ポケモン夢 | ナノ

祝言前日、彼女は確かに世界一幸せ者だった


かないっこない恋をした。

好きになっちゃいけない人に恋をしてしまった。

月日が経って会わなくなった今でも、わたしはこうして彼のことを思ってる。

幼少期に読んだおとぎ話で、男の片思いから始まった身分違いの男女が様々な障害を目の前にしながらそれに屈せず、最終的にその国から2人は逃亡し幸せに暮らしたという話があった。

今思えばあれは駆け落ちというものだけど、幼い頃はこういう話に憧れたものだ。だけど年齢を重ねて現実味を感じると、こういうものはお話の中だけのシチュエーションだと言うことが分かる。

だって地位も家族も思い当たるもの全てを捨てて1人の人に身を寄せるだなんて、中々出来ることじゃない。

そもそも大前提に両思いでなければならない話ではあったけど、とにかくおとぎ話特有の、この話が大好きだった。

でも大人と呼べる年齢になった今となっては、恋愛って綺麗事ばかりじゃないしどうしたって上手くいかないこともあるものだと、よく理解しているつもり。








両親がコトブキ村に移住を決めて越して来たのはわたしがまだ十六の時。まだその頃の村は発展途中で、村民も今より少なければ、賑わってもいなかった。

「外にはポケモンがいるからね。絶対門の外に出ちゃダメよ」
「分かってるよ」

毎日同じ時間を過ごすには暇があり過ぎて気は滅入る。慣れない土地に住むというだけで毎日の不安は募っていく。それに同じくらいの年頃の子が少なかったせいか一人ぽっちで過ごすことが多かった。ギンガ団を中心としたこの村で、畑農業を営んでいる両親の手伝いをするしか時間の潰しようがない。本を見て勉強するのも嫌いじゃないが、それも毎日となれば別の話である。

心配性な両親には決して言えないけれど、たまにポケモンを連れたギンガ団の隊員たちを見かけると、あの門の先にはわたしの知らない世界が広がっているんだろうなと少しばかり羨ましく思っては、何も行動に起こせず村と外へ繋がる門を眺めてため息を吐くことが日課となっていた。

「門外に興味がおありですか?」
「ひゃっ!?」

その日はたまたま母からのお使いでソノオ通りに出向いた際の出来事。背後から声を掛けられたせいで驚いて振り返ると、キャップを被って片目を前髪で隠した青年が立っていた。

「おや?見ない顔ですねぇ。最近越して来た方でしょうか」
「あっえっと」
「申し遅れました。ジブン、イチョウ商会のウォロと申します!慣れない地では不安もあることでしょう。よろしければジブンが話し相手になりますよ!仲良くして下さーい」

わたしよりうんと背丈が高い背を折ってニッコリと目を細めた彼に、自分がちゃんと自己紹介が出来ていたかは分からない。いや、出来ていなかったはずだ。未だ心臓がバクバクと音を鳴らし続けているわたしをウォロさんは気にする素振りをせず、爽快に「ではまた」とわたしの横を通りすがった。

呆気に取られたわたしはそのまま目線を彼の背へ向ける。すると村の女性がウォロさんを見つけるなり話しかけに行くものだから、今度は口をポカンと開けてしまった。

「きゃ!ウォロさんじゃないっ。来るなら言ってよ」
「ふふ、それならムックルにでも頼んで手紙でも出せば良かったですかね。あっそうそう。今日は珍しい物を仕入れて来ましたよ。綺麗なアナタ達ならきっと似合うはずだと思いまして」
「ヤダもう!ウォロさんてば上手いんだからぁっ」

…なるほど。きっとさっきのは物売りなんかではよくある社交辞令のようなものだったんだろう。「今後は是非ウチをご贔屓に」みたいな。絶対そう。間違いない。

瞬く間に村の女性陣に囲まれ出した彼を見つめていたら、彼と目が合った。微笑まれた気がしたけれど、わたしは即座に視線を逸らし気付かないフリをしてその場を去ったのだ。






「ワッ」
「ぅひゃっ」

あれからまた数週間が経っただろうか。
声の先へ振り返ると、またあのウォロさんがニコリと愛想の良い笑みを浮かべて立っている。

「こんにちは。そんな面白い反応をされると驚かしがいがあるってものです!」
「ウォッ、ウォロさっ!後ろから急に声かけるのやめて下さいって言ってるじゃないですか!」
「いやぁアナタが歩いているのが見えたのでつい声を掛けたくなってしまいまして」
「普通に!普通にお願いします!」

見た目からして大人に見えるけど、中身は結構子供っぽいところもあるのだろうか。あれから彼はわたしを見つける度に声を掛けてくれるようになったのだが、困ったことにわたしの驚く姿を見るのが楽しいようで背後から突然声を掛けてくる。わたしがボケっとしているからなのか分からないけれど、音も立てずに近付いてくるのは心臓に悪影響だから、辞めて欲しい。

それでもってウォロさんは意外と話すときの距離が近い。中々これに慣れないわたしは、反射的に1歩下がって身構えてしまうまでがお決まりである。

「そんな怖がらずとも!ジブン、今日はアナタに用があって探してたんですよ」
「わたし、ですか?」
「ええ」

そう言った彼は大きなリュックをどすんと地面に置くと、ごそごそと何かを探し出す。

「今日採れた物なんですけどね、ええと。ああ、これですこれ。はい、どうぞ」

わたしの手をそっと取り、そこに目を移せば乗せられたものは熟れた食べ頃のきのみだった。

「モモンのみ?」
「ご名答。実はジブンもこっそり1つ食べてみましたが甘くて美味でしたよ。甘いもの、お好きですか?」
「好きですけど…貰ってしまっていいんですか?」
「勿論。ナマエさんにと思って持ってきたものなので貰ってやって下さい」
「あっありがとうございます!嬉しいです」

お礼を告げると同時に、顔が途端に火照り出していくのを感じた。この歳になるまで異性から自分の為にと物を貰ったことが、お恥ずかしながら初めてだったから、気を抜けば頬まで緩んでしまいそう。こんな顔をウォロさんに見られたくなくて、きのみを持っている手に顔を俯かせた。わたしの顔色に気付いているのかいないのか、ウォロさんはいつも通りに小さく笑うとまた大きなリュックを背負ったから、慌てて口を開く。

「もっもう行っちゃうんですか?」
「今日はそれをアナタに届けに寄っただけなので。ジブンはこれから用もあるので失礼します」

ゆっくり背を向けたウォロさんに、つい手を伸ばそうとして引っ込めた。そんな自分に気が付いたら、今度は胸の奥がなんだかむず痒く感じてきて驚いた。この村に越して来て約3ヶ月。代わり映えのない毎日に退屈してしまっているわたしはもうそこにはいない。

朝起きて、日が暮れるまでの間、いつの間にかウォロさんに会えないかなぁなんて知らぬ間に探してしまっている自分がいたからだ。

ウォロさんは、人の心にしゅるりと忍び込むのが上手い人だと思う。越して来たばかりのわたしの名前を2回目に会ったときには覚えていたし、村のお姉さん達に囲まれても嫌な顔1つしなければ、丁寧に対応しているのも何度か見掛けた。女性だけでなく、近所のケチ(失礼)で有名な強面おじさんですらウォロさんの巧みな話術で買いすぎてしまったという話を聞いたときは尊敬だってしてしまった。

だけど彼は普段からこのコトブキ村に腰を置いている訳ではない。ふらっとこの村に寄り、いつの間にかふらっといなくなる。自由人という言葉が似合う彼のこと、イチョウ商会のリーダーであるギンナンさんは「昔からああいう奴なんだよ」とあまり気にも止めていなかったから、わたしがここに住む前からこんな感じなんだろう。

それでも自然と人を引き寄せてしまう彼には、きっと魅力があるに違いない。話しやすい雰囲気を身にまとい、いつも笑顔を絶やさない。わたしだけじゃなくて、皆にもそう。それが分かっているから、ウォロさんのことを考えると最近少し胸がきゅ、と痛む。大人であってもウォロさんに魅了されてしまうんだから、子供のわたしがウォロさんに心を開いてしまうのなんてそれはもう簡単で。

「…次はいつ会えるのかな」

家に帰って貰ったばかりのモモンのみを1口齧ったら、やっぱりそれは、とても甘かった。






「ほっほんとにこんなとこ来ちゃって大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫、言わなきゃバレませんよー!それにここにはそんな危険なポケモンはいませんし、何よりジブンがついてますのでご安心を!でもそうですねぇ…もし不安なら止めて戻ります?」
「いっ行きます!大丈夫!」

慌てて両手に拳を握ったわたしを見て、意地悪っぽく口端を上げたウォロさんの背を慌てて追いかける。

黒曜の原野。つまりは村の外。
何故わたしが今村の外にいるかというと、数刻前にウォロさんが村に訪れた際、彼が抱いていたトゲピーを見てわたしが何気なく言ったことがきっかけだった。

『こんな可愛らしいポケモンもいるならわたしも外に出てみたいです』
『ほお?ポケモンに興味があるんですか。そういえば出会ったときもアナタ門の外見てましたよね』
『よっよく覚えてますね。でも…はい。ポケモンは怖い生き物って言われてますけど、ポケモンだって知らない人間がいたら警戒するだろうし、そりゃ自分達を守ろうとするよなって。わたし達が思ってることと実は考えていること、一緒だったりしてって最近思うんです』

ちょげ!と愛くるしい瞳でトゲピーがわたしを見つめてくるものだから、つい心の本音を口にしてしまった。ウォロさんはふむ、と少し考える素振りをすると、人差し指をぴょんと立ててにっこりと笑って言ったのだ。

『ではちょっとジブンと社会勉強しませんか』と。

そういう訳で、わたしは今門外に出ているわけだけど、もう目に映るもの全てが新鮮で目新しい。1度は見てみたいと思っていた広大な外の景色を、ポケモンを持っていないわたしが眺めていられることが信じられず、言葉とは裏腹に自然と頬が緩んでしまう。

「ありがとうございます!ウォロさんが連れて来てくれなかったらきっと一生この景色を見ることが出来なかったかも」
「ふは、ちょっと村の外に出ただけなのに大袈裟ですよ。でも連れて来たジブンが言うのもなんですが、ポケモンを持っていないアナタは1人でここに来ないと約束して下さい」
「はい!」

親にあれだけ村の外に出てはいけないと念を押されて罪悪感を感じていたのに、今のわたしは好奇心でいっぱいだった。遠目でしか見えないが、あの草原にいるポケモンの群れはなんて名前なんだろう。あの木は前に植物図鑑で見たきのみの木なのだろうか。自分が思った以上にはしゃいでしまっていることを恥ずかしく思うのに、ついつい質問してしまう。そんなわたしをウォロさんは面倒くさそうな顔もせず、ひとつひとつ教えてくれるのだ。

「ごめんなさい、聞いてしまってばかりで」
「いえいえ、好奇心旺盛なのは良いことです!ジブンもその気持ち分かりますよ!そういえばきらきらミツというものはご存知ですか?」
「あっはい。イモモチにつけると美味しいんですよね」
「そうです!このミツはこの地に生息しているミツハニーというポケモンからよく採れるミツなんですけどね。最近美容にも効果があると分かり最近は女性によく売れます。どうです?アナタも。特別価格でお安くしますよ」

人差し指を振りながら小瓶をいつの間にか手に持っていた彼が面白くて自然と笑みが洩れる。
最近はちょっとだけ、ウォロさんの商人顔している顔と、普段の対応の違いが分かった気がする。たまにこうして商人らしさを出してくるウォロさんも嫌いじゃない。

この経ったの数時間が、家で1人本を読んで勉強するよりもずっとずっと楽しくて、自分の知らない知識を教えて貰えることにわくわくと心が踊る。
そうして話している内に教えて貰ったのはこのヒスイに関する神話の話。この話をしているウォロさんが、わたしと出会ってから一等楽しげで、それでいて無邪気な子供に見えたから、心臓は勝手に早鐘を打った。

「おっと話し過ぎてしまいましたかね。あまりこの手の話を人にはしないようにしているのですが」
「いえ、わたしの知らない話聞けて嬉しいです。シンオウ神殿って聞いたことはあるんですけど、詳しくは知らないからウォロさんが良ければもっと教えて下さい」

ウォロさんは珍しくきょとん、とした顔をわたしにして見せた。何か変なことでも言ったのかと小首を傾げると、彼は言ったのだ。

「アナタは面白い人ですね。普通、変わり者という目でジブンを見るのに」

そうしてわたしにまた神話について語ってくれたウォロさん。彼の膝の上にいたトゲピーは、いつの間にか夢の中だ。

正直言ってしまえば、神話に特別興味を持っていた訳ではない。持っていた訳ではないけれど、ウォロさんの夢中になっている顔を見てしまったら、最後まで聞いてしまいたくなってしまうのは必然的で。神話について全部を理解するのは難しく頷いているのが大半であったけど、彼の好きなものを知れたようでそれが嬉しかったのだ。

今日が間違いなく、わたしがこの村に越してきて一番楽しい日だったと、断言できる。




「…おや、もうこんな時間ですね」
「あっという間でしたね。とっても楽しかったです」
「それは良かった。…たまにはいいものですね。こういうのも」

気付けば日はもう傾きかけている。何も言わずに内緒で出て来てしまったから、そろそろ帰らなければ両親が心配してしまう頃だろう。ウォロさんは未だに眠っているトゲピーをボールへと戻すと、送っていきますと静かに言った。

あんなにさっきまで2人で話をしていたのに帰りは無言で、1歩先を歩いている彼との距離が遠く感じる。なんだかそれが、とても寂しく思った。わたしがきっとウォロさんの大事な子なら、こんなふうに寂しく思うこともないのかな、なんて考えるとやっぱり胸がちくりと針を刺されたかのように痛むのだ。寂しく思う理由はきっと単純で、だけどどうしてかその気持ちを口にしてはいけない気がして、唇をぎゅうと噛み締めた。

「ではナマエさん、ジブンはこれで」
「あ…」

この世に生まれて、もしかしたら今日が一番ドキドキと心臓が音を鳴らしてる。引き止めたわたしに、彼は小首を傾げてわたしが口を開くのを待っていた。

「ウォロさん、今日は本当にありがとうございました。それで、その…また時々でいいからここに連れて来てくれますか?」

夕暮れどきで心底良かったと思う。自分の気持ちを伝えている訳ではないのに、これだけで顔の熱が上昇していく。こんなのを間近で目にされたら、わたしはきっと死んでしまう。

「ええ、また是非」

高い背のウォロさんをそっと見上げると、日が落ちかけの太陽の光が逆光になってわたしの前に影が出来る。いつも通りの声色と、いつも通りの表情。約束とまでいえないけれど、嬉しかった。嬉しかったと同時に、切なくも思えてしまった。






信じ難いことが起きたのは、わたしがウォロさんと村を内緒で出た数日前のこと。

村では空から女の子が落ちて来たとの話題で持ち切りだった。

「ショウっていいますっ」

元気で可愛らしいわたしの1つ下の女の子。
家族も知人もいない彼女はここに何故来たのか記憶もなく、きっと不安も沢山あるだろうにそれを表には出さない。それなのに眩しいくらい前向きで明るい子だった。

ラベン博士に拾われ、ギンガ団に入団して調査隊員となった彼女は初めこそ村の住民と距離もあったが、日が経つにつれいつの間にか溶け込んでいった。恐れられているポケモンも、彼女のおかげで見方が変わりつつある。今ではウチの畑仕事も彼女のポケモンが手伝ってくれたりして助かってるし、そんな彼女はわたしのお茶飲み仲間にもなってくれた。彼女の話を聞くのも大好きで、この時間が楽しみの1つでもあった。

「でね、この間ウォロさんと遺跡で会ったんだけど」

ずきん、と胸が痛む。最近彼女からウォロさんの話を聞くことが増えた。調査をしている以上、旅に役立つ道具を売っているんだから、そりゃ彼と出会う機会も多いのは当たり前、なんだけど。前にこの村で2人で会話している所を見てしまってから、楽しそうに笑っている彼の顔がチラついて離れないのだ。

「背後から突然声掛けられたからびっくりして転びそうになっちゃいましたよ!まぁそのまま勝負してコテンパンにしてやりましたけどねっ」
「あはは。それは見たかったな」

ふんす、と可愛らしく拳を胸に当てた彼女に、いま嘘をついてしまった。勿論この子が悪い訳でもなく、ウォロさんが悪い訳でもない。ただ勝手にわたしがヤキモチを妬いてしまっているだけ。

彼女の話を聞くのは大好きだ。沢山のお土産話は聞いていて高揚感でいっぱいになるし、彼女が今完成させようと頑張っている図鑑を見せて貰うのも楽しみの一つ。

でもわたしの知らないウォロさんの話だけは、楽しむことが出来なかった。

こんな自分がひどく嫌いで、彼女に申し訳なく思う。最低だって、心の底から思う。

「ナマエさん?どうしたの?」
「…え?あっううん!ポケモン同士戦わせるのってあまり見たことないから羨ましいなって!きっと凄く迫力あるんだろうな」

彼女はきょとんと大きな瞳をぱちくりとさせる。
ちゃんと笑えているだろうか。どうかわたしの気持ちがバレませんように。そんなことを思って咄嗟に笑顔を作ってしまった。

「楽しいよ!とっても楽しい!!」
「わっ」
「行ったことのない場所で見たことのないポケモン。私自身も怖い思いしたことも何度かあるけど、この子達がいるから調査に出れるし、バトルで勝ったときに一緒に喜べるの、幸せなんだよっ」

ボールを手に持ち満面の笑みを浮かべたこの子に何故か泣きそうになった。

ひたむきに真っ直ぐ生きている彼女に、こんなことを思ってしまった自分が恥ずかしくも感じる。こんな醜い気持ちをどうすることも出来ず、この日は家に帰っても答えの出ないこの気持ちをどうしたらいいのかずっと考えていた。






「お久しぶりですね、ナマエさん」
「ぅきゃっ」

背後から久しぶりに聞く声音。聞き覚えのあるその声に振り向けば、久しぶりに見るわたしが一番会いたかった人だ。

「…ウォロさん」
「ふは、ヒコザルみたいな鳴き声は笑えます。そんな暗い顔してどうしたんですか」

鼻の奥がツン、と痛む。最近、不安に思うくらい空の色が暗くて、お日様なんていつ見たのかも分からない。ショウちゃんがこの村を通報という形になったとき、わたしは何が起こっているのかも分からずに少しでも力になれることはないかと考えたけど、ポケモンも持っていないわたしが出来ることなんて無いに等しくて。

ウォロさんは、いつもと変わらない笑顔でわたしを見下ろす。いつもならそれだけで笑顔になれるのに、今日のわたしはそういう訳にもいかなかった。

「今、何が起こってるんですか?」
「ん?」
「空はずっとこの調子だし、ショウちゃんが通報されてしまった理由も分からなくて」
「…少し歩きましょうか」

村の人々は恐れて家の中に入りあまり出てこない。やっと賑わい出した村は、わたしが越して来たときより寂れてしまったようにも見える。それくらい静かだった。

こんな時に家を出るなという親の意見を押し切って外の風を吸いに出た訳だけど、まさか最近この村に顔を見せなかったウォロさんに会えるとは思ってもみなかった。

「彼女は、時の人ですから」
「時の、人」
「そう、時の人」

ウォロさんはそれ以上口を開かない。今起こっている事を知っているはずの返答だけど、わたしにその理由を教えようとはしてくれないのだ。多分もう一度聞いてもはぐらかされてしまう気がして、わたしは出かかった声を飲み込むように口を噤んだ。

それと久しぶりに会った彼に思うことがもう1つ。勘違いならいいんだけれど、ウォロさんとの間に壁があるように思えるのは何故だろう。

「……」

暫く無言で通りを歩く。そうして歩を止めたウォロさんに何気なく顔を向けたとき、彼はにこりと微笑んで言ったのだ。


「今日は、アナタにお別れをしに来たんです」


一瞬で目の前が真っ暗になっていくのを感じた。なんて言われたのか咄嗟に理解は出来ない。ただ今ウォロさんが行った言葉が頭の中を児玉して、何度も何度もリピートしている。

「え、えと、」
「たまたまこの村の近くを通ったので寄ってみたんですが、アナタに会えるとは思いませんでした。丁度良かったです」

丁度良かったって、何が?
なんてことの無いように話す彼に、わたしの顔は強ばっていく一方だ。服の袖を掴む手には力が込められる。

「な、んでそんなこと言うんですか。何処かに行っちゃうんですか?」
「んー…アナタには関係ないことですよ。どうせもう会わなくなりますし」

出会った頃と同じようにわたしに笑顔を向けるウォロさんに、わたしの目には自然と涙が溜まっていく。それでもウォロさんは、何食わぬ顔をして笑顔を浮かべたままだった。

「ヤです。最後なんて、そんなの嫌です」

震える声で出た気持ちは、もう恥ずかしいとか言っている場合じゃない。視界がぼやけて、ウォロさんの顔が見れない。目を擦り、痛む鼻を啜っても、全く意味がない。

「っま、また外に連れてってくれるって言ってたじゃないですか」
「ん?…ああ、そんなこともありましたね」
「っ、」

思い出したように呟いたウォロさんにとっては、わたしにとって過去一大事な思い出も、どうでも良かったような出来事に聞こえる口調だった。

「わ、わたしウォロさんのこと、」
「それ以上言ってもいいことなんてありませんよ」

ぐっと低い声音わたしの言葉を遮る彼に、小さく体が跳ねた。

「やだ、聞いて…っ下さい」
「困らせないで下さい。アナタそんな物分りが悪い子じゃなかったでしょう」

はぁとため息を吐くウォロさんに、涙は一向に止まってはくれない。そんなわたしを見た彼は、わたしに向かって嘲笑うかのように口を開いたのだ。

「…アナタがジブンに対して思ってる感情は、勘違いって奴ですよ。この村に来て少し親切にされたもんだから、そう思い込んでしまってるだけです」
「ッ違います、だってウォロさん…優しくしてくれたじゃないですか」
「優しい?…ッハ、あんなのはただの暇つぶしですよ」

どうしたってわたしはウォロさんの一番になれはしないって彼の言動。初めから、無理だったのだ。初恋は実らないって言葉がある。まさにそれだった。

何時までも泣き止まないわたしに、ウォロさんがどんな顔をして見下ろしていたのかもう見る余裕なんてなかった。

「お別れです。ジブンのことはもう忘れて下さい。…でもまぁ、あの時の社会勉強は楽しかったですよ」

涙が溢れる。今度こそ引き止めることなんて出来なかった。ずるい、ずるい、狡すぎる。暇つぶしって言ったくせに、忘れろって言うくせに、最後は楽しかったとか意味が分かんない。

「っふぅっ…うぇ…っうぅ」

ウォロさんを忘れるには、多分相当な時間が掛かることだろう。外の景色やイチョウ商会がある場所、何処にいても何をしてもきっとわたしは彼を思い出してしまう。

失恋というものが、こんなに胸が苦しいものだと初めて知った。





「ねぇねぇ、この新作のいももち美味しいよ!1口食べる?」
「ありがとう。でも今お腹いっぱいだから大丈夫だよ」

あれから2年の時が経つ。あれから色々あったように思う。今目の前でいももちを食べている彼女のおかげで、今わたしたちがこうして平和に過ごしているのは間違いない。あの時彼女が通報されてしまったとき、何も出来なかったわたしのことを彼女は何も咎めることもせず、寧ろ「また仲良くしてくれて嬉しい」だなんて笑顔で言うものだから、泣きそうになったのを覚えて、このヒスイを救ってくれた英雄は、今ではお茶飲み仲間どころかわたしの親友でもある大事な存在だ。

彼女が帰って来て、一部の人間しか知らないとこっそり教えてくれたのはウォロさんのことだった。

ウォロさんの考えていたこと、それはとても恐ろしいものだった。それなのにじゃああの人は悪い人だったと思い込めない自分はどうかしているんだろう。

それとなしに聞いたウォロさんの現在は、彼女であっても知らないらしい。

きっと彼こそわたしなんか忘れて今を何処かで過ごしているだろうに、こうしてる間にも未だにわたしは彼のことを考えてしまう。忘れなきゃって思うのに。

「あっ、分かった!明日祝言だからいももち食べないようにしてるんでしょ!今日明日じゃ見た目なんて変わらないって」
「え?あっ違うよ!?さっきいっぱい食べちゃったからだって」
「またまたぁ!…でも本当におめでとう。ナマエさんの花嫁姿、楽しみにしてるからね」
「…ありがとう」

ショウちゃんはにっこりと元気よく笑って、いももちを頬張る。この2年間でわたしは作り笑顔がとても上手くなった。

十八歳、この村での結婚平均年齢は少し過ぎてしまったけれど、わたしは明日、好きでもない男と結婚をする。







別に結婚相手になる方が嫌いな訳ではない。この村に住んでいるわたしより2つ上の男性だ。浮いた話をひとつもしないわたしに両親が持ってきた縁談話。
早く孫の顔が見たいと言った親の事を考えると、気が乗らなくても断ることが出来なかった。

わたしの結婚相手となる男性は優しいし、わたしの嫌がることをしようとしない。買い物に出ればどんなに軽い物でも持とうとしてくれるし、わたしに対して顔を染めてくれる可愛らしい方でもあると思う。

この人は、わたしのことを幸せにしてくれるだろう。

だからこそ申し訳ない。

彼の顔を見る度に、いつも脳裏に浮かぶのは別の人。





「…何も変わってないな」


気持ちの良い風が吹く。
前にここへ連れて来て貰ってから随分時は経ったけど、前に来た時と変わらない景色だった。

村の門とは別にこの黒曜の原野に繋がる小道が1箇所ある。これはウォロさんが教えてくれた道で、あの日に連れて来て貰ったときも、ここを通って訪れた。

1人で来るのは勿論初めてで、少し胸はドキドキと早い音を立てるけど、それでも落ち着いていた。

今ウォロさんは何をしてるんだろうとふと考える。
遺跡巡りでもしてるのだろうか。

会いたいと思って毎日を過ごしました。
会いたいと思い続けて数年経ちました。

忘れろと言われたけれど、それでやっぱりわたしは今でも忘れることが、出来ませんでした。

忘れたくないのに忘れなきゃならないなんて、どうすればいいのか自分にも分からずこんなに時間が経ってしまった。ウォロさんと一緒にいられた期間なんてほんの少しでしかないのに、思い出をどうしても捨てることが出来なかったのだ。

冬が近付くこの季節はもう薄着では冷える。
風邪でも引いてしまったら明日皆に迷惑を掛けてしまう。そろそろ戻らなければと思った矢先の出来事だった。




「ポケモンを持っていないアナタがここに1人で来るなって言いましたよね」

「へ…」

膝から顔を上げる。幻聴かと思った。
だって、そんな、まさか。

後ろを振り返ると、それはわたしがどうしても会いたかった人。目をぱちぱちと瞬きを繰り返すと、彼は眉間に皺を寄せてわたしの横に腰を下ろした。

「ウォロさん…?」
「そんな幽霊でも見たような顔しないで貰えます?本物ですから」
「なっなんでここに…?」

ウォロさんはわたしの問いには答える気がないようで、ゆっくりわたしに視線を向ける。

「結婚するんですってね」
「え」
「風の噂で聞きました、アナタのこと。こういう場合、オメデトウゴザイマスって言った方がいいんでしょうか」

その瞬間、わたしの目には涙が溜まり出す。でも絶対に泣きたくなんかなくって、ギョッとしたウォロさんへ睨むように視線を合わせた。

「ウォ、ウォロさん酷いです」
「はぁ?」
「わたしの気持ち知ってておめでとうとか…それに勝手にさよならとか、忘れろとか言うくせにわたしとここで過ごした時が楽しかったとか言って、そんなの…そんなの忘れられる訳ないじゃないですか!」
「ちょ、泣かないで下さいよ」
「泣いてません!ぜったい!」

きぃ、と言葉を吐けばウォロさんの表情は少し怯んだように口を噤んだ。

「……ワタクシがしたこと、もう聞いてるんでしょう?」

その言葉に頷くと、ウォロさんは深いため息を吐く。

「だったら、」
「でも、でも好きなんです。ウォロさんは勘違いって言ったけど、やっぱり勘違いなんかじゃない。暇つぶしって言われても、わたしにとっては毎日が楽しくて…あれから毎日ウォロさんのことを思い出しちゃうんです」
「……」
「ずっと…ずっとお慕いしておりました。ほんとうに、会いたかったんです。いなくなっちゃ、やだ」

自分の気持ちを伝え終えたとき、目の前がぽふん、と真っ暗になったかと思うと、途端に息苦しい。

「…そんなに好きですか…ジブンのこと」
「あっうぉろさっ」
「だから嫌だったんですよ。恋とか愛とか好きだとか…心底こういうのはジブンに向いていないし、面倒臭い」

終わったと思った。徐々に熱が冷めていくのを感じる。だけどそれは一瞬で、ウォロさんに抱き締められていたんだと分かると、頭はパニックに陥る。

ウォロさんの言動と行動の違いに、頭の思考が追いついていない。

「…会いたくなかったです。本当に。…なんでここにいるんだよ」
「あ、」
「アナタ、自分の言っている意味分かってますか?明日祝言を迎える女が、別の男に好きだとかなんとか言ってる意味」

ウォロさんの腕から逃れようとしても、思いのほか力が強くて離れられない。なんとか自由の効く顔を上へと向けると、そこには困った顔をして笑っている彼が目に映った。


「お前のせいですよ。そんな顔されたら、奪ってしまいたくなる」


悲しげにも見えるその灰色の掛かった瞳に見下ろされて、わたしは彼からのキスを拒むことはしなかった。





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