詳しいことを訊ねないのは、優しさなのか、或いは弱さか。
どちらにしろ結果は変わらないのだから、考えるだけ無駄というもの。





「羽澄」


残る人数も少ない教室内を見回し、見つけた影に声をかければ小さく揺れた背中がくるりと振り向く。


「征十郎? どうしたの?」


ふわりと表情を綻ばせる様は慣れたもので、違和感の欠片もない仕草に見誤りそうになる自分を内心押し留めた。
人前のやり取りは全て演技だ。騙されてはいけない。彼女にも騙す気など有りはしないのだから。

こちらも口角を上げて、合わせる。
この茶番も、もうきっと幾度もない。そう思うと嘘にすら縋りたくなる己に反吐が出た。
そんな感情も表には決して出さないが。


「昼まで残るようなら一緒に昼食は取れないかと思ってね」

「うん?…まぁ残るつもりだから別にいいけど、珍しいね」

「最後だからな」


喉に詰まってやっとのことで吐き出す言葉も、彼女には簡単に受け入れられてしまうらしかった。
最後、という二文字に当然のように頷いて、それもそうだね、と頬を弛める藤代には約束をはね除ける気は更々ないのだ。

日々締め付けられる首は、もうそろそろ千切れて落ちはしないだろうかと馬鹿な考えが頭を過ぎった。
息がしづらい。しかしそれを表す手段はなく、彼女の目をも欺ける笑顔を貼り付ける以外に道はなかった。






「卒業まであと二日か…」


弁当をつつく箸を止めてぽつりと溢した藤代は、校舎の空気を吸い尽くすように大きく息を吸って空を仰いだ。

二年間で伸びた髪が緩やかに吹く風に揺れる。その横顔も、最初に目にした時よりも遥かに大人びて見えた。
時間の流れを思い知らされれば、尚更馬鹿らしく思えてくるからどうしようもない。

二年だ。
二年もの月日を掛けて、変わったことと言えば背の高さや声質等といった自分のことしか思い付かない。
彼女との間で何かしらの変化があったとするなら、きっとそれはマイナスなものでしかなかった。
それをたった二日で取り戻せるわけもない。長い時間を掛けて出来上がった完璧な歪みは、取り返しが付かない溝を生んでいた。

だって、二日だ。
単純に計算すれば四十八時間。今日を加えれば半日はある。
しかしそれは体感できる全ての時間というわけではなく、当たり前だが接していられる時間は更に削られる。
十時間だって取れないような、今まで培ってきた時間の一割にも満たない環境で、何が変えられるだろう。


「赤司くんはスポーツ推薦でしょう?」

「ああ…藤代は試験を受けたのか」

「ううん、推薦。軽く筆記試験もあったけど特に問題なく合格できたよ」

「成績は良かったからな」

「赤司くんには敵いませんけど」


ようやくこちらに向いた顔が楽しげに笑む様も、目にすることの出来る時間は限られている。僕の箸まで動きが鈍った。

受験については、お互い何の不安も抱いていなかった。こちらが心配されないことは当然ながら彼女の方も成績は上位に食い込む方だったので、大概の高校は難なく合格できるだろうことも予測が付いていた。
だからこそお互いの志望校を明かすこともなく、受験時期は特に接触は減少した。その流れでここまでも傍にいる時間が一気に削られたことも、彼女は少しも気にしていないように見える。

結局、それだけのことなのか。
君の中では、既に終わっているのか。

訊ねられない苦すぎる疑問を幾度もしてきたように飲み込んで、微笑だけは保とうとする滑稽さと言ったらない。


(まるで道化だな)


そんな自嘲も、彼女には届くはずもないが。


「高校に上がったら私、やりたいことがあるの」


無邪気に紡がれる声は、未来を期待して弾む。
耳を塞ぐことも出来ずに、僕の息だけが止まった。


「というか、将来やりたいことかな。真剣に考えてみようと思って」


考えるなら早いに越したことはないと笑う彼女が、一瞬本気で憎たらしく思えた。
常ならその判断を褒め、認めることも出来たのだろう。けれど、その未来は別離の先に待ち受けているものだ。

僕がいない未来を語るその口を塞いでしまえたら。

勝手に動き出そうとする寸前で手を止めたのは、微かに残った良心の影響かただの意地なのか、もう判らなかった。


「頑張るといい…応援してるよ」


強張り冷えていく唇を無理矢理に動かして心にもない言葉を吐く。


「うん」


それでも彼女は、花が綻ぶようにはにかんで笑う。
ありがとう、と。こちらの抱える薄汚い考えにも気付かずに。


(駄目だ)


もう、何をしたところで。言ったところで。
見たこともない、綺麗な笑みを浮かべた彼女の姿に手遅れだと悟った。

心は、疾うに離れていたのだと。
約束は最後まで約束でしかなかったのだ。







決別を知る2日前




彼女の好意は優しさで成り立ち、僕の好意は並べる価値もなく。
だから、離れた心を引き留める術は、もうなかった。

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