愚かな程に誠実な彼女は、決して約束を違えることはなかった。
その誠実さはこちらにとってみれば盾のようなもので、約束を設けた側である人間が打ち破るわけにはいかない。

好意を抱いていても優しさしかくれなかった彼女に、身勝手な約束を真摯に守り続けてくれた藤代に、こちらから返せるものなんてたった一つしかないのだ。





期間終了まで残すは一日。
その日も成り立たない用事を口実に彼女のクラスを訪ねてみれば、その影はどこにも見当たらなかった。
聞けば引っ越しの準備に追われているらしく、彼女の友人達は連絡の一つも受け取っていない僕に不思議そうな目を向けてきた。

それはそうだ。付き合っているのに、そんな重要な動向を知らない方がおかしい。
しかし、真面目でしっかり者の彼女が大きく体調を崩したりすることは少なく、学校に来ない日というものは殆どなかった。あったとしても部活の欠席を知らせるついでにその旨も伝えられていたので、知らずにいるということはなかったのだ。


(部活がなければ繋がりもない)


なんて、希薄な関係だろうか。
ただの友人でももっと親しいだろうに。そんな今更な事実を思い知るのも幾度目か判らない。

しかし、それならばこの残り一日という期間も無きに等しく、残る意味もなくなる。
言葉に変えれば虚しさだけが立ち籠める感情からは目を逸らして、もう一度自分の教室に帰ると荷物を取った。
全ての仕事に片を付け手続きも全て終えてしまった今、彼女に会えないならこの場にいる理由はない。

まだ昼にも満たない時間であるのに一日の終わりを感じながら靴箱に向かえば、前方に見えた靴箱から外履きを出している、見覚えのある横顔を偶然にも見つけてしまう。
特にこれといって理由はなかったが、つい声を掛けてしまったこちらに反応して、空気に溶け込みそうなその肩が軽く跳ねた。


「テツヤ」

「! 赤司君…お久しぶりです」

「ああ、退部以来だな」


今帰りかと訊ねれば、表情は変えずに忘れていた荷物を持ち帰るところだと言う。
その言葉で頭に浮かんだのが教室ではなく部室の情景だったことが、自分もそれなりに部活脳な人間だったのだということを思い知らせてくる。微かに、感傷にも似た思いがした。

全中三連覇を成し遂げたすぐ後に退部届を出して去っていった目の前の人間だが、彼女もそれなりに親しい方だったように思う。
特に、秘密を知りながら触れてこない態度にはよく助けられていた。


「藤代さんとは別れるんですね」


上履きを靴箱に仕舞うのも、これで最後になる。
そんなことを考えながら靴を履き替えていると、先に履き替えて近くに佇んでいたテツヤからそんな言葉が降ってきた。
珍しいことだ。今まで一度も気にした態度など見せなかった人間が、離れてから鋭い言葉を投げ掛けてくる。

それでも、動揺はなかった。それは当たり前に訪れると、決まっていた未来だ。


「羽澄が何か言っていたのか」

「いえ…何となく、見ていて察しただけです。進学先についても、相談はもちろん結果すら聞いてませんよ」

「…そうか」

「その様子だと、赤司君にも何も言っていないんですね」


藤代さんらしいですね、と表情は変えずに、どこか懐かしさを孕んだ視線を空気に投げるテツヤに、返す言葉は見つからなかった。

彼女は、誰にも頼らない人間だった。不安や相談を打ち明けるようなこともなく、いつだって気取られない内にうまく自分の中で消化してしまうのだ。
それが心配だと、桃井が溢しているのを聞いたこともある。しかし性質というものはそうそう変えられるものでもなく、彼女は器用であるからこそ強く、弱みを晒せない不器用な人だった。

そんな突けば崩れそうな脆さを、それでも決して倒れない強かさを、ずっと見てきたのだ。


「お前は新設校だったか」

「誠凛です」


感傷に浸る心を引き戻そうと話題を変えても、テツヤの強情さからは逃げられないらしい。
こちらに向け直された視線はひどく澄んでいて、喉元にこびり付く苦みが増した気がした。


「引き留めないんですね」


何を、なんて馬鹿な問いを溢すほど落ちぶれていない。
結局引き返される話題に苦虫を噛みながら、それでも表情に出すことだけはしなかった。


「赤司君は、藤代さんのことが好きなんだと思ってました」


観察眼は買っている。だが、全てを読めているわけではない。
少なくとも、その真っ直ぐな目を同じように見返すだけの余裕は取り繕える。

そんな言葉を、今更吐き出すものか。


「不干渉であることも、優しさだった」


多くを語らずとも、今までの僕と彼女の関係性を見てきたこの男になら通じるだろう。
その予測は正しく、僕の言葉に軽く目蓋を伏せたテツヤは難儀ですね、と息を吐くように呟いた。

ああ、全くその通りだ。厄介な性質だとは我ながら思う。
それでも意志を貫くことしかできないのは、言ってしまえばもう癖のようなものでもあるのだろう。


「返せるものが、これだけしかないからな」


何も言わず、そっと寄り添って、見守ってくれていたたった一人を知った。
その時間を奪い尽くして、優しさに甘んじて踏みにじってきた自分が、返せるものは何かと考えれば、一つしかない。


「自由にさせてやることしかできない」


彼女が守り続けてきた約束を、こちらから破ることなんてできない。できたとしても、それでは割に合わない。
全て僕のために捧げられた優しさを、裏切りで返すなんて馬鹿な話、あっていいはずがない。彼女は捧げ続けて、見返りの一つも求めなかったのに。

最後に彼女に与えられるものがあるなら、エゴであってはならなかった。


(それを好意として受け取られるだけならまだしも)


自分から壊して請うような真似は、絶対に許されない。先ず自分が許せない。

しかし、果たして、それは綺麗な感情であっただろうか。
自分から折れることを許さないプライドが、邪魔をしていないとも言い切れなかった。






心を決めた1日前




それでも、決して紡がれない思いは、胸の奥深くを焦がし続けた。
失ってしまったたった一日という期間にすら縋りたくて、不様にしがみつく僕の姿など誰も知らなくていい。

誰にも、知られたくもなかった。
抱えた想いは、軽くないのだから。

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