アナザー夢 | ナノ

大好き過ぎると再確認


※大佛ちゃんに自分の愚痴みたいなものを聞いてしまって、そもそも好きだと言い合ってからの交際じゃなかったから神々廻って私のこと好きじゃないよね?と気付いてしまった話




「神々廻さんてナマエさんと付き合ってるんだよね」

なんて偶然なバッドタイミング。
別に聞き耳立てるつもりなんかなかった。上司に頼まれた書類を持って行こうとした際に、聞こえてきたのはわたしの彼氏とその後輩である大佛ちゃんの会話。

「唐突やな。急になんなん」
「あまりナマエさんの話聞かないから」
「わざわざ話すこんでもないやろ」
「ちょっと興味ある。付き合うってどんな感じ?」

二人の話し声が聞こえてきたものだから咄嗟に隠れてしまった。別に悪いことしている訳じゃないのに、わたしの話をしていると分かってしまったら体が勝手に身を潜めるように動いてしまったのだ。

「あー…別に普通や普通」
「普通…?でも付き合って長いって前に南雲さんが言ってた」
「アイツ勝手に何言うてくれとんねん。そりゃ知り合うてから換算すりゃ結構な年数になるとは思うけどな」
「ふぅん?」
「聞いといてその返答おかしない?お前と付きおう男は大変やろな!」

引き返した方がいいのかもって頭の片隅で思いながらも、体はその場で硬直したまま二人にバレないように壁に背をつけ息を小さく吐く。もし平然を装って二人に顔を出すなら今のタイミングしかなかったと思う。別にこういった話くらいなら話題の一環で出てもおかしくはないし、悪いことじゃない。なのにわたしは未だその場から動けないでいた。神々廻は普段からわたしに気持ちをあまり伝えてくれるタイプじゃない。だから本音を言えば少し気になってしまって。惚気を人に言うタイプでもないのは分かっているけれど、普段聞けない本音が聞けるかもって思ってしまったのだ。

でもそれがいけなかった。

「…まぁアイツ素直やないし、時々何考えてるのか俺でも分からへん女やで。お前ほどやないけど」
「そうなの?」

神々廻の呆れた声音が耳へと届いた瞬間、襲ってくるのは気持ち悪いくらいの動悸。やっぱり隠れて人の話を聞くなんてしていいことじゃない。それが彼氏となれば尚更だ。自分で知りたくて聞いてたくせに、頭が鈍器で殴られたような衝撃に息が一瞬吸えなくなったかと思う程に苦しくなって、思わず口に手を当てた。


「俺の誕生日にハンマープレゼントする女やで。あん時は流石に反応困ったわ。おもろ過ぎやろ」


あ、わたし変におもしれー女認定されてる。
頭と心臓を鈍器で殴られナイフで滅多刺しされた気分でHPは0所かマイナスだ。流石のわたしもその場にいる気力はもう残ってない。

渡さなきゃならない書類のことなんか忘れて音を立てないように踵を返す。思い出深いJCC時代で学んだ暗殺技術がこんな場で役に立つとは思わなかった。







社の殺風景な休憩室で、ほんの短期間の間に仲良くなった人がいる。それが神々廻だった。初めは挨拶程度であったけど、休憩時間が同じだったのか何度か顔を合わすようになり、缶コーヒー片手に軽く世間話する仲になるまで時間は掛からなかった。一日のなかのこのたった数分が、いつの間にかわたしにとっての楽しみになっていて、休憩を取る度に彼がいやしないかと目で探してしまう日々。サバサバしていて、お互い干渉し過ぎず、話しやすい。気が合うってこういうことを言うのかもなんて思っては、そういえば何処の部署の人なんだろうとわたしよりも随分と高い背を見上げながらそんな事をのほほんと考えていた。

しかし社用PCの画面を見たわたしの目はそれはもうデメキンの如く飛び出すかのように見開いた。タメ口聞いて烏滸がましい。呼び捨てなんてしてゴメンなさい。画面に映るは殺連上層部からの社報である。なんとわたしが話していた彼は殺連直属特務部隊、新たにORDERへ加わった人であったのだから。

「その神々廻さんてやめぇや。いつもみたいに呼んだらええやろ」
「いやでもまさかORDERだとは思いませんでしてぇ…今まで何も聞いてなかったですし…はは」
「最近まで書類記入とかせなあかんくてココ来てただけやからな。正式に入ったの昨日からやねん。聞かれへんかったから言わんかっただけで別に隠しとった訳やないで」
「は、はぁ…」
「ってか急によそよそしいの勘弁してや。その敬語も。普通でええ普通で」

タラタラタラタラと冷や汗をかいているわたしを他所に、神々廻は息を小さく吐くといつも通りに自販機のボタンを押す。そしてそのまま缶コーヒーを取り出して「ほれ」とわたしに差し出した。

「ありがとうございます…」
「ソレ、苦手や言うとるやろ」
「うっ…じゃあ、お言葉に甘えて。…神々廻で?」
「おー。その方がしっくり来るわ。ってかなんで疑問形やねん」

神々廻が薄く笑ったその瞬間、何度か会話したことがあるにも関わらず、胸が一度大きく音を奏でた。

「…なんやその顔」
「あっ…!い、いや!?別になんもないよ!」

不信げに眉を寄せる神々廻に慌てたせいで声が裏返る。神々廻はゲェ、と何か言いたそうにわたしを見ていたが、反応することすら億劫に感じたらしくそれ以上は何も言わずに休憩室を出て行ってしまった。
一人でいるには広すぎる休憩室にぽつりとその場で約三十秒。それでもわたしの動悸は治まりきらず、自分のデスクに戻った後もその状況は変わらない。仕事中も急に神々廻が脳内に浮かんでくるものだから困ってしまった。

その日以降、神々廻と会える機会はかなり激減してしまったが会う度心臓を鳴らすことが増えてしまった訳でして。

しかしこれが恋だと気付いたところでわたしと神々廻は進展という名のしの字もなかった。わたしが片思いをしているというだけで、そこから何年もこの変わらない関係を続けてしまったのだから、拗らせ過ぎてお手上げ状態にも程がある。少女マンガの主人公であればもうとっくにハッピーエンドを迎えてる筈だ。だけど勿論わたしは主人公ではないので現実は厳しくそう上手く進む訳がない。恋愛下手なわたしには恋愛面での立ち回り方が分からず毎日を過ごし、会えたら御の字、今まで通りを装って意識していない風に見せてしまう自分に呆れて苦笑する日々を送っていた。

告白するタイミングはこの数年間で何回かあったと思う。会えば声を掛けてくれるし、たまにラーメンを食べに誘ってもくれる。だけどわたしは好きだと伝えることが出来なかった。でもこれには訳がある。数年思いを寄せてきてなんだかんだの友情関係を築き、今更勇気を振り絞って好きだと言葉にして振られたら、これからどんな顔をして会えば良いのか分からないし立ち直れる自信がなかったのだ。

だけど些細なことでこの関係性は一変する。
わたしがあまりにも気になってどうしようもなかった神々廻って彼女いないの問題。これくらいなら聞いても悟られないだろうと前回それとなしに訊いたとき、彼と同じくORDERの南雲さんが「なんの話?」と間に入ってきた為に逸らしてしまった話題だ。それを今回自然体を装って訊き直したのが始まりだった。

「…つきおうてみる?」
「へ…誰と、誰が?」
「誰って、この場に俺とお前しかいいひんやろ」
「それはそう、だけど…え?」

神々廻の言葉に頭の処理能力が上手く働かない。
だっていないと口を開いた神々廻に心の中で胸を撫で下ろしてからの「神々廻は彼女作らないの?」発言で、こんな流れになるだなんて予想出来る訳ないじゃないか。んな話どうでもええやろとか言って適当にあしらわれるかと思っていたので、唐突な返しに思わず子供のような対応をしてしまった。何回も何回も聞き返すわたしに「冗談やないって」とこれまたいつも通りの声音で返されるから余計と信じられず口をパクパクと開けてしまう。今まさに男女が付き合う過程とは到底思えないこの空間に、わたしの心臓の音だけがうるさいくらい鳴り響く。

「待って…えっマジ、ですか?」
「何回待って言うねん。お前とおるの気ィ使わんくて済むから楽やろなって思っただけやわ。まぁ他に相手おんねんなら話は別やけど」
「いっ…!」

…るわけないです!寧ろわたしの好きな人はずっとずっと前から目の前のアナタです!そんな気持ちを込めて首をブンブン横へと振ると神々廻がわたしに向けて目を細めた。その何を考えているのか分からない表情に、今度はとてつもない羞恥心に駆られて顔が途端に火照りだすのを感じる。なんだか神々廻の反応が逐一わたしの心を見透かしている気がするし、なにより神々廻が笑った顔にわたしは滅法弱い。

「んじゃ、そういうことで。よろしゅう頼むわ」

それを肯定と捉えたのか神々廻は大きな手のひらでぽむ、とわたしの頭を一度撫でた。その瞬間、辛うじて生きていた思考回路は停止する。え、わたし神々廻の彼女になれたの?って。

何年も思いを馳せていた彼との関係性が今日急に180度変わり、神々廻の背を見ながら自分はもしかして死んじゃったのかもしれないと死を疑った。人間死ぬときには都合のいい幻覚を見る場合もあるという話を聞いたことがあったので。

その日は思春期の中学生が初めて彼氏が出来たかのように眠れなかったし、思い出しては枕に顔を埋めてキャアキャア騒いでいるわたしが爆誕してた。

これがまだ記憶にそう遠くは無い神々廻の彼女となった日のはなし。






「えー…泣きそ」

家に帰宅してぽつんと独り言を零すと余計と虚しくなった。冷蔵庫に直行してその場で缶ビールのプルタブに指をかける。ごくごくと勢いよくアルコールを口にするけれど、嫌なことってのは簡単に頭から消え去ってはくれないし、寧ろ頭は酔い出しても神々廻の言葉はリアルに思い出すのだ。

「…プレゼントは…神々廻がいらんいらん言うから使えるものあげただけだっつーの。…凄い悩んだのに…ばーか」

そりゃわたしでも正直思ったよ。誕生日に武器ってどうなのかなってさ。でも神々廻って物欲があまりないのだ。ないというか、さりげなく聞いたって欲しいものは間に合ってると交わされてしまうのがいつものオチだった。あの日もネイルハンマー渡してめちゃくちゃ笑われたけど、「丁度新しいの買おう思っとったねん」なんて言っててさ。アレ、気を使わせちゃってたんだろうな。ネックレスは付き合ってすぐの初めての誕生日のときにあげてしまったし、ペアリングなんかは女からあげるのってなんだか重い気がして引けちゃって、服とか靴も考えたけど好みもあるだろうからと悩んだ結果がこれしか思いつかなかった。もうバカみたく恥ずかしいし死にたい。一生家から出たくないくらい。やり直せるならやり直したい。…もう遅いけど。

"出来ない約束はせぇへん"

これを言われたのは付き合ってどれくらい経ってからだったっけ。多分、二ヶ月か三ヶ月くらいだと思う。

それはそうだ。
殺連の経理課で働くわたしですらここへ入社するときに渡された数枚の書類は生命に関する同意書と、死んだ後に関するものばかりであった。神々廻の腕は確かなものだと分かってはいても、死と隣り合わせの仕事をしているのだから、神々廻がそう言った意味も理解しているつもり。殺し屋と付き合えば、よくある話だと思う。

だからわたしはなるべく神々廻の負担にならないように我儘を言わないよう心掛けた。自分から会いたいだとか、もっと一緒にいたいとか、そう言った感情を抑え込んで彼がわたしに会おうと連絡くれるまで待つ女となったのだ。勿論神々廻はわたしの予定がないことを確認してくれるし無理強いはしない。そんなところも、神々廻の好きなところのひとつでもあったけど。
とはいってもわたしは出来ればいつでも神々廻に会いたいので、余程の予定がなければほんの少しの時間だろうが夜遅い時刻になろうが頷いてしまう。付き合ってなければ都合のいい女認定されてもおかしくないかもしれない。同じ職場だとて部署も違ってORDERともなれば毎日会える訳じゃないし、出張なんかが重なれば一ヶ月会えないなんてざらにある。そんなときはかなり寂しくなっていつ連絡が来るかな、なんてソワソワしながら待ってしまうのだけど、今日の話を聞いちゃって納得。会いたかったのはわたしだけだったみたいだし、彼からすればわたしは何考えてるか分からない女だったようだ。






時計の秒針がカチカチと音を立てる。
テレビでも着けようかとも思ったけれど、知らない誰かの声すら聞く気分になれずもう何本目かの空き缶を机に投げ置いてベッドにダイブした。

…そもそもわたしって神々廻から好きって言われたことがないんだよなぁ。

あの頃のわたしは神々廻と付き合えると分かり長年片思いをしていた分めちゃくちゃ喜んでいたけど、お互い好きだと確認し合ってからの交際じゃなかったから不安はぶっちゃけ当初からあったワケで。

いつか神々廻の口から好きって言って貰えたらいいな、言って貰いたいな、なんて思ってたけどさ、マジでわたしバカ。言って貰える訳ないじゃんね。

わたしは神々廻の気怠そうにしながらも人の話をちゃんと聞いて覚えてくれているところが好きだ。さらりと靡く金髪の髪の毛は触れたくなってしまうし、顎の傷跡ですら色っぽくみえてしまうときがある。たまにその髪を括っているところに胸はときめいて、ちょっと冷たく感じるときもあるけれど実は情に厚いところだったり、わたしが落ち込んでいると駅前のケーキを買って来てくれる優しさだとか、もっともっといっぱい好きなところがある。それを重くならない程度に伝えるんだけど、神々廻はわたしから視線を外して「何言うとんねん」と話を逸らすのがお決まりだった。だけどその時の神々廻の表情が少し照れていたようにも思えたから、言葉にされなくてもこれが彼なりの返事なんだろうと都合よく解釈してしまっていたのだ。我ながらとんだプラス思考である。

現在進行形で会えば会うほど神々廻のことを好きになる。しかし考えてみれば神々廻は付き合った頃からなんら変わりがない。ちょっと優しくなったのかな?くらいだ。わたしと神々廻の性格的にラブラブいちゃいちゃというようなノリはなく、どちらかといえばあっさりとした友達みたいなカップルだったと思う。十人十色と言葉があるように、1カップルそれぞれ色々なカップルがいたっておかしくないし不満はない。現にわたしは神々廻といられるだけで楽しかったし幸せだった。だけど、神々廻はどうだったんだろう。

久しぶりに1日一緒にいられて喜ぶわたしとは対称的に「お前のテンション何処から来とんねん。元気やなぁ」と疲れた顔でため息を吐かれたり、二週間ぶりに会えた夜でも「朝早いから今日は帰るわ」と帰りのキスさえしてくれない神々廻。思い切って好きだと口にしてみた日の返事は「おー。おおきに」である。

今頃になって思う。おおきにってなんだ。
普通好きだと思ってくれてるんだったら「俺も」くらいは返してくれてもよくない?

…やっぱり神々廻はわたしのこと好きじゃない。
そう頭で理解してしまうと今までの自分の行いに顔から火が出そうなくらい恥ずかしいし、わたしが神々廻のことをとても好きな分だけ余計とタチが悪くて惨めである。

「……あ」

スマホに着信を知らせる為の音が部屋に響きハッとする。スマホを手に取ると目を見開いた。着信相手が紛れもなく神々廻だったからだ。

出ようか迷ったけど、こういう時に限って中々着信が切れないのは何故なのか。ごくりと息を飲み親指でそっと通話ボタンをタップする。

「…もしもし?」
『おーお疲れさん。電話中々出ぇへんかったけど寝てたん?』
「ううん、寝てないよ」

通話口から聞こえる声色は当たり前だけどわたしの大好きな神々廻の声だ。だけどその普段通りの神々廻が今のわたしにはキツく感じて胸が苦しくなる。

「…なんか、用だった?」
『あーいや別に?仕事が思いの外はよ終わったから暇ならお前の顔でも見に行こぉ思ったんやけど』

いつものわたしであればふたつ返事で頷き、喜びながら部屋を急いで掃除するだろう。だけど流石のわたしもあんな話を聞いてしまったら喜べなくて、唇をきゅと噛み締めた。

「あのさ……聞きたいことあるんだけど」
『ん?』
「神々廻って、その…わたしのこと好き?」

本当はもっともっと早く聞かなきゃいけなかったことを、アルコールの力を借りて聞くわたしは狡いだろうか。

返事を待つ時間がこれ程までに長いなんて感じたこときっとそうない。胸はドクンドクンと音を立てて、吐きそうなくらい緊張してた。ほんの少しの期待に手だって震えそう。

お願い。好きって言って。

だけどそんな思いも虚しく、神々廻の返答はわたしの目の前を真っ暗にするものだった。


『なんや急に。ンなこと聞いてどうするん?』


あ、ダメだって思った。終わりだなって思った。

聞いてどうするって、そんなこと普通聞く!?この人は好きと言われることがどれだけ安心して嬉しい気持ちになれるかなんて知らないんだ。ってかそっか。好きじゃないから言えないんだ。
神々廻にとってのわたしという存在が完全にどんなものか分かったら、ストンと腑に落ちた。

『ってか自分調子悪うない?いつもと違う気するんやけど。なんかあったん?』
「…つに」
『あ?』

決して逆ギレした訳じゃない。お酒のせいでと言うつもりもない。ただ今まで蓋をしていたものが我慢出来ず溢れてしまっただけだ。

「っ別に何でもないから!!」
『っ、なに怒って、』
「ってかもうわたしに連絡しなくて大丈夫!わたしからもしないのでっ!今までありがとう楽しかったよサヨウナラ!!」
『はっ!?ちょ、おまっ』

神々廻の声を遮り電話を切る。そしてその指でスマホの電源を落とした。そうして真っ暗になった画面を見て息を大きく吐く。呆然としたまま横になり、部屋の天井を意味無く見つめては呆気なく終わった恋人関係に鼻がツン、と痛み出した。

終わっちゃった。…こんな簡単に。

明日の朝になったら後悔するのかもしれない。だけど感情が抑えられなかった。結局のところわたしは片思いをしていた頃からずっと一方通行で、それに気付かないように今まで振舞っていただけなんだからと自分で思うのに、今日一日の出来事をすぐ忘れることなんて出来そうにない。

神々廻のことをこれ以上考えたくなくて、今度はテレビをつけてまた一本缶ビールを冷蔵庫から取り出した。今日も明日も平日。明日仕事だろうが知らないし、今日は飲まなきゃやってらんない。

冷蔵庫にあるビールをある分だけ飲んで飲んで、少し泣いて、また飲んだ。

それでもいくら酒を飲んだってぽっかり胸に穴が空いたような感覚は全然元通りに塞がらず、帰りにコンビニへ寄って買ってきたおつまみは、到底食べれそうにもないけれど。






たったの一日。まだ別れてから数日も経ってない。なのに自分で別れ告げたくせに心境はズタボロで、今日のわたしの顔面は過去一悲惨。メイクのノリは非常に悪く酒を飲んで泣いたからなのか目が腫れてコンディションはかなり最悪。これでも起床した頃よりはマシになった方だ。寝起きの自分を鏡で見たときには休もうかと悩んだもん。

しかしわたしの私情がどうであれ、仕事はいつも通りこなさなければならないのが社会人の辛いところである。空いた時間が出来てしまうと元となってしまった彼氏のことを思い出してしまうので、忘れるように今ある仕事をこなす。忙しければ忙しいほど考える時間が減るから、後輩の仕事もわたしが出来るものは受け持った。

「なんか今日の先輩頼もしいッスね!」
「ありがとう。…あんまり顔見ないで」
「ォッス!!」

後輩は珍しいと言わんばかりの表情を隠さずわたしの顔を覗き込む。それを適当にあしらってなるべく誰とも目を合わせないように仕事をした。

昼頃になれば目の腫れも大分マシにはなったけど、早く家に帰りたいと何度も時計を確認してしまう。今頃神々廻はわたしのことなんか忘れて元気に仕事に励んでいるのかもしれないし、もしくは昨日のわたしの対応に腹を立てご立腹かもしれない。それを考えるとまた心は痛むが、でもまぁ普段からこの課に神々廻が訪れることはそうそうないし、この課から動かなければ余程のことがない限り会わないはず、


そう思ったのだ。






「ナマエさん、コレって経費で落ちる?」
「あー…え??」

業務終了まで後約十分。小首を傾げてわたしの元に一枚のレシートを持ってきた彼女に目が点となる。目の前のレシートに目を移せばそれはお菓子とお菓子とお菓子であった。

「…こ、れは自分用…ですよねぇ…?」
「え?うん。仕事終わらせて車の中で食べたの。就業中だから、落ちるのかなって」
「あ…ッスねぇ、それは経費じゃ落ちない、ですねぇ?」

大佛ちゃんよ。その天然さはとても可愛らしいとは思うけど、事業に必要ないものは落ちないんです。気持ちは分かるけどね。今までこんなことなかったのに急にどうした。頭上にハテナが浮かび上がって彼女と同じく首を傾げると、セミロングの金髪がわたしの視界に映り込む。

「ほら言ったやん。ダメ言うたやろ」
「神々廻さんが落ちるって言ってた」
「言うてへんわ。ってか落ちへんてお前知っとったやろ」

チラ、と神々廻が視線をわたしに移した瞬間、あからさまに動揺してしまい目を逸らしてしまった。

なっなんで神々廻もここに来るの!?
普通来るかな!?来ないよね!?大佛ちゃんはまだ分かるけども!普通来なくない!?あれっ昨日別れたよね?!

あまりに神々廻が普通に訪れてきたものだから頭の中がパニックに陥って昨日の出来事が酔った思考からの夢だったんじゃないかと疑った。

「しゅ、出張の際なんかの食事は経費で落ちるんですけどね

なるべくして平然を装う。わたしと別れたことを大佛ちゃんが知っているかは分からないがここには他の従業員もいる訳でして。…普通を装わなければ。

「…そっか。分かった」
「ごめんね。でもこんな頑張ってたら甘いもの食べたくなっちゃう気持ち分かるよ。糖分って大事だよね」
「……ナマエさん、優しいね。目、腫れてるけど大丈夫?」
「へッ、ぜっんぜん大丈夫だよ!超元気!げんきげんきっ」

神々廻の前で痛いとこを突かれて焦ったわたしは、手に拳を作りながら空元気に返答してしまった。大佛ちゃんは一旦間を開けると「何かあったら言ってね」と納得してくれたのか課を出ようとする。神々廻も同様背を向けたので胸を撫で下ろしていると、くるりと目に映る金髪が振り返った。

「あー…せやせや」
「え"っ」

神々廻の声に身構える。大佛ちゃんに先行っとけと帰らす彼に冷や汗と動悸が止まらない。そうしてそのままわたしの元に歩み寄る(元)彼氏に顔は引き攣るばかりである。

「お前昨日のあの電話はなんなん?」
「えっとぉ…そのぉ」
「あの後電源も切ったやろ。意味分からへんのやけど。言いたいことあんなら電話やなくて直接言えや」
「ひっ…」

神々廻のことを初めて怖いと思った。わたしを見下ろす神々廻の目付きはひどく冷たく、眉間に皺を寄せ睨みつけられたせいで気弱な声が漏れる。蛇に睨まれた蛙とはまさにわたしのことで、どう見ても職業バリバリ反社ですと言わんばかりの神々廻に口籠って言葉が上手く出せない。

「悪い子やなぁ。黙ったまんまはよくないやろ?」
「う…わっわたし達別れたし、今更お話することもないっていうか」
「あ"?」
「ひぅっ、仕事中!仕事中なので!」

神々廻の低い声に体が震え上がり怯んだわたしはこの話を無理やり終わらそうと声を張ることしか出来ず全くもって情けない。

震えるように目を逸らすわたしを他所に、神々廻は一拍置いてスーツのポケットからスマホを取り出すと、意味深にそっと口角を上げた。


「ンな心配せんでも丁度業務終了やん。…で、誰と誰が別れたんか気になりますんで、下で待っとるからはよ来てくれます?」


目の前に見せられたスマホの画面の時刻は定時の時刻ぴったしだった。ハテナつけてるくせに行けませんは受け付けませんと言わんばかりの圧を掛ける神々廻に頷くことしか出来ない。

あ…どうしよう。めちゃくちゃ怒ってる。

今日がわたしの命日だと悟った瞬間だった。






車の中は終始無言だった。
見覚えのある道中を神々廻が車を走らせて、「降りろ」と口を開くまでお互い無言。その間にもわたしは気まずい空気を感じながら反省をした。そりゃ確かに昨日言い逃げのように別れ切り出されたらわたしのこと好きじゃなくたって気分悪いよなって。横目で神々廻を見やる。こんな時でも運転している神々廻の横顔はいつ見てもかっこいいなぁとか思ってしまうんだから、本当にバカな思考回路をしていてほとほと自分に呆れる。



「ほな話の続き、しよか」

神々廻の家に着き、ソファに座らされたらもうまるで尋問状態だ。神々廻は着ていたスーツのジャケットを適当に椅子へと掛けて、わたしの横に腰を下ろすと重みでソファが沈む。
神々廻の視線が嫌でもわたしに向いているのが分かる。ここで嘘を着いてもきっと、良いことは何もない。

「…ごめんね」
「はあ?」
「その、神々廻はわたしのこと好きじゃないでしょ?」

謝られると思っていなかったのか神々廻の呆けた声が耳へと通過する。昨日今日でのわたし、泣いたりショックうけたり、空元気出したり、情緒不安定過ぎて自分でもどうかと思う。

「昨日からお前何言うてんねん。ほんまは熱でもあるんちゃう?」
「っないよ!平熱!…っわたしばかりが、神々廻のこと好きなんだなって思って、」

ダメだなぁわたし。言わなきゃいいのに。
気を抜くとまた涙が出そうになってしまうから、唇を一度噛んで言葉を繋げた。神々廻と付き合ってからこんな風に自分の気持ちを本人に真剣に伝えるってこと、今までなかったと今更になって気が付いた。

「わたし、付き合うずっと前から本当は神々廻のことが好きで…だから神々廻が思ってる以上に付き合えて嬉しかったんだよね。…れでわたし達友達期間が長かったじゃん?でも好きって告白し合ってからの付き合いじゃなかったから不安があって」
「……」
「これでも頑張って好きだって思ったときに伝えてきたつもりだったんだけど…神々廻は一度も返してくれなかったなって。そしたら昨日…大佛ちゃんとの会話聞いちゃって」
「大佛?」

神々廻は思い返すように名前を繰り返す。

「あーそうゆうことか。なんや、お前あん時聞いとったん?」

てっきり盗み聞きして呆れられるか愛想尽かされるとばかり思っていたので神々廻の返答にへ?とつい顔を上げる。三白眼の瞳が薄く細められていて思わず息を飲んだ。

「で、何処まで聞いとったん?」
「どっ何処まで?」
「そォ。何処まで?」

なんだか空気が変わった気がする。どんな風にと言われると困るけど、先程までの神々廻の怒りがちょっと和らいだような感じがするのだ。

「えと、素直じゃないとか何考えてるか分かんないとか……誕生日にハンマープレゼントする女は反応に困るって」
「あー…なるほどな」

なるほどな!?なるほどってどんな返し!?
表情が出ていたのか神々廻はクツクツと笑みを浮かべると、「そーゆうとこほんまおもろいわ」と言葉を繋げる。

「んで最後まで話聞かずに夜んなって俺に別れ切り出したっちゅーことやんな?」
「そ、そうです…はい」
「アホ」
「い"ぅっ」

神々廻の人差し指と親指がわたしのおでこをピンと弾いた。鈍い痛みに顔が自然と歪む。

「勝手に自己解釈すんなや。…俺も悪いけど」
「……」
「大佛との会話隠れて聞いてたっちゅーのは好かんけど、聞くなら聞くで最後まで聞いとけ言うてんねん」
「え」

神々廻はバツの悪そうに髪を掻き上げる。何を言ってるか理解出来ないわたしには神々廻に「え?どゆこと?」と聞き返すことしか出来ないわけで。

「…あの後何かまだ続きあったの?」
「……もう言いたない」
「もうってわたし聞いてないしやっぱりわたしの悪ぐっ…い"っっ」

今度はでこぴんでなく頬を摘まれた。加減されてるにしろ涙目になるわたしに神々廻は舌打ちを小さくすると、伏し目がちに視線を逸らし薄い唇を開く。

「…好きじゃなかったら、会いに行こ思ったりお前のこと毎日考えたりせんわ」
「………へ」
「あ…こういうのほんま苦手やねん。お前つきおうてから俺に会いたいとか言うてくれたことないやん?」
「そ、れは我儘言っちゃ悪いと思って」
「気遣ってくれんのは有難いけどな、それが素直やないって言うてんねん。せやのに会えば嬉しそな顔してたまに恥ずかしなること俺に言うやん。ほんま…お前なんなん」

なんなんと言われましても。
だけどわたしは胸がいっぱいになる。だってあの神々廻が、普段落ち着いていて余裕のある人が、今こんなにもわたしの前で言葉に詰まり、わたしの顔を覗き込む形で切羽詰まった表情をしているのだから。

「…ししば、もう一回聞いてもいい?」

「ん」

神々廻の短い返答にわたしは口を開いた。

「わたしは神々廻のこと好きだよ。神々廻はわたしのこと好き?」って。

どきどきしていないかと問われたらそんなの超絶してるに決まってる。毎日好き好き言い合う仲じゃないから余計と尚更。神々廻の端正な顔立ちが近付いてくる。こんなの今更な距離なのに、未だにこれには慣れないの。


「俺も好き」


それはたったの二文字。シンプルなものであるけれど、わたしが一番聞きたくて仕方がなかった言葉。こんなにも嬉しくて胸がきゅうぅと掴まれる感覚、神々廻と付き合ってから初めてで、涙腺が更に緩む。

「もっもっかい神々廻の彼女になりたい」

その一言に神々廻はいつも通りにわたしの頭を撫でて柔和な笑みを浮かべる。そしてわたしの身体をトン、と軽くソファに寝かせたのだ。え?と頭上にハテナを浮かべたわたしを見下ろしながら、神々廻はにっこりと口端上げて愉しげに口を開いたのだ。


「彼女になるもならんも俺は元から別れることに了承した覚えないんやけど。…ほな、意識飛ばさんよォーに精々気ィ張っとけや」


シュル、とネクタイを緩めた神々廻に息を飲む。
そして困惑して呆けたわたしを逃がさぬよう、噛み付くように彼はキスを落とした。





◇◇◇◇◇◇◇


「あのね、神々廻さんはね」
「いらんこと言わなくてええねん大佛。カツ丼奢ってやるからホンマにやめろ。そもそもそういうのは本人いる前で言うことちゃうで」
「じゃあいないときならいいの?」
「そういうことやないわ」

あれから数日。仕事終わりに神々廻と大佛ちゃんと食事した日のこと。元気なかったから、と心配してくれた大佛ちゃん、なんて優しくて可愛い子なんだろう。オマケに戦闘に対してもORDERというだけあってずば抜けているんだからもう言うことなし。…ちょっと天然ちゃんだけど。

「ほな食べたんならもう行くで」
「神々廻さんご馳走様」
「今度はわたしが奢るね」
「別にええけど、なんなんお前ら。…ええか大佛、余計なこと言うなよ」

伝票を持って席を立つ神々廻の背はなんだかお父さんみたいであった。そうして大佛ちゃんと二人きりになったとき、彼女はわたしに耳打ちしたのだ。

「あのね、さっき神々廻さんは言うなって言ってたけど、ちゃんと神々廻さんはナマエさんのこと好きだと思うよ」
「へ?」
「だって神々廻さん言ってたもん。分かりづらい奴だけど、俺の隣はアイツしかいないって思えるくらいには心地いいって」
「ん?………え、ほんと??」
「うん、ホント。私、ナマエさんのこと大好きだから笑ってくれてると安心するの。だから、落ち込まなくて大丈夫」

まって。待って待って。
そんなことを、大佛ちゃんに?

にわか信じ難いのに多分大佛ちゃんは嘘を言ってない。だって沸騰したてのお湯のように顔が火照り出すわたしに会計から戻ってきた神々廻に目を移せばもうびっくり。

わたしより真っ赤に顔を染めた神々廻がわたしから視線を即座に逸らした。




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