ポケモン夢 | ナノ

この度、復縁を申し込まれまして。



彼の笑った顔が、一等好きだった。

わたしの手を引いて、一歩前を歩く彼の後ろ背を見るのも、本当に大好きだった。

真っ白に染まった雪の斜面を誰も真似出来ないような難儀なテクニックで軽々と滑る彼の事を素直に美しいとも感じたし、憧れもした。

それと同時に、こんなに近くの存在なのに手が届かないような遠い存在にもなってしまったような気もして、少なからず寂しさを感じて悩んだ時期があることも、また事実である。

「ナマエ!」

だけどどれだけ多くの人に高く評価され、どれだけ多くの人たちが彼の周りを囲おうとも、彼はいつだって真っ先にわたしの名を呼んでくれたのだ。

それが嬉しくて堪らなかった。
勉強もスポーツもバトルでさえも人並みのわたしが彼の隣にいることを許して貰えているような気がして、何にも変え難い感情が心に募っていった。明るさだけが取り柄のわたしはその分彼の一番の支えになりたいと強く思った。貰ってばかりでなく、わたしを大切にしてくれる彼を大事にしたいと、そう思ったのだ。

だけどわたしは根っからの不器用。差し入れのサンドウィッチも上手く作れないし、わたしよりも勉強が出来てわたしよりもポケモンに詳しい彼より勝る要素がひとつも無い。

「グルーシャの為に何か1つでも役立てることをしたいんだけど…何すればいいのか分かんなくて。いつもドジってばかりでごめんね」
「なんで謝るの?僕はそのまんまのあんたでいいっていつも言ってるだろ。…傍に居てくれるだけでいいから。あんたの笑ってる顔が僕は好きだよ」

少し焦げてしまったクッキーを差し入れとして持っていった日、グルーシャは文句も言わず1口齧るとわたしの頭を優しく撫でた。ぽけっ、と口を開けるわたしを見て照れ臭そうに顔を背けた彼を見たら、今のが夢じゃなく現実だと実感し、堪らず抱き着いてしまった。

「ぐるーしゃ、好きだよ。本当に大好き」
「…知ってる」

普段余り好きだとかそういった愛情表現を言葉にすることが苦手な彼が、好きだと言ってくれたのだ。その言葉がわたしにとってどれだけ心に残り、どれだけ大きかったことか。きっとグルーシャは知らないだろう。

スポーツだけでなく、ポケモンバトルまで群を抜いて強かった彼の周りにはいつも人で溢れてる。才能溢れる彼に取材したいと集まるレポーターやファンの人達。彼のことを「天才」と呼ぶ人たちがいた事も知っている。だけどわたしは彼が裏でとんでもない努力をして今があることも知っていた。
人には余り見せない裏側を、わたしだけに見せてくれていると思えば胸はいつだってきゅう、と熱くなり、好きの気持ちは大きく膨らんでいく。


「残念ですが、プロとして競技を続けることは…」


グルーシャが出場したナッペ山大会。彼はそこで足を負傷した。

彼の母は泣いていた。わたしも気付いたときには頬を濡らして嗚咽まで漏れていた。彼の病室のドアに手をかけては離し、自分の目が赤くなっていないかを何度も確認しては深呼吸を繰り返す。

わたしがこんなんでどうするの。泣いてちゃダメ。わたしはグルーシャの彼女なんだから。

息を飲んで、ドアを引く。扉1枚挟んだ彼に会うまで数分かかってしまった。

「…グルーシャ」

ゆっくりこちらを向いたその彼は、わたしを見て少しだけ微笑んだけれど、目に色を失っていた。

「ねぇグルーシャ、退院したらピクニック行こ?アルクジラもきっと喜ぶよ」
「…そうだね」

「今日来るときりんご買って来たの!上手く向けなくてちょっとがたついちゃってるけど、味は美味しいよ!っあ、りんご買う時にカジッチュがいてね、似てるから間違えそうになっちゃってさ」
「…そうなんだ」

「もうすぐ退院出来るってお医者さん言ってたね!わたしのポケモンも喜んでるよ。グルーシャと一緒に遊びたいってぴょんぴょん跳ねてるの!」
「…そう」



「…あのね、わたしはグルーシャが生きてるだけで、嬉しいよ」
「……」

できる限りのことはしたと思う。毎日空いた時間にグルーシャの元へ行き、少しでも笑顔が戻ればとアカデミーで起きた面白い話やわたしの手持ちポケモンのうっかり話を沢山持ち帰ってきては彼に話した。わたしに出来るのはそれくらいしかなかったから。

でも彼が前のように笑ってくれることは殆どない。から回っているのが自分でも分かると家に帰って何も出来ない自分の無力さに嫌気がさした。それでも大好きだから故に自分自身に喝を入れ持ち上げた。そんなのグルーシャの立場を考えれば当たり前。わたしが一々落ち込んでいる場合でしょ、って。だから前以上に自分の気持ちだって素直に伝えるようにもした。

かつての彼は消え失せて、塞ぎ込んでしまった彼が少しでも元気になりますようにと願わない日はなかった。だって好きだった。何かに落ち込んでいるわたしにいち早く気付き、元気付けて励ましてくれた彼のことを、大好きで仕方がなかったのだ。大好きな人が辛ければわたしも辛い。力になりたい、と服の袖を握る手に力が込められる。

選手生命を絶たれるということは、彼にとっては奈落の底に落ちていくのと同じことで、今考えたって彼の悲しみを一から百理解することなんてきっと出来ないだろう。当事者にしか分からないものがきっとあるだろうから。だけどわたしは、元より弱音を余り吐かない彼に何でもいいから頼って欲しかった。

退院をして一緒に過ごしても、彼の表情は塞ぎ込んだまま。笑ってはいても、何処か無理そうな顔をしてる。それが分かってしまうから、毎回胸は抉られたような感覚がわたしを襲うけど、自分の笑顔だけはいつも絶やさないように心掛けた。だけど、それもダメだったみたい。




「…もういいから」

その日の天気はムカつくぐらいによく晴れていて、年がら年中雪だらけのこの街も、今日は暖かい日であった。
昼下がりのカフェの店内で、頼んだ飲み物に一切手をつけることはなく不思議に思って小首を傾げているわたしに、グルーシャは初めから決まっていたように口開いたのだ。

「…もういいって?」
「言葉の意味そのまんま」
「え?」
「無理して僕のとこに来なくていいってこと」
「別にわたし無理してなんて、」

急な発言に何を言われたのか分からなくて、グルーシャの薄浅葱色した瞳に視線を合わせる。わたしの喉からは思ったよりも震えた声が漏れた。それでも目先の彼は表情1つ変えずに、冷静に言葉を続ける。

「あんた見てるとさ、キツいんだ」
「……きつい」
「そう。だから…別れて欲しい」
「なに、それ」

崖から落とされたような衝撃が心臓に走り、目の前が真っ暗になっていく。
グルーシャはこんな言葉を冗談では言わない。どれだけ喧嘩をしたって、別れるだなんて言葉は一度も言われたことがなかったから、理解が追いつかなかった。

「…今日はそれだけ言いたかったから」
「や、ちょっと待ってよ」
「……ごめんね。今までありがとう」

グルーシャが頼んでいた飲み物の氷が静かにカラン、と揺れる。
賑わっている店内がまるで音をなくしたように雑音が聞こえなくなった。わたしの返事を待つグルーシャの表情は上手く読み取れない。わたしの瞳が滲むからだ。

「なっ何かしたんなら謝るから」
「別に?してないよ」
「わたしのこと好きじゃなくなったから別れたくなったの?」
「……」

こんな時に黙るのあんまりじゃない?
いつからグルーシャはわたしと別れたいと思っていたんだろう。何がダメだったんだろう。色んなことを一瞬で脳内で考えるけれど、そんなのすぐに分かる訳がない。

「…他に好きな子出来た?」
「そういうんじゃない」
「じゃあなんで、」
「…あんたのそういうグイグイ来るところ、全部が重かった」

グルーシャは淡々とした口調で言葉を放った。まるでわたしがこう言うことを見透かしていたように。

膝に置いた手にぎゅう、と力が込められる。
グルーシャの言い方は、まるで今までわたしに無理して付き合ってくれていたというように聞こえる口調であった。…何それ。ずっとグルーシャはわたしのことをそんな風に思っていたのか。

「じゃあ」と席を彼が立とうとする前にわたしは席を立つ。少なからず驚いたように目を少し見開いたグルーシャが滲んだ視界でも今度は見て取れた。バッグから財布を取り出し札を1枚テーブルに置いて、ぐずぐずになった顔でも気にせずに彼の目を見ながら口開いた。


「っ重かった、のは謝るけど。…けどそんなの全部グルーシャが好きだったからじゃん!好きだから少しでも元気になって貰いたかったんだもん!ずっと嘘ついて無理して私と居たってワケ?」
「それは、」
「…もういい。ッお前みたいな男こっちから願い下げだわっ!!」


前にテレビで見たような他地方に生息しているドゴームとかいうポケモンのようにギャン、と大きな声で言いたい事を告げると、驚いているグルーシャを他所に背を向ける。

周りの店員や客たちの視線が集まっていたがそんなこと気にしている余裕はなかった。

店を出て襲って来るのは涙だけ。フリッジタウンのここのカフェは大好きな場所だったけれど、もう嫌いになりそうだ。

「そっそのまんまのわたしが好きって言ってたじゃんっ」

ひっくひっくと泣きながら、覚束無い足取りで歩を進める。グルーシャがそんな風に思っているだなんて数年付き合っていたのに知らなかったし、気付きもしなかった。なんてバカでアホな女なんだ。全然わたしは彼のことを理解出来ていなかったのかと思うと、涙は余計と止まらない。

わたしは結局のところ、なんにも彼の力にはなれなかったのだ。支えになると意気込んでいたクセに、重石になるようなことばかりしてしまっていたんだろう。









そんな思い出したくない苦い思い出を、雪がチラつくこの街で鮮明に思い出してしまった。だってここはフリッジタウン。ここからは当時別れた場所のカフェが今も変わらず人で賑わっているのがよく見える。



「あー…さっむ。こんな寒いのに売れっ子ないって」



わたしの横でアルクジラが元気よくはしゃいでいる。このクジラちゃんは来る道中にお腹空かせていて元気がなかったのを発見し、きのみあげたら懐かれたのか着いてきちゃっただけなんですけど。ってかこの丸っこいのいつ見ても可愛いな。…元カレの手持ちもアルクジラだったのを思い出してしまうのがちょっと辛いところだけど。

「いらっしゃいませー。アイスいかがですか!甘くて美味しいですよー!」

マニュアル通りのセリフと笑顔で呼び掛けするも皆通り過ぎていく。隣の串焼きのが断然売れている。そりゃそうだよ。こんな寒いなかじゃわたしも絶対そっちを選ぶもん。

マフラー巻いてコートを着て、正しく冬の格好をしているというのにわたしはアイスの移動販売員の為、この苦い思い出溢れる街に訪れていた。

不器用なわたしにはソフトクリームを上手く巻くことは至難の業だがディッシャーでカップにアイスを乗っけるだけの仕事は出来るので働いているわけだが、どうやら今日からジムリーダーのライムさんのライブが開催されるらしく、ここまで派遣されて来た訳だ。

「いいなぁ。お前は寒くなくて」
「ホエッホエッ」

短いあんよでどてどて歩くアルクジラの姿が癒しになり、つい顔が綻んでしまう。

「え、なにそれ可愛い。わたしと一緒に帰る?」
「くぅくぅ
「マジで?いいの?わたしが住んでるとこ雪降ってないよ?」
「ホエーっ!」

軽いナンパをしてみたら弱らせてもないのにゲットしてしまった。嬉しそうにするアルクジラの頭をぽんぽん、と撫でていると、背後の方から声が聞こえてきた。

「あっ!アイス!アイス売ってますよ!ここのアイス屋さんテーブルシティにもあるんですけど凄く美味しいんです!」
「アイスって。寒いのによく食べるね」
「寒いとこで食べるアイスもまた別格なんですよ。奢ってあげますから一緒に食べましょ!私今お金持ちなので!」
「いいって。自分のことに使いなよ」
「えーっ、グルーシャさんも一緒に食べましょうよ。久しぶりに会ったんですし」

え?グルーシャ?いまグルーシャって聞こえたんですけど。
恐る恐る振り返れば予感は的中。わたしの表情はピクッと氷のように固まってしまった。それは向こうも同じだったようで、わたしと目が合った彼の瞳は見開いていた。

「えっと、私はストロベリーで!グルーシャさんはどれにします?」
「...あ、いや僕は」
「あじゃあ髪色似てるので、ソーダにしましょう!お姉さんお願いします!」
「はっはい。かしこまり、ました」

アイスを手渡すとにこにこ笑顔で受け取る彼女は確か新チャンピオンだったように思う。新聞で大きく特集が組まれていたのを見たばかりだから顔は覚えている。

よりにもよってこんな所で元カレと鉢合わせしてしまうだなんて。しかも女と歩いているところに。心臓はバクバク音を上げているし、きっとわたしの表情は強ばってしまっているに違いない。早く行って!早く帰って!と心の中で盛大に叫んだ。

「ねぇ、あんたさ」
「え"っ!?」

アイスを持ち先行く彼女を追いかけず、グルーシャはわたしに話しかけてきたものだから驚いて変な声が出てしまった。つい逸らしていた目を彼に合わせると、彼はマフラーを少しずらす。

「ナマエだろ?」
「いっいや、人違いだと思います…」
「そんなわけ、」
「あっ!彼女さんかな?あなたを呼んでますよ。早く行ってあげて下さい」
「は?」

グルーシャの手がわたしの腕を掴もうとした瞬間、先程のチャンピオンが彼の名を呼んだ。咄嗟の判断で笑顔を作ったわたしを誰か褒めて欲しい。

「あっありがとうございました
「......」

ひらひらと手を振る。
グルーシャは何か言いたげだったが口を閉ざしてその手を引くと、チャンピオンの方へとゆっくり歩いて行く。2人の背が見えなくなると途端に肩に入れていた力が抜けて深いため息が漏れた。それなのに心臓は未だに音をうるさく鳴らし続けていて、お客さんが周りにいないことを良い事にその場にしゃがみこむ。

「ほぇ…?」
「はは、心配してくれてるの?大丈夫、ちょっとびっくりしちゃっただけ」

心配そうに顔を覗き込むアルクジラ。なんて優しい子なんだ。

まさかグルーシャとここで会ってしまうとは思わなかった。未だ変わらず格好良かったと思ってしまったわたしはきっとアホなのだろう。別れてもう数年経つのに、本当どうかしている。

「…女の子と遊べるぐらい元気になったんだ」

ぼそっと吐いた言葉は降ってきた雪に溶けていった。
初めて映像や紙でなくチャンピオンの顔を見たけれど、笑顔がとても可愛らしい女の子だった。バトルも強くて、愛嬌もある。わたしもそうであったら、何か変わっていたのだろうかなんて今更に思ってしまって、また昔を思い出して少し泣いてしまった。

やっぱり雪とこの街はあまり好きじゃない。





グルーシャがジムリーダーに就任されたと報道で見たとき、少し前を向けるようになったんだなと素直に嬉しく感じた。喧嘩別れのような最悪な終わり方になってしまったけれど、わたしは結局嫌いだとは思えなかったからだ。別れてから暫くは泣いて泣いて泣きまくったけれど、それでも月日が経てばそれなりに、気持ちは落ち着くものだから。

「ナマエ、話があるんだけど」
「...わたしはないですし、ナマエって名前じゃないですってば」
「僕があんたを間違える訳ないだろ」

ライムさんライブ開催2日目。
今日は流石に来ないだろうと思っていたのに、まさかの彼がやって来た。

「かっ彼女さんに怒られちゃいますよ!ナンパはよくないです!」
「あの子は昨日ライムさんに来いって誘われたライブでたまたま会っただけ。ってかナンパとかそういうの僕が嫌いなことあんたが一番よく知ってるでしょ」
「うっ…」

わたしが口篭ると、彼の表情は少し和らいだ。
そうして一拍あけると、彼は突拍子もないことを言ったのだ。

「ねぇ、いつ上がりなの?話したいんだけど」
「いやぁ…いつでしょう。ライムさん人気なんで!ここもお陰様で大繁盛だから遅くなるかもですね!」
「ふぅん。昨日は暇だったのにね。じゃああんたが終わるまで時間潰して待ってるよ」
「え"っ!?」
「…ずっとあんたに会いたかった。お願いだから、僕に時間くれない?」

こういうちょっと意地悪な物言いも変わってない。そしてこの狡い頼み方をするのも、なんにも変わっていない。
でもその表情は、昔に付き合っていたときよりも随分と不安気に思えた。


「わたしは...わたしは会いたくなんかなかったよ」


皮肉めいたわたしの言葉に、眉を下げた彼は少し悲しげに笑った。







業務終了時刻までの間、仕事中に申し訳ないがずっと心ここにあらずであった。なんで今になってグルーシャが話したいと言ってきたのかを考える度に重いため息ばかり出てしまう。

この日ほど仕事が終わらないで欲しいと思った日はきっとない。

「ホェー!」
「あぁ、ごめんね?お腹空いたかな?ご飯ちょっとだけ遅くなっちゃうかも」
「それ、ナマエのアルクジラ?昨日も一緒にいたよね」
「はっ!?」

わたしの顔は瞬く間に火が吹くように熱くなる。
昔からの彼の手持ちにアルクジラがいたことを知っているわたしは慌てて弁解する。

「ちがっ!この子はっわたしのポケモンになったんだけど、昨日出会ったというか!別にグルーシャの手持ちにアルクジラがいたからとかそんなんじゃなくて!」
「ふはっ、うん。別にそんなこと思ってないから大丈夫」
「ホエッホエッ!」
「お前は主人に似て元気だね」

笑われてしまったことが恥ずかしくて堪らない。慌てる必要なんかないのにこれでは肯定しているみたいじゃないか。

グルーシャはアルクジラから顔を上げるとわたしに視線を向ける。

「…本当に待ってたんだ」
「待ってたよ。ずっとあのカフェでアンタが終わるの見てた」

彼の指を指した方向は私たちが別れたカフェ。
ちょっと待って意味が分からないんですが。わたし達別れてますよね!?ジムリーダーのお仕事どうしたの!?
そう口にしようとした瞬間、わたしよりも先に彼が口を開いた。

「ちょっと来て?」

返事を待たずわたしの手を引いて歩き出す彼の後ろ背を間近で見たのは久しぶりだ。こんな時にでも昔の好きだった頃を思い出してしまうだなんて、どうかしている。

とてとて着いてきたアルクジラをボールに移し、頼んでいたのか空飛ぶタクシーに乗せられる。

「どっどこ行くの?」
「あー…僕の家?」
「はぁ?行かないよ!行かない!降ろして!」

なんでわたしがグルーシャの家にお邪魔するのかを理解出来ず慌てて阻止をする。「お客さーん。揺れるからぁ」と運転手さんに怒られてしまい、口を閉じて黙り込んだ。そんなわたしをグルーシャはくすくすと笑って見ている。

「…別れた女を家に呼び込むとかおかしいと思うんだけど」
「また手放して後悔したくなかったから」
「はい?」
「......もう1回、僕とやり直して欲しいって言ったらあんたはどうする?」

グルーシャはこういう事を冗談で言わない男だ。
好きでもなんでもない相手には期待させる言葉絶対言わない。

「…なに、それ。わたしこっぴどくフラれたんですけど」
「うん。あの時はそうするしかないって思ってたから」
「いみ…わかんない」

すっかり日が落ちた空の夜風が冷たい。
あんな別れ方をしといて今更ヨリ戻したいと言われても、頷ける訳がない。

グルーシャの少しひんやりとした指が俯くわたしのサイドの髪を耳にかけた。

「…あんな酷いことをあんたに言ってずっと後悔してた。あの頃選手生命を絶たれた僕は自暴自棄になっててさ。僕のことを心配してくれて尽くしてくれたのに。...裏で泣いてたことも知ってたよ」
「っ、」
「だから無理させてるんじゃないかと思って手を離した。あんたは僕が突き放さなきゃ絶対に隣にいてくれただろうから。こんな僕の為に尽くしてるその時間が勿体ないし、あんたの見合う男は僕じゃないって思ったから」
「そんなの、知らなかった」

グルーシャがわたしの大好きだったあの頃の懐かしい笑顔で笑うから、鼻の奥がツンと痛む。

「自分から手放したクセにバカみたいでしょ。それからずっと後悔してたんだ。あんたがいたからあの頃あんな状況でも笑うことが出来たんだって。僕にはやっぱりあんたがいなくちゃダメみたい。離れてから気付くなんてどうかしてるけど、もう1回どうしたら振り向いて貰えるか考えたんだ」
「あ、」
「あんたをもう1回口説きたくて、ジムリーダーまで伸し上がることが出来た」

わたしの涙を掬うグルーシャはわたしの顔をそっと覗き込んで一呼吸すると、真剣にわたしを見つめた。

「もう1回、僕の彼女になって欲しい」

彼の言葉に顔を顔を上げる。
あの頃よりほんの少し大人びた彼の姿が目に映る。
緊張しているのか不安そうにわたしの返答を静かに待っている。

「わたし、あの時凄い泣いたんだけど」
「悪かったってずっと思ってる。次は泣かせたくない」
「もう…泣かされてるんだけど」
「……」

気まずそうに視線を逸らした彼に、鼻をずずっと啜る。

「…別れてからジムリーダーになったのも知ってたけど、連絡もくれなかったじゃん」
「それはあんたが番号変えたからだろ」
「……」

今度はわたしが黙る番だった。
グルーシャと別れてヤケになったわたしはスマホの番号ごと変えてしまったから。

暫しの沈黙が流れ、もう少しで彼が住んでいる街が見えてくる。

「わたしに彼氏がいたらどうしてたの?」
「…今ならあんたのこと奪い返す」
「なにそれ、脅迫じゃん」

自分が泣いてるのか笑っているのか分からない。けれどグルーシャは少しばかり不満げに眉を顰めた。

「…カレシ、いるの?」
「…いないよ。誰かさんのことを忘れたかったのにジムリーダーになって更に有名人だし、わたしの働いてる店長がグルーシャのファンだから毎日話聞くお陰で諦めなきゃって毎日思ってるのに忘れられなかったの」

わたしのその言葉に、グルーシャは瞬きさせると理解したのか堪らないように眉間に皺を寄せてわたしをキツく抱きしめた。


「次別れるなんて言われたら、わたし死んじゃうかも」
「うん。言わないって約束する。次あんたに会えたらもう一生手放さないって決めてたから」


きゅう、と心臓に早鐘をつく。
黙り込んだわたしの顎にそっと手を当てて、触れた唇が離れると、グルーシャは柔和に微笑んだ。



「ずっとずっと、あんたのことが好きだったよ」







−−−−−−−




「あんたの家どこ?」
「え?グルーシャの家に行くんじゃないの?」

小首を傾げるわたしに、グルーシャは言いにくそうに顔を顰めた。


「今日はやっぱり送る。今家にあんた連れて帰ったら抑え効かない」


がっついてると思われたくなかったのか、彼はわたしの手を握ったまま言うものだから、それが可愛くてつい笑ってしまった。

「笑うなよ」
「ごめんね?でも…わたしはもっとグルーシャといたいよ。離れてた分、くっつきたいんだけど?」
「っ!!あんたってほんっと昔から変わらないよね。そういうところ」

若干の上目遣いでそう言えば、彼の顔は瞬く間に染まりだした。



「でもここからならわたしの家が近いよ。ウチに来る?」
「…行く」







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