今も過ぎ去りし日々を愛し、蔓延る憎悪に身を任せる。

 デプスチャージの日常は大して変化しない。サイバトロンの面々とは折り合いが宜しくない為、一人きりで過ごすことが多い。正確にはコバンザメタロウが居るので一人ではないのだが、体の一部といって差し支えないものなので、現実には一人だ。
 回想に耽ったところで、どうしようもないのは分かっている。それでも思わずには居られないのだ。家族、友人、同僚、守るべき人々。我輩は守らねばならぬ立場だったのに、コロニーの警備長として。

 それら全てが、あの憎き相手によって打ち砕かれた。跡形もなく、それこそ全てを、壊された。彼に残されたのは曇りなき憎しみと、悲しみだけ。救えなかった己に対する、憎しみ。誰もいない世界に一人きりの、悲しみ。誰かと分かち合いたい感情も、発散されることはなく内に溜まり続ける。いつか、我輩は溜まりに溜まった泥土によって、身を滅ぼすだろう。デプスチャージはそう思う。
 だが。それでいいのではないか、とも思う。どうせ己には何も残っていない。あるのは体を埋め尽くす泥と、対象を見付けると逸る心くらいだ。死に急ぐ程度が、似合いに決まっている。

 心の内のみに思考を寄せていた為か、知らぬ間に海の深みに嵌っていた。冷えた海水が体を滑る。それによって身体が冷えることなどないが、その怜悧な水と戯れるような気分では、デプスチャージはなかった。ついと方向転換をし、水面を目指す。薄明層まできた辺りで、周りを見渡した。生命らしい生命は見当たらない。それにひどく、落ち着いた。
 生温い水に、一人きり。まるで今の我輩だ。だだっ広い水槽に、たゆたう心。ああ、安心する。眼を閉じ、腕を投げだし、足の力を抜く。眠りに落ちる寸前のような面持ちと体勢だった。命が落ちる寸前も、きっと似ているに違いない。

 ぐい、と左胸の近くの装束を、引っ張られた。ぼんやりと目を開くと、そこにはやはり赤と紫があった。不思議と、表情は憮然としているが。

「何をしとるんじゃ、ワレは」

 何をそんなに怒っているんだ、貴様は。我輩が己をどうしようと、貴様には関係ないだろう。反論の為に声を発するのも億劫で。我輩はもう一度目を閉じた。

「おい、おい」

 泥が体を支配する。指先までもが動かずに、泥土が体を支配していく。耳の奥が、痛い。

「おっさん、ワシを見ろ。なあ。今がチャンスじゃけ、なしてこっちを見ようとせんのじゃ」

 煩い輩だ。うろんな視線を向ける為に瞳を見開く。噛みつかんばかりに開いた口が迫っていた。翠の虹彩が射抜くように我輩を映している。無感情な顔をした我輩は、見慣れ過ぎていて味気ない。どこまでも面白みのない生き物だと、他人事の如く思った。ふと、家族にも表情筋を鍛えろと頬や目尻を引っ張られていたことを思い出す。その特訓の甲斐もあってか、警備長になる頃には一通り笑えたり泣けたり出来るようになっていた。懐かしき、思い出。もう、失ったもの。

「ああもう! しゃっきとせんなぁ! ワレと俺の仲やろうが!? なんで攻撃せんのじゃ、なんでそんな、」

 死にそうな顔を、しているのだ。
 奴は確かに、そう言った。何かを恐れるかのような声だった。驚いた、奴にも怯えという感情があるのだな。左胸の装束を掴んでいる手とは、別の手が伸びてくる。我輩の頬に添えられるそれは、まるで縋るもののようで。

「何を、している」
「オドレを殺すのはワシじゃ。こんな海と違う。ワシじゃ、ワシじゃなきゃいけんのじゃ」
「…不格好だな」
「うるせぇハゲ殺すぞ」
「ハゲではない。その予定もないな」
「へっ、どうだか」

 海流が生まれる。ぐぐっと海面は近付き、日の光が目を焼き出した。そのままざばりと、海の上へ。

「X…」

 海面に出たというのに、奴は手を装束から離さなかった。頬に添えられていた手はもうない。先程まではあんなにも我輩を睨んでいた翠は、余所を向いている。

「……勘違いしなや、あれはただ、面白うならんことになるのが嫌じゃった、それだけじゃけん」
「貴様も大概面倒な奴だ。コンボイと同じくらいに」
「っ、ワシの前で!」
「何だ」

 コンボイの名を出した途端、翠はこちらに戻ってきた。噛みつきかねない口も、同じように。距離さえ一気に詰められる。よく分からないが、とりあえず面倒な男だという認識は変わらない。溜息を一つ。そしていまだ装束を掴む手を振り払った。軽快な音を立て、離れる指。

「我輩はサイバトロン基地に帰る。貴様もさっさと根拠地に帰れ。殺し合うのは、装備を整えてからだ」
「…へーへー」

 海面が揺れる。双方が帰路に着く為に広がった波紋は、二つが一つに融けた。サイバトロン基地に帰ると言っても、結局は帰らずにその周辺に居つくだけだ。鼠あたりなら、察知してなんとか休息を取らそうとするのだろうが。
 頬に触れる。先程まで、ぬるい温かさがあった場所。何度も何度も、引っ張られ口角を作らされた場所。そういえば、最近は笑うこともしなかった。向き合えば撃鉄を引き、呪いの言葉を吐くばかりで。仲間と呼ぶのであろう者達にさえも憎まれ口ばかり。

「X、次は貴様を殺す」

 そういう私の口は、笑えていたのだろうか。

「上等じゃ、首を洗ってまっとけ、ちょっきんなー!」

 奴はよく笑う。挑発的にも、侮蔑的にも。それが今は、少し羨ましく、少し心地良い。


 泥土は収まっていた。緩慢な自殺によって体を回ったあとは、海流が海の底へと押し流したらしい。あるいは、奴の仕業か。
 どちらにしろ。
 私はまだ、死ねないらしい。
2013/02/06
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