シリーズ | ナノ


もしや、私は何か、とんでもない間違いを引き起こしてしまったのではないだろうか。

預かりものだと手渡された、封筒とそれにくっつけられた一輪の花をこの目に映した瞬間。差出人を確認する前に、背筋を何かが素早く駆け抜けていったような気がした。



「登校一番、狙ったように呼び止められてなー。みょうじにって、そんな形だから朝イチで届けに来たってわけだ」



あっけらかんと語る紅谷先輩に、悪意や他意はない。部活の時間まで顔を合わせられないとなると、早めに届けに来るのも当然だと解る。生花は扱いに困るだろう。解っている。解ってはいるのだけれど。
できればその場で断ってくれた方が助かったし嬉しかったという本音も、誤魔化すことができそうにない。たとえ手紙が靴箱や机などに忍ばされていたとしても、読まずに破り捨てるような真似は私にはできるはずもないと、自覚しているけれど。

既に手の中に収まってしまっている薄紅の封筒の表には、しっかりと私の名前が。裏にはつい最近震える手を叱咤しながら綴った覚えのある、私の苦手とする彼の名前が並んでいた。

どくり。
嫌な音を立てて、心臓が跳ね上がる。



「は…はは」

「引き攣ってる引き攣ってる」

「…何で…こんなことに……」



朝に食らうダメージとして、これ以上ないくらいの威力だ。
ふらふらと、廊下の窓に縋るように手をかけて項垂れる。飛び降りるなよ、という先輩からのツッコミが冗談に聞こえなかった。
これが悪夢で飛び降りた瞬間に目が覚めるというのなら、二階の高さくらいなら喜んで飛び降りる気持ちでもある。夢に変えられるなら、本気でそれくらいはできそうだ。
そんな不安定さは、普段のびのびとした態度を貫いている紅谷先輩でもさすがに見兼ねるところがあったらしい。全身から力が抜けて今にも崩れ落ちそうになっている私の肩を、気遣うようにぽん、と叩いてくる。



「まぁ何だ…ほら、みょうじから手紙渡してたんなら、それに対する返事かもしれんよ」

「そ…そうですよね。きっと…一回きりの、礼儀とか…律儀な人だからきっと……」



差出人の名前にもう一度視線を落として、唇を引き結ぶ。名門である洛山の生徒会長と強豪バスケ部の主将を兼任している彼の人は、その役目に恥じない真面目さを備えた人である。
私が先に礼を述べる手紙を届けたのだから、それに対する返事くらいは来てもおかしくない。と言うよりは、来るのが自然な流れなのかもしれない。
そうだ。きっと、そうに違いない。それ以外の用事なんて私と彼の間にはないのだから、恐らく中身は軽い返事が一筆、といった程度のものだろう。

とりあえず、開けてみないことには中身は知れないけれど。
促されて封に手を掛けて、自然と溜まっていた唾をごくりと飲み込んだ。



「先輩、まだ帰らないでくださいね」

「お前さんどんだけ怯えてんの」



ついさっきまでの気遣わしげな様子から一変、呆れています、と思いっきり顔に書いてある先輩のことは、今は横に置いておく。一人で開封するには確実に勇気が持ち堪えられない自信がある。
のり付けされていない封は、シンプルなシール一枚で留められていた。花を傷付けないよう、できる限り周囲を破いてしまわないよう、心を決めてからゆっくりとそれを剥がしていく。
そして封筒から出てきた折り畳まれた同色の便箋一枚を、手先の震えを堪えながら開いてみた瞬間。再度、私の脳は石のように固まってしまった。

空白を埋める、文字、文字、文字。
先日の私からの手紙に対する定型的なお礼の言葉に、連なる行数はその倍どころではない。
遙かに多すぎる文を見ただけでも、軽い返事には到底思えない。思わず蹌踉めきかけた私が全内容を確認するより先に、許可も得ずに隣から覗き込んできた紅谷先輩が、あーあ、とよく解らない頷きを溢してくれた。



「会長くんはなんつーか…随分みょうじと関わりたいんだなぁ」

「…………っ」

「血の気引きすぎ」

「そっ…だっ……うぇ」

「ホントどんだけ怯えてんの」



落ち着け、と嘆息しながらもぽんぽん背中を叩いてくれる先輩に、言葉にならない声は吐かずに首を縦に振って返事をする。
そしてまた溜まってきた唾を飲み下し、大きな呼吸で動悸の激しくなった胸を必死に落ち着かせた。

これは、もう少し余裕を持てる状況で読みなおした方がよさそうだ。
ちらっと目を走らせただけではあるが、さすがに並ぶ文字は乱れはなく整っていたし、まずいことが書かれているわけでもなさそうに見えたけれど。だからといって、構えもなく向き合えるほど私の心は頑丈にできていない。
どんな思いで、どんな顔をして綴られたものなのかと、つい気にしてしまうに決まっている。



「スターチス、スターチス…お、あったあった。みっけ」



一日の始まりからごっそり消耗してしまった私から離れて、手紙を封筒に仕舞う間に携帯を弄っていた先輩が、不意に顔を上げる。
薄情…とまでは言わないけれど、この人も中々気紛れな人だと思う。一体何を見つけたのかとその顔を窺えば、途端に意味深にその目が細められた。



「永遠に変わらない心、変わらない誓い、上品、途絶えぬ記憶……だってさ」

「…はい?」

「一輪贈るには地味めな花だけど、まぁみょうじ好みとゆーか……黄色、ね」



ふむふむ、と、面白いものを見つけた動物のように口角を上げる先輩に、僅かな不安を覚えた。



「何か誓われたん?」

「え……ええっ? 覚えがないですけど…花言葉とか、特に意識してないんじゃ…」

「ふーん?」

「な、何ですか…」

「いーやー? 別にー?」



にやにやと、何が楽しいのか向けられる笑顔に悪意を感じる。とはいえ、はっきりと何かを言われたわけでもないのに噛み付くこともできない。
込み上げた衝動はうまく言葉という形にはなりきれず、腹部に押し戻しながら俯くしかなかった。

そうすると今度は、黄色い小花を幾重に付ける一輪に目が留まる。
添えられた花については、素直に嬉しかった。確かに大ぶりで目立つものではないけれど、充分に可愛い。



「一輪だと、ドライフラワーにするには手間ですかね…」



どんな意味を込められているのか、敢えて考えたりはしない。偶然、何かしらの都合で本当に偶然花が手に入ったから、好意で付け足されただけだ…というのが、一番受け入れやすい理由だ。
意味があると、向き合わなければならない要素が増えてしまう。混乱して不用意な行動に出てしまわないためにも、何も気付かないことにして目を逸らした。

押し花にでも、しようかな。
くしゅくしゅとした花弁の感触を指先で確かめながらそう呟くと、しばし口を噤んでいた紅谷先輩がことん、と首を片側に倒す。



「なー、みょうじ」

「はい?」

「なーんか変な感じだけど、会長くんのこと嫌いってわけじゃーないんだ」



知らず、息を止めていた。
真っ直ぐに射てくる先輩の目にこちらを揶揄するような色はなく、純粋な問い掛けだと即座に理解できた。



「……そう、ですね」



唾が溜まったり、からからに乾いたり、忙しなく働かされる喉だ。
ホームルーム前の教室や廊下に満ちる喧噪が、嘘のように遠ざかる。硝子の壁で隔てられたような、おかしな静寂を感じた。
そう、おかしなことにその空気に圧迫感を覚えることもなく、言葉だけがするりと喉から口を通り過ぎて、音となってしまう。信じられないことに。



「嫌いには…なれない、です」



信じられない、嘘のような本音を溢した瞬間に、鼻の奥につんとした痺れが走る。
熱を持つ目蓋も、隠しきれていなかっただろう。私の答えに、紅谷先輩はそっか、と軽く頷いただけだった。






スターチス ― 変わらぬ心,途絶えぬ記憶 ―




初めてきちんと言葉を交わした日のことを、交わした言葉は勿論のこと、仕種一つ違えることなく覚えている。
たった一輪の花を大切そうに受け取ってくれた彼が、まるで涙を落とすように微笑んでくれた一瞬を。

私は、忘れられない。忘れられないからこそ、優しい人だと信じて、そして、信じられなくなってしまったのだ。

20141212. 

prev / next

[ back ]


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -