ただ漠然と、自分は医者になるのだと思っていた。父のクリニックを継ぎ、父のような医者になるのだということは、小さい頃からずっと意識の奥に存在していた。
苦手科目をつくらないように勉強し、集中力を高めようとゴルフを始めた。それでもまだ、医者になるという目標は、曖昧なままだった。



水彩で塗った夜明け




「どこへ行くのですか」

4時限目が終わったばかりだというのに、昇降口で靴を履いている仁王君を見咎めて、声をかけた。またサボリですか、と続けようとした言葉は、仁王君によって遮られる。

「柳生も来んしゃい」

聞き返す間もなく手を引かれた。ふざけている様子のない仁王君に戸惑い、仕方なく靴を履く。私が靴を履き終えたのを確認すると、彼は歩き出した。校庭を横切り、校外へと出て行く。
行先はどこか尋ねても、じきに分かる、とはぐらかされる。そのまま駅に辿り着くと、電車へと乗り込んだ。


仁王君が降りた駅で、幸村君のところに行くのだ、とようやく気づいた。お見舞いの花を用意しなくては、と慌てる私に、そんなんは今度でええから、と仁王君はすたすたと病院へと歩き出す。


広い待合室を抜け、リノリウムの廊下を歩き、見慣れてしまった病室の前で立ち止まった。数回のノックの後、くぐもった返事が聞こえる。
病室へと入るなり、飲み物を買ってくる、と仁王君は出て行き、扉付近に手持無沙汰に立つ私と、ベッドの上に起き上がっていた幸村君が取り残された。

「柳生も、来てくれたんだ」

そう言う幸村君の声が僅かに掠れている。よく見ると、目は赤く腫れ、彼のラケットが床に落ちていた。
私の視線に気づき、幸村君は顔を隠すように俯く。みっともないところを見せてしまったな、と笑う姿は、とても弱々しく見えた。


強い人だと、今までずっと思っていた。見舞いに来た時、幸村君はいつも笑っていたから、テニスばかりでなく精神面も強いのだと、そう考えていた自分を、なんて浅はかだと嗤いたくなる。何も出来ない現実が歯痒く思えた。
中学テニス界の頂点に君臨するこの人は、最も愛していたテニスを理不尽に奪われたのだ。



「柳生?」

未だに立ちつくしたままの私を見て、幸村君が首を傾げる。座りなよ、と勧められた椅子に腰かければ、彼との距離がぐっと近くなった。

「幸村君」

手を伸ばして、白い頬に触れる。次いで、擦ってしまったのか、赤みが増した目蓋に指を滑らせた。長い睫毛が、指の腹を掠める。
今までかたちを為さなかったものが、はっきりとしたのはこのときだった。
私が医者になることで、彼のように孤独に目を腫らす人を減らすことができたなら。そう強く思う。


触れていた私の手がくすぐったいのか、幸村君は小さく笑った。その姿に、私は微笑む。
医者になります、と心の中で誓った言葉は、深く深く胸の奥に沈んでいった。





2011.11.02.
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