「姉さん…」

生き物全てが眠りにつく時間。
季節は冬。
四方を山に囲まれたこの地の夜は、大層冷え込む。
そんな場に、沢山の車が止まっていた。
その中でも一際高級そうな車の中から漏れるのは、苦しげな息と血反吐の滲む呟き。
発しているのは一人の男。
脂汗の滲む額をそのままに、眠っているようだ。

夜とは不思議なものだ。
悪夢を見ているらしい男、サヴォイを中に抱えるロックダウンは思う。
スパークに潜む闇―恐怖を、表層へと引き摺り出す。
それが夜だ。
サヴォイにとって恐怖とは、肉親を喪うことらしい。
五年前に味わったその恐怖は、褪せることなくサヴォイを苦しめ、苛ませる。
己とてそれを他者に生み出させる側のくせをして、勝手な生き物だ。
ロックダウンは呆れを多大に含んだ排気を零した。
サヴォイはそれでもロックダウンの助手席で眠っている。
寝顔は苦しんだままだ。

今はオートボット狩りの最中で、張り込み作業の真っ只中にある。
サヴォイは本来なら彼用の車で眠る予定だったのが、ロックダウンが彼にしては珍しい誤射で壊してしまったのだ。
気にせず野宿しようとする上司を部下が必死に引き止め、またアッティンジャーの指示もあり、サヴォイはロックダウンの中で眠ることになった。
顔と態度に嫌悪を滲ませる両者は、とてつもなく恐ろしかったと部下は言う。

「…あ、が…う……」

掠れた声で、サヴォイは悪夢を呟いた。
くだらないと、ロックダウンはまた嘆息する。
絶え間ない闘争の中であっても、最善を尽くすのが狩人であり仕事人足るだろうに、何という体たらく。
ビジネスの相手でなければ殺しているところだ。
ただでさえ、脆い有機生命体の相手をするのは耐え難い苦痛であるというのに。
凍えた風が吹く。
夜の最も冷たい時間を、ロックダウンとサヴォイは共に過ごしていた。
温もりを共有するように。
本人達にその気がなくとも。

弱った声に興味などない。
早くいつものように、細い体に似つかない、ギラギラとした瞳を見せればいい。
あの目なら、目だけなら、気に入っている。
復讐に燃える瞳はひどく淀んでいて、それなのに強く光り輝いていた。
その相反する球体が、ロックダウンは気に入っていたのだ。
あれを抉り取り、小さな小さな小瓶に入れられたらどんなに良いだろうか。
保存液に漬け、腐らせることなく手元で鑑賞し続けられたら、どれほど蒐集欲が満たされるだろうか。
そんなことばかり、彼を見ると思ってしまう。
残念ながら今はその瞳は閉じられ、色を窺い知ることは出来ない。
だが、ロックダウンは気付いているのだ。
あれは、サヴォイの元にあるから、光り輝いているのだと。
サヴォイがその身を我々トランスフォーマーへの自己満足な復讐に費やしているから、その瞳は燃え上がるのだ。
抉り取った瞬間、美しかった瞳は突如として、そこいらのゴミと価値を同じくするだろう。
そんなものに、最早興味など抱かぬ。
握り潰してしまうのが関の山だ。
宝石は、扱いを心得ているから、美しく煌めいてくれる。
己の身勝手で玉を曇らせるなど、そんな恥ずかしいことはコレクターとして出来るはずもない。
故に、ロックダウンはサヴォイには傷一つ付けていないのだった。

「あ…あぁ…!あ、あ……」

サヴォイの悪夢は止まない。
己の家庭を持たず、姉とその家族のみを心の拠り所としてきた男は、シカゴ大戦ですべてを喪った。
夜が溶かし込んだ闇は脳を思考を体を蝕み、彼の弱みを露見させる。
サヴォイとて不本意だろう。
だが、そんな弱みが、ロックダウンには面白くて仕方なかった。
彼とて獲物の一つであると思えるからだ。

「ッはぁ…!はぁ…!はぁ、…」

車体が揺れるほどの勢いで、サヴォイはついに飛び起きた。
全身に冷汗をかき、泣き出しそうな顔をして、心臓の辺りを手で押さえている。
そこに有能な殺し屋としての面影はなく、ただ悪夢に怯える男がいるだけだった。
ロックダウンは低く笑う。

「なんとも情けない様だ」
「……」
「笑えてくる姿だな、生娘でもああはなるまい」
「…余計なお世話だ」

ああ、それだ。
サヴォイの瞳が、嫌悪と憎悪に燃え上がる。
胡乱な目付きで睨み、輝かんばかりに光る目玉が、己を見つめてくる。
それが見たかった、それが欲しかった。
ロックダウンのスパークは、狩りの獲物を眼前にした心持ちとなる。
この男を甚振り辱めコレクションの一つに加えられたら、とても楽しいだろうに。

「お前たち有機物にとって血の繋がりとはそんなにも大事な物なのか。理解出来んな」
「…だろうな」

おや。
機嫌の悪いスチールジョーのように噛みついてくるかと思えば、その様な反応は得られなかった。
途端に面白くない気分となる。

「俺だってそんなもの信じていなかった。親に見捨てられた身だ、血縁なんて大切にして何になると思っていた、のに」
「…」
「ああ嫌だ、姉さんだけは、なんて思わなければよかったんだ、そうすれば悪夢なんて見なかったろう、ああ嫌だいやだ…」

疲れ切った顔で呟くサヴォイの言葉を、ロックダウンは名状しがたい感情で聞いていた。
馬鹿らしい、とも思う。
くだらない、とも思う。
反面、そういうサヴォイに、形容しがたい心持がするのもまた、事実だった。
己の気に入っている瞳が、訳の分からない感情で濁ってしまうのが口惜しいのか、はたまた。
一際冷たい風が吹き抜けた。
そのままこの気持ちも吹き飛べばいいと、何とも間抜けな考えがちらついて、ロックダウンは脱力する。
サヴォイが冷え込む空気に影響されくしゃみをした。

「…寝てしまえ、今日も日の昇る前から行動するんだろう」
「………言われなくとも」

微かに機熱を上げるロックダウンに気付いているのかいないのか、サヴォイは椅子から落ちたコートを羽織り直す。
それもこれも全て夜のせいだ。
スパークが夜によって引き摺り出されたサヴォイの恐怖に、共鳴しているだけだ。
だからこんなにも意味のない感情が湧き上がるのだ。
きっと、そうだ。

「ロックダウン」

助手席に横たわり、目を閉じて寝入るものとばかり思っていたサヴォイが、小さな声でロックダウンへ呼びかける。
その顔は苦痛に支配されたそれではなかった。

「これは寝言だ」

零れ落ちる言葉は落ち着いていて、夜を照らす月明かりのようだった。
まるで今は亡き母星の夜空を照らす、二つの月のような、そんな穏やかな。

「…お前の色は、姉さんの愛車に似ている。俺はそれを、受け入れていいのか拒絶したらいいのか…分からない。それがとても、歯がゆい」

サヴォイの瞳は閉じられている。
シートに当たる体から強張りは感じられず、眠るための体勢を取っていることは明らかだ。
この男は、なんということを言い逃げするつもりなのだろう。
ロックダウンは面食らっていた。
サヴォイという男が分からない、理解し難い。
だが、一番理解出来ないのは己だ。
何故、サヴォイから歯がゆいと言われ、残念がる気持ちがあるのだ?
こんな不可思議な生き物、放っておけばいいのに。
どうして俺は、有機物のちっぽけな生き物が俺の中に居ても、大した嫌悪感も湧かずに、好きにさせている?
ああ嫌だ、何とも気持ち悪い。
把握できない状況など、何よりも気持ち悪い。
座りが悪い、とでも言うべきか。
助手席のサヴォイを注視する。
既に眠りの淵に入っているらしく、規則的な息遣いがするのみだ。

「…」

ロックダウンはケーブルを一本、取り出した。
それをするりと伸ばし、サヴォイの額をゆるく撫でる。
サヴォイはその感触が心地よかったのか、寝ているのに口角が少し、ほんの少しだけ上がった。

「…」

サヴォイの反応を見て、ロックダウンはケーブルを再び体内に収納する。
そのまま彼は徐々に出力を落とし、スリープモードへと入った。

冷たい風がまた一陣、吹き抜けた。
今度は誰も、何も思わない。

2014/10/11
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