体調が良いので伏見へ発ちます、そう言った私に難色を示したのは市村くんで、一つの条件を提示したのが一さんだった。
一刻も早く奉行所へ入ることを優先する、という条件は、暗に敵が来たならば逃げろという意を含んでいた。常ならば反対する条件を受け入れたのは、新撰組がある場所に早く戻りたかったからに他ならない。
十分すぎるほどの身支度を済ませ外に出ると、茜から藍へと変わりつつある西天に宵の明星が輝いていた。



春待月の薄明にて―沖田―




「総司」

名前を呼ばれたことに反応して、隣の一さんを見上げる。一瞬だけ交わった瞳には気遣いの色が浮かんでいた。前からやって来る男は四人。私が病人でさえなければ、警戒することもなく通り過ぎている数だ。
酔っ払いのように騒いではいるものの、男たちの足がふらつくことはない。私たちが足早に擦れ違おうとしたそのとき、男たちの手が柄にかかるのが目に入り、一さんが鋭く市村くんの名を口にする。そして私は、市村くんと共に駆けだした。


十間ほど移動したところで、久々に走った足が動かなくなるより先に、喉から咳がこぼれ落ちた。次から次へと漏れ出る咳に耐えきれず、市村くんの手を離す。

「沖田さんっ」

「……っ、市村くん、逃げなさい」

私より十も年下の少年だ。剣の筋も悪くない、と永倉さんたちも褒めていた。こんなところで私のために死なせるわけにはいかない、という思いも込めて逃げるよう促したのに、彼は首を横に振る。背を撫でてくれる手に、少しだけ力がこもった。


いつまでも止まらない咳にまぎれて、じゃり、と砂を踏む音がする。涙の滲む目が、刀を手にする男の姿を捉える。刀を抜こうと柄に伸ばした右手は震えて、力が入らない。なんて不甲斐ない。せめて市村くんだけは守ろうと、自分自身に命じたときだった。
刀を振り上げた男の前に私が飛び出すよりも早く、脇を市村くんがすり抜ける。間合いを計り、腰を沈め、刀を抜き放つと同時に相手の胴を薙ぐ。流れるような早さで男を斬った少年は、危なげなく刀についた血を払い鞘に収めた。地面に飛び散った血が、じわじわと地中へ吸い込まれていく光景から、目が離せない。



すぐに駆けつけた一さんは、ぎこちなく市村くんを褒めた後、ようやっと咳の治まった私を促して歩き始めた。数歩前を一さんが歩き、私の隣には市村くんが並ぶ。
ちらり、と横目で見た市村くんは、怪我もしていなければ斬った浪人の血も浴びていない。彼が血に汚れなかったことに安堵する一方で、人を斬らせてしまったことをひどく後悔した。
私が咳き込むことさえなかったら、あの浪人を斬ることもなかったはずだ。新撰組である以上、いつかは人を斬る。だけど、まだ市村くんは小姓の身分で、その手を汚す必要はなかった。この子供の綺麗で無垢な手を汚させたのは、汚したのは、私だ。

「ごめんなさい」

ぽつり、と思いがけずこぼれてしまった言葉が、闇を照らす月明かりに溶けて消えた。




2011.09.18.
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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