【番外編】
届いたメールに返事を終えてそろそろ眠りにつこうかと考えている頃に、しんとした空気を震わせた携帯に肩が跳ねた。
メールではなく電話の着信音だったことに驚きながらもう一度ディスプレイを覗き込めば、そこに表示されていたのは見慣れた、それでもまだ完全には馴染みきっていない彼の名前。
思わず一瞬どきりとしてしまった自分に深く息を吐き出しながら、速まる鼓動を無視して通話ボタンを押す。
「もしもし…?」
静かな自室、他に人はいないとはいえ何となく小声になりながら電話を取れば、これもまた耳に馴染んだ低音が鼓膜を震わせる。
『羽澄…すまない、そろそろ寝る頃かとは思ったんだが』
開口一番に謝罪とはまた、珍しい。
そんな感想は一部現実逃避のようなもので、元日に彼から連絡が入るということも初めてな私は、自然と携帯を握る手に力が入るのを自覚した。
「さすが赤司くん。でも大丈夫だよ、まだ横になってはなかったし」
『そうか…』
動揺は気取られなかったらしい。
それならよかった、とでも言うように吐息混じりに頷く気配が、電波越しでも感じられる。
例年とは違う温もりのあるやり取りに、少しばかり気恥ずかしさを覚えた。
(一年前ならこうはいかない)
中学時代はそれですら嬉しくはあったけれど、新年の挨拶だって部活の連絡のついでのようなものだった。
それを考えると今が夢か何かのようで、この電話の向こう側にいるのが本当に彼で間違いないのか、疑いたいような気持ちにもなって。その度に夢なわけがないと、自分を叱咤することになるのだけれど。
『あけましておめでとう』
「おめでとうございます」
見えもしないのに頭を下げて返せば、彼はそれも見通しているかのようにくすりと息を漏らした。
そして少しの間を置いて、続ける。
『それから…今年もよろしく』
その言葉が届いた瞬間にじん、と熱を持つ、私の目蓋の裏は単純にできていると思う。
今年も、なんて。そんなこと。
(言えなかったのに、なぁ)
やっぱりまだ、中学時代の気持ちを抱えたまま、捨てきれない。
年が明けても成長しないなと呆れつつ、感慨深くも感じるからどうしようもなかった。
だって去年の今頃は、別れへ進む日付を数えていた頃だ。
彼の方はどうだったのか…今はまだ訊ねる勇気はないけれど、私は本当に、心にけじめをつけることに必死で。
中途半端では諦めきれないから、外から固めて離れる準備をして…記憶を、思い出にして、奥深くに仕舞いこもうと。
『羽澄』
記憶に意識を引きずられていたところ、水を打つような声にはっとする。
いけない。今は夢じゃないんだから、彼から意識をそらしてはいけないのだった。
「あ…うん。こちらこそ、よろしくお願いします。…愛想を尽かされないように頑張るね」
『……前から思ってはいたんだが、羽澄は僕を甘く見ているな』
「え? そんなことは…」
『ある。大方お前の考えは逆向きだ』
「逆向き…ですか」
それはまた、どういう意味だろう。
少しだけ緊張の抜けてきた身体を壁に預けながら、何気なく見上げた先の時計は0時半近くを指していた。
『やっと手に入ったものを、易々と捨てるわけがないだろう』
「そう…?」
『羽澄はもっと思い知るべきだ。今だって、声が聞きたいと思い立ったのは僕の方なのに気づきもしない』
「………、え?」
呆れ混じりなその声が語る言葉が、不意に心臓を突き刺してくる。
またおかしな風に跳ね上がった心音は、収まるどころか更に加速させられた。
『どうせメールでは間に合わない。家族にも敵わない。それが解っていても一番先に、ちゃんと口で伝えたかったことも、ここ暫く顔を見れなくて面白くなかったことも、何よりそんな執着を抱く相手が一人しかいないことも…言わなければ、お前は考えもしないな』
「……っ…え、あ…ご、ごめんなさい…」
『そうじゃないだろう』
「うっ…え、っと……」
先を促す喋り方に、彼が何を求めているのか、理解して熱が上がる気がする。
でも、そんなこと、口にしてもいいのだろうか。
未だに測り兼ねる距離感に狼狽える私の背中を押すように、呼び掛けられた名前に息を吸い込んだ。
ああ、もう。
なるようになれ。
「私、も…寂しかった…」
忙しいことを知っていて、我儘を言うようで嫌だけど。
そんな私の考えは無駄な心配だとでもいうように、彼は満足げにああ、と頷いてくれたようだった。
こんなことで喜んでしまう、赤司くんは何となく変わったと思う。
決して嫌なわけではないけれど、恥ずかしくていたたまれない。私は意味もなく膝を抱えて身を縮める。
『今日、時間があれば会いたい。里帰り中でもあるし、どうせだから初詣に行かないか』
「え、でも赤司くん忙し‥」
『羽澄』
「…うっ……嬉しいけどね? 無理してほしくはないから」
『会いたい』
「…っ………はい…」
ああ、もう駄目だ。敵わない。敵うわけもないけれど。
赤司くんにそんな真剣な声で請われて、断れるわけがないじゃないか。
完全に言いくるめられて項垂れる私を知ってか知らずか、僅かに機嫌がよくなった彼は詳しい時刻はメールする、と口にすると、思い出したように一つ付け足す。
『それから、今年こそ名前で呼ばせる。覚悟しておけ』
既にばくばくと強く脈打つ胸を押さえて返す言葉もなくした私に、それじゃあおやすみ、と甘ったるい囁きが落ちた時には、壁に預けていた身体はベッドに沈没していた。
始まる二人のNew year「……勘弁、してください…」
熱を持って熟れた顔をシーツに押し付けて、呟いた声は深夜の静けさに溶けた。
20130102.
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