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※ 社会人設定


ドアを開けた時から小鳥遊の機嫌はななめだった。「こんな遅くになんだよ」と深夜1時を指す時計を見ながら尋ねた俺を押し退けて、コイツは冷蔵庫を漁りだす。おいおーい。ここ俺んちだぞ。

「つまみとかないわけ?」

「あー……、昨日全部食った」

「ちっ、使えね」

そう吐き捨てて乱暴に冷蔵庫を閉めると、片手に缶ビールを持ったままテレビ前のこたつに潜り込んだ。無造作に放置していたリモコンを手に取りテレビをつける。静かな部屋に賑やかな笑い声が響いた。ビールを一口飲んでから「ぷはー」なんて言うコイツはホントに女か。
玄関に突っ立ったままその様子を見ていた俺は、裸足の足から伝わる床の冷たさに身震いした。さみぃ……。ドアの施錠をしっかりしてからこたつに足を突っ込む。

「アンタ、冷たい足くっつけて来ないでよ」

「うるせえな、狭いんだから端に寄れよ」

「ぎゃっ! どこ触ってんの?」

「おま、何その色気のない声」

「うっさい!」

なんかあったな。根拠のない核心が頭をよぎった。だいたい小鳥遊が連絡もなしにうちに来る時は、「仕事が上手く行かなかった」や「先輩に怒られた」だの「友達とケンカした」時がほとんどだ。精神的にきつい時、俺を頼ってくれるのは正直嬉しいと思っている。他人に頼られるとかまじ勘弁って思ってた時期もあったけど、小鳥遊なら悪い気はしなかった。

「今付き合ってる彼氏と結婚決まりそうなの」

視線はテレビに向いたまま、小鳥遊はそう言った。「は?」と漏れた俺の声はテレビの中の笑い声に掻き消される。ちっ、うるせえな。たいして面白くねえギャグをバカの一つ覚えみたいに繰り返すこの芸人は前から好きじゃなかった。

「ちょっと。なんで消すのよ」

「テレビ見ながらする話じゃねえだろ。で? お前はそれを言いにわざわざウチに来たわけ?」

…………。沈黙。俯いた小鳥遊の表情は見えなかったが、言いたいことはなんとなくわかっている。そして、俺がその期待に応えてやれないってことも。

「アンタは、何も思わないわけ……?」

小鳥遊の声は震えていた。泣いてんのかとちょっと焦ったけど、コイツはたぶん俺の前じゃ泣かない。そんなよくわからん自信だけがはっきりとあった。

「ああ。思わねえな」

「結婚したら海外に引っ越すんだよ。あの人、ドイツにある本社に呼ばれてて、それで」

「うるせーな。それがなんなわけよ」

「もう、……会えないんだよ?」

「そうだな。お幸せに」

バチン、とすごい音がした。音のわりに叩かれた頬は痛くなくて、ちょっと拍子抜けだ。頭の中は気持ち悪いほどすっきりしていた。
結局小鳥遊は泣かなかった。俺をぶった後、無言で立ち上がり出て行ったまま連絡なし。たぶんその男と結婚したんだと思う。ということは今アイツは海外か。
ある日、一通のハガキが届いた。小鳥遊からだった。結婚した、という内容と結婚式の写真が添えられていて、アイツの字で「アンタに心配されなくても幸せだっつーの!」と走り書き。相変わらず汚い字だ。白いドレスを着た小鳥遊は、見違えるくらい綺麗だった。隣の男は……、まあまあなんじゃね? 俺の方がかっこいいけどな。
今でも時々思うんだ。もしあの時、俺が「行くな」って引き止めていたら、アイツは……。

「あーあ。どっかにいい女いないもんかねえ」

アイツ以上のいい女。見つけるのに苦労しそうだ。

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