ひやり、と冷たいものが額に載った、と思うと同時に、蜩の声が耳に飛び込んでくる。小さく呻いて目蓋を開けた。外はもう日が落ちているのか、部屋の隅に行燈が灯っている。

「目が覚めました?」

ひょこ、と俺を覗きこんできたのは、二つ三つ年下に見える少年だ。
起き上がろうとすると、手を貸してくれた。ぽとり、と濡れた手拭いが、夜着の上に落ちる。
どうぞ、と差し出された白湯を有り難く受け取って、飲み干した。乾いて張り付いたようになった喉に、白湯が流れ込み、ずいぶんと楽になる。

「ここは?」

そう尋ねた俺に、少年は安心させるように微笑んだ。


ここは市ヶ谷の試衛館という道場であること。倒れた俺が熱を出していたため、ここに運んだということ。運んだ男は土方歳三といい、ここの門人であること。そして、最後にその少年は、沖田宗次郎だと名乗った。


皆、宗次と呼ぶんですよ、と言いながら、少年はひんやりとした手を俺の額に当てる。だいぶ熱も下がりましたけど、まだ休んでて下さいね、と布団の上に体を戻された。

「一、だ」

再び濡れた手拭いを載せてくれる少年の手を取り、そう告げる。突然のことに驚いたのか首を傾げる少年には、その子供らしい仕草がよく似合っていた。

「俺の名前だ、一という」

「はじめ、さん?」

なぜ姓を名乗らなかったのか。このときは自分でも不思議に思っていた。
目の前の少年には、通称である『一』という名で呼ばれたかったのだ。漠然とそんな気がした。呼び名にこだわったことなど、これが初めてだった。


少年はゆっくりと瞬いた後、穏やかに笑った。外に出ていた俺の手を、夜着の中へと丁寧に戻す。

「お休みなさい、一さん」

そう言うと、少年は行燈を消して部屋を出て行った。


暗さが増した部屋に、時を違えた蜩の鳴き声が聞こえてくる。
少年に呼ばれた自分の名が、夢に落ちる間際まで柔らかな響きで耳に残っていた。





2011.10.26.



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