左手に握った愛刀はいつものように目の前の体を突き刺して、相手が背にしていた木の幹にまで食い込んでしまった。声が漏れないよう右手で塞いだ口からは血が出ているのか、どろりと生温かい液体が指の間から垂れて手の甲を伝う。自分よりも小柄な相手のようだった。抵抗もなかった。

「……さ、ん」

塞がれている上に血を吐く唇が、僅かに動いて声を漏らす。ぞわり、と悪寒が背筋を走った。聞き覚えのある声なのだ。

「は、じめ、さ……っ」

分厚い雲に覆われていた月が、ここぞとばかりに顔を出す。いくら夜目が聞くと言っても、いくら世闇での斬り合いに慣れているといっても、その光景には目を逸らしたくなった。
口を塞いでいた右手から力が抜ける。それに促されるようにごほごほと咳を落として、生理的な涙を浮かべた総司が俺を見上げた。



赤く嘯く




嫌な夢をみた。洒落にならない夢だ。総司の腹を貫いた感触も、どろりと掌に纏わりついた血の温かさも、まだ体に残っている。水分を含んだ黒曜石の瞳も、土に散った紅い液体も、瞼を閉じれば鮮明に浮かんできた。
夢とは分かっていても、総司のことが気になる。現実ではないとはいえ、大事な友を殺してしまった嫌悪感に眉を顰めた。総司のことを頼むと藤堂にも言われていながら、この有り様だ。総司を殺したいと思っているのか、いや、そんなはずはない。そう言い聞かせながら、総司の部屋の襖を開けた。

「あ、一さん」

来てくれたんですか、と柔らかく微笑う総司は確かに生きている。だが、この師走の冷える時期に中庭に面した障子を開け放ち、縁にほど近いところに薄い寝巻で座っているところを見ると、寒さを感じていないのではないかと思ってしまうのも無理はない。

「外が見たいのなら、せめて何か羽織れ」

布団の横に畳んである綿入れを肩にかけ、火鉢を傍らに置いてやる。綿入れをかけるときに触れた肩は驚くほど冷たく、総司が短くはない時間ここにいたのだと教えていた。

「一さんは、優しいね」

「……は?」

「土方さんや市村くんに見つかったら、問答無用で布団に戻されるよ。あの二人、よく似てる」

「副長も市村も、お前のことを心配しているからだろう」

「そうだね、二人とも優しい。……私のしたいようにさせてくれる一さんも、優しい」

優しいという言葉に、無意識のうちに眉間に皺が寄っていた。
優しい、俺が?お前を殺すような夢をみた俺が、か?悲鳴も上げられないよう口を手で塞ぎ、後ろの木にまで届くほど深く刀を突き刺した俺が、優しい?

「一さん、どうしたんですか」

寒さのためだろう血色の悪い頬に長い睫毛の影を落としながら数度瞬いた総司が、体ごと俺の方を向く。恐い顔になってるよ、と眉間を軽く突いた指先は氷のように冷たかった。

「……何でもない。夢見が悪かっただけだ」

絞り出すようにそう言うと、ゆっくりと黒曜石の瞳を細めて総司が口を開く。乾燥した唇を一度舌で湿らせてから紡がれた言葉に、俺は心ノ臓を掴まれたように感じた。

「私を殺す夢でもみました?」

息を呑む俺に微笑みかけて、総司は俺の左手に右手を添える。雪と同じように白く冷たい手が、熱を奪っていった。

「一さんになら、殺されてもいいよ」

「……馬鹿なことを言うな」

「ここを、その鬼神丸で貫けば、」

総司の痩せ細った手が俺の左手を持ち上げて、薄い着物の上へと押し付ける。左胸、心ノ臓の真上だ。性質の悪い冗談はやめろ、と咎める前に、触れていた胸が大きく動いて総司の口から咳が漏れた。
ごほごほと息をする間もないほど咳き込む総司の背を摩ってやる。両手で口を押さえながら肩を上下させる総司の姿は痛ましい。伏せた長い睫毛は涙で湿り、額に浮かんだ汗で前髪が肌に張り付いている。
ごほっ、と一際大きく零れた咳の後に、必死に口を押さえていた総司の指の間から紅い血が漏れたのが見えた。

「み、ないで、」

己の身体を抱きしめるようにうずくまる総司に、出来ることなど何もない無力な自分が恨めしくなる。



ようやっと咳が止んだ総司の赤く汚れた口元と手を懐紙で拭ってやりながら、俺が殺したいのは総司ではないのだと思った。
目元を腫らして疲れ切った顔をしている総司は抵抗する力もないのだろう、抱き上げて布団に運んでも何の文句も言わない。ただ、障子を閉めて枕元に座った俺の袴を引いて、聞きとれないくらいの小さな声でこう呟いた。

「……ほんとうに、殺してくれてもいいよ」

力の抜けた総司の手を布団の中に戻し、伏せられた瞼を見遣る。
俺が殺したいのは、お前ではなくお前に巣喰う病なのだ、という言葉は、眠りの淵に落ちてしまった総司に聞こえることはなかった。




2012.10.07.
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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