※慶応三年、霜月/油小路 |
喧噪の隅に追いやられた身からは、止血のため宛がわれた布など意味もないほどの血が流れ続けている。月明かりもいつもより多い雲に遮られ、ときたま光が射してはてらてらと反射する赤い液体を映すばかりだ。 すぐに医者を呼ぶ、だからしばらく辛抱していろ、と懇願するように囁いた新八さんは、幾つも刀傷を受けたこの身体を目立たない場所へと移動させた。 まだ争っている者たちの、刀と刀が打ち合う音、喚き声、呻きなど、ひっきりなしに聞こえていた音が、だんだんと遠ざかっていく。 死はもうそこまで来ていた。 後に残るは月白の 「平助」 自分の名が呼ばれたということよりも、久しく聞かなかった友の声に反応して閉じていた瞼を持ち上げる。目に映るのは、別れたときよりも痩せた総司の姿だった。 「平助、」 僅かばかりの月明かりだというのに、総司の姿はよく見える。きっと、急いで来たのだろう。肩は小さく上下し、藍色の着流しが軽く乱れている。 もう会うことはないと思っていた目の前の友は、今まで見たこともないほどに眉を下げて、俺の前に膝をついた。 「平助、今、山崎さん呼んで来るから……」 総司が首に巻いていた襟巻を、腹の傷に宛がわれる。白鼠の襟巻はすぐに血の色に変わった。 「総司」 もういいよ、と首を横に振る。ごく小さな動きだったけど、その意味に気づいて総司は顔を歪めた。 精一杯の力を込めて左手を持ち上げ、総司の頬に触れる。白磁の肌が赤黒い血で汚れてしまったことを残念に思いながらも、その白さとの対比に目を奪われた。雲に隠れていた月が完全に姿を現し、淡い光が降り注ぐ。 月光に照らされて、総司の瞳に浮かんだ涙が反射して光る。 泣くな、と言ったはずなのに、出て来たのは空気だけだった。総司にこんな顔をさせたいわけじゃない。笑った顔が見たい。 「平助」 再び俺の名を呼んだ総司の瞳から、ぽろり、と涙が零れ落ちる。それを拭うことも出来ずに、俺の左手から力が抜けた。 視界が歪み、総司の顔が霞む。 ああ、もう死ぬのだ、とそう思った。最後に、と強く瞬いて、大切な友人の顔を目に焼き付ける。溢れ出した涙を拭いもせずに、総司は俺の名を呼んだ。うまく動かない口元で、それに笑ってみせる。 養生しろ、と言いたかったのに言葉はもう出なかった。総司の白い手が、俺の手を包み込むのが視界に入った。 温かい手の感触に、出会った頃を思い出す。あのとき額に触れた手と変わらない温度に安心しながら、ゆっくりと瞼を閉じた。 2011.12.14. |