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土足で下敷きにしてしまう前に、それを見つけられたのは幸運だった。

靴箱の隅に立て掛けるようにしてあった白い封筒が、上履きを引き抜いたと同時に内側へ倒れ込んだのを目にした時、一瞬の驚きと疑念を抱いた。
しっかりと封がされて形の整っている手紙を受け取るというのは、最近ではそう多くないことだ。特に同年代の集まる学校という場では、連絡手段として扱うには手間がかかり過ぎて敬遠される。用事はメールや電話、それが無理なら人づてに済まされる方が断然早いし手軽でもある。
だから、見た目きちんとしたその封筒を手にとって裏表を確認するまで、一体何の用で誰が置いていったのかと、まず訝しんでしまった。

それも、宛名の筆跡と差出人の名前を確かめるまでの、ほんの数秒間のことではあったが。



「……みょうじ…」



みょうじ、なまえ。
線が細く、丸みのある綺麗な字が並んでいた。目に写して、なぞるように唇を動かして紡いだ羅列に信じられない気持ちになる。
都合のいい夢でも見ているのではないかと、間抜けにも本気で頬を抓りそうになった。もう一度確認する。差出人は、みょうじなまえ。そして宛名に並ぶのは、赤司征十郎、個人の名義で間違いない。

一体何が起こっているのか解らなかったが、急用であればことだ。差出人が本当にその名の通り彼女なら、いたずらにこんなものを渡すようなことはするまい。
辛うじて下りてきた冷静な判断で、その場から移動する時間も惜しんで封を切った。中の紙を破かないように、極めて慎重に。まるで彼女本人を相手にするかのように、皺一つよらないように気を配り、折り畳まれていた封筒と同じデザインの便箋を開く。

『突然のお手紙失礼します。』
白く上品な便箋の始まりには、そんな一文が書き出されていた。
無意識に力の入りそうになる手先を制して、自分には珍しいほど時間をかけて、文字を追った。内容は、つい最近手配した花壇の件に対する感謝の意を記したものだった。
文面は固く畏まった部分も多くあったが、本来の意図は充分に読み取れる。きっと恐れを抱いたままの彼女が悩みながら、それでも必死に本心を届けようとしてくれたということは、よく分かった。
そう、分かってしまうのだ。自分にも。

静かに息づくもう一つの個性が、首を擡げる感覚。それから、じわじわと胸の内に広がり始める柔らかな圧迫感。これは、熱情と呼んでも差し支えはないのだろうか。
そうだとして、オレの感情で間違いはないのか。
たったそれだけのことも疑わしいというのに、彼女の思考や思い遣りといったものは、容易に読み取れてしまう。

滅多にない、珍しいと言い表すのも妥当ではない。今までになかった類の思考の波が渦を巻き、僅かな混乱に襲われる。
手紙の中で、みょうじは一言も謝罪を綴ってはいなかった。現在の関係の気まずさには触れず、ただありがとう、と、礼を述べる言葉しか。
そう書かせたのが自分ではないことに、すぐに気が付いた。何せ短くない時間、内側からやり取りを見ていたのだ。もう一人の“自分”が彼女には優しくあるために、心から気遣っていたことも知っている。

謝罪は要らない。謝罪より、喜ぶ顔が見たい。喜ばせたい。
今自分が抱く気持ちと同等の、或いはそれ以上の想いを、先に抱いて行動していたのは“僕”の方だった。
彼女の柔い心に触れて、浮き上がらせる術だって、知っていたのだ。

詰まりかけた息を吐き出し、封に仕舞いなおす前にそっと鼻先を寄せる。
そこからは湿った土と、仄かな花の香りが漂ってくるようだった。



「征ちゃん?」

「あれ? 赤司何やってんの?」



閉じていた目蓋を引き上げて、畳んだ便箋を封に入れた時だった。
少し遠くから掛けられた声に振り返ると、朝練を終えて一旦別れたはずの馴染みのチームメイトが連なる靴箱の向こうに立っている。

教室行かないの?、と丸い目を瞬かせる葉山と、何か悟るものでもあったのか、静かな目付きでじっと見つめてくる実渕。
実に対照的な二人に促される前に足を踏み出しつつ、さて何と答えるかと一度だけ間を置いて、そのまま話してしまっても構わないかと結論を出した。
葉山には話して聞かせたことはないが、その人格を考えるに別段気にすることもないだろう、と。



「みょうじから、手紙が来ていた」

「えっ…!?」



大切に握った封筒を振ってみせると、予想通り。実渕がぎょっと目を剥く。
何それ、と不思議そうな顔をする葉山を押し退けて身を乗り出してきた実渕と言えば、オレ自身よりもよっぽど事態に衝撃を受けているように目に映る。



「ど、どんなっ…いえ、内容は今はいいわ!とりあえずそれ、いいこと!? 悪いこと!?」

「先日の花壇の件でお礼を言われただけだよ」

「! 言われただけって、それ一歩前進じゃない!」

「だといいんだが」



本当に。少しでも距離が縮まっていればとは思うが、恐らくそう簡単に事は運ぶまい。
こちらから特別に働きかけたわけでもないのに、彼女の気持ちが変化するとは到底考えられない。思い遣りのこもった手紙ですら、礼儀を通したいという一心で書かれたものでしかないのだろう。この予想は外れていないはずだ。

恐怖が薄れたから接触を図ろうとした…というわけではない。
みょうじなまえという女子は、基本的に穏和で誠実だ。相手が誰であろうと真剣に向き合う気持ちを忘れない。たとえそれが、未知の恐怖を抱いている人間を相手にしても。

そうでなければ、どれだけこの胸は悦びに満たされただろう。
自分だけに特別思い遣りを向けられたなら。想像も付かないが、息も吐けないような幸福を得られでもするのだろうか。

今のオレには、知りようのない世界だ。



「だが…この手なら、少しは使えるかもしれないな」



他の荷物で歪めてしまわないよう、注意深く鞄に仕舞い込む。今既に、返事を書かないつもりは欠片もなかった。

直接対峙しなくとも、交流を図ることはできる。寧ろこの方法なら逃げ道をも塞ぐことが可能だ。律儀な彼女のことだ。あの性格を考えれば、こちらから途切れない話題を振り続ければ答えるために筆を執ってくれるに違いない。
当然、困惑はさせてしまうだろう。心苦しく思わないわけでもない。が、これ以上の良策も今の時点では見つからない。
少々強引だが、小さな隙を見つけてしまえばそこを突かない手はない。甘いばかりでは何一つ進まない。

声にも表情にも出さずに、たった一言彼女に対する謝罪は、心の中に溢すに留めた。






蓮華草 ― あなたは私の苦痛を和らげる ―




「よく分かんねーけど、赤司手紙書くの? なんかそーゆーのめんどくさくない?」

「お黙りおバカ! 趣があっていいじゃないの!」



事の詳細を知らない葉山の素直な感想に、噛み付かんばかりに怒鳴る声には軽く掌を振って落ち着かせる。
一般的な考えではあるのだから、気にする必要もない。そう笑ってみせたところで、状況を知っている実渕の不満は完璧には取り除けなかったようだった。

けれど、それでも。
どんな感じ方をされようと、構わない。そう思う。
この問題に関しては、彼女以外がどう思うかなど、自分にとっては些細な話だ。



「面倒ではないさ。大した手間にもならない」



君と、関わっていたい。
それだけの想い、それ一つでも届けられるのならば、上々だろう。

自分で自分の顔は見えないので知れないが、そう答えたオレの表情に目を丸く瞠った葉山は、こくこくとぎこちない頷きだけを返した。



「それより実渕」

「え? な、何?」

「彼女が好みそうな封や便箋を探したいんだが…相談に乗ってもらっても構わないかい」

「! そっ…そういうことなら! 任せて征ちゃん!!」



本当に一体、自分はどのような顔をしていたのだろうか。
無言になる葉山の隣で軽く固まっていた実渕に声を掛ければ、即座に勢いを取り戻して喜色を浮かべる。はっきりとした返事に心強さを覚えると同時に、答えは聞くまでもなく知れるようで、自然と苦笑が溢れた。

20141210. 

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