オルフェウスの夢想

「あら、どうしたの? そんな顔をして」
「疲れてしまったの? ・・・あなたでも、そんなことがあるのね?少し意外だわ」
「ふふ、怒ったかしら? ごめんなさいね。・・・でもあなたが悪いのよ?」

つかの間のひと時。永遠を望むほどに幸福な、しかし地獄のように苦痛な夢だった。


(ああ・・・この場所は)

柔らかな日差しが優しく降り注ぐ、うららかな春の日だった。若草がそよ風に靡き、頬をそっと撫でる。木々の間から差した日の光が、目覚めたばかりの目に眩しい。
ネウレイルの中層にある自然公園――国民の身体的・精神的な健全なる成長のため、13年前に作られた大型公共施設――それがこの場所だ。
マギアやアパラチアといった天然の国土を持つ二国と違い、この街は人工国土であり橋を支えとしている。勿論、二国のそれと引けを取らないように、設計の段階で強度には細心の注意とこだわりを持ち建設されたものの、自分たちの住む土地が柱によって支えられている状況に、神経を徐々にすり減らされる人間も多くいた。その状況を打破するために作られたのが、この施設だった。

――世界から追放された者たちの、楽園であれ。
――悲しみも苦しみも、全てを排せよ。

 先代領主の代から変わらず受け継がれる信条の通り、この場所はおおよそ争いといったものからは遠かった。草木は陽光を受け止め葉を伸ばし、鳥は朗らかに歌い、人々は一様に笑顔を湛える。
彼が目指した理想が、その通りにこの場所にはあった。

 (・・・また、この夢か)

 街民の例に漏れず、自分もこの場所が好きだった。いや、街の嫌いな場所など自分にはない(あるはずがない)のだが、特にこの場所は自分にとって、強い思い入れがあった。
それこそこうやって、夢にまで見てしまう程に。

「・・・いつまでもそうやって、私のことを放っておいてばかりだから。せっかくのお祭りだったのに、おかげでとってもつまらなかったわ」
どこまでも青く澄み渡る空を遮って、一人の女性が不貞腐れながらこちらを覗き込んでくる。思考の海に沈みこんでいた頭を切り替え、そちらの方に視線を動かす。

――目が醒めるほどに、美しい女性だった。肌は透き通るように白く、オニキスのように黒い長髪は日の光の元で煌めいている。赤い瞳に至近距離から見つめられ、花のように淡く色づいた唇からは、金糸雀の囁きのように心地よいソプラノが降り注いだ。
「・・・それは、すみません。こちらも最近忙しくて、疲れが抜けきっていなかったもので。あまりの人の多さに辟易してしまったのですよ」
「嘘。あなたが『人の多さに辟易する』なんて、そんなはずないでしょう?」
そんなこと、この街に住んでいる人なら誰でも知ってるわよ。
じとりとこちらをねめつけながら、訳知り顔でそう言われる。反論は出来なかった。彼女が言ったことが全くその通りで、否定のしようがなかったからだ。
自分の性質は客観的に見て自覚していることではあるが、どうにも他人に言われると居心地が悪くてたまらない。頭の中を直接見られているというか、背骨を抜かれてじっくりと鑑賞されているような、そんな生理的なおぞましさ。それでも結局はどうにもできなくて、いつも今回みたいに終わる。

(これで何回目だっただろうか)
 そう、いつもだ。いつも僕はこの夢を見ては、同じことを繰り返して終わる。何も覆すことも、行動を起こすこともせず、かつて辿った道と同じ路を通って、翌朝に目を覚ます。それでいいと思ったのだ。これは所詮夢、どうやったって現実が変わりはしないのだから。
「もう、どうしてくれるんです? 春宵月祭り、楽しみにしていたのに・・・」
「ごめんなさい、この埋め合わせは必ずしますから・・・ね?」
あの日と同じように彼女は憤り、僕は彼女に謝る。同じことの繰り返し。

「じゃあ、来週の土曜日。水晶樹の森でデートしましょう。絶対よ?」
――だから、その後に彼女が言うであろう台詞も、とっくにわかっていたし、
「ええ、勿論。約束ですよ。」
――この約束が果たされることはないことも、知っていた。

・・・彼女の前の僕は、信じられないほど怠惰だった。現実の知り合いたちが見たのならばきっと、明日は槍の雨が降るのか、と大騒ぎして回っただろう。容易く打ち破れる障壁を前に、立ち向かうでもなく只々胡坐をかくばかり。それでも僕は構わなかった。いや、むしろ怠惰であることを意識して行動しているようにも思う。
最初の頃は、たとえ夢の中だとしても違う行動をした。奴が来る前に、戸惑う彼女の手を引いて、どことも知れない場所へと駆け出した。先手必勝とばかりに、迎え撃って打ち倒した。それでも最後は結局夢らしく、目が覚めて全てが終わるのだ。
だから結局、足掻くのをやめた。無駄に冒険するよりも、今ここにいる彼女の微笑みのために居たかった。彼女の幸せを見て自然と笑顔となれる僕のために、この夢を見続けることを選んだ。
――あんた、また笑わなくなったね
――あなたを、愛しているから!!!
 その選択には、決して間違いなどないはずだ。いつか幼馴染達が自分に言い放った言葉を思い出し、そう自分に言い聞かせる。
初めの頃は毎回感じていた苦しさも、今となってはとうに慣れてしまい、辛かったことも忘れていた。

「ふふ、やったぁ! やっと念願の初デートね!! しかもあの水晶樹の森で、だなんて!」
だが、この時だけはいつも、胸を締め付けられるような強い違和感があった。先までの不機嫌な様子を消し去り、天にも昇ろうかといった様子でその場を飛び跳ねる彼女を見て、行き交う人々が微笑みながら通り過ぎていく。そんな幸せな光景なのに、僕の左肺のあたりが、ぎり、と軋む音がするのだ。

 夢の終わりが、近づいている。彼女との離別が、すぐそこに。
 次はいつ、彼女に会えるのだろうか。がんがん、ぐらぐらと揺れ始めた頭を押さえ思案する。夢みたい、ああ、本当に幸せ、そう謳いながらくるくると回る彼女のこの世の物とも思えぬ愛らしさを、一瞬たりとも逃すまいと、気を抜けば閉じてしまう瞼を必死にこじ開ける。
だってまだ、まだ。

ああでも、と前置きして、こちらを真っ赤な瞳で見つめながら、彼女はこう呟いた。
「林檎飴なんて美味しそうじゃない。私も食べたかったわ」
「・・・?何を言っているのですか、林檎飴の屋台なんて」

どこにもなかった、と言おうとして、
僕は。



「あら、どうしたの? そんな顔をして」
「まるで、目の前にお化けでもいるようじゃない」



「…………御……様………起きて……さい……理御様」
「……お疲れなのでしょうか」
「無理もありません。ここ数日、先日の事件に関する書類の整理に追われてばかりでしたから」
 ああ、そういえば書類が溜まっていたのだった。
 執務室の机に伏しながら、未だ靄がかったままの頭で思い出す。
先日の春宵月祭りから数日。執政府はその後始末に奔走していた。常の祭りと同様であればここまで忙しく立ち回ることも無かったのだが、今年は『予想外の来客』が防衛局に訪れた――それだけではなかったのだが――ために、こうして昼も夜もなく書類と戦うこととなったのだ。
執務机の隅には未だ目の通されていない書類が山と積まれ、そこからはみ出た紙束の紙面には、夥しい数の0が横に連なっている。『来客』によってもたらされた被害総額であろう。西棟の兵装庫が甚大な被害を受けた、と、先日部下から報告されたことを思い出す。それと同時に、お前がさっさと手助けに来てくれていたら、せめてもう少しはマシだったろうよ、と、ため息と紫煙まじりに吐き捨てられたことも。
――それについては申し訳ないことをした。僕だってまさか、これほどにまでなるとは思っていなかったんだ。
心の中でもう何度目かの謝罪を繰り返す。当時の自分はどういうわけか、致命的な計算ミスを犯していた。人間でしかない職員があの『来客』に勝てるわけがない、無理に決まっていると、考えなくともすぐに気づけたはずなのだ。それなのに自分はその結論に至らず、局の防衛を職員に押し付けた。当時の自分は余程頭が混乱していたのだろうか、それとも浮かれていたのだろうか。……今考えてもわからない。
――どうかそれだけであってください。現時点確認済みの金額だけで、こちらは既に割と手一杯です。
思わず額を流れた汗を拭い、心の中でそう願う。
仮に先の値段の倍を支払ったところで、街の基幹部分に関する政治には何ら影響しないだろう。このような時のために経済局では毎年積立金を作っておいたと聞く。いざとなれば自分自身のポケットマネーを使えばいいだろう。
しかし、大金を動かすとなれば、それだけ大きな行動を起こすこととなる。街民の目に触れる確率も大きくなるだろう。ただでさえ戦争の被害者を祭る儀式の最中に、正体不明の相手からと言え、橋華街の防衛を担う建物が襲撃を受けたのだ。これ以上、人々を不安にさせることは避けるべきだろう。
そして……。

「理御様、起きていらっしゃいますね? ……いったい何をお考えか、当てて差し上げましょうか?」
「先日のポケットマネーを利用する案でしょう。残念ですが却下させていただきます。」
「……シャロ、レオ」
 こちらの心でも読んだのか、と言いたくなるほど丁度良いタイミングで、両隣から息の合った声で詰問される。この二人が読める(実際はそんな生易しいものではない)相手は互いだけであったはずだが、いつの間にそんな器用な真似ができるようになったのだろうか。そんな分かり切っていることを思い苦笑する。
ポケットマネーを利用する案は、自分の側近である双子――シャロとレオから却下され続けていた。私たちに払わせてください。そういって聞かないのである。曰く、あの日一緒に行動していた私たちも責任がある、と。それを自分が却下して、結局いつまでも決着はつかず堂々巡りなのだ。
 この二人は小さいながらも、中々に強かな面があった。普段は自分の主人の意見こそ全て、といった調子なのに、いざというときには絶対にこちらの言うことなど聞きはしない。現に先程から微動だにもせず、妙な圧力を込めながらじっとこちらを見つめている。もしかしたら経済局のお局辺りから、なんとかして自分を説得するように固く言い聞かせられたのかもしれない。
(双子から言われたのであれば、決して僕も無下にはできないだろう、と。……考えましたね)
 事実だからこそ、余計に気が重くなる。

「あまりお休みになられていませんね? 目の下に隈が出来ております。」
 声が聞こえているにもかかわらず、一向にそちらを向こうとしない態度に痺れを切らせたのだろう。双子の片割れ、漆黒のドレスを身に纏った少女、シャロがこちらの顔をのぞき込み呟く。その表情は同じく真黒の覆面に遮られ伺うことは出来ないものの、声色は普段より低く重く沈み、明らかにこちらが心配で仕方ないという様子だった。部屋の壁にいくつも取り付けられた照明の反射光が、そんな彼女の顔を淡く照らす。
 よくよく考えれば、夢の中のあの光景とよく似ていた。差し込む光と、それを遮って覗き込む誰かの影。だからあのような夢を見てしまったのだ。そうに違いない。

「どうしましょう、珈琲でもお持ちいたしましょうか?」
 そのまた反対からは、燕尾服を着こなす少年、レオがティーカップ片手に尋ねてくる。底には何時間前に飲んだものであろうか、珈琲の跡が渇いて三日月型にこびりついている。――あまり飲み過ぎるのも、お体によろしくないのですが。そんなぼやきが聞こえてきそうな横顔だった。
「いえ。……今日はもう休みます」
 つい、と、視線だけを執務机の上に放り出したままの左腕に巡らせ、時刻を確かめる。短針はとうに1時を回っている。常ならばレオの誘いに乗り、カフェインの力を借りて朝方まで励むところではあったが、そういった連日の習慣が祟ったのだろう。先程まで見ていた夢も相まって、今日はもうこれ以上起きていられそうにないと感じる。そろそろここらで、しっかりとした休憩を取るべきだと、言葉とは裏腹に冴えわたった頭で結論を出した。

ぎいぎいと軋む椅子から立ち上がり、軽く伸びをして、背後の窓を開け放つ。
月の光が煌々と夜の空に輝く中、身を乗り出し、見えるはずのない水晶樹の森をじっと見つめた。






あおなちゃんからのリクエスト『あおなの推し』。とある春の夜、過ぎ去った淡い日々を夢に見る理御と、美しくしかしどこか不気味な女性の影。現実で主の傍に侍る双子。
 本文ですが、2017年4月1日の企画とリンクしています。知っている方はより理解が深まるのではないでしょうか。勿論、知らない状態でも楽しめるようにと気を付けたつもりではあります、ご安心ください。
久しぶりに小説を書いたのですが、やはり思ったより文章構成力も語彙力も落ちていました。前半を書くのに6時間、後編は大体5時間程度を要しています。しかし思ったより楽しかったのも事実。また纏まった時間がある時にでも筆を執りたいものです。まあ執ったのは筆じゃなくてパソコンなのですが。

2017/06/16 佐々山にぼし