シリーズ | ナノ


クラスに気になる人がいる。
そうポロッと口にした時の、両親の反応はそれは顕著なものだった。

箸を落としただけの母はまだいい方で、目玉焼きにかけるはずの醤油を味噌汁に入れてしまった父の慌てようは酷かった。
箸はすぐに取り換えられ、味噌汁も試しに一口啜ってみたようだがやはり駄目だったらしい。そちらもよそい直したところで、再び揃ってこちらを振り向いた彼らの表情はとにかく真剣そのものだった。



「連絡網はあるけど写真がないわね」

「なまえの興味を引く男…一体どんな子だ?」

「あ…いや、女子だけど」



母の黒眼と父の青眼にじっと見つめられて、軽く引き気味になりながらも訂正すれば、なんだ、と拍子抜けしたように二人の顔から力が抜けた。

期待に添えなくて申し訳ない。人付き合いに消極的な私と違い、社交性の高い両親達は恋愛ごとの話題をとても好んだ。
それなのに、小さな頃から恋の一つもせずにきた私だ。浮いた話を持ち出さない娘にフラグが立ったとでも思わせてしまったのだろう。
残念ながら、そちらのフラグはまだまだ立ちそうにないが。



「ということは、友達ができたの?」



気を取り直すように掌を叩いて、喜びを表現する母の言葉には肩が跳ねた。
にっこりと微笑みを浮かべる母に、どう答えるべきか。



(とも、だち)



トモダチ…友達とは、どういった関係なのだろうか。
そんな存在がいた例しがないから、口調ははっきりしない。



「わからない…」



彼女の中で、私は今どんな括りに入れられているのか。
艶めく黒を思い浮かべると、少し鼓動が逸る気がした。



「とても、綺麗な子で…名前を呼び合う約束、したけど」

「そうか、仲良くなれるといいな」

「…うん」



隣の椅子に腰掛けていた父の手が、ぽん、と背中を叩いてくる。
軽く息を吐き出して改めて朝食に向き直れば、私から意識を逸らした二人は二人で、それなりに盛り上がっているようだった。



「仲良くなるといえば、何だろう。やっぱりお近づきのプレゼントなんかが効果的かな」

「ちょっと意気込み過ぎじゃないかしら。まずはやっぱり日頃の挨拶、会話からよ」

「なまえは自己アピールが苦手だからなぁ…」

「そうね…なまえ、とにかく笑顔の練習しましょう? 笑っていれば相手も笑い返してくれるから、ね?」



離れていた意識が、またもや揃ってこちらに向けられる。それを受けて自然と背筋が伸びた。

二人の間で出てきた課題は、私にとってはとても難儀なことに思えた。
家族以外へのプレゼントを選んだ経験は一度もないし、人前で笑うことなんて滅多にしない。磨くセンスもなければ、タイミングも読み慣れていない。

そんなコミュニケーション能力の底辺状態にいる人間には、大抵の人間が気負わずにできるようなことも、とてつもなく重く伸し掛かってくるものだ。
それでも、つい昨日のことではあるが、他者との接し方を覚えたいと思った気持ちに嘘はない。

初めて、触れてみたいと思う人に出逢った。この人と仲良くなれたらいいと、不相応にも望んでしまった。口にまで、出して。
ここまでくれば、自分の言葉をなかったことにはできない。
慣れない笑顔を上手に浮かべられる自信は無いに等しいけれど、少しは努力してみる気にもなった。



「…頑張ってみる」



鈴を転がすようなあの声に呼ばれた自分の名前は、とても綺麗なもののように思えたから。
勇気を蓄えるようにご飯を噛み締める私に、送られる二人分の視線は柔らかなものだった。









普段から外見やとばっちりで目を付けられやすい分、生活態度にはそれなりに気を配っている。自分から騒ぎを起こすような真似は絶対にしないし、授業は真面目に受ける。遅刻だって一度もしたことはない。
早朝とまではいかないが、登校時間としては早めな時間帯から教室にいるのは、わりといつもそうしていることではあった。

徐々に人の集まる教室内は朝から充分に騒がしい。仲良さげにしている複数のグループを、離れた場所から何となしに眺めるのも私の日課だ。
けれど、今日に限っては周囲の光景を見ていられるほどの余裕はない。未だ埋まらないたった一人の席を横目で確認し、扉にも視線を投げては胸を押さえて深呼吸を繰り返す。

緊張で強張っていく表情筋が、きちんと笑顔を作ってくれるかどうかの不安はあった。けれど、自分から声を掛けることくらいは頑張りたいと、そうも思っていた。

彼女の席から、教室の扉へと視線を向ける場所を絞る。
胸の内でどくり、どくりと音を増していく鼓動を感じた。今か今かとたった一人の影を待ち構えている時間は、長いようで短く。



「…あ…っ」



その時は、やってきた。
艶やかな黒が室内に踏み込んだ瞬間、場の空気が洗われたかのような錯覚を覚える。
澄ました顔で教室に入ってきた彼女に、拳を握る力が増した。顔面の筋肉が硬貨する気がして、振り払うように軽く首を振る。

笑顔は無理なら仕方がない。とにかく声を掛けよう。
狭くなる気道を確保するため、息を吸い込んだ瞬間、私の勇気に大きな穴を開けられた。



「おはよー清水さん」



ひゅっ、と音を立てたのは、一気に空気を吸い込みすぎた咽喉だ。
立ち上がろうとした身体が、中途半端な姿勢で固まる。

扉近くで屯していた女子の一人が口にした挨拶は、すぐに近くにいたグループの全員に伝染していった。
口々に発せられるそれらは、ぽんぽんと軽く投げ合われる。何も気負わない自然な口調に、張り詰めていた私の心は一気に萎んでいく気がした。



(…馬鹿だった)



どうして気付かなかったのか。あんなに綺麗な人が、他の人間に好意を持たれないわけがなかったのに。
針を刺された風船の気分だ。凍り付いた身体から力が抜けて、ぺたりと椅子に腰掛けなおる。
完全に、タイミングを逃してしまった。

自分の席で待っているより、最初から扉の近くにいた方がうまくいったのかもしれない。
当たり前にスムーズに交わされる挨拶、軽い雑談が耳に入れば、とてもじゃないが自分もと乗っかっていくことはできなかった。
私には、あんな風に自然に笑って喋ることは、きっとできない。

心臓が冷えていくような感覚に、軽く机に伏せる。情けないが、頑張ろうとした気持ちはもう舞い戻ってくる気がしなかった。
雑多するクラスメイト達の声を聞き流し、いつものようにBGMにしてしまう。今日はもう無理だと、額を腕に伏せて目蓋を下ろそうとした時、唐突に飛び込んできた声音が鼓膜を揺らした。



「おはよう、なまえ」



息が止まった。
ばくん、と跳ね上がった心臓に合わせて飛び起きると、席の横を通り過ぎる前に足を止めてくれたのか、こちらを見下ろす彼女がいた。

駄目な人間。細かい点まで頭が回らない、不器用な人間。
そんな風に自分を罵っていた最中、傍に寄ってきた彼女の姿は寸前のこともあって、とても手の届かない高嶺に咲く花のように思えて。

胸が軋む。



「あ、う…お、はよう…」



私から、話し掛けようと。笑顔は難しくても、挨拶くらいはしようと意気込んでいたのに。
応える声すらぎこちなすぎて、眼の奥が痛くなる。

ここまで、どうしようもないなんて。
不器用な自覚はあっても、もう少しくらいはなんとかなると思っていたのに。

思っていたよりずっと、ずっと苦しい。
自分の矮小さが身に染みて、上擦る声すら抑えきれなかった。






高嶺の前の絶壁




傍目には、態度が悪く写ったのかもしれない。
男女限らず教室の至るところから向けられる、冷たく顰められた視線が肌に突き刺さるのを感じた。

それでも、たった一つ、悪意を含まず見つめてくる眼鏡の奥の瞳の方が、私の心臓を締め上げてどうしようもなかった。

20140604.

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