物言いたげな瞳は揺らぎ、震える唇は結局何一つ紡ぎ出さない。
それならもう、最終手段しかないじゃない。






「お茶くらい出すから、上がっていったら?」



あれから、何かを言い出したそうな顔をしながらも結局一言も発さなくなった彼は、特に道順を確かめることもなく私が今現在生活しているマンションのエントランスまで送り届けると、直ぐ様踵を返そうとした。

教えてもいない住所を当然のように歩いていたところを見ると、何度か近くまで足を運んだことでもあるのだろうか。
この辺りに目当てになるような店はないけれど…とほくそ笑む私の内心など露知らず、今日もまたその場だけは簡単に諦めようとする彼の腕に手を掛ければ、一瞬で凍りつくようにその背が強張った。

なにも今すぐ取って食うつもりはないのに。
本当に、いい反応をしてくれるんだから。



「…何考えてんだよ」

「別に? ここまで送ってくれた優しい花宮くんを労おうかと思っただけよ?」



漸く聞けた声は警戒心たっぷりで、ついつい更に突いてやりたくなる気持ちを押し留める。



(いい加減、逃げられ続けるのにも飽きが出てきたし…)



外側からは存分に堪能したから、もういいかと思っただけ。
ただ、それだけのことだ。私にとっては。
彼にとってどうなのかまでは、配慮するつもりは最初からない。
どうせ、私が招けば自分から逃げるようなことはしないのだし。

予想通り、渋い顔をしながらも彼は誘いを振り切ったりはしなかった。
密室に二人きりという絶好のシチュエーションは、実を言うとそれなりに長い付き合いの中でも初めての状況だ。
部屋に招き入れてとりあえずはリビングに通し、手早く紅茶を淹れる準備を始めると、テーブル近くのソファーに素直に腰を下ろした彼がぼそりと、呟く声が聞こえた。



「随分とガード弛いんだな」



緊張するでも馴染むでもなく、自然な姿勢で背凭れに寄り掛かるその男の何かを諦めたような表情を見て、面白くも面白くなくもあるような相反する気持ちが生まれる。

執着は心地がいい。何を差し置いても本能が求める、そんな想いはとても、美味しそうで。
だけれど、行き過ぎた勘違いはどうだろうか。
目を逸らしながら嫉妬されても、釈然としない。

諦めるなら、私の手の中でなければ。

カップを温め、最短で抽出できる葉をポットに放り込んでお湯を注ぎ、お茶菓子と一緒にトレーに乗せてテーブルに運ぶ。
ソーサーとカップ、お茶菓子の乗った皿を並べて彼の座る長椅子に並んで腰掛ければ、その眉が分かりやすく歪むのが視界に写った。



「おい」

「なぁに?」

「何でわざわざこっちに来んだよ…普通あっちだろ」

「だって遠いじゃない」



普通、と指差された先にある一人腰掛けのソファーには、視線を投げることすらしない。
軽く3分弱、壁にかけた時計の長針と秒針を確認してポットを傾ければ、ティーカップの中に綺麗な琥珀が広がった。



「…何考えてんだよ…本当」



苦々しい小さな呟きを拾って、内心軽く嘆息する。
解らないのか、解ろうとしないのか、信じられないのかは知らないけれど、本当に面倒な男だと思う。
信じる以前に何も話さない私にも、問題はあるのかもしれないけれど。



(そこが可愛いと言えば可愛いんだけど)



堂々巡りは、もうやめよう。
外側から虐めても、これ以上は…離れられなくても、近付くこともない。
それでは意味がないのだ。

二人掛けても狭く感じないソファーは、こんな時には少し不便ね。
なんて、寄ってしまえばそんな不満も立ち所に消えてしまうのだけれど。
軽く目蓋を下ろして力を抜いた身体を倒せば、寄り掛かられた彼の肩がびくりと跳ねるのを首に感じた。

全く、本当に分かりやすいったら。



「っおま、な、にしてっ…」

「疲れてるのよ…甘えさせて」

「ばっ…っいい加減にしろよてめぇ!」



ぐん、と肩に掛かった重みに目を開けたと同時に、クッションの感触を背中で感じる。
視線は怒りと、それ以上の熱を孕んだ瞳に吸い寄せられて、彼越しに見えた蛍光灯が眩しかった。



「からかうにしたって質悪ぃんだよ!…この状態で、何されても文句言えねーだろお前!!」

「…言わないわよ?」



文句なんて。一言も。
やっと少し踏み込もうとしている獲物を、待ち構えている私から拒むことなんてあるはずがないじゃない。

顔のすぐ横にある制服の袖に指を這わせれば、余計に揺れる瞳の奥が、胸を疼かせる。
欲しているなら、普通、手を伸ばさずにはいられないものでしょう?
私だって、そうよ。

それなのに、揺れているくせに、まだ苦しげにその目を細める男が解らない。
漸くここまで近付いてきて、躊躇う意味が。



「っ…あいつにも、こんな…」

「花宮くん?」



今にも、縋りつきたいと語る目をしながら、まだ折れない彼に半分呆れた気持ちで見上げる私を見つめて、躊躇うように一度閉じた唇が歪む。



「……起業、あいつも関わるのか」

「…高柳のことかしら?」



何故ここでその内容、と思いはするも、下手に突っ込んで長引くのも面倒だ。
思い当たる男の名を挙げれば、真上にある彼の顔が更に顰められて。



(ああ、なるほど)



トラウマの上乗せで、面倒なことになっているらしい嫉妬心を読み取って笑みが溢れる。

そう、何だ、そういうこと。



「経理面の相談には乗ってもらうでしょうけど、彼は彼で進む道は決めているわ」

「…特別、大事にしてんだろ」

「大事な友人ではあるわね」

「そんなんじゃ、」

「ねぇ、飽きたわ。花宮くん」



ぐるぐると、きっと今も悩み続けている男を見上げてその言葉を遮れば、意味を履き違えた彼の頬が強張る。

飽きられるのを一番恐れている彼を知っていて吐き出した言葉に、傷ついたように見開かれる瞳を舐めたいと思った。



「案ずるより産むが易しって言うじゃない」

「…何が言いたい」

「口に出してみれば、案外叶うこともあるかもしれないわよ?」



欲しいなら欲しいと、言えばいい。
それが駄目なら無理矢理にでも奪えばいい。せっかく組み敷いておいて、怖じ気づくなんて馬鹿らしい。

どうせ、手に入らなくなって泣くのは自分なのだ。
行動しないで後悔するなんて、愚かにも程がある。



「簡単に…言うんじゃねぇよ…」



なのに、この男はまだ躊躇う。

逆に捕まえられて、力強く握られた手首が痛かった。



「欲しがる権利なんかとっくにねぇんだよ…!」



欲しい、欲しいと、外から見て分かるほどに藻掻いているくせに。
愛の一つも囁けない男が、笑い出したくなるくらい可愛らしい。

本当に、馬鹿な子。



「誰が決めたの?」

「決めたとかじゃねぇだろっ…お前が…」



椿が、赦さないくせに。

力なく、落ちてきた頭が首もとに埋まる。喉が裂けてしまうような声が溢されて、背筋を電流が駆け抜けた。
ぞくりと、粟立つ肌に唾を飲み込む。



(ああもう)



可愛い。堪らない。

食い縛られる奥歯、手首から離れて握り締められる拳、体当たりの欲望を感じ取れば、私の両手は考えるより先に持ち上がって。

落ちてきたその男を、囲って閉じ込める。
罠に掛かった、可哀想で可愛い、花宮真を抱き締める。



「っ、な」

「そうね。赦さない」



赦してあげないわ。

甘く、毒を孕んだ声を、凍り付いたその耳に囁きこんだ。
落ちてきたなら、もう離さない。



「一生、私のものでなくっちゃ」



項垂れていた首が持ち上がり、呆然とした顔が見下ろしてくる。
極上の微笑みを浮かべる私に、何かを紡ごうと開きかけた唇からは、一音も飛び出さなかった。

だから、言い重ねる。
逃げられないことを、教え込む。



「“真”は私のものよ。花宮になんてくれてやらない」



私のものよ。
あの日から、ずっと。その前から敷き詰めてきた布石を、今収める。

個人的にも、未来的にも、この男を逃すなんて有り得ない。
私の欲を満たせるたった一人を、捕らえたらもう、逃がしはしない。



「…お前…まさか……」



賢い彼は、何を言わずとも理解したようだった。
私の目的を、望みを知った瞳が見開かれる。

その強張り冷たくなった頬を撫でて、私は微笑んだ。



「2、3年はかかるかしら…何れにしても私は花宮を淘汰するわ。だから諦めて、選びなさい」



金と権力だけは保持する花宮を捨て、私が選んだ道のように。
どうせ、自分から逃げることはもう、できないでしょう?



「私を選びなさい、真」



すべてを捨てて、と。
でなければ私は、躊躇いなく貴方も敵に回す。

本気だった。
だって、どうせ答えは見えているのだ。
迷う暇すらない程、布石は敷いた。長い時間をかけて、この男の中に私を刻み付けた。
答えなんて聞かなくても分かる。

私の敵に、なれるはずがない。



「……一生って、お前が言ったくせに選ぶも何もねぇよ」

「たまには言葉が欲しい女心よ」



言葉なんて無くても、彼の中身に至っては筒抜けではあっても。
筒抜けであるからこそ、今度は選ばせてみたくなる。はっきりと、口に出して。



「…バァカ」



頬を撫でていた手を再び取られて、首もとに顔を押し付けられる。
発せられた悪態は言葉だけが生意気で、私の耳には湿って聞こえた。







一世一代の罠にかける




落ちてやるから、全部寄越せ。

強欲にも程がある言葉を吐き出す男に、込み上げた笑いで肩を揺らした。



(差し上げましょう、いくらでも)
(頂く分には敵わないもの)
20121028. 

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