「ねぇ、イーブイ?君は何に進化したいのかなぁ?」
「きゅうぅー…」
羨ましいくらいの大きなくりくりお目目、ブラッシングしたばかりのつやつや毛並みにふっさふさの大きな尻尾。怒るから最近は余り出来ないけれど、ぎゅうって顔を埋めたくなるような小さなシルエット。うん、今日もウチのイーブイ、尊いが過ぎる。
「はぁぁぁ。今日もお前はかぁいいなぁぁ」
にへぇと顔が緩むわたしとは反対に、イーブイは見向きもせずに買ったばかりの雑誌に夢中である。
うんうん、シャワーズも素敵だよね。つるつるした触り心地で夏でもひんやりして気持ちが良さそう。ブースターはふわふわもこもこで可愛いし、冬は一緒にくっついて寝たら暖かいだろうなぁ。
でもブラッキーも捨て難い。よくブラッキーに進化したらツンツンの割合が多くなったと聞くけれど、君はどうなるんだろ。今よりもっとツンデレちゃんになるのかしら。
ニンフィアはもう定番中の可愛さだよね。テレビで人気のアイドルも手持ちがニンフィアだし。
こんなわたしの言葉は雑誌を真剣に見つめているイーブイには届いておらずこれではまるで独り言だ。しかしこれは日常茶飯事であるから気にしない。
「でもまぁ…わたしはそのままでも十分素敵だし可愛いと思うけどな」
片耳がぴくっと跳ねたイーブイが愛くるしい。イーブイの頭をポンポンと撫でて小さくキスをしてみた。ちょっとうるさかったのかイーブイはわたしの顔を見るなり「……ぶぃ」とそっぽを向かれてしまったけれど。最近反抗期気味で悲しい。
わたしが旅に出る前から一緒に暮らしていた相棒のイーブイ。最近ずっとソワソワしていると思ったら、どうやら進化をしたくて堪らないらしい。なんでもアカデミーで同じクラスのマドンナ、モブ子ちゃんのイーブイが最近エーフィに進化したからだ。わかるわかる。マドンナのポケモンも同じくマドンナだったもんな。わたしのイーブイの瞳がキラキラとエーフィを見つめていて、それからというもの自分も変わりたいという欲求が強くなったみたい。
憧れに近付きたいって気持ちは人間もポケモンも同じだもんね。
「んー…」
雑誌の"イーブイ特集"のページをペラペラと捲る。サンダースやらリーフィア。イーブイは石やなつき度等で色んなタイプの姿になれる不思議なポケモン。
どの姿になっても大好きだし可愛いのは変わらない。だけどわたしは元よりバトルジャンキーではない為に宝物探しの郊外授業中とはいえ、旅もそこそこ今も寮のベッドで横になっている最中だ。自分で分かる。こうした緩い生活が性に合っているんだ。だからわたしはこのままずっと進化せずにイーブイのままでも良いと思っていたし、何よりずっと一緒にこの姿で生活してきたからか、例え同じ個体だと分かっていても姿形が変わってしまうのはぶっちゃけ少々寂しくも感じる。
とはいえこの子が進化したいというのなら、好きな姿にしてあげたいと思うのもトレーナーでもあり親の心理であろう。そう思ってたまたま特集が組まれていた雑誌を買ったのだけれど、何度もページを捲らされるという役回りをすること早20分。
一生に一度の進化だもん。悩むよね、分かる。盛大に悩んでくれ。
……だが、体は正直である。
「はぁ、同じ体制で腕痺れたからきゅうけーい」
「ぶっ!ブイッ!!」
「いたっ!」
体勢を変えるため起き上がろうとすれば、イーブイはムッとした顔付きでわたしの手をペチンと叩く。痛くはないけどひどいヤツめ。
「そっそんな怒ることないじゃんかっ!体勢変えようとしただけだしっ」
「ぶぃっ!!!」
親も親なら子も子である。似た者同士のわたし達は普段仲が良い分、こうしてたまに小さなくだらない喧嘩にも発端するわけで。大人気ないわたしは口を尖らせてべぇっと舌を出し、イーブイが見ていた雑誌のページをパラパラと捲った。
「ブッブイブイ!!」
「ふんだ。ちょっとはわたしにも優しくしてくれたらどうなんですかー!?」
ページを戻して!と怒るイーブイと小さな格闘を繰り広げ、何の気なしに開いた先のインタビュー記事に目が止まる。
『パルデアイケメン図鑑 第3回 パルデア最強ジムリーダー グルーシャ』
暖かそうなマフラーを巻き、透き通るような薄浅葱色の瞳をした男性。パルデアでジム戦に挑む者なら誰でも知っている名前だ。対戦を余りしないわたしでも知っているのだから、彼は有名人であること間違いなしである。長いまつ毛が印象的な彼は中性的且つ眉目秀麗で、いかにも女性人気がありそうな顔立ちをしている。
Q.スノーボード時代から今のジムリーダーの期間、変わりなく人気者ですが、ズバリ彼女はいらっしゃいますか?
A.いないよそんなの。
そうして目に映った適当な質問をいくつか読めば、なんと淡々な返ししかしていないこのグルーシャさんというお方。インタビュアーとの温度差が凄い。
「ジムリーダーも大変だねぇ」
ふぅん、と写真を眺めるも、どれもこれも笑っている写真が1枚もない。ムスッとしているように感じるグルーシャさんばかりで、一緒に写っているハルクジラの方が余っ程楽しそうである。
Q.どのような女性がタイプですか?
A.そういう質問ばかりだね。…サムいんだけど。
「ふはっ」
ちょっと笑ってしまった。確かに彼の言う通り見る質問の殆どが恋愛関係ばかりの質問だった。人気者あるあるなんだろうけど、ファンからしてみれば気になる質問だもんな。
スノボの世界ランクで2位の実力も持っていて、今ではパルデアの最強ジムリーダーでもあるだなんて、余程才に恵まれた人じゃないとなりたくてもなれるものではないだろう。わたしとは縁遠い世界の人だ。
「ん?」
クイクイッとわたしの袖を甘噛みするイーブイ。そうして目を向けると、グルーシャさんの特集記事をぺちぺちと可愛い肉球で叩き興奮している。
「え?どういうこと?」
「ブイ!ぶいぶいっ!!!」
「あぁ、氷タイプの使い手なんだって。ここら辺じゃ中々見かけないポケモン達だよね」
「ぶいっ!」
「……?」
目を輝かすイーブイ。ハテナを浮かべるわたし。
「……もしかして、グレイシアになりたいの?」
「きゅうう」
当たりだと言わんばかりに飛び付いてきたイーブイはそれはもう嬉しそうで。
「こおりのいしだよね。進化に必要な石」
一応バッグの中を探してみたが持っている筈のないものがある訳ない。しかしこんな顔をされてしまったら頷くしかないだろう。探しに行くしかないじゃないかこおりのいしを。わたしはめっぽうこの甘えるように上目遣いをするイーブイに、昔から弱いのだ。
▽
「…寒い。死ぬ」
「ぶい!」
その日から通い詰めているナッペ山。かなり足を通わせているわたしはきっとナッペ山の地理を知り尽くしているに違いない。ウソ、半分も回れていない。
一生懸命雪をかき分けて石を探すイーブイの願いは聞いてやりたい。叶えてやりたいと心の底から思ってる。でも、でもさ。
「ねっねぇイーブイ?みずのいしとかならショップで買えるしそっちにし、」
「ブイッ!」
「ませんよねぇ!…すみません冗談です!」
このナッペ山。年がら年中雪だらけだから当たり前だけどマジで寒すぎる。
こおりの石を探すべくこの見渡す限りの雪原の大地に頻繁に訪れるようになりどれくらい経っただろうか。地面に目を凝らしてみても見つかりやしない。こんな同じ景色の中でこおりのいし1つに絞って探すのなんて苦行じゃないかと半ば諦めかけているダメな親トレーナーである。
経験談からして思うけど、欲しいものって探してるときは見つからなくて、用が済んだら見つかったりするの本当に不思議だ。物欲センサー恐るべし。
いつの日にかテレビで見たダウジングマシンとかいう捜し物見つけるやつ。アレが今めちゃくちゃ欲しい。
「それにしても毎回同じ場所じゃ見つかる物も見つかりそうにないんだよな」
あっ!何かある!と思えばキズぐすりかきのみである。もっと山の奥地に進めばあるのかもしれないな、と最近は強く思うようになってきた。
だってそりゃそうだよ。ここじゃ見つかる訳ないって。
「ねぇジムの中に入ってさ、ココアでも飲んで休憩しない?水筒持って来たからあったかいよ」
「……ぶぃ」
わたしよりも体温が高いとはいえ流石にイーブイも気温差にくしゃみを一つ、渋々頷いた。カイロがわりにイーブイを抱き締めジムへと向かう。するとわたしが行き着く前に自動ドアが開いた。
「うぉっ!!グルーシャさんっ」
「…何その言い方。ってか声デカいんだけど」
わたしを見るなり眉間に皺を寄せたのは、あの日に雑誌で見たグルーシャさんである。
雑誌で見た時と変わらず暖かそうな服を身にまとい、口元を隠したグルーシャさんにイーブイはわたしの腕からぴょんっと抜け出すと彼に飛びついた。
「あっちょ!イーブイ!」
「……いいよ。もう慣れた」
慌てるわたしにイーブイはお構い無しにグルーシャさんの腕の中に収まると、顔を彼に擦り寄せる。…わたしにはたまにしかしてくれないくせに。それも欲しいものがあるときだけ。
そう、お察しの通りわたしのイーブイ。どうやらグルーシャさんが大層お気に入りらしく、雑誌で彼を見て以来グルーシャさんにゾッコンラブである。
「で、捜し物は見つかったの?」
「あーいや、ないんですよね。もう探して暫く経ちますし、そろそろ違うところ探しに行きたいなぁ…なぁんて、」
「ダメだって言ってるだろ。この間みたく無駄死にする気?」
「っ…しっ死んではないですけどねっ」
「僕のおかげで、でしょ」
じとっとした目つきのグルーシャさん、絶対信用してないって顔をしてる。だってここはナッペ山のジムの前。バトルコート付近がわたし達の許されたこおりのいし探し場所である。見つかる訳ないよ。
「信用してないって顔してます…」
「うん。してない」
「即答っ!」
「だってあんたら僕に拾われたの2度目だろ。二度あることは三度あるって言うし、あんたみたいなの信用出来る訳ないよ。僕の仕事、増やさないで」
「…すみません」
痛いところをつかれた上に容赦ない言葉も突き刺さり口を閉じる。
本当にこおりタイプの使い手ですか?どくタイプもお持ちではないでしょうか。
とはいえ彼の仰る通り、わたしは二度このジムリーダーのグルーシャさんに拾われている。拾われているというのには語弊があるけども。助けて貰ったのは事実だ。
一度目は初見でこの山の吹雪にやられ、ほぼ遭難になりかけたとき。2回目は懲りずに晴れているから大丈夫だろうと山を散策しているときに道に迷ってしまって。
「…雪山舐めすぎ。バカにも程があるんだけど」
あのときのグルーシャさん、マジで怖かった。
それからというもの、捜し物ならここにもよく落ちてるからとグルーシャさんにジム付近以外でのナッペ山の周回を遮断され今に至る。イーブイだけがめちゃくちゃ喜んでいたことだけは覚えている。
「なんでわたしが行くとこ行くとこにグルーシャさんがいるんだろ」
「あんたが僕の行く先にいるのが悪いんだろ」
ああ言えばこう言うグルーシャさんに、頭が悪いわたしは口で勝てる気がしないので眉間に皺が寄る。「その顔、止めた方がいいよ」と即座に言われてしまい、更にわたしの顔はへの字に曲がった。
「あ、そういえば今日いつもより人が多くないですか?何かあるんです?」
先程から徐々にバトルコートへ人が集まり賑わっている。その率が圧倒的に女性が多い、わたしと同じアカデミーの制服を来た女の子もちらほらいたし。
わたしの横を通り抜けるグルーシャさんの日に照らされた水色の髪がそっと靡いた。
「バトル。久々にバッジ7つ集めたヤツがいるんだよね」
▽
ちょっとドキドキが止まらないんですけど。
これはもうグルーシャさんの人気の理由も分かった気がする。
挑んだ子も対策はしていたみたいだが、グルーシャさんの方が1枚上手だった。こおりに強いほのおにハルクジラのアクアブレイク。はがねポケモンにじしんを打っていたツンベアーには歓声が湧き上がるほどの盛り上がり。それにグルーシャさん本人だ。いつも冷めてる(失礼)態度なのに勝負事にはちょっと熱くなってたところが以外過ぎて驚いた。
「勝利おめでとうございます!凄かったです!高揚感ってのがヤバかったです、え!?チルタリスのテラスタイプこおり!?ってびっくりしちゃいました!」
「…うるさい」
テレビ以外で有名人のバトルを直で見ることなんてなかったから、自分でも引くぐらいに興奮していた。案の定、グルーシャさんは鬱陶しそうに顔を歪め、赤くなった鼻先をマフラーで隠している。
「ごめんなさい。でもほんと、グルーシャさん格好良すぎてファンが多いのも頷けちゃいました。わたしアカデミーに通ってるクセにバトルに関してはてんでダメなので、参考になります!ね!イーブイ?」
「ぶぃっ!」
「……」
黙ってしまったグルーシャさん。ヤバい、また引かれるようなことを言ってしまったのかと恐る恐る背けた彼の顔を覗くと、わたしの目は見開いた。だって今日も変わらず寒いはずなのに、彼の頬には少し赤みが増している。
「…へ?」
「…そういうのサムすぎ」
「てっ照れてらっしゃる…?」
「……もう中入る」
あからさまに不機嫌になった彼はわたしを置いてそのままジムへ入っていく。普段見れない彼の顔を少し知れた気がして嬉しくなった。
▽
今日も今日とて石探し。
グルーシャさん一筋のイーブイが頑なに彼の言いつけを律儀に守る為に、わたしはこのままいくとアカデミー卒業論文で"ずっとグレイシアに進化させる為の石探しをナッペ山ジムにてしていました。おわり"という状況になりかねない。
「あとどれくらい探せば見つかるのさ」
「きゅうう…」
流石のイーブイも少々元気がないし、ここらで見つけてやりたいとは思うのだけど。
「まだこおりのいしは見つからないの?」
「ブーイ!!」
グルーシャさんを見つけた途端、ウチのイーブイこれである。もう絶対グルーシャさんに恋してると思うんだよね。絶対そう。親のわたしが言うのだから間違いない。
上機嫌のイーブイを抱くグルーシャさん。
初めの頃なんてジムの前にいたって顔合わす機会早々なかったのに、最近ではよく話しかけてくれるようになったからイーブイは大喜びだ。
「はい。全然ないですよね。でもたまに野生のポケモンとバトルするからかイーブイちょっと強くなりました」
今でもピッピにんぎょう手放せませんけど、と笑ってみれば、グルーシャさんは少し含んだ表情をしてみせた。
「…ちょっと来て」
▽
イーブイは抱かれたまま嬉しそうにグルーシャにくっつき、わたしは急いで彼の後を追う。ジム内に入り、関係者以外立ち入り禁止の筈の部屋に通されると、そこにはトロフィーやらいくつかのメダル等が飾ってあった。
「凄いですね。全部グルーシャさんのですか?」
「そう、もう過去のものばかりだけど」
数々の戦歴に目を輝かせていれば、グルーシャさんはため息混じりに口開く。
「そんなの見たって面白くもなんともないと思うけど?」
わたしの目に止まった1枚の写真。プロのスノーボーダー時代のものだろうか。今より顔つきが幼く、楽しげに笑っている彼が写っている。
「グルーシャさんこんな顔もするんですね…」
「あんた人のこと何だと思ってるんだ」
「あっいや!そういう意味じゃなくてっ」
気に触ることを言ってしまったかもしれないと慌てて弁解する。当の本人はイーブイに頬を舐められているけれど、最近はそれも慣れたのかされるがままだ。
「そうじゃなくて…すみません。余りグルーシャさんが笑ってるところ見たことがなかったので。えっと…前にスノボ時代の大会のDVDがアカデミーに残ってて、それ見させて貰ったんですけど。凄かったです、あんな風に雪の中回転したりジャンプしたりなんて絶対出来ないですもん」
「…は?」
「それでいて今ではパルデアの最強ジムリーダーなんてなりたくてもなれるものじゃないですし」
必死にイーブイがこれが見たい!と図書室にあるDVDコーナーで見つけたグルーシャさんの大会記録。よく見つけたな、恋とは素晴らしいと思いながら借りて見た訳だが、スポーツに詳しくないわたしでも釘付けになるようなテクニックばかりだった。
つい熱く語ってしまい、ハッとした頃にはもう遅い。
グルーシャさんはわたしから目を逸らし冷たい口調で言葉を吐いた。
「今の僕と昔の僕。全然違うでしょ」
「へ…」
「あんたが見たのは過去のぼくだから。笑えるよね。どれだけ頑張って夢見たって怪我しちゃったらもうその道は絶たれるんだから。今の僕にはこの子達しか残ってない。そんな僕を見て、幻滅したりしなかったワケ?」
嘲笑うようにグルーシャさんは言葉を繋ぐ。
ぽけっと開いた口をぎゅっと力を込めて、グルーシャさんの名を呼んだ。
「そっそんなこと思う訳ないじゃないですか!どちらのグルーシャさんも相当な努力しなくちゃ出来ない職業ですから!この間の試合だって凄かったです!わたしバトル余りしないけど、グルーシャさんのバトル見て心揺さぶりましたもん!それくらい、格好良かったです」
「は、」
グルーシャさんの薄浅葱色した瞳が見開く。興奮気味になると思ったことを口にしてしまう性格を本当どうにかしたいと思う。
「あっいやすいません。気持ち悪かった、ですよねぇ」
「…そんなこと、初めて言われた」
「え…」
てっきりまた「サムい」とか言われるものだと思っていた為、わたしの口から半音飛んだ声が漏れた。
部屋に入ってマフラーを取っていた彼の口元は、微かに笑っている。
「あ…っと、グルーシャさんのファンなら皆そう思ってますよ!魅力がなければ人は集まらないと思います」
グルーシャさんは今度こそちゃんと笑顔をわたしに見せた。初めて見た彼の表情に、少しだけ胸の奥がむず痒く感じる。
「あんた、変なヤツだね。…名前なんだっけ?覚えとく」
「え"!これだけ通ってたのに名前覚えて貰えてなかったんですか!?」
それは流石にショックなんですけど…。
「…ナマエっていいます。まぁ…わたしなんてゆるゆる人間なのでここに挑みに来る頃には忘れられてそうですけど…」
拗ねたわたしを慰めるかのようにグルーシャさんはわたしの頭をそっと撫でる。
「ごめんね?もう忘れないから。それと、コレ」
泣く泣く彼の差し出した物を見てみれば、悲しさは一瞬で消えていく。
「これって…こおりのいしですか?」
「そう。ここでたまに滑りに来る人の報酬」
「はい?」
「だから、ジムテスト以外の人でもここで滑れるんだけどさ。その一番難しいコースを滑ることが出来る人の報酬がこおりのいし」
は?は?え、意味が分からないんですけど。
つまり、初めからグルーシャさんはこおりのいしを持っていたと?わたしとイーブイが凍えそうになりながら悴むお手手で探しまくっていたというのに?
「だってあんた滑れないだろ」
「心の中読まないで下さい!」
「あんたが顔に出やすいだけ」
ぎゃん、と喚くわたしに対し、グルーシャさんはもう通常通りの対応である。うるさそうに耳に片手を上げていた彼はわたしの手を取るとこおりのいしをそっと持たせる。
「イーブイも意地悪みたいなことしてごめんね?…あんたが来ると、暇つぶしが出来たから」
「ひま、暇つぶし…」
グルーシャさん、絶対ドSだろ。
言い返す気力も見つからない。言い返したところで勝てないし。イーブイは猫のように顎を撫でられて、怒るどころか気持ちが良さそうである。
「あんたらの時間随分奪っちゃったし、なんか僕に出来ることで叶えて欲しいことある?」
「…叶えて欲しいこと、ですか」
「別に今日じゃなくてもいいけど」
叶えて欲しいこと。わたし自身としては正直特に思い付かず、イーブイを見つめる。蕩けたあの顔を見て、わたしの頭はピンと来たのだ。
「あっ、じゃあ写真撮って貰ってもいいですか?」
「写真?」
「はっはい!嫌でなければ。無理なら全然大丈夫なんですけど」
グルーシャさんは少し考えた素振りをするとわたしのお願いに頷いてくれた。
「分かった。あんまり写真得意じゃないけど、あんたの為なら特別に撮ってあげる。それと…来る理由がなくてもまたここに来てくれる?」
「え?」
「あんた面白いし飽きないし。僕も会いに行くけど、頻繁には行けないから」
そう言ったグルーシャさんは伏し目がちに顔を反らした。その声音は少々不安げで。…待って、意外とトップジムリ可愛いな!ついさっきまでドS人間とか思ってしまったけれど、可愛いな!!
「そんなことならいつでも!!飛んで行きますよ!わたし!」
「…そのニヤけた顔やめて。早く撮ろ」
意外と恥ずかしがりなのだろうか。
ツンデレって奴ですか!?ウチの子みたいに!!
「撮るの緊張しちゃいますね、へへ。イーブイ、グルーシャさんが一緒に撮ってくれるって!良かったねぇっ」
「ブーイ」
「は?」
スマホロトムのカメラを起動して上手く撮れるように位置を移動する。するとイーブイを抱きしめたままのグルーシャさんは意味がわからないと眉を顰めた。
「え待って。写真撮るのって、あんたと僕じゃないの?」
「へ?ああいえ!わたしは写真苦手なので大丈夫です!ウチのイーブイの推しがグルーシャさんでして!グルーシャさんが前に出てた雑誌で進化先をグレイシアに決めたぐらいにはグルーシャさんの事が大好きで!」
「え?あ?は?」
「グルーシャさんごめんなさい。もうちょっとイーブイのお顔にくっついて貰えると嬉しいです」
「きゅうぅ」
甘えた声を出すイーブイ、まじで女の子。
人間とポケモンの恋は叶わないのが切ないね。でもイーブイが幸せならわたしも幸せです。
パシャリと撮った写真。幸せそうなイーブイと、ひどく不機嫌そうなグルーシャさん。
「あれ?怒って、ます?」
もう1枚なんておねだりしてみようと思ったら、抱いていたイーブイをわたしへと手渡した。
そうして一呼吸した後、彼は言ったのだ。
「…別に怒ってない。けど、あんた覚えとけよ」
へ??