アナザー夢 | ナノ

それは解けない呪いとなって

※私に興味がなかったクセに急激に重たくなったイルミにいつか殺されるかもしれないと思っちゃうような話




「お前ってオレのこと好きなの?」

それはまるで昨日なに食べた?と軽い世間話をするかのような口ぶりだった。口を開けて瞬きさえ忘れたわたしは時が止まったかと錯覚したように彼を凝視する。だけど勿論時間は止まった訳じゃなくて、カウンター席に座っていた男は頬杖つきながら「はは、面白い顔」と皿に乗ったナッツをひょいと口に放り込んだ。

「あ…えっと、」
「お前ってオレと話すときいつも目が泳ぐし顔が赤いし、俺のことを何でも知りたがるよね。…こういうのって世間で言うそういう意味なんじゃないのかって思ってさ」

やっと絞り出したわたしの声を掻き消すように言葉を重ねたイルミさんは、他人事のように何食わぬ顔でナッツを指で挟んだ。相も変わらずそのハイライトのない真っ黒な瞳は何を考えているのか分かりづらい。
エプロンの裾を掴んでいた拳に力が入る。涼しい顔をしている目の前の彼とは対照的に、わたしの顔はいま本当に面白いほどひどい顔をしているに違いない。なんだか無性に鼻はツンと痛みだして心臓はかつてないほど心拍数を上げて苦しいし、気を抜いたら直ぐに眉を寄せてしまうから唇を噛み締めた。

だってこの感じ、あっさりとし過ぎてわたしは全く眼中にないって嫌でも分かってしまう口調だ。

「……好きって言ったら彼女にしてくれますか?」

コテ、と小首を傾げた彼に後悔が生じる。そんな訳ないじゃないですかと言えばよかったのに口から出たのは真逆の言葉であり、いくら彼から話題にしてきたにしろこの場で告白なんてするもんじゃなかった。なにか考えているであろう彼から目線を逸らせなくて、それでいて今日気持ちを伝えようなんて微塵にも思っていなかったのだから、頭は真っ白になりそう。

期待なんてしていない。していないけど、彼が唇を開くまでの間がとても長く感じて、胸が押し潰されてしまいそうだった。多分1分にも満たないその時間は、わたしにとっては数十分も経っているような気さえする。


「うーん。お前と付き合って俺にメリットはある?」
「…へ」


「ないよね。お前、何も出来なさそうだし」


わたしの口から呆けた声がもれた。彼はもうこの話は終わったと言わんばかりにまだ酒がグラスに残っているにも関わらずご馳走様と一言口にすると、席を立ってしまった。

この世に生まれて早20年。暫く彼氏はいないけど、人並み程度には恋愛をしてきたつもりだった。フラれたこともあるし、フッたこともある。だけどこんな物言いのフラれ方をしたのは人生初だったし言われるとは思ってもみなかった。


至極難しい恋をしてしまったと思う。


わたしは彼のことについて知らないことが多すぎた。年齢、趣味、職業等知りたくても教えてはくれないから、彼がどんな人なのかをわたしは全く知らない。良く言えば慎重、悪く言えばガードが固すぎるというか。やっと教えてくれたイルミという名前だって、何回目かにこの店へ訪れた際にやっと教えて貰えたのだ。彼にとってはなんてことのない事だったのかもしれないがわたしにとっては前進で、些細なことでも彼のことを知れたのがとてもとても嬉しかったのを昨日のことのように覚えてる。

でも彼はきっとその逆。
出会ったときからわたしに興味なんて何ひとつとしてなかったんだ。






お金は無いと困るけど、あればある分だけ困らない。大袈裟といえばそうかもしれないけれど、良い話には裏があるとはよく言ったもので。

時給の良さに目がくらんで応募した酒場のバイトは、次の仕事先が見つかるまでの繋ぎのつもりだった。人手不足によりオーナーは面接時にその場でわたしを採用し、今では週5でこの酒場に務めて約半年になろうとしている。どさくさに紛れて体を触ってくる者や客同士で喧嘩になり騒ぎを起こす者、罵倒を浴びさせる者が思った以上に多く客層に悩まされる毎日に、わたしの心は干からびていた。それが原因でわたしが入った後にバイトが3人も辞め、まだ働き出して1年にも満たないわたしが古参という異例の事態。オーナーは時給を上げても皆直ぐに辞めていくと頭を悩ませていたが、これには流石に頷けた。だって言っちゃ悪いけど、明らかにアブナイお仕事してませんか!?と思わせるようなお客さんが半数以上を締めていたのだから。


そんなある日、今日も今日とてわたしはお客さんに絡まれていた。週5で勤務していると嫌でも身に付く酔っ払ったお客さんの接し方。愛嬌はどこに行っても大事だから常に笑顔でいる事を心掛け、虫の居所の悪い客には取り敢えず謝罪をし、飲めとせがんでくるお客さんにはノリを合わせてほんの少し酒を口に含む。そうしていれば普段はそれで大体丸く事は収まっていた。

でも今日のお客さんは過去一酷かった。

その日は開店間際から慌ただしく猫の手も借りたいとはまさにこの事。足を止める時間もなく、そのせいでとあるテーブルの酒の提供が少し遅れてしまったことが始まり。謝罪をしつつ酒を持っていくと客はご立腹もいいとこで、怒鳴った挙句にグラスの酒をわたしにぶっ掛けて来たのだ。

「っ、」
「アッハハハ!いい気味だなァ穣ちゃん。こんなクソ不味い酒頼んでやってんのに持って来んのがおせぇからついつい。仕事のひとつもこなせねぇんじゃこうされんのも仕方がねぇよなぁ?」
「…すみません」

頼りのオーナーは裏に入って業務をしておりこの事態に気付いていない。周りの笑い声と罵倒に顔を俯かせて謝罪をすることしか出来なかったわたしは泣いたら負けだと俯きながら鼻を啜る。「あーあ、アニキに目ぇつけられちゃったよ」なんて声も聞こえてきて、わたしの反応を見て楽しむ男たちにどうしたらこの場を切り抜けられるのか分からなくなってしまい、パニックになってしまった。

その際に助けてくれたのが彼だった。

「ねぇ、さっきから呼んでるのにいつまで待たせるワケ?」

わたしの髪から酒の雫がポタリ、と落ちる。賑わっていた店内はシーンと音をなくし、半泣き状態だったわたしの涙も同時に止まった。

「あ"ぁん?なんだテメェ」
「注文しようと思ったのにここは店員1人しかいないの?回ってなくない?待ちくたびれたんだけど」
「あ、えっと…」

鬼のような形相の客なんかには目もくれず、わたしの顔をジッ、と覗き込むように見続ける彼に思考回路は停止して言葉に詰まる。無視されたことが癇に障ったのか客は彼の胸ぐらを掴んだ。

「おいおいオメェ俺を無視しようなんざいい度胸だな。なんて名前だ兄ちゃんよォ」
「オレ?オレは…」

「まっ待ってアニキ!そっソイツはヤバいって!」

仲間内の1人が間に入り、アニキと呼ばれた男に耳打ちで何かを告げる。そうすると男は胸ぐらを掴んでいた手を即刻離し威勢の良かった顔つきから一点、青ざめだすと男はそのまま仲間を連れて店を後にしたのだ。

嵐が去ったような場にきょとんとしていたわたしは我に返る。

「った、助けて頂きありがとうございました!」

慌てて真横の彼にお礼を告げて顔を上げると、思わず息を飲んだ。掴まれていた服の皺を直しながら彼はゆっくりと目を此方に向けると、表情ひとつ変えずにわたしを高い背で見下ろしていたからだ。そうして彼は小さく息を吐くと口を開く。

「別に。助けたつもりはなかったんだけどな」

そう言って何事もなかったかのように席へと戻った彼に、先程の出来事からの安堵なのかそれとも彼に対してなのか、分からないけれど心臓が暫く落ち着かなかった。

彼の言う通り、本当にわたしを助けたつもりはなかったのだろう。それでもわたしは感謝せざるを追えなかった。こういう客の前では大抵一緒になって笑うか、見て見ぬふりする人ばかりであったから。

多分だけど、わたしはこの時から恋をしてしまっていたんだろうと思う。一目惚れなんてしたことがなかったし、全く知りもしない相手を好きになるって相当なことがない限りほぼ有り得ない話だと思っていた。だけどこの日はずっと彼を目で追ってしまって、たまに視線が重なると胸は変な音を立てるから、これはきっと一目惚れに近いものだったのだ。

でもだからといって状況はあまり良くない。名前も知らなければ連絡先すら知らない。そんな相手とまた会えるかなんて神様でもなければ知る由もなく。そうするとまたこの店に訪れてくれることを願っては、お客さんが来た事を知らせるベルが鳴る度に気分は沈む毎日。

そんな日々を送り月日は進んで1ヶ月。あれから彼は全く訪れないしもう会えないんじゃないかと思った矢先の出来事。

彼は訪れたのだ。

スラリとした体躯に腰まで伸びたストレートな髪に端正な顔立ち。あの時はまた会えたことが夢みたいでバックヤードで何度も頬を抓ってしまった。鏡の前で自分の身なりをチェックして、今を逃したらもう二度と会うことは出来ないかもしれないと両手でガッツポーズを小さく作った。そうして酒を持っていく際に勇気を出して話しかけたのだ。「あの時はありがとうございました」って。助けたつもりはないと聞いたけど、何か自然に話せるキッカケが欲しくて咄嗟に出た話題はこれしかなかった。

「ん?…誰だっけ」
「えっ」
「オレ達何処かで会った?」

わたしの口角は思わず引き攣る。だっていくらなんでも忘れられているとまでは考えていなかった。わたしにとっては忘れられないくらいの大きな出来事だったけど、彼にとったらちっぽけなことだったのだと思えば途端に羞恥心がわたしを襲う。

「あっ、えと覚えてないならいいんです!すみませ、」
「嘘だよ。この間絡まれてた子だろ。覚えてる」
「はい??」
「いやぁ、軽いジョークだよジョーク」

???
ここってジョークを言うところなの?
わたしの頭にハテナが浮かぶけど、彼は棒読みに近い声でハハ、と笑った。

イルミさんはそれからも頻繁ではないけれどこの店を訪れるようになった。1度目に来たときよりも2回目、2回目よりも3回目、と少しでも近付きたくてわたしは必死だったと思う。それでもわたしは彼について何も分からなかった。話しかければちゃんと受け答えしてくれるけど、素性とかそういったものは上手く交わされる。

「お前って表情豊か過ぎて嘘が下手そうだね」
「そっそうですか?まぁ分かりやすいとは言われますけど」
「うん。だろうね。オレの周りにお前ほど分かりやすい奴はそうそういないよ」
「うぅ…」
「だって名前教えたくらいでそんな嬉しい顔する?普通」

褒められているのかいないのかよく分からないけれど、わたしが喜びを隠せなかったのは彼のせいなんですけど。だって好きな人の名前を知れてこんなに嬉しい気持ちになれたことなんて今までなかった。
人間、聞かれたくないことのひとつやふたつあるものだけど、謎が多い彼のことを好きになってしまったせいで喜びの沸点がきっと下がっている。

この酒場に来るのだって「仕事の関係」とは聞いたけど、それ以上のことは教えてくれない。それでも彼がここに来てくれると例え短い時間であってもその日1日頑張れて、どんなに酒癖の悪いお客さんを前にしても笑顔でいられるのだ。恋ってこんなに凄いものだっけ。

一応こういう仕事だから身なりに気を使ってはいるつもりだったけど、前よりもっと身だしなみに気をつけるようになった。イルミさんがいつ来ても大丈夫なように、少しでも可愛いと思ってくれたら御の字だって。

…でも結局そんなの意味なかったのだけれど。

嫌でも思い出すのはフラれたときの言葉である。
男女が付き合うにあたってのメリットって一体なんなのかとか考えてみるけれど、そんな風に考えて人とお付き合いなんてしたことがなかったから分からない。

わたしは表情が顔に出やすいとイルミさんが言っていたけれど、本当は少しでも意識して貰えるように好きだとアピールし続けて来たんだからバレるのなんて時間の問題だった。わたしに興味がないことも初めから自分でも分かっていたことだ。だって彼は何一つわたしの事を知ろうとする発言はしてこなかったのだから。

「……」

家に帰って暫く放心。体はとても疲れているはずなのにお風呂に入っても眠れる予感はしないから、ちょっと泣きたくなって缶ビールのプルタブに手をかけた。さよならわたしの恋、なんて感傷に浸って目は潤む。

どうやら思ったよりもわたしは彼のことが好きになっちゃっていたらしい。彼自身のことは教えて貰えないけど、無視はされないし話していて楽しかった。いろんな所へ行く仕事なのか分からないけれど、たまにわたしの知らない世界の話を教えてくれる所も好きだった。「オレだって面白ければ笑うよ」なんて真顔で言っちゃうイルミさんのことも面白くて好きだった。

「…あんな事言わなきゃ良かったぁ」

小さく言葉を吐いて涙が零れる。ゴシゴシ袖で拭いても溢れてくる涙はきっとビールを飲んで涙脆くなっているせいだ。

きっともう彼と会うことはこの先ないだろう。
そんなことを思って3本缶を空けたらやっと眠りにつくことが出来た。




…と思っていたのに。




「よ」

彼はそれから1週間後にこの店へと顔を出した。
…それも女を連れて。

え?え?と困惑を隠せないでいるわたしを他所に彼は女を席に座らせるとわたしに酒を注文する。

「あら、イルミのお知り合い?」
「知り合いっていうかここの店員」

ね、と口にする彼に笑えていたのか自信はない。いくらわたしに興味がなくフッた相手だとはいえ、他にも飲み屋はあるだろうにここを選びますか!?と心情はぐちゃぐちゃに暴れまくっていた。

見たくもないのに目に映るは1番端のテーブル席。たまに女性が笑っている様子が目に映り、まさに美男美女と呼べるその空間にまだフラれて立ち直れていなかったわたしには正直しんど過ぎるにも程がある。

あんな綺麗な彼女がいたならもっと早く言ってくれれば良かったのに。わたしの気持ち知ってたクセに、なんて悪態までついてしまう自分に嫌気も刺した。

だけどこの日は有難いことに客が少なく、オーナーは元気を失くしたわたしを見て「今日はもう上がっていい」と言ってくれたからお言葉に甘えて逃げるようにバックヤードへ足を運ぶ。初めてオーナーが神様に思えた日であった。

これ以上2人を見なくて済むと店から飛び出したけど、家路までの足取りは重たくて仕方がなかった。わたしの済む家は酒場から少し外れたところにある。距離はそんなに遠くはないけれど、この時間は治安が少し悪いからいつもは大回りをして明るい道から帰るのだ。だけどそんな事も考える余裕のなかったわたしは人気の少ない道を選んでしまったせいで、声を掛けられてしまった。

「あ?誰かと思ったらこの間の嬢ちゃんじゃねぇの?」
「…あ、」

目先の人集りが目に映ると声は震えて足は止まる。
前に絡まれてイルミさんが助けてくれたときの連中が目の前にいたのだ。

なんでいつもの道を選ばなかったのかと後悔した。
1歩ずつ下がるわたしの足よりも、目の前の男たちはわたしの元までズカズカと近付いて来る。そうしてそのアニキと前に呼ばれていたボスがわたしの肩に腕を回してきたのだ。

「っひ、」
「あん時はどーもォ。お前みたいな奴がイルミと知り合いだったなんてなぁ?」
「や、わっわたしは」
「むかぁしアイツには仲間が世話ンなってよ。大事な仲間だったのに今じゃ会うことすら出来ねぇ訳よ。悲しいだろ?」
「えと、その」
「んなビビんなよ。アイツとはどういった関係だ?」

足がすくみそうだった。女1人に対して相手は5人。どう足掻いても逃げられないこの状況に恐怖で声は震えてしまうし言葉が上手く出てこない。

「まぁ知り合いでもオンナでもなんでもいいか」

そう言った男はニヤリと笑うとわたしに顔を近付けて来た。その目付きはこの世のものとは言えない顔で、殺されるかもしれないと思って目を瞑ったとき、わたしの肩に掛かっていた重力がなくなった。

「…あ、れ」

恐る恐る目を開ける。そうしてわたしは言葉を失った。わたしを囲んでいた男たちは皆倒れていて、おでこには針が何本か刺さっている。

「なに、いつもこんな危ない道通ってるのお前は。関心しないなぁ」

ゆっくりゆっくり声のする方へと顔を向ける。月明かりに照らされた長い髪、黒色の大きな瞳と聞き覚えのあるその声音。

「イッ、イルミさ」

彼の顔を見た途端立っていた足の力は抜け落ちてその場にしゃがみこむ。倒れているこの人達は起き上がって来る様子はない。

「ねぇ、オレ聞いてるんだけど」
「ひぅ、」

いつの間にかわたしの真隣で顔を覗き込んで来たイルミさんに驚いて声は裏返る。

「あっあの、この人たち、イルミさんのこと知ってて」
「え?んー…あっ!思い出した。ナマエに絡んでた奴らか」
「そ、なんですけど、前から知ってたみたい、で」

しどろもどろになりながらも一生懸命伝えれば、イルミさんは口に手を当て考える。そうして一拍あけると口を開いた。

「覚えてないな。ま、もう殺しちゃったしどうでもいいよ。立てる?無理そう?」

…殺した?殺したってイルミさんが?
状況の整理が追いつかず何も答えないわたしに不機嫌になったのかイルミさんの声のトーンは少しばかり下がった。

「ってかコイツらと他には何を話してたの?もしかしてオレ邪魔しちゃった?」

ふるふると首を横に振るだけで精一杯のわたしに、イルミさんは口を曲げる。

「今日のお前はずっと変だったし、いつもは閉店までいるとか言ってたクセに早上がりしたってマスターが言っててさ。俺が好きとか言ってた割にはお前は俺がまだ店にいたのに早く帰ろうとしたんだね」
「…え?」
「どうでもいいやって思ったんだけどさ、ちょっと気になってお前の後を着いてったらコイツらにまた絡まれて、直ぐに退かないお前に腹が立ったんだけど」

イルミさんはいつものように淡々と言葉を吐いていく。言っている意味が分からず彼を見つめることしか出来ない。

「だからコイツら殺したら楽になるかなーなんて思ったんだけどさ、ダメだね。凄いムカつく。なんでだろ」

彼の顔が近付くと同時に手まで伸びてきて、その手はわたしの首元を掴むと徐々に力を込めていく。それが首を絞められているのだと気付くまで、少し時間が掛かってしまった。

「っは、っぁ、うッイルミ、さ」
「イルミでいいよって何度も言ってるだろ」
「は、ぅ、」
「で、話戻すけどさ。この感情結構気持ち悪いんだよね。お前殺したらソレの理由分かるかな?」

酸素が足りなくなってきて、苦し過ぎるあまり思わず彼の腕をぎゅ、と掴む。それでもやっぱりイルミさんの表情は何一つ変わらなくて、息が吸えない状況にわたし本当にもしかしたらこのまま死んじゃうのかもと視界までぼやけだした。


「なーんてね。冗談だよ」


パッ、と手が離れると急に酸素が肺へと侵入してきてわたしはその場で大きくむせる。

「ッケホ、コホッ、はあっ」
「お前が死んだらつまんないから、生かしといてあげるよ」

まるで人を玩具のような物言いにわたしの体温は徐々に下がるのを感じられずにはいられない。この人の言っている意味が理解出来ない。息を整えてなんとか落ち着きを取り戻してきたとき、わたしは未だに震えている声で疑問を問いかけた。

「…わたし、イルミさんのこと、なんにも知らない」

一瞬、イルミさんの瞳は大きく見開いて驚いたような顔つきになった気がする。だってこの人はわたしをフッて、今日は女の人を連れて来たくせにわたしを追いかけて来て、支離滅裂な言葉を口にして挙句の果てに人を殺してる。

イルミさんは目をぱちぱちと瞬きを繰り返す。いつも読み取れない表情が多いのに、今の顔つきはまるで、え、本当に知らないんだみたいな顔を浮かべている。

イルミと聞けば、ひとつは思い当たる節があった。観光地にもなっている殺し屋のゾルディック家の長男と同じ名前。でも顔は知らないし、そんな人がまさか身近にいるだなんて思いもよらない。だけど今となっては恐ろしいことに合点がいく。

聞かなきゃ良かったのかもしれない。だけどきっとそれは無理だと悟った。どの道わたしは遅かれ早かれきっとそれを耳にしていたのだから。

「あー…別に隠してた訳じゃないんだけどね。うん。オレの家は暗殺一家でさ。ホラ、聞いたことない?ゾルディックって。歳は24。だからお前より4つ上だね。それと多分勘違いしてそうだから言うけど、今日連れてた女は仕事の依頼人だから。無事任務完了したってことで今日はその報告。で、オレはお前のこと多分好きなんだと思うんだけど。家族以外で人を好きだなんて感情持ったことないからそういうのあまり分かんないんだよね。今まで興味もなかったし。でも他の奴と話してるの見たらムカつくってそういうことでしょ」
「や、え?」
「メリットとか言ったけどさ、よくよく考えてみたら別にオレの横にずっといてくれさえすればそれでいいか、なんて思って。お前弁当とか作れる?オレの好きなもの入れてよ。それで夜なるべく帰るようにするから一緒に寝てくれたらそれでいいよ。どう?これで少しはオレのこと分かった?」

正直言って頭は大混乱中だ。コクコク頷くことは出来ても多分話の半分は右から左へと流れてしまってもう何がなんだか分からない。

今日の天気は素晴らしく晴れていたお陰で空には星がとても綺麗に輝いている。わたしの髪よりも長いその髪が風に揺れた。わたしの首を絞めていた指がそっと頬に触れると思ったよりも冷たくて、体はビクッと跳ねる。

「そんな驚かなくても、お前は殺さないよ」
「…っ」

その日初めてわたしは彼が目を細めた表情を見た。バクバクと音を立てる心臓は寿命を早めるほどの速さで体には冷や汗が垂れる。きっと彼はわたしのいま考えていることなんてお見通しなんだろう。返事を待たず頬に触れた指が唇をなぞると、そっと触れるだけのキスを落とした。


「うん。やっぱりオレはお前のことが好きみたい」








−−−−−−−−−


「今日はもう遅いから明日にするけど、お前にはオレの家に来て貰うから」
「えっっ」
「でもお前念とか全く使えないよね。オレがいる間は守ってやるけど、ウチの家族には気をつけて。特に母さん」
「ねっ念?母さん!?」
「そ。でさ、お前に殺しをさせるつもりはないけど落ち着いたら万が一の為に自分の身は自分でも守れるように訓練して貰うから」
「……」
「なんでそんな顔するの?ここは喜ぶとこでしょ」
「えっ、えっとぉ…」

イルミさんはお姫様抱っこをするように腰を抜かし続けたわたしを抱えて首を傾げる。多分変に敏感で変に天然な人なのかもしれない。だってさっきからこれじゃまるでわたしが彼の家に嫁ぎに行くような物言いだ。

いくら考えたってわたしみたいな人間は彼らと住む世界が別であるからして、一緒に生活なんて出来るわけが無い。

そう、出来る訳がないのだ!

そうしてわたしは大きく息を吸う。
言うなら今しかないと。


「あっあのイル、」
「ああそれと、お前からオレを好きになったんだから今更この話はなかったことにしろみたいなつまらない話はやめてね。お前がオレを裏切ったら今度こそお前をオレが殺すから」


やっぱりわたしは思ったことが顔に出やすく、分かりやすい性格故にイルミさんにはバレバレだったらしい。



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