだまだ沢山こういったことが思い返さなくとも数え切れないほどありまして。

今だってほら。女給さんに微笑みかけてる。
これさ、慣れようにも慣れない。もうワザとかなって疑っちゃう。ってか恋人が他の異性に目移りするのなんて普通は慣れないよね。

思えば出会いだって特別ロマンチックなんかじゃなかった。

「おお!麗しき可憐なお嬢さん今晩は。今宵は月が綺麗ですね。こんな夜は共に心中でも如何ですか」
「はい?」

その日の月は満月に近く、仕事終わりに空を眺めていたら声を掛けられた。声のする方へ顔を向けると、其れはもう十人中十人が綺麗と声を挙げるであろう(私的)男がその高い背を折りわたしに視線を合わせて微笑んでいた。

「こんな日はお互いが離れぬよう手首をキツく紐で縛り、そのまま川に身を投げ出すというのもまた幻想的で素敵だと思うのだけど」

こぉんな風に、と取り出したハンカチをきゅ、と手馴れた手つきで自身の手首に括り付けた彼は、顔の善いキチガイだと思った。街頭と月明かりに照らされた彼の顔は見惚れるほど綺麗であったけど、目に映るは首や腕に巻かれた包帯。然もいきなり一緒に死のうぜって人生で云われることってまずそうそうない。したがって普通ならば逃げるが正解だ。それなのに、

「っふふ、っふ…ふはっ何それ、お兄さんおもしろいんだけど!」

その日のわたしも何があったのかキチガイだった。





太宰治。わたしの恋人である。
彼は約束だけは守る男であった。出来ない約束はしないと云う方が正しいのかもしれないけれど、約束と云うものだけは守る男だった。まぁアポ無しでわたしの家に訪れるとかいうサプライズは過去何回もあったけど、それはわたしにとったら厭な事でもなんでもなく寧ろ嬉しいものだったので良しとして。例えばこの日にデートするであったり、今日家に行くよとなればその約束が破られたことは一度もない。約束は守って当たり前と云う人が大半を占めていると思うけど、わたしの過去の彼氏は約束をよく破る人だったので、当たり前じゃないのだ。こうして今ケーキを頬張っているのも、先週治くんが「キミの好きそうなアンティーク調の喫茶店を見つけたよ。来週一緒に行かないかい?」と連れて来てくれたからだ。

わたしの好きな物やチラッと話題に出したこと、其れらを全て記憶してくれているわたしの恋人は、わたしが逢いたいと云えば逢ってくれるし、好きだと云えば10倍20倍になって返ってくるわたしに大変優しく甘い恋人さまであった。

だけどもここが残念。根っからの女好き。

武装探偵社だとかこの街に住んでいて名前だけは訊いたことがあるけれど、わたしみたいな異能人間でもない奴はピンとこないし、ましてや探偵に頼むような事件だって関わることはないこの人生。まぁ何処にでもいる普通の女だし、周りに異能を使える人間がいないので彼の人間失格とか云う異能の持ち主と訊いても善く判らなかったので「へぇ、そうなんだ。凄いね!」が率直な感想であった。
そんな事よりも彼は非常にわたしの扱いが上手く…いや、女性の扱いに長けていて、「可愛い」だの「好きだよ」だの、女が喜び欲しい言葉を顔も染めずに口にするもんだから、こっちが勝手に恥ずかしくなって慣れるまでに時間が掛かる。何故ならわたしは付き合ってもう時期一年になるけれど、今でも顔を染めてしまう女であったから。

だけど治くんはわたしにだけ特別甘い言葉を吐く訳じゃない。今になって思うよ。恋人はわたしじゃなくても善かったと。

何故それを今まで気がつかなかったのか。

答えは単純明快。わたしが我を忘れるくらいこの男に恋をしたからである。治くんは優しいし完璧だけどこの約一年間、わたしは彼に愛されているなと本気で実感したのは脳裏を隈無く探してみると躰を重ねて愛のある言葉を囁いてくれているときくらいだったかもしれない。だってわたしとの待ち合わせの時間前に必ずいる治くんは「ご婦人、今日も貴女の笑顔によく似た晴れ渡る素敵な空ですね」なんて女性に話しかけてることが殆どだし。

何度わたしは「治くんひどい!」と目元の化粧を涙で滲ませただろうか。その度に彼はわたしの涙をすくい取り「そんなに怒らないでくれ給え。私の一番は君だから…うんたらかんたら」と普通の人が云えばクサ過ぎるセリフをつらつら述べてわたしの頬に顔をぐりぐりと擦り寄せる。それでその頃、というかつい先刻までどっぷり治くんにハマっていたわたしは、こうして毎回甘い言葉を吐かれる度に「…もうっおさむくんてば!」と口を尖らすだけで結局は彼の思い通りに治まるのが常だった。

我ながら莫迦だと思うし恥ずかし過ぎて胸がいたい。穴があったら入って其の儘その穴を誰かに埋めてほしい。

「今日も善き心中日和だねぇ」なんて物騒なことをのほほんと頬杖着きながら、喫茶店の窓ガラスに目をやっていた恋人は自殺癖があるらしい。最近に至っては普通過ぎていて何とも思わなくなっていたがこれ、普通じゃないわ。全然普通じゃない。治くんは逢えば必ず一回は「心中はね、一人じゃあ出来ないんだよ」とわたしの手に指を絡ませてくる男であった。心中だもんね、そりゃそうだ。

恋は唐突にやってくると前に読んだ小説に書いてあったけど、終わりも唐突だよなとフォークでぷすりとイチゴを刺す。この先こんな女好きで自殺癖のある男にわたしの人生預けて善いものだろうか。いやよくない。これが一年続いているのだ。一年続けていることを、明日明後日急に止めるなんて不可能に決まってる。というか大体、好きな人の前で本人が悲しい思いをすることをしちゃいけないじゃんね。これはつまり、わたしのことを好きじゃない証拠ではないでしょうか。…とまぁこんな風に今までの不安や不満が、急に心の水量を超えてしまったってわけだ。

「ああそうそう。今度電車に乗って旅行にでも行かないかい?貸切でゆっくり温泉に浸かり、君と蟹でも食べに行き、」
「行かない」
「…ん?」
「行かないよ。そこにいる女給さん誘えば善いと思う」
「んー…ん??」

パクりと最後に残ったケーキを食べ終えて、紅茶のカップに口付ける。治くんはというと、頬杖着いていた顔をわたしに向けて口端上げて固まっていた。

「其れは…どういう意味だろう。私なにか君にした?」
「特に何も。平常運転だよ」
「平常運転?時に君はよく判らない物言いをするね。そこが好きなところでもあるのだけど」

固まってはいても表情を変えず余裕なこういうところ、もっと初めから気付いていたらわたしは泣く理由も少なかっただろうに。恋は盲目ってマジだった。

紅茶も珈琲も、出来れば甘いものがいい。シュガーポットからお砂糖を少し拝借してティーカップに入れる。でも先刻ケーキを食べ終えたばかりだから、やっぱりちょっとこれじゃ甘すぎた。

「だからこれからは治くんの好きなように女給さんを口説いたり、そこら辺にいる女性を捕まえて好きなように旅行でも心中でもすればいいよ。あ、彼処にいる女の人治くん好きそう」
「……え」
「別れよ治くん。わたしじゃ貴方の恋人は無理」

黄褐色の瞳がほんの一瞬見開いた。一年近くも一緒に居たのにこんな顔も出来るんだって初めて知ったよ。思えば口達者の彼にわたしが勝てた試しが一度もなかった。いつもいつも上手く丸め込まれちゃうんだから、そうなる前にはっきり告げないとまた振り出しに戻る。何時までもえーんえんえんシクシク治くんと泣いてるわたしはいないのだ。

「急にどうしたの?何か毒物でも飲んだかい?」
「失礼だよ治くん。わたし自殺癖がある訳でもないし、危ないものは食べないよ。治くんじゃあるまいし」
「んなっ!云うねぇ。…でもそんなの私がいない間は判らないじゃないか。君は私がいないと危なっかしいから」
「??」

それってどういうこと??
小首を傾げるも「その顔もなんて愛らしいんだ!」と未だに別れを告げられて焦っている様子が見受けられないことから、やっぱりわたしは彼にとってそれ迄の女だったと云うことが伺える。だって好きなら焦りのひとつやふたつ、見せる筈だもん。

話が脱線仕掛けていた故に小さく咳払いして話を戻す。

「治くんてばわたしのこと好きじゃないよね」
「は?」
「何時もいつも治くんはわたしがいたって他の女の人に目移りばかりするじゃない」
「そんな事はないのだけど」
「うそ!今日の待ち合わせのときも先刻だって…。ってか逢うたびわたしじゃない女の人ばかり視てるの、ずっと厭だって言ってるのに訊いてくれないじゃんか。っもう其れが厭なの!無理!無理無理!治くん無理!わたしはわたしだけを見てくれる人とお付き合いしたいの!!」

一寸声を荒らげたせいか治くんはきょとん、とわたしを見つめる。顔は…顔は本当にとってもとってもタイプなのだ。だからその顔で見つめられるとわたしは弱い。だからそんな凝視しないで欲しい。

「一寸待ち給え。一旦落ち着くんだ」
「落ちついてるよ。でも治くんの方が落ちついてるよね!」

自分で云ってて何云ってんだって疑問が浮かんだ。
ってかさ本当に此奴はわたしのこと好きだったんだろうか。皮肉っぽく云ってみたつもりだけど治くんは焦るどころか次の一言でわたしは驚愕した。

「ふむ…」

…ふむ?

ふむってなんだ!?ふむってなに!?
ここ考えることじゃなくない?即答で「そんなことはないよ」とか嘘ひとつもつけないのかこの人!!何時もは場所関係なしに恥ずかしいセリフをつらつら吐くくせにこういう時は含み持たせるのやめて欲しい。…悔しいな。わたしはまだまだ治くんのことを知れてなかったらしい。いやもう知ろうと思わないけどなんと云うか、その。悔しいけど、なんだかその反応に諦めもつく。もうこういう人なんだと割り切るしかないし疲れた。

「…ふふ」
「へ?」
「いやね?君が百面相しててあんまりにも可愛らしいから」
「はあ???」

治くんのせいだよ!そう口にしたいのは山々だったけど、笑いを堪えきれてないのか隠す気がないのか、治くんは肩を震わしくすくすとわたしに向けて目を細めてるから意識が飛びそうだ。

「君はそんなに私のことを好いていてくれているんだなと思って…ぶふっ」
「え、待って。さっきから治くんわたしの話訊いてくれてる?笑うところじゃなくない??」
「ああ、勿論。っふ、だって私が他の女性に話し掛けるだけで胸が張り裂けそうになるんだろう?何時も君の前で女性に話し掛けるたび涙を視せるものねぇ」
「そっそんなの当たり前、」
「心配しないで。心中を共にしたいと思うのは君だけだ…っふは。こんなの唯のスパイスみたいなもので、火遊びにもならない」
「は、はーーっ?!」
「いやぁ愛されてるなァ私。まぁ私の方が君のこと愛してるんだけども」

開いた口が塞がらない。
絶対わたしの話訊いてないじゃんね。
治くんの発言ひとつひとつが斜め上過ぎてついていけないんだけど。

「いやわたしは、」
「君が厭だと云うのならもう辞めよう。私のことで頭がいっぱいになってヤキモキする君を見られなくなるのは惜しいけどね」
「えっどういうこと?」
「君のそういうお莫迦なところが好きってことだよ」
「一寸待って。厭がることをわざとしてたってこと…?」
「ご想像にお任せするよ」

至極愉しげにキラキラとした笑顔を視せる治くんを前に、自殺する訳でもないのに走馬灯みたく自分の恋愛面での生い立ちが映像として頭に流れ込んできた。

わたし、もう今年21歳。多くはないけれど人並み程度には恋愛をしてきたつもりだ。約束を守らない男もいたし、わたしのお金を盗む男もいた。その度に次こそは!と涙を流していたがそんなモノが可愛くみえる。何故なら此奴が一番ひどい。過去一ひどい。

「…わたしが同じことしてたら治くんは厭じゃないの?」
「君が?」
「うん。わたしが治くんの前で他の男の人に話しかけたり見つめてたりしたら厭じゃない?」

治くんは「うん」と考える。数秒考えて、それから一際低い声を放った。


「君に話しかけた奴ら全員、朝日を拝める保証はない、かもね」


今日は過ごしやすい小春日和のはずだった。なのに今はここが氷点下の世界かと思えるほど冷たい空気がわたしを包んだ。だってこの治くんの目、本気の目をしてる。

治くんがわたしの目の前に手を翳し「おーい。冗談だよ言葉のあやじゃないかぁ。私人扶けの仕事してるのにそんな怖いことする訳ないじゃない」なんて云ってるが勿論耳には入ってこない。

離れなきゃ!今日別れないと一生別れられない気がする!!!

そうとなれば善は急げ。バッグを手に持ち席を立つ。そうして早々に治くんから逃げようとすると呆気なく其の手は引かれた。

「う、離して!治くんとはもう別れるんだからっ」
「厭だって云ってるだろ。君は人の話を訊けないの?いいから座りなよ」
「むり!ってか話訊いてないのは治くんだし今の絶対人扶けするような顔じゃなかったよ!マフィアも吃驚して逃げちゃう顔だったよ!」
「えーっそんな酷いことを云うのかい君は。ってか勝手に別れるなんて選択肢を君が選べるなんて思っているの?」
「思ってるよ!とってもとっても思ってる!」

治くんははぁ、と深いため息を吐いた。なんでわたしが悪いみたいな雰囲気になってるんだろう。元はと云えば治くんの女好きが問題となったのに。

「…どうしたら機嫌を善くしてくれるの」
「どうしたらって、」
「別れるという考えを改めてくれるのなら私に出来ることならなんでもするよ。君が話すなと云うなら金輪際女性と話すのは君だけと誓おう。君、先刻云ったよね。自分だけを見てくれる人が善いって。君と離れたくない。君が私から離れることを思い浮かべるだけでも有り得ないし厭。……其れくらい、好きなんだ」

ぽつりと治くんらしくもなく小さく呟いた彼は何故か捨てられた子犬のように視えた。彼は大人めいていることもあればこうして子供のような一面もあるんだから、偶にどうすれば善いのか判らなくなるときがある。

でもだめ。騙されちゃだめ。
わたしだけとか云ってまた時間が経てば元に戻るに決まってる。

「別に…仕事もあるだろうし女の人と話すなって訳じゃないよ。唯、本当にわたしだけを好きなら他の人口説いたりして欲しくなかったし、」

強い意志を持って別れる選択肢を選ばなきゃまた泣く羽目になるのが目に見えてるでしょ。

「わたしのこと好きっていうくせに直ぐ他の女性に目移りするから不安になるんだよ。治くんは好きとかわたしの今一番欲しい言葉をくれるけど…重みがないっていうか、本当かなって思うときもあってそれで、えっと」

はやく。早くわたしには治くんの恋人は無理です!って云わなくちゃ。わたしは別れたいんだってば。
それなのに、なに真逆のこと云っちゃってんの!これじゃ許す方向性に転換しちゃうじゃないか。早くこの手を振りほどかなきゃ、


「判った。君の云う通りにしよう」


「あえ?」

治くんは空いた手で伝票を持つとわたしの腕を掴んだまま歩き出す。

「あっや、そうじゃなくて、」
「ん?」
「いやだからその…別れ、」
「ああ、別れないよ。別れる理由は今失くなったのだからね」

鼻歌を歌いながら会計する治くんにわたしの頭にハテナがひとつにふたつ。そんなわたしを見て「その顔誰にも見せないでね」なんて訳判らぬことを云うのだ。ほんと治くんのポイント意味不明。

そうして連れられるまま喫茶店を出れば暖かな風が吹いたのと同時に、彼は振り向きざまに思い出したかのように云った。


「君だけなんだよね。私が心中したいと云って笑って一緒に居てくれたのは。そんな君を逃がす訳がないだろう?もう悪戯するのは止めて君だけだと誓うよ。こんな愛らしい女性は何処を探しても君しかいないのだから」



とんでもない奴に好かれちまった。



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