始まったのは、仮初めの恋愛。
形だけは美しい、触れない馴れ合い。



藤代と付き合うことが決まったその日の内に、連絡先を交換していくつかの決まり事を設けた。

契約であるということは、基本的には誰に対しても秘密であること。誰かの目がある場では名前で呼び合うこと。必要な時には接触し、必要以上には馴れ合わないこと。お互いのプライベートには踏み込まないこと。

それから…


「これが仮初めの関係であり、本物には成り得ないことを忘れないこと」


いくら賢い彼女といえど、明確な感情でなきにしろ好意は向けられているのだ。
傍にいることで線引きを誤ることもないとは言えない。その思いから取り付けた約束に、彼女は特に異論を申し立てることもなく素直に頷いた。

本当に恋愛的な好意を抱いているのかと疑問に思えるほどに、あっさりと受け入れた彼女の様子には多少なりと驚かされた。しかし、都合がいいと言えばそれまでだ。
言質は取れた。そう、安心した気持ちが大きかった。

しかし果たして、それはどちらにとっての言質だったのだろうか。




契約開始からの彼女はというと、実によく演じてくれたと言わざるを得ない。
後にキセキの世代と呼ばれるスタメンの中でも観察眼のあるテツヤや傍にいることの多い敦以外には、期間限定の演技だと知られることはなかった。

彼女と仲の良かった桃井にだけは例外として事実を打ち明けることを願い出て来たので、自分から話をしたのだろう。一番大切な友人までは欺きたくないという彼女の申し出までは断る理由はなかったし、何より事情を知っている人間が一人二人いればフォローも頼めるだろうこともあって頷いた。

そして彼女は二年間、今となってはくだらないと思える約束を守り続けている。
卒業まで残り数日となった今現在も、変わらずに。


「あ、いた。赤司っち!」
「涼太か。どうした」


今後の部活のことについて顧問と話し合い、その帰り道の廊下に響いたチームメイトの声に顔を上げれば、ちょうど教室を覗いていたところだったのだろう。扉に手をかけたままこちらに向かい軽く手を振ってくる。
その手に握られているのは、真新しいファイルだった。


「藤代っちからファイル預かってきたんスよー。なんか、後輩用のメニュー組んでると思うから参考にって。過去の記録まとめてファイリングしてあるみたい」

「…そうか」

「相変わらず出来た彼女っスよねー。よく見てるっていうか」


その称号があと数日のものだと知らない涼太の口調は軽い。
既に部活の方の仕事もほぼ後輩に移行しているので、最近は共に過ごす時間すら少なくなった彼女の顔を思い浮かべた。

受け取ったファイルは重量があった。文明の利器があるとはいえ、これをまとめるのは中々時間を割いたのではないだろうか。


(届けに来る暇はないのか)


これだけの仕事はする暇があるのに。今日に至っては顔すら見ていない。

時間が経てば経つほど、遠ざかる感覚は錯覚ではない。
あと四日。それだけの時間しか残されていないというのに、その間傍に近寄らない、彼女の行動が我が身に突き刺さる。


「さっきも惚気られちゃったんスよ。よく見てるっスねって言ったら好きな人だからねーって」


赤司っちの幸せ者!、とはしゃぐチームメイトには口角を上げてみせながら同意の形を取るも、心は穏やかでいられない。

だって、それは全部、演技だろう。

嘘と変わらない。僕自身には絶対に伝えられない言葉なのだから。


「じゃーオレこれから仕事なんで。赤司っちも頑張って」

「ああ。わざわざすまないな」

「藤代っちのお願いっスから!」


ひらりと手を振って去ってゆく涼太も、それ以外の仲間も、彼女に対してはとても好意的だ。それは偏に彼女の働きが部に大きく貢献していたからであり、主将の恋人という立場を笠に着るような態度がなかったためだろう。
ともすれば仮初めの関係である僕よりも、彼女と近い距離で接していたのかもしれない。

開いたファイルには事細かなメモが貼り付けてあり、その文章は丁寧語で綴られている。
まるで遠い他人とやり取りをしているような気分に、浮かぶのは嘲笑だった。


(幸せでなんか、あるはずがない)


“好き”だなんて言葉は、あの曖昧な響きで語られた一言しか、この身に向けられたことはないのだ。

彼女が周囲の人間に向けてその言葉を紡ぐ度、耳にしていてもしていなくても、胸の内側がざわめく。最初はきっと小さな感覚だったそれは、時間が経つにつれて心臓を締め上げていった。

演技が巧過ぎるのも、空気が読め過ぎるのも、困りものだ。
本物でもないのに、本物でないから、騙されては崩される。

因果応報というやつか。
喉奥で広がり続ける苦みを飲み込み続けながら、ファイルを閉じた。
これがきっと、彼女からの代償なのだ。






思いを馳せる4日前




それでも、後悔などという言葉だけは使いたくなかった。
その想いを抱いているのが、自分一人だけだったとしても。

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