外見が他と違うから、普通より人付き合いが下手だから。
少し拒まれてはそう思い込んで、自分で壁を積み上げた。
根も葉もない噂や、暴力を受け流せない素行の悪さも相俟って、好意的な目を向けられることなんてなくなってしまっていたから。
だから、唐突に発せられた彼女の一言が、すぐには信じられなかった。
「みょうじさんの髪、綺麗だよね」
自前なんでしょう?、と付け足された問い掛けに、数秒固まった私は慌てて頷き返した。
グループ課題を片付ける最中、他の班よりも比較的静かに最低限の会話だけで課題を進めていたところだったから、掛けられた言葉は本当に唐突だった。
自分の持ち物を褒められた経験が今までに一度もなく、それどころか同輩とまともに会話が続いたこともなかった。
大きく震え上がった心臓は、緊張に耐えきれず胸の内側で暴れ始める。
何を言われたのか、反芻してみて余計に意味が解らなくなる。
(綺麗…?)
そう言ったのか。この人は。
艶のある黒髪をさらりと揺らす、彼女の方が余程洗練された美しさを纏っているだろうに。
ドクドクと脈打つ心音が、教室のざわめきよりも大きく耳に届く気がする。激しい運動をした後のような感覚に、机を挟んで目の前に座る彼女から目を逸らした。
「ごめん…気を悪くした?」
「あ、えっ? や、違う…けど」
失敗した、と解ったのは気遣わしげな声を掛けられてからだ。
そうか、こんな時、普通は何かしらの言葉を返すものなのだろう。
否定するなり、褒め返すなり。他の女子がよくする反応はすぐに思い浮かんで、自己嫌悪が募った。
見ていないわけではないのに、私は彼女達と同じように振る舞うのがどうにも下手過ぎる。
「こっちが、ごめん…そういうの、慣れてなくて」
気を悪くさせるのは、いつだって私の方だ。
心を配ってくれた彼女にも、いらない心配をさせてしまった。
真っ直ぐに見つめ返すのも申し訳ないくらい、美しいクラスメイトへ視線を戻す。
私の言葉を拾って不思議そうに首を傾げる仕種は少し幼いのに、眼鏡の向こうの理知的な瞳は大人っぽくもあった。
完成された美術品のような人に見えたが、その目を見つめてみるとそうでもないのかもしれない。
子供にも大人にも転がらずバランスをとっている魅力が、逆にアンバランスで惹かれずにいられない。
綺麗だ、と思った。やはり、私の髪なんて足下にも及ばない。
「悪目立ちするから…髪とか、褒められたことなくて」
「そうなの?」
「う、ん。だから、何て言ったらいいか…」
「そっか」
ハッキリしない物言いを疎むこともなく、納得したように彼女は頷く。
全身を強張らせたままの私から視線を落とし、手を止めていた続きからノートを纏め始めた。
「でも私は、綺麗で羨ましいなって思ったよ」
こんな時、どんな言葉を返せば正解なんだろう。
目を合わせなくてよくなったことで、安堵の息を吐いた瞬間。狙ったように呟かれた一言は鋭く心臓を射止めた。
息が詰まった。思考が凍った。心ばかりが狼狽して、自分ではどうにもできない。
もっと全うに人と関わる努力をしておくべきだった。そう思ってしまった自分に、愕然とした。
関わりたいなんて高望み、したことなんてなかったのに。
清らかな音色
他者との接し方を、覚えたいと思った。
初めて、触れてみたいと思う人に出逢った。
世界が色を変えたとは大袈裟な表現だが、そう表しても差し支えないほどには、私にとって大きな変革だったのだ。
無理だ無駄だと諦めきって、尻込みして他者との間に自ら壁を作り上げていた私には。
「わ…たし…」
「?」
授業が終われば、時間は途切れる。他に繋がりはない。今しかないのだと思うと、言葉を選んでいる暇もない。
もう一度、会話を掘り返すことはとてつもなく勇気がいることだった。
誰もが軽く取れるコミュニケーションを、私が取って正解かは判らないし、少しも自信はない。
自分の意思で誰かに話し掛けることは、恐ろしかった。
それでも、初めて芽生えた感情はなんとか恐ろしさを上回ってくれる。
カタカタと震える指先を握りこんで、狭くなる肺に空気を吸い込んだ。
「私…どうしたら…あなたと、仲良くなれるかな…」
正否も判らないから、思ったことをそのまま口に出すことしかできない。
顔を上げた彼女が目を丸くする。
その反応に怯える気持ちを押さえ付けていると、数秒後にその表情はふっと弛められた。
「潔子」
「え…?」
「潔子って呼んでくれたら、私もなまえって呼ぶから」
ふわりと浮かべられた微笑は正に花が綻ぶようで、柔らかくなった空気が私の中に染み渡っていく気がした。
「き…潔子?」
空回りそうになる口を動かして、促された名前を呼べば、うん、と頷いて返される。
なに、なまえ。
自然なテンポで返された呼び掛けに、ぶわりと込み上げてきたもので顔が熱くなる。目の奥から競りあげてくる感情のせいで、視界まで揺らいだ。
ああ、どうしようか。これは。
嬉しいのだと思う。嬉しくて、舞い上がって、何もまともに考えられなくなっている。
馬鹿に、なってしまう。
「き、潔子…の方が」
「え?」
「私は…潔子の方が、綺麗で、羨ましいなって…思った」
さっき、言えなかったけど。
そう思ったから。
おかしなことを口走ってしまったかもしれない。けれど、溢れたものは止まらなかった。
未だ戸惑いの拭えない私の前で、再び長い睫毛を震わせて瞳を瞬かせた彼女は、それでも少しだけ頬を染めて笑ってくれた。
20140522.
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