「生まれてこなきゃよかったのになァ」



見下しきった瞳と、歪む唇。
その一言が私の芯を、人生を揺るがせた。






響いた、ブザービーター。
訪れた爽快な勝利に、身体の芯でほの暗い悦びが蠢く。

刺激的で見応えのあるその試合が終了し、選手の退場するところまで見守った私はくつり、喉を鳴らしながら席を立つ。
嗚呼、愉しい。本当にやってくれた。



(誠凛)



それが、あの男のプライドを完膚なきまでにへし折ってくれたチーム。
とても純粋で直向きなチームだと、見ている側にも伝わってくるゲームだった。

だからこそ愉しくて仕方がない。
一番気に食わない存在に及ばなかった人間が、どれだけ打ち拉がれてくれるだろう、と。
その弱味を指摘してやれば、どんな顔をしてくれるだろう、と。

愉しくて、楽しみで仕方ないのだ。
うずうずと、胸の内側が震えるくらいに。









「はぁなみぃやくぅん」



会場から出てきた集団の中に、溢れる苛立ちを隠そうともしないその顔を見つけた私は、にんまりと唇を持ち上げながらその男に近づいた。
振り向く前、私の声を耳にした瞬間に凍りつく瞳と跳ねる肩に、私の機嫌は益々好くなるばかりだ。

随分と可愛い反応をしてくれる。



「な…んで…椿、テメェがここに…っ」

「やぁだ。可愛い可愛い従兄弟の試合、見に来ちゃいけない理由でも?…あら」

「へっ」



羞恥心か、怒りか、どちらもか。
その拳がギリリ、と強く握られるところは敢えてスルーし、近くに佇みこちらを呆然と見ているチームメイトの一人に、意識を向けた。



「試合中から可愛い子がいるなぁと思ってたのよ。ねぇあなた、お名前は?」

「え、あ、原一哉…です?」

「原くんねー。よかったらお姉さんとアドレス交換しない?」

「何高校生相手に逆ナン掛けてんだテメェ」

「花宮くんに口出しされる筋合いないわよ。ねー?」

「えー…っと」



前髪に覆い隠された目が、花宮と私を行ったり来たりする。
けれどさすがに高校生はチョロく、その手は素直に携帯に伸びていた。

その瞬間の花宮の顔を、見逃さなかった私は尚更笑みを深める。



「大体、お前も花宮だろーが」

「あら、あなたと一緒にしないでよ」



吐き気がするじゃない。

外面上は柔和な微笑みを浮かべはしても、発言に力を抜くつもりはない。
赤外線受信中だった原くんや周囲のメンバーがびくりと震えるのはこれもまたスルーして、それより、と従兄弟に向き直る。

幼い頃より随分と男に近づいたその顔も、浮かべる表情が相応でなければ意味を成さない。
強気を装い睨み付けてくる瞳の奥に何があるかなんて、生憎こちらには手に取るように把握できているのだ。



「残念だったわねぇ、あの相手チームの彼、去年負傷させた子だったのに。今年こそ潰せなくって」

「っ…」

「久々に本気を出してたみたいだけれど…一歩及ばずってところかしら。ねぇ、花宮くん」



今、どんな気分なのかしら?

眉間に寄る皺に、力一杯の歯噛みに、背筋にゾクリとした感覚が走る。

嗚呼、これだから。



「可哀想に、お姉さんが慰めてあげましょうか?」



これだから、堪らない。

お綺麗な顔を存分に歪ませて、羞恥と怒りに染まる頬はぐるりと逸らされたかと思うと、その足が横に逸れて歩き出す。



「っ、おい花宮!」

「どこ行くんだ花宮!?」



仲間の呼ぶ声にも見向きもしない背中を見てとうとう堪えきれなくなって噴き出す私に、驚き集まる視線には笑いながら謝っておく。



「いや、てか、えーっと…」

「ああ、私、あの子の従姉妹の椿っていうの。お騒がせしてごめんなさいね?」

「あの花宮相手に…随分言いますね」

「ふふ、今ので? 突き足りないくらいよ」



間違いなく花宮の血筋だ…と聞こえた声は黙殺し、私はにっこりと笑顔を浮かべる。



「試合お疲れさま。私はあの子を追いかけるから、この辺で失礼させていただくわね」

「げっ…まだ行くとか…」

「それじゃあ原くん、連絡先ありがとう。他の皆さんもさようなら」



軽く手を振って、踏み出したヒールを高く鳴らす。
見えなくなった背中を探すため、私は速足で進みながら目的の人物の行動を計算した。

あれでいて打たれ弱くプライドの高い男だ。人気の無い場所は確実。
喧騒を嫌うことを考えて、試合会場からそう離れてはいない敷地面積の広い公園に向かってみる。
そして予測は見事に当たり、入り口からそう離れてはいないベンチに見覚えのあるジャージが掛かっているのを発見できた。

少しは捻りのある逃げ方を学べばいいのに。
結局私を振り切らないその男の方が、ジレンマに侵されているのだから、仕方の無いことではあるのだが。



「泣いちゃえばいいのに」

「…ふざけんな」



ベンチの背もたれに腕を置き、寝転がる男を覗きこんでみると腕で顔を隠される。
なんとも陳腐な反応だ。実につまらない。



「試合終わった時はサイッコーにいい顔してたのに。ねぇ、もっとぐちゃぐちゃに歪んだ顔が見たいのよ、私」

「ふざけんな。誰が」

「つまんないわ花宮くん。あなたそれしかないの?」



はあ、と心の底から吐いた溜息に、横になっていた上半身が勢いよく起き上がる。
そして掴まれた胸ぐらに、私の芯が鳴き声を上げた。



「っ…いい加減にしろよテメェ! いつまでもオレを玩具にしてんじゃねぇよ!!」

「なぁに? 先に私で遊んだのはあなたじゃない」

「っ…うぜぇんだよ、ガキの頃のこといつまでも引きずりやがって。そんなにオレがっ…」



憎いかよ、と。

転がり出ない言葉も推測することは容易く、私は唇を歪める。

嗚呼、可愛い、と。



「引きずってほしくないなら、引きずらないであげましょうか?」



あなたが、本気で望むなら?
吝かではないと仄めかしても、結局この男がそれを望むことはない。
知っているのだ。

この男は、自分が私を壊したと思っている。
幼い頃につけた傷は跳ね返り、罪悪感と執着を生んだ。
そして私は、そんな哀れな勘違いを起こして身動きが取れずに右往左往する様が、とてもとても、好きで。



(壊れてなんかいやしないのに)



傷つくより、目覚めたと言ったが正しい。
私はその日、鋭い言葉を投げ掛けてきた自分より三つも幼い男の子の顔を、絶望や怒り、羞恥心に歪ませ、涙でぐちゃぐちゃにしてやりたいと思ったのだから。

そんなことも知らずに、私の興味が自分から外れることに本心では脅えている花宮は、結局本気で拒絶の言葉を吐き出したりはしない。
憎しみでも、手放せない。
切り離すことができない。



(憎んでもいないんだけど)



寧ろこれは、愛着だ。

私を引き寄せていた手はずるりと落ちて、その顔はベンチの上に立てた片膝に伏せられた。



「…帰れよ」



可哀想に、情緒面の拙い不器用な男には、今更素直な言葉なんて吐き出せやしないのだ。

慰めてほしいと言葉にすれば、私も吝かではないというのに。






イコールで繋がらない




愚者が玩具だなんて、言った覚えはないのにね。
嗚呼、本当に、可哀想で可愛い花宮くん。



(もしもし、原くん? さっきの今でごめんなさいね)
(悪いんだけど、花宮回収してあげて? 公園のベンチにいるから…え? 私?)
(残念ながら出る幕じゃないのよね…だからお姉さんは大人しく帰ります)
(あの子がもう少し素直になればねぇ…うん? ふふ、何でもないわ。あとはよろしく。頼んだわね)
20121002. 

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