アナザー夢 | ナノ

かたる愛は蜜より甘い

※生活が違いすぎた中也に別れを告げようとする話



帰宅時間が少し早くなるというだけの理由で、一寸ばかり治安の悪い路地を通ってズルをした日、体格の大きな強面お兄さんに絡まれてしまった。中々にしつこくて何時までも肩を掴んで離してくれない手にどうしたものかと冷や汗をいていたとき、扶けてくれた男の人がいる。其れが中也くんだ。

映画のワンシーンみたく男を軽々蹴り飛ばした姿に目を奪われて、お礼を告げるも彼は何食わぬ顔で「ああいう奴が嫌いなだけだ」と一言云って背を向ける。彼が去った後も胸の高鳴りは治まらず、経ったの数分あの一場面でこの日からわたしは彼のことが頭から抜けなくなってしまったのだった。

とは云え名前を聞く間もなく去って行った彼にこの広いヨコハマでまた逢えるなんて保証は何処にもなく。また逢いたいなと途方に暮れながら行きつけのバーで独り寂しく飲んでいたら、入店を知らせるベルが鳴り響いた。何の気なしに目線をドアへと移せば、わたしの目は大きく見開く。

「あっあの時の」
「あ?」

もう夢かと思った。だってまた逢えると思っていなかったんだもん。彼は誰か判らなかったようで片眉を下げたけど、直ぐに「手前、若しかしてこの間の奴か」と思い出してくれたから、わたしの顔には笑顔が戻った。





「付き合って欲しいです、」
「さっきから手前其ればっかだなァ。ホラ水飲め」
「水なんかより中也さんが善いですぅ」
「意味判んねェよ。マスター、此奴に水頼むわ」

善ければ一緒に一杯如何ですか、と声を掛けた自分を褒め称えたい。頷いて呉れた事が信じられず、ふわっと香水が香るくらいの距離の近さに心臓は高鳴った。そうして緊張を悟られぬようにと酒をぐびぐび煽った結果、莫迦だから加減を誤り酔ってしまってこの通り。告白なんてしてしまった。其れも情けなく、縋るように。

中也くんは面倒見が善いらしく、わたしの好きを適当にあしらいつつマスターに水を頼む。告白はあしらわないで欲しいけど、そんな気を使える彼に胸はきゅん所かぎゅんと掴まれ音を変えるばかりであった。

「手前、何時もそんな感じなのか?」
「へ?」
「だから…何時もそうやって酒飲みゃ男に好きだなんだ云うのかって訊いてンだよ」

ほらよ、とグラスを手渡され素直に水をごくりと喉へ通すけど、これで酔いが急に覚める訳もなし。呆れたように煙草に火を着ける中也くんに、わたしはきょとん、とした後とんでもないと口開く。

「ッする訳ないじゃないですか!中也くんだけですよ。…今云わないと何時逢えるか判んないから後悔したくなくて」

こんなにもグイグイ迫っているが、実際は顔からは湯気が出そうだし心拍数もこの上かつてなく跳ね上がっている。そりゃ中也くんからしてみれば一度会っただけの女に好き好き云われたらそう思うのも無理はないかもしれない。でも先刻彼女はいないと訊いたし、この好機を逃したらまた逢えなくなってしまうから今云わずとしてどうする状態である。きっと家に帰ったら酔った勢いに身を任せたことを後悔するのかもしれないけれど、逢えなくてなって云っておけば良かったと後悔するなら当たって砕けた方がきっとまだマシだ。

上目でそろりと彼を見上げる。心做しか頬が赤く染まっているように視えたのは、どうか気の所為じゃありませんように。

「中也さん、好きです。付き合いたいです。…わたしじゃダメですか?」

我ながら積極的過ぎる思いの伝え方だった。縹色の双眼にわたしが映る。彼は数秒考えて、それから吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。

「仕事であんまし逢えねぇかもしれねェけど、それでも善いなら」

その刹那、わたしは嬉しさのあまり何回も頷き嘘じゃないかと聞き返して、その姿を見た中也くんが「餓鬼みてェ」だと笑った。


この出来事を昨日のように思い出せてしまうわたしは、中也くんのことが今日も変わらず大好きで。誰にも渡したくないくらい本当は大好きで。


中也くんと付き合って一年と半年。


本日星が瞬いて視えるこの日、別れを告げようと思う。






彼は付き合うにあたって嘘や隠し事は嫌いだと職種を教えてくれた。わたしの住む世界とはまるで縁遠い話に驚くばかりで、「無理だと思うなら辞めとけ。今なら引き返せるぜ」と何食わぬ顔で云ったのだ。正直云えばマフィアなんて一括りにしてしまえば怖いものでしかない。でも其れは恋愛とは無関係だ。だって中也くんはわたしを扶けて呉れた。こんな見知らぬ人の面倒事なんて大半が見過ごすのに。そんな人に怖いなんて感情を持つ訳がない。

「何処で働こうがそんなの関係ないです。…わたしは中也くんを好きになったので」
「ハッ、物好きな女だな。手前はよ」

首を横に振るったわたしに中也くんは小さく鼻で笑う。ただひとつ思ったことは、彼女にはしてくれても彼はわたしの事を好きじゃない。その証拠に、引き返しても善いという選択肢を迷うことなく与えてくれたのだから。

だから先ずはわたしのことを知って貰うことから始めようって決めた。こういうものは焦ってどうにかなるものじゃない。其れでゆっくりわたしのことを好きになってくれたら良いな、中也くんが一日の中でわたしを思い出して呉れる日が多くなってくれたら嬉しいなって思ってた。

中也くんはポートマフィアの幹部と云うだけあって忙しい人だった。彼の云った言葉通りあまり逢えないというのは嘘ではなく、本当に逢える日が貴重だと思えてしまうくらい。それもあって逢えた日は嬉しくて嬉しくて気持ちを抑えることが出来なかったのは赦して欲しい。「手前見てると気ィ抜けるわ」とはにかみながらわたしを抱き締めて呉れる彼のことを、好きだと感じる場面は逢うたび勝手に増えていく。

ごはんを一緒に食べたり、映画を観たり、中也くんのバイクの後ろに乗せて貰えたこともあったな。同じ都市に住んでいても逢える頻度が少ないわたし達だから、小さな出来事もわたしにとったらかけがえのない幸せになる。

初めて好きだって云ってくれたとき、もう涙が出るほど心がいっぱいになってさ。もう一回云って欲しくて何度も強請ったらいい加減にしろやって怒られてしまった。初めて中也くんの休みの日にわたしも有給を取って丸一日一緒に居られた日には、帰り際寂し過ぎて「結婚して」と逆プロポーズまでしてしまったこともあったっけ。あの時の中也くんは絶対引いてた。でも「ハイハイ。いつかな」なんて無理だと云わずに頭を撫でて宥める優しさも好きだった。

とまぁこんな風にわたしは中也くんのことが好きな訳だけど、別れようと思ったのにはちゃんと理由がある。

昼間に生きるわたしと夜に生きる彼とでは、根本的に生活が違う。其れを一年半付き合って身に染みて感じた。

中也くんはわたしの思った以上に優しかったし、思った以上に大事にしてくれた。だからわたしは彼の前で笑顔でいられたし、幸せだなぁって思えるのだ。

「は?今なんつった」
「だからその…別れよって」

約二週間ぶりに会うわたしの彼氏は、少しばかり目の下に隈が出来ている。最近休みなく仕事をしているらしく、あまり眠れていないのかもしれない。責任感が強く大丈夫じゃなくても俺は大丈夫だと云っちゃう彼が何時か倒れちゃうんじゃないかと心配になる。こんなときに家に来てしまって申し訳ない。

今日を逃してしまえばまた何時逢えるか判らなくなってきっとわたしの決心が鈍ってしまう。そうなる前に、云わなきゃならない。

「ハァ…急に大事な話あるとか云って逢って早々別れてェってのは如何云った理由だ?」

頭を掻きながらため息を吐く彼に息を飲む。
中也くんは眉間に皺を寄せながらわたしが口を開くまで待っていた。直ぐに了承せずにそんな顔をして呉れるのは、嬉しいなって思ってしまう自分がいる。

わたしは気持ちの度合いが多分普通の人より重いと自負しているから、こんなときくらい其れを見せたくなくてソファに座りクッションを抱いて、笑顔を作った。

「最近、中也くんとっても疲れてるでしょ」
「あ"?」
「それでね、あまり逢えないっていうのは初めのときから判ってたし、仕事のことは理解してるつもり、なんだけど…」

口篭るわたしに中也くんはイラついたように舌打ちをし、少しばかり声を荒らげる。

「ンだよ。云いてェことあんならさっさと云え」
「……わたしと逢うの、無理してるなぁって思って」
「……」
「気を使ってくれてるのが判るっていうか。あっでも中也くんと居れるのは嬉しいんだよ…凄く。でもわたし達、普段の生活も違って、本当は躰休めなきゃいけない時間をわたしに使ってくれて、其れで、申し訳なくて、」

クッションを抱く手に力が込められる。
明るく、元気に。此奴は大丈夫だって思って貰わないといけない。中也くんは優しいから、きっと別に無理なんかしてないと云うだろう。わたしが泣かないように言葉を選んでくれる。だけど其れが辛いのだ。好きな人に無理をさせてしまう自分が本当に嫌で、どうすれば善いか最善策を考えた結果、離れることに辿り着いてしまった。

付き合い初めの頃からちゃんと頭に入れて置いた筈なのに、人間というものは実に欲深いものだと思う。ほんの少しだけでも一緒に居れたら嬉しいな、から好きを重ねていくとどうしても貪欲になってしまう。もっと一緒に居たくなって、もっと触れたくなって、もっと相手のことを知りたくなって、もっと我儘を云いたくなってしまう。其れをなるべく抑えていたつもりだけど、逢うたび疲れた顔をしてわたしの為に時間を作ってくれる中也くんを見るのが、辛くなってしまったのだ。

「中也くんにはもっときっと…わたしよりも判り合える人が似合うっていうか。…っほら!中也くんわたしと約束してても急に仕事入っちゃう時も多いでしょ?そういう時もさ、何時も絶対に埋め合わせしてくれるじゃん?それはとってもね、嬉しいんだけど…生活が違い過ぎてたなって気付いちゃって。中也くんが疲れた顔でわたしに逢いに来てくれるの、辛くなっちゃってね。ッ初めからわたしが好き好き云って無理矢理付き合って貰ったようなものだし、だからその、えっと…これ以上中也くんの時間を奪っちゃいけないなって思ったら、自分に疲れちゃって」

へへ、と笑ってみるけれど、中也くんは静かにわたしの話を訊いている。灰皿に置かれた煙草の煙が宙を舞って、何時の間にか好きになったこのにおいも、今日で最後だと思えば胸がきゅ、と痛む。

「今までわたしの為にありがとう。別れよ中也くん」

云ってしまった。もう後には引き返せない。今のわたしはどんな顔をしてるんだろう。笑えているのか泣いているのか、多分人生最大級と云えるほどブスに視えるに違いない。だからこんな顔を最後に見られたくなくて立ち上がる。

「…其れは手前の本心か」
「へ…」

それは酷く冷めた声色だった。振り向けば中也くんは真っ直ぐわたしを見つめていて、視線を逸らすことが出来ない。

「俺は知ってると思うが嘘は嫌いだ。毎日メールでも何でも好き好き云ってた奴が別れてェつーのは其れなりの理由があるとは思ってたけどよ。…手前は其れでいいのかよ」

乾いた唾を飲み込んだ。本当は、本心は、別れたくないに決まってる。だけど好きな人に無理をさせてまで付き合って貰う理由にはならない。此処でわたしが何時ものように一緒に居たいと駄々を捏ねるように云えば普段通りに戻るのかもしれない。だけど其れでは今日此処まで来た意味がなくなってしまう。

「うん。…いいと思ったから来たんだよ」
「…判った。手前がそう云うんなら別れてやってもいい」

今度こそ最後のお別れだ。自分が決めた別れである。絶対に絶対に泣いちゃいけない。でもこれ以上はわたしの涙腺が崩壊する。「元気でね」、「ちゃんと躰休めてね」と小さく口にして、玄関に向かおうと足を前に出した瞬間。


「ンじゃ、もう一度手前とヨリ戻せるように努力すっからチャンスくれよ」


聞き間違いかと思った。いや、聞き間違いだ。
だって中也くんは何時もわたしの好意に応えてくれるけど、自分からこうしたいとかああして欲しいだとか、そういった感情をわたしに見せることはしなかったから。

「え、それはどういう、」
「言葉通り。俺がどんだけ手前のこと好きだったのか全然伝わってなかったみてェだしな。丁度善い機会だ教えてやる」

吸いかけの煙草はもう灰となり、何時の間にか火は消えていた。中也くんはわたしの目の前に立つと、わたしの顔には影が落ちる。わたしを見下ろすその顔は、思い過ごしでなければ寂しそうに顔を歪めているように視えた。

「いいか、手前がもしどっかのお偉いさんの令嬢で、俺が首領に組織として婚姻を結べと云われたら好きでなくとも結婚でも何でもするだろうよ。だが手前は唯の一般人だ。無理だと思えば振るし、好きじゃなきゃとっくに関係なんざ終わらせてる。俺が手前のこと良いなって思ったから付き合ったんだよ。…無理して好きでもなんでもねェ奴にこんな時間使う訳ねェだろ。逢いたくなきゃ仕事終わりに連絡なんかしねぇし、好きじゃなきゃこうして家にも上がらせねぇ。……ンな簡単に別れるなんて云うんじゃねぇよ馬鹿が」

ぽけっと口を開けたわたしに中也くんは「こういうのは性にあわねぇ」と眉を寄せた。

「え、えと中也く、」
「あークッソ。俺これでも結構手前に逢えンの楽しみにしてたんだぜ?…でも手前は俺のことずっとそういう風に思って悩んでたんだな」
「いや、それは」
「…悪かった。気付いてやれなくて」

中也くんは悪くないのに謝らせてしまった。そんなことないと頭を横に振るうわたしは、今絶賛別れると告げたことを後悔している最中であった。こんな風に中也くんが思ってくれていることに気付けなかったからだ。その感情が言葉に出来ず、遂に鼻がツンと痛み涙が一粒零れそうになったとき、「却説、別れるなんて云ったこと後悔させてやンなきゃいけねぇな」と頭上から言葉が振ってきた。


「…先ずはそうだな。お近付きの印に、今日はとことん俺がどれだけ手前のこと好きかって教えてやるよ。…一日の中で手前を思い出さねぇ日はねぇからな」


時点、彼の爆発的好意を向けられ昇天したわたしは、もう大丈夫ですこれ以上はわたしの心臓が持ちません。別れるなんて云ってごめんなさいと謝罪をすることになる事とはまだ知らない。

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