有り触れた称賛は聞き慣れてしまえばただの記号でしかなく、言葉の軽さばかりを私に押し付けるから。

だから余計に、その胸で渦巻き続けるそれが、狂おしくって堪らないのに。






「それじゃ椿、六時半に駅前ね」

「了解」



講義で配られたレジュメをファイルに仕舞いながら、近い席に座っていた友人の言葉に微笑んで答える。



「椿がいると良物件が釣れやすいし、気合い入れてかなきゃねー」

「そうね。私も有力なコネを探さなくちゃ」

「またそれかぁ。ホント椿は男泣かせだよねー」



引く手は数多だろうに、と呆れた溜息を溢す彼女に、私は少しも崩れない笑みを返した。



「私の性癖知ってるでしょう?」

「あー、まぁねぇ、そりゃ並みの男ならドン引きするだろうけど…そこだけは本当に椿は勿体ないよね。そこさえ除けば完璧なのに」

「ありがとう」

「褒めてない褒めてない」



私の内面までしっかりと把握している数少ない友人である彼女、松之木冬利は、苦々しい顔を作ると横に手を振る。
ここまで私に突っ込んでこれる人間は数少ないので、このような心地よいやり取りができる冬利は貴重な人間だ。

上部だけの付き合いや記号でしかない言動とは違う、本音そのままをぶつけられるのは、中々悪くない。
本能に正直な彼女の恋愛観も私には好ましく感じられて、彼女と出逢った中学時代からそれなりに長い付き合いを重ねていた。

それでもまさか、同じ大学にまで進むとまでは考えていなかったのだけれど。
人の縁とは本当に面白いものだと、改めて考えさせられる。



(とはいえ、趣味は全く合わないのだけれど)



私を餌にセッティングされたらしいオフ会とやらは、紛れもなく合コンを言い替えただけの代物であることは把握している。
それはそれと納得してはいるし、挑むのなら万全を期するのは当然のことだ。

私としては出会いに興味があるわけではなく、有力なコネクション、相手側の所有する知識だけが目的であったりするから、この客寄せパンダ的立ち位置を全く無益なものだとは思っていない。

時間を割くに価する集いだ。
特に今回の物件というのが経済と医学の学部から優秀生を引っ張ってきたということで、来るチャンスを逃さぬべく、私自身も違う方向に気合いを入れている。



「しっかしまぁ、ホントどうしようもないよねー椿は」

「ええ? 何が?」

「まともな恋愛に行き着かない辺りが。そんなんじゃいつか刺されるよ」

「もう刺されたことあるから平気よ」

「いや、そういうこっちゃなくて」



連れ立って教室を出れば、複数の視線があちらこちらから向けられる。
それにはもう慣れたもので、たまにすれ違う顔見知りとは軽く微笑みながら挨拶を交わし、見惚れる彼や彼女らからはすぐに目を逸らす。

憧憬の眼差しには、もう何も感じない。
否、昔から何かを感じたことはなかった気がする。

この慣れきった感覚を抱く辺りが、私に紛れもない血筋を思い出させるのだ。不愉快なことに。



「罪な女ー」

「本当よね」

「自分で言うな。あいつら全員に椿の趣味バラしてやりたいわホント」



にやりと唇を歪める彼女も、中々いい趣味をしていると思うけれど。
そこには突っ込まず、誰も信じやしないわよ、とこちらも口角を上げた。

文武両道、頭脳明晰。温厚篤実で清廉潔白と誉れ高いこの私を疑う人間なんて、私が心を許している人間か、若しくはあの忌まわしい家系の人間くらいのもので。
恵まれた頭脳と容姿を駆使して作り上げられた私の仮面は、そう簡単に剥がれたりはしない。

だからこそ、素を晒せる人間は貴重なのだが。



「好みなタイプほど泣き喚くレベルで追い詰めて苦しめたいってねぇ…どんな狂い愛よ」

「まるで呪いよねぇ」

「だから自分で言うなって…」



うんざりした声にも嫌味は感じない。
溢れる笑いを隠しもせずにいると、前方に見えたキャンパスの入り口に、複数名の女子が集まっているのが見えた。

何か面白いものでも見つけたのかねぇ、と呟く冬利を尻目に、それからもう一度そちらに視線を向けながら私はバッグを肩に掛けなおす。



「私、少し用事ができたみたい」

「は?」

「それじゃあ冬利、また夜に」

「え? 椿?…って、あーもう、遅れないで来なさいよ!」



足早にそちらに向かう私へ背後からかけられる声には、ひらりと手を振って了承を示す。
そのまま私は屯する女子の中で人当たりの良さげな笑みを浮かべる存在に近づき、囲いの外から笑いながら声をかけた。



「何をしているの?」

「!」

「えっ、あ! 花宮さん!?」



どうやら彼を囲っていた女子達は私のことを知っていたようで、振り向いた顔が驚愕から羨望へと忽ちに変化する。

その様を見ていた彼の眉が僅かに歪むのを、私は見逃したりはしなかった。



「私の従兄弟が、何かご迷惑を?」

「え? あっ…うそ、花宮さんの従兄弟さんだったの!?」

「ご、ごめんなさい。誰か待ってたみたいだから興味わいて、ちょっとお話してただけなの…!」

「そう…それはこの子も退屈せずにすんだでしょうね。ありがとう」

「い、いえ…!」

「それじゃ、私達はこれで…!」



にっこりと笑顔で上部だけのお礼を紡げば、周囲を取り囲んでいた女子らは頬を染めながらそそくさと退散して行く。
それを会話が聞こえないくらいの距離が開くまで見送ると、私は着けていた仮面を取っ払って小さな溜息を漏らした。



「歳上にもモテるのねぇ、花宮くん」

「…女にまでモテてる奴に言われたくねぇよ」

「そう? それで、ここには何をしに来たのかしら。私に会いたくて我慢できなくなっちゃった?」



キャンパスを囲う外壁に凭れていたその男の顔を覗きこんでみれば、成る程。何やら気掛かりな事柄があるような表情を隠しきれていない様子。
決して私を見ようとはしない彼をつまらなく感じるものの、迷いの見え隠れする瞳はほんの少しだけ、私の胸の空洞を埋めてくれる。



「校内見学」

「オープンキャンパスじゃないわよ」



その口実はいくらなんでも無理がある。
空かさず切り返した私に漸く向けられた目は、苛立ちに彩られていた。

憎々しげなその相貌に、背筋に痺れが走る。
嗚呼、これだから止められないのだ。この男の感情を踏みつける行動は。



「…聞いてなかった事を思い出しただけだ」

「何かしら?」

「……」



すぐに逸らされてしまうその目をじっと見つめながら微笑めば、筋ばった拳に力が加わる。
彼の唇が一度閉じて再び開こうとした時、その声は発する前に遮られた。



「椿。何をそんなとこに突っ立ってるんだ」

「…あら、高柳」



これもまた古い付き合いの一人の男が、講義を終えて帰るところだったのか、声をかけてきた。
冬利と同じく中学で唯一素を晒していたその男も、学部は違うが同じキャンパスに通っている昔馴染みである。



(これはバッドタイミング)



他の男ならまだしも、この高柳は少しばかり厄介だ。
とはいえ私が冷静さを失うかといえば、そういうことは無いのだけれど。



「ああ、そうだ。女郎花がモデルの件で話したいことがあるそうで、探してたぞ」

「ああ、そう言えばそんな話もあったわね…後で連絡入れるわ。今日は予定があるし」



どこまでも自然体で近寄ってきた男にこちらも普段通りに返事を返しながら、ちらりと窺った彼の顔は絶望の色を湛えながら、今にも震えそうなほど強張っていて。

嗚呼、やはり覚えていたか。

内心溜息を溢す私の気持ちも知らずに、寄ってきた高柳は漸く傍らの彼に気づいたかと思うと、その目を眇めた。



「ん? 何だ…見た顔だな」



この男も、忘れているわけでもないだろうにいい性格をしている。
対して、その台詞が死刑宣告であったかのように一気に顔色を悪くした彼は、勢い良くその顔を逸らすと踵を返してしまった。



「…帰る」

「話があったんじゃなかったの?」

「別に」



大したことじゃない、なんて。
そんな分かりやすいにも程がある嘘を、今日ばかりは突くことはできそうにない。

足早に去って行く背中を見送りながら鬼畜生、と呟けば、隣に並んだ男からどっちが、と返された。



「私のは愛情込みだからいいのよ」

「よく言う」



あんな子供にトラウマ植え付けといてか。

そうは言うが、あの事件は私の目論見には無かったものだ。
寧ろあれがなければもう少しくらい、事の運びも楽だったと思っているくらいで。



「仕方ないでしょう。あれはある意味不慮の事故よ。大体、私じゃなくあの子が刺されていたりしたら確実に死亡率は上がっていたわ」



別に私だって、あそこまで望んではいなかった。
背中に感じた焼けるような痛みを思い出しながら、たった一つの言い訳を落とす。

あれは、私の企みではない、と。







無色透明に貫かれて




事足りていた布石に、重罰までをも下す予定は無かった。
だからそれは唯一、私の計算から外れた最悪だった。
20121011. 

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