秩序の担い手 前

ふぁ……う。

思わず出かかった欠伸を噛み殺し、再び石畳の街道を歩き始める。
別にどこへ行こうという目的は無い。適当に街をふらふらして、その途中でいいネタに巡り会えたら万々歳。
つまりはただなんとなく。賑わいのある橋華の商店街に、シオンは足を運んだ。



少し薄暗かった路地を抜ければ、明るい太陽の光と色とりどりの露天の装飾、そして客引きの声に包まれる。丁度昼食の時間を少し過ぎた頃合なこともあり、大通りには仲良さげな家族連れや土産物屋の店員が多い。

「あっ、あの! よろしければ一つ、いかがですか!」

そんな街の陽気を感じていると、突然横から声をかけられた。見ると可愛らしい少女が、リンゴの入った籠を片手にこちらを見ている。横の看板を見ると青果店らしく、店の中は品揃えの豊富さと裏腹に閑散としていた。

「んー? んじゃ折角だし、一つ……あーいや、やっぱ四つ、貰おっかな?」

シオンはその場に蹲り少女と目線を合わせると、懐から硬貨を数枚取り出し、にかっと笑ってそう答える。その笑顔に緊張感が解れたのか、少女は強張っていた顔に少しだけ笑顔を浮かばせた。

「あ、ありがとうございます!!」

硬貨を受け取った少女は深くお辞儀をし、籠から紙袋へ移し替えた林檎をこちらへ手渡す。シオンはそれを受け取るが、尚も立ち上がらず口を開いた。

「俺、商店街にはしょっちゅう来てるんだけど、君みたいな可愛い子がいるなんて知らなかったな。 小さいのに店番なんて偉いね!」

「え、あ、ありがとうございます……。 その、一ヶ月前に、引っ越して来て……まだお金が、全然なくて……」

「お父さんとお母さんは?」

「パパはパパのお家で、くだものを作ってます。……ママは……奥に」

少女は顔を歪ませ俯く。

「うーん、なんで?」

「え、えっと」

言い淀む少女に、シオンは尚もニッコリと笑い問いかける。

「なんで奥にいるの?」

「……お母さんは具合が悪くて……ここ数日ずっと…」

少女はそこで言葉を途切れさせた。表情は見えないものの、まだ薄く頼りない肩が震えている。

(……しまったなあ)

そんな痛ましい様子に、シオンは内心頭を抱えた。

別にシオンとて、好き好んで人の事情を探りたいわけでもなければ、子供を泣かせる趣味もない。自身が見たことがないまだ幼い少女が、親も大人もいないまま、たった一人で店番をしている。その状況について知らなければならないだけだった。
もし最初に感じた通り、この少女が一人で店を営んでいる、または親や家族が押し付けているのだったら。いくら非番の日とはいえ、立場上見過ごすわけにはいかなかった。そうでなくとも他国からの不法入国やスパイという可能性もある。少女の可愛らしい外見も、もしかしたら魔術で変えているだけなのかもしれない。
例え放っておいたとしても、前者ならこの少女が一人犠牲になれば済む。しかし後者ならば、確実に大変なこととなる。それだけは立場上、絶対に避けなければならないことだった。だから多少責めるような物言いになったとしても、少女には何としても答えて貰う必要があった。

その疑惑は未だ晴れていない。しかし少女の様子を見て、シオンはそれ以上追求する気を無くしていた。

そもそも自分の所属は情報部であって、街の見回りや住民の取り締まりは仕事ではない。わざわざ自分がやらずとも、そこら辺にいる保安部に言づければ済むことだ。

「ご、ごめんね、悪気があったわけじゃ、…………ないんだよ、うん」

「うぅ……ひっく」

「……えっと、その、……一人で店番なんて、やっぱり危ないんじゃないかな? 母さんも心配してるかもだし、お医者さんならお兄さんがなんとかしてあげるから、もう……」


その直後、シオンの横にあった立て看板が吹き飛んだ。店先に積まれた果物が崩れ落ちる音と、賑わう通行人の悲鳴、そして何かの爆ぜる音が反響する。周辺には白い煙が立ち込め、道に溢れるパニックに陥った住民すら微かな姿しか見えない。

「ちょっ、何が……」

咄嗟に少女へと手を伸ばすも、敢え無く空を切った。少女が持っていたバスケットが地面に転がっている。踏み潰された林檎には砂利と靴跡、煙草の灰がこびりついていた。顔を上げると、先程の少女のか細い腕と何者かの浅黒い掌が、騒ぎに乗じて遠ざかっていく。

しまった。

思わず心の中で舌打ちをする。男は特殊なゴーグルでも着けているのか、立ち込める煙幕を物ともせず離れていく。加えてこの人混みだ、今から駆け出しても男と少女には間に合わない。

上着の右内ポケットを探る。取り出したそれは実弾入りの拳銃だ。といっても殺傷力に優れたものではない。通常より発砲時の音が大きくなるよう改造されたもので、威嚇・牽制を目的にしたものらしい。
以前いざという時のためにと上司に渡された試作品だが、実際使う機会も気もなかったため、今の今まで忘れたままだった。

奇妙な巡り合わせに感謝しつつ引き金に指を添える。そして消えた男の足元に照準を合わせた。

パァン!!!!

「全員今すぐその場で止まれ!! でないとこの場で射殺する!!」

突然の爆音と銃弾に足を取られ、男がたたらを踏む。たった一秒の硬直。それでも、その手を遮るには十分だった。


「そこ……!!」

空になった拳銃を投げ捨て駆け出す。白煙の中、僅かに見えた褐色の腕へと、取り出した鞭を打ち付けた。
男の手が痛みに緩んだその隙に、シオンは少女の手を掴み、全速力で走り出す。

「待て!」
「くそ! 逃すか!! 追え!!」

「あ……!」
「止まらないで!! 走って!!」

家に残した母が気がかりなのだろう、少女は振り向きたたらを踏む。しかし二人二兎を追う者は一兎をも得ず、ここで少女を戻してしまうより、片方だけでも離脱した方がよほど良い。それに、人気の多い商店街の、ましてや煙幕が張られた中で騒ぎを起こせば、不必要な犠牲は避けられない。

兎に角今は此処を離れなければ。

ジーパンのポケットから端末を取り出し、予め登録しておいた番号へとかける。数コールして相手が出るも、今はお決まりの文句を聞く時間すら惜しい。

「こちらシオン! 大至急応援を頼みます!!」

そして、たった一人、少女の手を引いて駆け出した。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -