アナザー夢 | ナノ

一寸先は恋

※ポトマ大宰
※セフレの太宰に恋しちゃった話



自分のものではないベッドの上で、自分の体温ではない温かさを感じながら目を覚ます。チュンチュンと愛らしい小鳥の囀りは、もう朝が訪れていることをわたしに気付かせた。本来ならば爽やかな目覚めですと云いたい所だけど生憎そんな晴れ渡る空のような気分ではなく、云うならば曇りに近いどんより気分だった。後悔が押し寄せてくるのを感じながら躰をゆっくりと起こす。多分睡眠時間は3時間にも満たないし、躰はずっしりと重い。オマケに未だ目を閉じている男が瞳に映れば胸の奥がぎゅう、と潰されたみたく苦しくなる。

床に散らばっている脱ぎ散らかした衣服、それと解けた包帯。今日で終わりにしようと幾度もそう思っては、思うだけで結果拒めず断れず、断ったところで彼の前では結局無意味であることをもう分かってしまっているから、何時の間にか関係を切れずにもう半年が経ってしまった。これでは仕事でもプライベートでも、それと心までもが良いように使われている召使いそのものである。

「……」

抜き足差し足忍び足というものを、この人と躰を重ねる回数が増えていく度に随分と上手くなってしまった。自分、前世は忍者なんです!とドヤ顔出来るほど音を立てずにベッドから抜け出すことが得意になってしまったので、多分今なら寝付きの悪い赤ちゃんを抱っこした後ベッドで寝かしつけすることも可能な気がする。子供いないから知らんけど、赤ん坊は寝かしつけがとても大変だと聞いたので。だってこの男は超がつく程眠りが浅い。この間なんてわたしが寝返りを打っただけで目を開けたくらいだ。それが今じゃすやすや眠りについている。

セックスして朝起きて一緒に朝食を囲みます、なんてのは恋人がすることであってわたしがしていいことではない。ここを出れば幹部とただの事務処理の関係性だ。そんな者が何時までもここに居ていい訳がないので、こうしてわたしはいつもこっそり彼の部屋を後にする。

だってわたしは彼の特別な人でもなんでもないのだから。





一年前にポートマフィアの首領に拾われた。だけど裏社会の人間、ましてや首領だなんて知っていたら絶対にわたしは頷かなかった。女の子の迷い子を探している首領を見つけ、善意で一緒にその子を探し、ウインドウショッピングをしていた彼女を無事見つけたのが始まりだ。

「とても助かったよ。何かお礼をしないとね」
「あ、其れくらい全然。気になさらないで下さい」
「ふむ…」

実はこの日、14時から事務職での面接予定だった。履歴書を持参して来てくれとのことだったが、時刻を確認すれば14時を過ぎている。終わったなと心で泣きながら悟られないよう笑顔を向ければ、彼は少し考える素振りをした後わたしに口を開いた。

「…その持っている書類は?大事な物なのかな?」
「え?ああ、此れですか?これは、」

あははと苦笑しながら面接であったことをそれとなく伝えた。そうして彼は話を聞き終えるとわたしの手から封筒を取り、わたしの確認も取らず中の履歴書をその場で眺め始めたのだ。

「ちょっ、」
「丁度善かった。私も会社を経営していてね。そこの事務処理を頼みたい」
「え?」
「そんな難しい仕事ではないから君にも出来るだろう。どうかな。きっと君が受けようと思っていた仕事と大差ない筈だ」
「本当ですか…!?」

瞬く間に明るくなるわたしの顔を見て、首領はクスクスとその場で気品な笑みを浮かべる。恥ずかしくなって口篭るも「給金は弾むよ」の一言で即刻頷いたわたしは全くもって現金なヤツである。

でも仕方ないよね。
生きていく為にはお金は必要不可欠だもん。






わたしが仰せつかった仕事は首領の云う通りまぁ事務処理で、そこのところは別に問題なかった。

…なかったんだけど。

「森さん、こんな異能も使えず何も出来ないガキをなんで採用なんてしたんです?」
「まぁまぁそう云わずに。彼女はナマエちゃんと云ってね、今日から君の書類整理を手伝って貰うことにしたんだよ」
「はぁ?余計なお世話ですよ。其れにこんな一般人にここの情報が詰まった事務処理なんか任して外にでも漏らしたら面倒事しかない」
「は?は?」

くせっ毛で色素の薄い黒髪が揺れ、片目には包帯を巻き付けた如何にも奇妙な男はわたしに向けて怪訝な表情を浮かべた。第一印象は兎に角最悪中の最悪で、歓迎していないと云わんばかりの表情を隠さない男のことを、森さんと呼ばれた首領は「太宰君」と名を呼んだのだ。

「それなら心配ないよ。さっき彼女には口外しないというサインを貰ったからね」
「へ?」
「それに太宰君ならそういうことをさせない為の教育が出来るだろう?というかそもそも君が中々事務処理を怠って溜め込むものだから、」
「まっ待って下さい!」
「ん?」

失礼だとは思うが二人の話の間に割って入り声を荒らげる。そりゃ確かにわたしは先刻渡された書類にサインをした。だけど読む時間もそう与えられず「君がここの社員になることを同意する為にサインが必要でね。内容は家に帰ってからゆっくり読むといい」なんて朗らかな笑顔で云うものだからなんか安心しちゃって、そのまま云う通りにサインしてしまったのだけど。

「あ、あの…わたしここがどんな会社なのかまだよく分かってなくてその、口外しないっていうサインなんてした覚えは…」
「したよ?ほら、ここ」

確かにしてる。数分前に自分がサインしたんだから当たり前だった。だけど此処がどんな場所が少し頭を張り巡らせると行き着く先は辞退の二文字。ムンクの叫びと化したわたしがそれを口にしようとすれば、首領は柔和な声音で「期待しているよ」とわたしの喉からでかかった言葉に蓋をした。

そんな!とお先真っ暗な就職先に肩を落とすわたしを見ていた彼が云ったこと。

「君のような人間を人は莫迦と呼ぶのだろうね」

この人とは生涯かけて仲良くなれないと思った。






「ナマエちゃーん、この書類まだ出来てないのー?」
「お茶煎れてって言ってから5分待っても出てこないんだけどー」

「はいただ今!!」

なんとまぁこの太宰さん、人使いが荒いのなんのってありゃしない。しかし人間慣れとは恐ろしいものである。椅子に座ってるだけなのに其れを仕事していると胸を張って云っちゃう太宰さんを見てもいつもの事だとしか思わなくなった。それでもって「私の云うことは絶対」を徹底するパワハラ上司の下で働くわたし自身も傍から見れば恐ろしいのかもしれない。今なら何処へ行っても働ける自信がある。でも此処を辞められない。辞めた後を考えるとホラー映画を一人で見るよりも恐いので。

「給金分ちゃんと働いてくれ給えよ」
「…あい」
「あとこれ、字が間違っている」
「くっ…すみません」

わたしときっとそう歳も変わらないであろう彼は上質なスーツを身に纏い高貴な椅子に足ごと乗っけて座り、わたしの仕事する姿を見ていつも優雅に愉しげである。そんな彼は恐れられながらもこのポートマフィアになくてはならない存在だからか、目が回る程の部下が彼の下にはついていた。

口を開けばわたしのことを下に見て悪態をついてくる太宰さんに何度悔しい思いをしたことか。我慢が出来なくてつい最近は言い返してしまうようにもなった。隣にいた中也さんに「分かるぜ!俺にはよォく分かる!その通りだよなァ!」と肩を叩かれ、「俺以外に手前くれェだぜ?幹部にンな口叩けるのはよォ」と称賛された時には見えない絆が生じた瞬間であった。それを頬杖ついて見ていた太宰さんに「二人とも仕事しなよ。ココお喋りする場じゃないのだけれど」とジト目で云われ背筋、いや全身が凍ったけども。

それから余計と仕事量が増えた気もするが、それは勘違いなんかじゃなかった。





だけどわたしみたいな世間知らずはやっぱり太宰さんの云う通り莫迦であるんだろう。

「…まだ居たの」
「あ、すみません。明日までの書類がまだ出来てなくて。終わらしたら直ぐ帰るので」

ヤバい、また小言を云われるに違いない。
そう踏んだわたしは急いで手元の書類を片付けようと必死にPCへと目を向ける。だけどいつまで経っても小言のひとつ飛んでは来ず、そろりと目を向けると驚愕した。

「だっ太宰さん大丈夫ですか!?」
「…五月蝿い」

いつも涼しい顔をしている太宰さんは何処か苦しそうに汗を滲ませているのが目に映り、わたしの躰に嫌な汗が伝う。

「誰か、誰か呼んできます」
「大丈夫だから…放っとけば治まる」
「治まるって」
「私言ったよね五月蝿いって。死にたいの?」

憎まれ口を叩かれるのにはいつものことで慣れてしまった。でもこんな苦しそうに顔を歪ませて云われても説得力は皆無に等しくて。何か毒でも仕込まれたんじゃ、そんなことが頭に過ぎると次に浮かぶのは最悪の結末、太宰さんが下手すると死んでしまうかもしれないということだった。

「…毒かと思ったけど、違ったようだ」
「…へ」
「媚薬の類、か。…興味本位で飲んでみたけれど、これじゃあ死ねないな」

興味本位で飲むなよ!と云える雰囲気はとてもじゃないがなかった。どうしてこの人は何時も得体の知れない物を試す癖があるんだろう。この間もそれで体調を崩していたのに。でもここまで辛そうに顔を顰める太宰さんを見るのは初めてだった。

「驚いた。君でもそんな顔するんだね」
「そ、そんなこと言ってる場合ですか!?せめてこっちのソファに、」
「私が瀕死になれば喜ぶかと思ったのに」

こんな状況でもわたしに悪態を着いて嘲笑う太宰さんに眉を寄せる。そりゃムカつくけど、無理難題を押し付けられたりもするけれど、自殺愛好家だし苦手だけれども、死んだら嬉しいなんてことは流石に思ってないし考えたこともなかったわけで。

「…そんなこと思ったことないです」
「へェ?…それは本心?」
「こんな時に嘘なんてつかないです」

わたしの言葉に太宰さんの瞳はほんの一瞬見開いた。其れと同時にわたしの躰は反転した。

「じゃあ、君が相手してよ」

彼の強ばった細長い指がわたしのシャツの釦を器用に外し、唇を噛み付くように奪われた。口内に無理矢理侵入してくる舌先に息も吸えず、逃れようと必死になるもこの細い躰の何処にそんな力があるのかビクともしない。

「だ、だざいさっ」
「しーっ。…静かにした方がいい。でなければ人が来てこの姿見られちゃうかもね。私は別に、構わないけれど」

熱を含んだ黄褐色の双眼はわたしを映し、こんな時でも口端を上げた彼に胸の奥がドクン、と波打った。


この日を境にわたし達の関係は大きくぐるっと変わってしまったのだ。


一回だけかと思った情事は一回ではない。
一度目、二度目。二度あることは三度あるとは言葉通りで、わたしは彼に呼ばれるたび、躰を重ねるようになってしまった。予定があると云っても手を引かれ、拒否なんてあってもないようなものだった。

「でも君は素直に私の元へと来るよね」
「は、はぁ?じゃあ帰ります!っあ、服返して下さい!」
「嫌だね。…というか君の怒った顔は逆効果って何で分からないの?もう本当素直じゃないなァ」
「よっ余計なお世話です!意味判んないっ」

ああ云えばこう云う太宰さんには口でも勝てない。元から語彙力は低いと承知の上だが、太宰さんの前だと余計と幼稚な言葉しか出てこなくなってしまう。だけどこうして誘われるのだって別に脅されている訳じゃない。結局は自分の意思で彼の元に来てしまうことは不本意ながら自分でも判っていたし、彼にもきっと其れはお見通しだ。

この頃には既に自分でも気付かない内に太宰さんに惹かれていたんだろうと思う。意地悪だし、仕事中も自分はサボっているクセしてわたしには必要以上の仕事を押し付けてくる。なのに稀の稀に幼子みたくわたしにくっついて眠ったり、何が面白いのか判らないところで表情を崩して笑ったりする彼を知ってしまってからのわたしがおかしいのだ。…本人には口が裂けても云えないし、認めたくはなかったけれど。

でも世間一般的には、こういう女を都合の良い女と呼ぶのだろう。

「…他にも相手してくれる女性が太宰さんにはいるんじゃないんですか」
「いないこともないけれど、後々が面倒でね。…私に他の女性が居たら嫌?」

認めたくなかったこの恋を本格的に認めざるおえなくなったのは多分この太宰さんの一言で、彼が他の女をわたしと同じように抱いているところを想像したときだった。

わたしと同じように名を呼んで、
わたしと同じように手指を絡ませ、
わたしと同じように太宰さんが他の女を抱く。

考えたこともなかったことを想像すると、気持ち悪いくらいの醜い感情に飲まれていった。

"いないこともないけれど"

そりゃそっか。なんで今まで気が付かなかったんだろう。太宰さんにはわたしだけじゃない。誰が見ても眉目秀麗で、彼に近付きたい女性はきっといくらもいる。中也さんだって「アイツァ面だけは良いから勝手に女が寄ってくる」と前に云ってたし。

ただ太宰さんがわたしを抱く理由は後腐れもなく欲を発散出来るからだ。何処かの組織の情報を持っている訳でもなければ、云われた事をこなす誰でも出来る仕事しか出来ない。困るといえばこのポートマフィアの情報を流されることくらいだろうけど、そんな事をしてもわたしにメリットがないことくらい太宰さんは絶対に判ってる。

胸の奥がぎゅう、と潰されたような痛みが生じた。だけどこの気持ちを絶対悟られたくないし、悟られちゃいけない。其れに自分の気持ちを自覚したところで、わたしと太宰さんがそれ以上の関係になることは見込めないことまで判ってしまった。だってわたしは太宰さんの視線を奪えるほどの異能や特技、知能さえも持ち得ていない何処にでもいるようなただの女だ。首領に拾われなければ出会うことすらなかった人。だったら普通に、いつも通りを装わなければ。

そんなわたしを知らない太宰さんはにこにこと笑みを浮かべながら返答を待っている。

「別に太宰さんが誰と寝ようがわたしに拒否権なんてないし、そんなこと云える立場じゃないので」
「…質問は訊いてた?私は嫌かって訊いてるのだけど」
「っい、嫌な訳ないじゃないですか。ってかわたし一人だけだなんてそんなこと…思ってないので」

自分で云って悲しくなった。何故自分の傷口抉ってるんだとも思った。でも普段通り、これがきっと最適解。

そう思ったのに一瞬にて室内の空気はわたしにでも判るほど重く冷たくなった。あれ?と太宰さんに視線を合わせれば、ハイライトのない瞳でわたしを真っ直ぐ見つめている。

「…あっそ。判った」

まるで興味のなくなった玩具を捨てるかのように彼はそう、呟いた。





それから次の日、昨夜の彼のことが頭から抜けず寝不足であった。休みたいのを我慢して鉛のように重たい足を動かし職場につけば、わたしは拍子抜けした。

「ねぇ、今日の夜は私の家に来れる?」
「…へ」
「嗚呼、君は二度云わないと判らないのだっけ。私の家に来て欲しいと云ってるのだけど」
「あ、いや…え?」
「それか私が君の家に行こうか?」

いやいや、そうじゃなくって。
判子を持つ手が止まれば「手は動かそうねぇ」と太宰さんの指がわたしの手に触れる。わたしは間抜けに口を開けた金魚のような顔をしており、それでもって驚き過ぎて壊れかけのロボットのようにぎこちない。何時もの彼であればこんな姿のわたしを大袈裟に笑い悪態の一つや二つ着いてくるのにそれもなく、余裕気に笑みを浮かべていた。

「20時」

返事だってしてないのにわたしが頷くことを予想してか彼は時刻だけを告げてそっと触れていた手を離す。

「???」

硬直し三秒、いや十秒。わたしは戸惑っていた。家に行こうかなんて云われたのすら初めてだし、昨日の今日でお誘いが来るなんてのも初めてのことだった。

誰だあの人。

太宰さんのドッペルゲンガーを疑った日である。

その日は心ここに在らずで、太宰さんに話しかけられる度に挙動不審になっていた。「誰ですか貴方」と口にしてしまいそうなほどに。だってあの太宰さんがめちゃくちゃ優しいのだ。好きな男のことをこんな風に云うのもなんだけど、優しいという言葉が世界一似合わない男だと思っていたのに、優しかった。

会って早々ヤることヤッてはい終わり、がわたし達のなかでは主であり、太宰さんは甘いピロートークなんて普段はしない。それなのに今日の太宰さんはわたしの頭を撫でてわたしの名を幾度も呼び、わたしを何度も求めた。それがまるでお付き合いしている男女のようであったから、こんな太宰さんに耐性のないわたしは今度は何処かで頭を打ったんじゃないかと疑った。

「そんなに何時もの私と違う?そんなことを云うだなんて酷いなあ。お仕置が必要だね」

何時も通りだった。ごめんなさい。謝罪を受けるのは太宰さんの専売特許なのでわたしはそれ以上口を噤んだのだった。

そうして冒頭に戻る。
結局わたしは好きだから故に彼の自宅へと出向き朝を迎え、こっそり朝帰りし身支度を整えて社へと歩を進めた。多分昨日の一日が太宰さんと出会ってから一番パワーをある意味使った日でもあった。

だけどその日、社で顔を合わせた太宰さんの機嫌は頗る悪く、昨日の彼は微塵も残っていなかった。情緒不安定なのかと思えるほどに空気は始終重たくて、太宰さんに話しかけるのも緊張が走るくらい。早退したいと心の中て叫んだが、悲しきことに仕事は仕事で割り切らなきゃならない。結局こんな私情で早退が出来るわけもなく、そもそも早退するならば太宰さんに伝えなきゃならないのに気が引けて諦めた。

そうしてわたしが受け持っている仕事は太宰さんの書類整理である。その為太宰さんが幾ら機嫌が悪くても話さないなんてことは出来なくて。

「っ太宰さん、ここサイン書いてくれないと提出出来ないんですってば」
「あーもう、一々声が大きいんだよ君は。もう一寸静かに出来ないものかね」
「なっ、昨日から云ってるのに一向に書いてくれないからです!」

めんどくさーい、やりたくなーいと嘆く彼に無理矢理ペンを持たす。とても昨日一緒に夜を過ごしてましたなんて雰囲気は何処にもない。

「よォ。今日も性が出てンなァ」
「あっ、中也さん!」

このどす黒い空気が纏う室内に現れた救世主。わたしの顔は瞬く間に明るくなり、そんなわたしの頭をポンと撫でた彼は「太宰の世話頑張ってる褒美だ」と小さな紙袋を手渡ししてくれた。最近彼はわたしに何かと気遣ってくれる。多分、太宰さんの件で苦労していると思い労わってくれているのだと思う。中也さんがくれた紙袋の中身を覗けば、ずっと気になっていた最近出来たばかりのお菓子屋さんのクッキー缶で、つい顔が綻んでしまった。

「わぁ嬉しいです!ありがとうございます」
「おう。太宰の奴に食われねェようにしろよ」

キラキラとした目を向けて中也さんと会話を繰り広げていれば、わたしの持っていた紙袋はひょいと取り上げられた。

「あっちょ、太宰さん」
「うわ最悪。何しに来たの。今中也の顔見たくない気分なんだよね。其れにこの子の世話してるのは私だよ?訂正し給え」
「手前ェが来週の件で此処来いって俺を呼んだんだろうがよ。つか其れはクソ太宰、手前にあげたもんじゃねェ!」
「えー…そうだっけ?あ、ここの店今噂になってるとこじゃないか。ここのクッキー食べてみたいと思っていたのだよ。いやァ中也は凄いねー。私の食べたいものまで判るのか」
「あ"あん?ンなの知らねェよいっぺんマジで死ね!今すぐ死ね!!」

二人の言い争いは日常茶飯事で、わたしが来る前からもそうだったらしい。太宰さんは中也さんとわたしが話していると必ずといっていいほど間に入ってくるので、今ではもう慣れてしまった。

「つーかなんだァ?何でコイツこんな機嫌悪ィんだよ」
「あ…とわたしにも判らなくて」
「手前ェも大変だなァ此奴のこと理解すんのはよ。…あ、ンじゃ俺ンとこ来るか?」
「へ」
「手前の書類は何時もミスがなくて見やすいって首領が褒めてたぜ?手前がいてくれりゃ助かる」

太宰さんは未だぶすっと席に座り頬杖ついている。そんな彼を見兼ねた中也さんはわたしのことを小声で褒めてくれた。例えこの場限りであったとしてもその彼の優しさに、何だか鼻はツンと痛み涙が出そう。だけど地獄耳なのか太宰さんの耳にはこの会話が届いていたらしい。

「そんなこと出来るわけないし許す訳がないでしょ。彼女は私専用の事務処理にと森さんが態々採用したのだからね」
「はァ?だったら毎回毎回ンな下らねぇことで突っかかってくんじゃねぇよ。一々腹立つな手前はよォ!」

火花が散りそうなほどバチバチの空気に頬は引き攣るばかりだ。太宰さんは怒っているし、其の理由も判らないし、中也さんにも折角来てくれたのに申し訳ない。どうするべきかと考えあぐねていると、太宰さんは大きなため息を吐いた。

「はぁぁ…君は私がどうしてこうなっているのか本当に判らないの?」
「えと、しっ仕事が遅い…からですか」
「違う。そんなのは何時ものことだ」

速攻で指摘されてしまい口をぎゅと結ぶ。
幾ら考えてもこの短い時間では答えを見つけることが出来ない。それでもどうにかしてこの場を納めなきゃと頭を抱えていれば、諦めたように太宰さんがぽつりと口を開いた。

「…君は何時も中也ばかりだ」
「へ?」

わたしの口から半音飛んだ声が漏れると同時に、中也さんからの口からも聞いたことのない声がした。

「いやそんなことは、」
「ある。君は中也のことになると嬉しげに声が弾むし、善く笑って楽しそうだものね」
「は、え、んん?」
「先刻も焼菓子ひとつで偉く喜んで、中也の誘いに目を輝かせていた。…私にはそんな顔、ひとつとして見せないくせに」

其れはまるで幼き子供のよう。掠れた声で呟く太宰さんはわたしの知る太宰さんではなかった。この先どうすれば善いのか判らず手探りで心の内側を伝えようとしている彼に呼吸、いや心臓までもが止まりそうになる。だってあの何時も一手二手先まで見据えている彼がこんな切羽詰まるところなんて想像も出来ない。

「今日だってそうだ。…この間私に他の相手がいても嫌じゃないと君は云ったよね。これだけの時間を君ひとりに費やしたのに、君は私を見ようともしない。じゃあ優しくしてみようと私なりに随分愛でたつもりなんだけど、私のことを別人だとか何とか疑って朝も音を立てずに帰ってしまうし、私と居ても悲しげな顔ばかりしてる。…其れなのにノコノコやってきた中也にだけは笑顔を振り撒いて…ほんっと君を見ていると不愉快だ」

顔を見られたくないのか背ける彼の表情を目で追うと、わたしの口元は自然と緩んでしまうのを隠せなかった。そうしてわたしは思うと同時に其の言葉を口にする。

「そ、それってヤキモチ…ですか?」

その刹那、太宰さんは訳が判らないと云わんばかりに瞳を見開いた。

「は、はぁ?ッ私がそんなの妬く訳ないだろ其れも君に!なんにも出来ない君なんかにっ」
「でもわたしが中也さんと居るの…嫌ってことですよね?」
「そんな訳ッ……」

押し黙った太宰さん。写真に納めた方が善いと思えるくらいレアな顔付き。そんな顔で違うと云われても、わたしにでも無理があると云えるほど今の太宰さんに余裕が伺えない。

だからわたしから云うのだ。
何時もわたしは太宰さんに口では勝てなくて悔しい思いをするけれど、今日に至ってはわたしの負けで善い。

「わたしの好きな人は太宰さんですよ」

太宰さんの手をそっと握る。
我ながら生まれてこの方男性に自分からこんな積極的になったことがないので、かなりの羞恥心がわたしを襲い顔には熱が集まりだす。

「太宰さんに他の女性が居たら嫌かって訊かれたとき、本当は想像しちゃってとても嫌でした。太宰さんはわたしのことそんな風に見てくれているなんて思ってなかったので強がっちゃって。…でも、ふふ。そうですね、先程まで何でこんなに意地悪だったり優しくなったり怒ったりするのか判らなかったんですけど、その理由が判っちゃいました。…太宰さんて本当は可愛い人だったんですね」

何となく太宰さんと云う人は、今までにあまり人を好きになったことがないのかもしれないなって思ってしまった。この社会に置いて頭が切れるし知識もあって、地位も高く彼に適う者はきっとそういないだろうけど、恋愛になれば話はまた別で。

太宰さんは人を動かすのがとても上手な人だ。だから今迄彼のことを好きだと云った女性は皆大概自分の思う通りに動いてくれる女性ばかりだったのだろう。だけどそれが今上手くいかなくて、どうしたらいいのか判らないのだ。

そんな風に思ったら、なんだかとても今迄の彼が途端に可愛らしく見えてしまったのだ。わたしも大概である。

だがしかし、きゅんと高鳴っていた心臓はバクバクとした音に早変わる。そしてわたしが次に出た言葉は「ひぇ」と小さく震えた声だった。


「…成程ね。うん、そうだ。私はどうやら君の云う通り好きになってしまったらしい。…でも私にそんな可愛いなんて云える女性は君が初めてだよ」


その笑顔はマフィアの幹部に正しく相応しいと呼べるくらいの真っ黒な満面の笑みだった。




◇◇◇◇

「おい芥川。今この部屋入ンのは止めとけ。死にたくねぇならな」
「は?…それは何故。…ッ若しや太宰さんの身に何かあったのでは!」
「早とちりし過ぎだバァーカ。此処が何処か判って云ってんのか?…手前が行きゃ即刻殺されるか死ぬかの二択しか残ってねェから辞めとけって云ってんだよ」
「其れは同じ意味では…?」
「いーから持ち場に戻んな。っとに何で俺が人払いしなきゃなんねェんだよ。見たくねェもの見ちまったしあの野郎、何時か絶対ェ殺す」

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